伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

裁判について

 2016年12月5日、長野地裁に継続していた松原智浩の再審請求が、棄却された。
 棄却決定の理由は、未だ決定書を目にしておらず、情報も来ていないため、解らない。
 宮田弁護士たちは、12月7日に東京高裁へ抗告を行ったようである。

 請求棄却自体には、驚いていない。
 松原は、あのような事件であるにもかかわらず、深い後悔の念を抱いていた。再審請求はもちろん、控訴にさえも消極的であったのだ。根拠のない再審請求を行ったわけではないだろう。しかし、それでも受け入れられる可能性は乏しかった。
 それは、日本の裁判所は部分冤罪はおろか、完全に冤罪であろうとも、再審請求を受け入れようとはしないからだ。名張ぶどう酒事件の奥西死刑囚は、再審請求が容れられず、無念のうちに獄死した。袴田事件でさえ、再審請求決定が出るまでに33年4ヶ月もかかったのである。
 だから、残念ながら、再審請求が棄却される可能性は高いと考えていた。驚いたのは、棄却の迅速さである。

 松原が再審請求を行ったのは、2016年5月31日。わずか半年で、地裁段階で再審請求が棄却された計算になる。完全無罪を主張していない再審請求とはいえ、これはいかにも早すぎる。
 例えば、故・小林光弘死刑囚は、「殺意はなかった」として2008年11月20日に再審請求を行ったが、青森地裁で再審請求が棄却されたのは2011年6月20日である。およそ2年7ヶ月も、審理してもらえたのだ。
 この差は、いったいなぜなのか。もちろん、弁護人の熱意の差ではない。宮田弁護士たちは、きわめて熱心に松原の弁護を行っている。

 ともかく、東京高裁では慎重に審理してもらえることを望む。そして、可能性は低いかもしれないが、松原の主張が容れられることを願っている。

 「日本の裁判は長い」
 かつて、盛んに口にされていた言葉だ。
 20世紀末には、それも間違いではなかった。しかし、21世紀の裁判に当てはめるのであれば、事実に反している。
 ゼロ年代後半から、裁判の審理時間は、大幅に短縮されてしまった。死刑事件であっても、同様である。ことに、裁判員裁判が開始されてから、その傾向は顕著となっている。

 この項では、最高裁での審理期間を見ていきたい。

 先日、藤城康孝被告の最高裁弁論期日が、2015年3月27日に指定された。
 藤城康孝は、2004年に積年の恨みから自分の血族7人を殺害。2009年に神戸地裁で死刑判決を受ける。高裁では再度精神鑑定が行われ、心神耗弱という鑑定結果も出たが、2013年4月26日に控訴棄却。つまり、控訴審判決から1年11か月で最高裁弁論が指定されたのだ。
 おそらく、4月末か5月上旬に、最高裁判決が出るであろう。控訴審判決から上告審判決まで、丸2年程度である。死刑事件としては、上告審判決まで異例の短さだ。
 
 21世紀のゼロ年代前半までは、死刑事件の裁判ともなれば、控訴審判決から上告審判決まで、最低でも4年かかり、5年~8年程度かかる事件も希ではなかった。
 しかし、2005年からは、オウム事件や一部の争点の多い事件を除き、2年数か月から3年数か月で、最高裁の審理は終了するようになった。それでも2013年までは、ほとんどの死刑事件の上告審は、3年以上の時間をとって審理していたのだ。
 以下は、2010年代に上告棄却された死刑事件被告たちの、上告審期間である。

 2010年・・・合計7人。3年以上、6人(うち1人は、あと十数日で丸4年)。2年以上、1人。
 2011年・・・合計20人。5年以上、3人。4年以上、6人。3年以上、10人。2年以上、1人。
 2012年・・・合計6人。4年以上、2人。3年以上、1人。2年以上、3人(うち2人は、あと十数日で丸3年)
 2013年・・・合計5人。3年以上、5人。

 このように、2013年までは、上告棄却まで3年未満の被告数は少ない。
 2014年以降、上告棄却により死刑が確定した被告たちの、最高裁での審理期間はどれほどであったか。

