伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

楠見有紀子について

 裁判において、楠見有紀子の犯罪関与について、弁護士はどのように主張していたのか。裁判記録を引用し、検討してみたい。
 楠見有紀子の、金父子の犯罪行為に関する言動について、伊藤和史の控訴趣意書23ページでは、以下のように記述されている。

エ 楠見に落ち度がないとはいえないこと
楠見も全くの第三者ではなく,楠見も,会長や専務の下で働いていた。また,楠見は,実際に被告人が拘束支配されていることを見ても,見て見ぬ振りをしていただけでなく,被告人に休日がないことを知っているにもかかわらず,被告人をして,運転手をさせるなど,自らも被告人を利用していたのであるから,被害者側の事情として落ち度がある。
原判決が述べるような「理不尽な凶行の犠牲者」とはいえない。
共犯者松原は,このように証言する。

弁護人:伊藤さんは真島の家ではどういう扱いを受けていたんですか。
共犯者松原:完全に,会長,専務の言うことは絶対でしたし,日曜日も遊びに行きたいというお願いをしても却下されていましたし,出掛けるときは会長の運転手として出掛けるか,専務とゆきさんの遊びに行くのに付き合わされるか,どっちかでしたね。

     また,楠見は,専務に代わり,あるいは専務と一緒に,共犯者池田の交際相手に堕胎するように持ちかけるなどしている。

     共犯者池田は,調書でこのように供述する。
     共犯者池田:私は,専務に子供が欲しいことなどを訴えましたが,聞いてもらえませんでした。
その後も,私は,専務に考え直してくれるように頼みましたが,専務は私の頼みをきいてはくれず,子供を堕ろせと繰り返すばかりでした。
さらに,ゆきさんまで私に,「うちから彼女に子供を堕ろす話をしようか」などと言い出しました。


 このように、少なくとも控訴審においては、伊藤の弁護士たちは、具体的な根拠を示して楠見の関与を主張していたのである。なお、検察が金一族の犯罪捜査に消極的であったこと、「遺族」たちによる犯罪隠蔽が見え隠れすることを考慮すれば、楠見の犯罪関与は、より具体的かつ重大であった可能性は高い。
 金父子が、楠見名義で金融業の登録を行い、ヤミ金に従事していたことは、書かれていない。しかし、「会長や専務の下で働いていた」という一文に、このことも含まれていると考えて良いだろう。
 なお、控訴審判決は、弁護人の楠見についての主張に判断を示さず、『強盗殺人の障害になるという理不尽な理由で巻き添えとなって殺害され』たとして、控訴を棄却している。
 控訴審判決は、一審判決と比較すれば、まだ丁寧な内容であった。しかし、楠見が「天使」であったか否かは、死刑判決の重要要素となっている。いやしくも死刑判決を下すにあたり、その重要要素に触れない姿勢は、あまりにも不誠実ではないか。
 また、楠見が一般人であるか、伊藤たちと同じ犯罪被害者であれば、殺害された可能性はないように思う。そのような立場であれば、殺害に同調こそしなかったとしても、伊藤たちの行為を金父子に告げることはなかっただろう。あるいは、黙って伊藤たちを逃がしたかもしれない。楠見の死も、本人の立場や行為と、無関係とは言えない。

本当に、楠見有紀子は天使だったのだろうか?
 
 金良亮の内妻であり、「被害者」の一人である楠見有紀子は、法廷で、天使の如く扱われた。
 検察官は、金父子の犯罪を矮小化し、悪印象を希釈しようと努めた。しかし、犯罪自体を否定することはできなかった。
 だが楠見については、何の落ち度もないのに殺された、天使のごとき女性として扱った。
 伊藤の長野地裁における論告求刑の際には、スクリーンに楠見の結婚式での写真が映し出された。検事たちは論告を行いながら、写真に涙していたらしい。
 しかし、楠見有紀子は金父子の犯罪行為に無関係であり、何の罪もないのに殺された人間だったのか。