2014年
小川和弘・・・2011年7月26日、控訴棄却。2014年3月6日、上告棄却。約2年7か月。
矢野治・・・2009年11月10日、控訴棄却。2014年3月14日、上告棄却。約4年4か月。
小泉毅・・・2011年12月26日、控訴棄却。2014年6月13日、上告棄却。約2年6か月。
松原智浩・・・2012年3月22日、控訴棄却。2014年9月2日、上告棄却。約2年5か月。
奥本章寛・・・2012年3月22日、控訴棄却。2014年10月16日、上告棄却。約2年7か月。
桒田一也・・・2012年7月10日、控訴棄却。2014年12月2日、上告棄却。約2年5か月。

2015年
加藤智大・・・2012年9月14日、控訴棄却。2015年2月2日、上告棄却。約2年5か月。

 2014年に死刑確定した被告は、6人中5人が3年に満たない期間で、上告棄却されている。矢野被告は、弁護士を解任したために審理が長引いたものであり、本来であれば前年の10月か11月に刑が確定していたであろう。例外を除けば、審理期間の短縮化は歴然としている。
 そして、裁判員裁判で裁かれた3人の被告、奥本、桒田、そして、伊藤の共犯者である松原は、いずれも2年数か月の期間で上告棄却されている。
 上告審での審理期間は、2年数か月未満。それが裁判員時代の新しい基準と考えるのは、穿ちすぎだろうか?

 それにしても、審理期間を短縮して、どうなるというのか。
「裁判に時間をかけるなど、税金の無駄だ」
「被害者の事を考えれば、早く終わらせてしまえ」
 という声も、あるかもしれない。刑事訴訟法で認められている上告理由には「刑の量刑が著しく不当であること」も、含まれている。量刑についての争いは、正当な上告理由である。そして、死刑は究極の刑罰であり、濫用すべきではない。これらを鑑みれば、今一度、量刑判断に際しても、慎重に行うようにすべきではないか。

 少なくとも近年、死刑判決を受けているのは、利欲目的、性犯罪などの動機で殺人を行った者だけではない。真島事件の被告程でないにせよ、被害者側の犯罪が事件の原因となっている事例も、散見される。殺害という手段が正当化されないにせよ、そのような事件まで「被害者の事を考え」迅速に死刑を選択する行為は、「被害者」の犯罪を矮小化する、不公平な態度と言えるだろう。
 「加害者は、被害者に殺されたわけではない」という人もいるかもしれない。しかし、死刑は究極の刑罰である。動機が「被害者の犯罪」が発端である場合、被告が救いがたい人間であるか、国民が新たに人命を奪わねばならない罪であるか、判断する重要な指標となるだろう。
 また、殺人を行っていない場合でも、当人にとって殺されたに等しい被害を与える行為はある。たとえば、「被害者」が「加害者」を監禁同様にして、一切の権利を奪い、暴力をふるい続けた場合。性的被害を与えた場合。自殺さえ考えるほど追い込んだ場合。それらは、殺人、少なくとも殺人未遂に匹敵するとは言えないか。
 前述のような「厳罰化」が進行している現在、最高裁は慎重な判断を心掛けるべきではないか。

 ともあれ、この傾向を見て、私が気になることは、一つである。
 伊藤の上告審判決まで、どれほど時間が残されているのだろう?
 真島事件こそ、刑が本当に適切か、時間をかけて熟慮すべき事件だったのではないか。しかし、松原が手早く上告棄却されてしまったのは、前述の通りだ。
 伊藤を取り巻く現実は、冷たく、厳しい。最高裁は、事件の経緯に対し、真摯に向き合ってくれるのだろうか。

 この記事では、真島事件の被告たちに与えられた「強盗殺人」という罪名について、書いていきたい。なお、強盗殺人の法定刑は死刑か無期懲役であるが、それよりも減刑することは可能である。
 伊藤和史と松原智浩の罪名、裁判結果は、以下のとおりである。

<伊藤和史>
犯行時・31歳
罪名・強盗殺人、死体遺棄。
求刑・死刑
一審・長野地裁。2011年12月27日、死刑判決。
二審・東京高裁。2014年2月20日、控訴棄却。
現在、上告中。

<松原智浩>
犯行時・39歳
罪名・強盗殺人、死体遺棄
求刑・死刑
一審・長野地裁、2011年3月25日、死刑判決。
二審・東京高裁。2012年3月22日、控訴棄却。
現在、上告中。

 伊藤の真島事件の起訴罪名は、強盗殺人、死体遺棄。宮城事件については、殺害には関与していないため、死体遺棄のみで起訴されている。松原は真島事件のみの起訴である。
 「強盗殺人」という罪名に、首をひねったかもしれない。伊藤たちは、利益を得るために、人を殺したのか?答えは、もちろん否である。被告たちは、被害者たちから日常的に暴力を振るわれ、労働を強いられるなど、犯罪被害にあっていた。当然、金父子に怒りと恐怖を抱き、自由を欲して、殺害を決意した。裁判所の判決も、それを認めている。例えば、伊藤の高裁判決では、以下の通りである。
 『被告人は、文夫親子から解放されて家族の下に帰るために本件各強盗殺人に及んでおり、金銭奪取を目的とする典型的な強盗殺人とは、異なる面がある』 
 なぜこのような動機であるにもかかわらず、罪名が「強盗殺人」となっているのか。それには、まず、強盗殺人という罪名について、説明せねばならない。

 強盗殺人と聞けば、「金を奪う目的で、恨みのない人を殺した事件」と考えるだろう。しかし、実際には違う。
 強盗殺人という犯罪は、利欲目的、怨恨を晴らす、といった動機と無関係に成立する。成立要件は、「人を殺害し、その殺害行為を手段として金品を奪う意図がある」というものだ。つまり、殺害前に、「被害者を殺害し金を奪う」という意図を抱いていれば、強盗殺人は成立するのである。例えば「恐喝された恨みから殺害を決意し、これまでの損害の埋め合わせとして、ついでに財布を奪うことを企図し、殺害を行った」という事件。この動機は恨みであり、利益目的ではない。それでも、強盗殺人は成立する。
 それでは、伊藤たちは、自らが無給で働かされ、搾取された埋め合わせに、金を奪おうとしたのか?それも、否である。結果的に金銭を分配したが、伊藤と松原は、金を自分のために使おう、とは犯行前には考えていなかった。金を奪おうと考えた理由は、「被害者」たちの死体遺棄と関係があった。
 伊藤は、取引相手だった斎田に、金父子の死体遺棄を依頼した。斎田は金父子から被害を受けていなかったが、報酬目的に、死体遺棄を引き受けた。そして、伊藤に200万円の金銭を要求した。もちろん、金父子から搾取されていた伊藤に、そのような金はない。どこから金を工面するか。松原と話し合った結果、金父子が所有する金銭から、報酬に必要な分だけとることとした。そのため、「殺害の際に金銭を奪う意図があった」とされて、強盗殺人とされてしまったのである。
 伊藤たちは金銭を欲していなかったが、金銭を欲して犯行に関与した唯一の人間が、斎田であった。
 金父子は闇金であり、真島の家には隠し金庫もあった。金がほしければ、徹底的に家探ししても不思議ではない。しかし現実には、物置と文夫のバッグから、461万円を奪ったのみである。そして被告たちは、そのほぼ半額である200万円を、斎田に渡している。

 それでは、伊藤を減刑することは不可能だったのか?
 強盗殺人の法定刑は、死刑か無期懲役である。この点だけでも、伊藤を無期懲役にすることに、法律上の障害はない。しかも、刑法66条により、情状を酌量し減軽することが可能だ。また、伊藤は自首が成立しているので、法律上も減軽が可能である。情状酌量だけで、死刑を選択したうえで懲役10年、あるいは無期懲役を選択したうえで懲役7年まで減軽することができる。理屈上は、伊藤は懲役3年6か月まで減軽が可能ということになる。
 情状により、刑を減軽された「強盗殺人」も存在する。被害者1名の強盗殺人で、懲役8年に減刑された事件である。これは、「被害者」の犯罪被害にあっていた事例だ。典型的な利欲目的の強盗殺人でも、自首の成立、果たした役割の程度により、有期懲役に減刑された事件は、数多い。
 このように、裁判官が真島事件の実質を認識し、それを判決に反映すれば、無期懲役や有期懲役に減刑することも、十分に可能であった。

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