金父子は、ヤミ金を営んでいた。良亮は債務者相手に暴行、脅迫事件を起こし、2007年に懲役二年六か月の執行猶予判決を受けている。この有罪判決を機に、金父子は金融業者の免許を取り上げられた。金父子は犯罪をやめるのではなく、発覚を免れるため、より隠微な方法を採用した。
 質屋を表看板にし、質草に対して融資を行うという建前で、実質的にヤミ金に携わったのだ。金融業は、2010年6月以前の金利の上限は29.2%である(現在は20%以上の利息を取ると、罰せられる)。しかし、質屋はこの出資法上限金利の対象から外れており、年利108%の高い利息を取ることが可能である。金父子はこの抜け穴を利用し、質屋の体裁をとってヤミ金を行っていた。
 内妻の楠見由紀子は、自分の名義を金父子に貸して質屋の看板をかけさせ、闇金を続けることを可能にしたのだ。彼女の協力なければ、金父子が犯罪を重ねることはできなかっただろう。

また、池田薫の交際相手に堕胎させるよう、池田に働きかけていた。子供がいては、池田に奴隷的な労働をさせるのに、差し支えるからである。池田は、この言葉を聞いた時、屈辱に震えたという。
 なお、楠見は高校生の頃、大阪梅田で良亮にナンパされたことがきっかけで、同人との交際を開始した。2005年から5年間にわたり真島の家で同棲生活を送っていた。良亮が有罪判決を受けた裁判の傍聴にも行っている。良亮は少年時代から暴走族に所属しており、宮城とは、暴走族時代から先輩後輩の仲であった。良亮は楠見との交際中から、恥ずべき生活を送っていたということである。
 楠見は2007年7月、良亮が逮捕されているときに、良亮の面会に行くように、伊藤に指示している。そして、伊藤、楠見、文夫の愛人であるK・Aの三人は、長野南署に身柄拘束されている良亮と、面会を行っている。当然、楠見もK・Aも、良亮がヤミ金の債務者への傷害などで逮捕されたことを、よく知っていただろう。
 これらの事実を考慮すれば、楠見が、金父子の人間性を知らない、あるいは、犯罪性を知らない、といったことはおよそ考えられない。

  ならば、なぜ楠見の犯罪性について、立証が進められなかったか。
 一つは、被告たちが積極的に楠見の犯罪行為について、主張しなかったためである。楠見は共犯だったとしか考えられないが、彼女の殺害は、計画にはなかった。被告たちは殺害を非常に悔いており、犯罪への関与について主張しにくかった。
  もう一つは、彼女の関与について証言が可能な人が、誰一人としていなかったからだ。遺族たちは、遺影を掲げ、法廷の最前列に大挙して陣取っていた。被告や被告側の証人を睨み付け、伊藤和史の被告人質問の際には、指をボキボキと鳴らし、威嚇していた。このような状況であるため、非常に証言に立ちにくかった。
  しかし、最大の事情は、金一族の被害にあっていた人々が、圧力をかけられていることにあると思われる。松原智浩の長野地裁公判では、金父子のもとで強制労働させられていた人が、出廷するはずだった。しかし、その証人は、証言台に立つ直前に逃げ出し、行方知れずとなってしまったのだ。そのため、弁護側にとって立証が非常に困難になってしまった。松原の控訴審で出廷予定だった人も、遺族の圧力に負け、結局は証人としてではなく、自分の体験を文書として提出するにとどまった。その文書として提出したことについても、事後に圧力を受けたらしい。

 伊藤、松原、池田の弁護士は、いずれも控訴趣意書で、楠見の犯罪への関与について、言及している。池田の弁護士は、控訴審の弁論でも、『有紀子は不法行為の一部を行い、オリエンタルグループと関係があった』と言及している。しかし、上記のような事情から、十分に主張を尽くすことができなかったのである。
 検察官、裁判官、裁判員は、彼女を無垢な天使であるかのように美化し、死刑判決の重要な骨格とした。しかし、楠見を「天使」としたことは、「被害者遺族」による証拠隠しを追認し、金父子たちから被害を受けた人々への、二次被害を追認したに過ぎないのではないか。

↑このページのトップヘ