村瀬裁判長の減刑判決と伊藤の控訴棄却について、若干書く。減刑判決と、伊藤への控訴棄却の間にある理由や事情について、私は十分にとらえきれていないかもしれない。のちに、別の記事の中で加筆や修正を行うことも考えられる。
なお、伊藤は強盗殺人の成立について争っている。なので、真島事件を「形式的強盗殺人」としている点については、「仮に、形式的強盗殺人が成立するにしても」という但し書きつきの話として読んでもらいたい。
2014年7月現在までに、村瀬裁判長が関与した裁判員死刑事件の控訴審は四件である。
このうち、伊藤和史に対しては、2014年2月20日、控訴を棄却し一審の死刑判決を支持した。
ほかの三件については、すべて一審の死刑判決を破棄し、無期懲役へと減刑した。一件目は伊能和夫被告、二件目は竪山辰美被告、三件目は伊藤の共犯者と認定された、池田薫である。
伊藤と、彼らを分けたものは何か?ここでは、伊能、竪山両被告と比較する。
判決を分けたものは、もちろん、情状酌量の余地ではない。殺害人数。殺害自体の計画性。細かい要素を挙げれば、そうなる。しかし、より包括的な理由として、以下のようなものが考えられる。
村瀬裁判長は「死刑選択の公平性」「死刑への慎重な態度」の確立に関心があった。しかし、真島事件という、「前例のない事件」に対応することができなかったのではないか。
伊能和夫被告は、2009年11月、港区で男性を金目当てに殺害した。また昭和63年に、妻を夫婦喧嘩から殺害し、実子二人を無理心中目的で殺傷した、二人への殺人、一人への殺人未遂の前科がある。この前科の殺人では、懲役20年の判決を受けている。
竪山辰美被告の事件は、一般的には千葉大学女子大生放火殺人事件として知られている。殺害人数は一人だが、多くの事件を起こしているので、以下に主要な事件を箇条書きにする。
1・2009年10月2日、千葉県松戸市において、76歳の被害者に強盗致傷。
2・同年10月7日、佐倉市の民家において、61歳の女性を拳で殴打するなどして強盗致傷。この被害者は、神経損傷の後遺症を負った。また、同人の31歳の娘を車に監禁して連れ出し、拳で殴打し、強盗強姦致傷。この被害者は二週間のけがを負った。
3・同年10月20日、千葉大女子大生の部屋に、金銭を奪う目的で侵入。経緯は不明であるが、何らかの理由から殺害を決意し、胸部を包丁で刺して失血死させる。その後、キャッシュカードを奪い、犯跡を隠ぺいするために部屋に放火する。
4・同年10月31日、22歳の女性を駐車場で強盗目的で襲い、顔面を殴打するなどして、全治二週間のけがを負わせる。このときは金を奪うのに失敗している。
5・同年11月2日、千葉県の民家に侵入し、30歳の女性に対し強盗強姦未遂。
村瀬裁判長を減刑に踏み切らせたのは、裁判員裁判における量刑についての問題意識と思われる。「市民感情」の名の下、死刑基準が感情的なものに左右されることに、危機感を抱いたのではないか。そして、死刑の適用を、公平かつ論理的なものにせねばならない、と考えたのではないか。
伊能被告と竪山被告の高裁審理に共通するのは、書面の提出以外、法廷で新たな証拠調べを行うことなく、減刑判決を出したという点だ。伊能被告は、控訴審では一回も出廷せず、証人尋問も行われなかった。竪山被告は、控訴審では遺族の意見陳述書、被害者の死体解剖記録が証拠採用されただけである。証人尋問も、被告人質問も行われていない。判決を聞いた限りでは、この解剖記録は、被告の主張を裏付けるものとはならなかった。つまり、両事件とも、被告に有利な証拠は一切提出されていないのである。
このような審理方法で、有利な証拠が新たに提出されていないにもかかわらず減刑したことは、村瀬裁判長が情状を検討したのではなく、「過去の量刑傾向との均衡」「過去の量刑傾向を逸脱するに当たり、説得力のある理由が示されているか」に着目し、量刑を検討したことを意味する。
判決文では、過去の事件と被告たちの事件を比較し、「あえて無期懲役ではなく死刑を」科す理由があるか、中心に検討している。
伊能被告の前科は、家庭内の無理心中を含む殺人であり、強盗殺人やそれに類する殺人ではない。今回の強盗殺人と前科は類似した犯罪ではなく、犯罪傾向が矯正不可能なまでとは断言できないとした。竪山被告の前科は、人を死に至らしめた前科や殺人未遂はない。強盗殺人以外には、殺人未遂の事件も起こしていない。そして、殺害の計画性。計画性は、人命への危険性という観点から、死刑相当か否かを評価するに当たり、重要な要素となる。両事件とも、殺害自体に計画性は認められなかった。
これらの理由から、上記の二事件を、「これまでの傾向から逸脱し、あえて死刑を科す必要があるか疑問である」として、無期懲役に減刑した。
村瀬裁判長は、量刑の在り方について問題意識を持ち、事件の要素を詳細に検討する、プロ意識の持ち主だったと言える。「死刑は無期懲役と質的に異なる刑罰であり、どのような場合に死刑が許されるかという評価には、先例の集積が参考になる」と、伊能被告の控訴審判決で述べている。それは正論である。死刑は懲役刑とは全く異なる刑罰であり、慎重に選択されるべきものである。そして、量刑は他の事件と比較して公平でなければならない。「比較」を行わず、この事件は許しがたい、という思いだけで重罰を選択するのであれば、それは感情的かつ恣意的であろう。
しかし、村瀬裁判長には「先例と詳細に比較」する公平さと丁寧さはあっても、「これまでにない、新たな事例」について、新たな判断を示す器量が欠けていたように思う。
被害者三名の強盗殺人で、死刑を逃れた例は、これまでない。村瀬裁判長も、それらの判決例を参考にしただろう。しかし、それらはいずれも、利欲目的で、罪のない人々を殺害した事案だ。
伊藤たちの事件は、被害者たちの凶悪な犯罪が、事件の原因となっている。伊藤たちの行為が、「強盗殺人」という罪名の構成要件に該当してしまうとしても、過去の「被害者三名の強盗殺人」とは、動機も事情も何もかもが異なっているのである。
村瀬裁判長が、それらの事件の判決を、安直に真島事件に当てはめたとは言わない。しかし、「被害者三名の強盗殺人」という枠組みに縛られたのではないか、とは思える。
事件の本質は、被害者と加害者の関係、犯行動機である。これらが異なれば、罪の重さ、社会への影響、事件の社会的意味、いずれも異なってくる。真島事件と、「利欲目的で、罪のない三人の人を殺した事件」。被害者人数と罪名だけで見れば、同じ「被害者三名の強盗殺人」であろう。しかし、その実質は全く異なっている。この二つを同等のものとして扱うことは、不適当である。
村瀬裁判長たちは、「先例の集積」を参考にした。しかし、先例となる事件と、真島事件の本質を安易に同一視したとしか思えない。評価の尺度を誤ったのではないか。
なお、伊藤は強盗殺人の成立について争っている。なので、真島事件を「形式的強盗殺人」としている点については、「仮に、形式的強盗殺人が成立するにしても」という但し書きつきの話として読んでもらいたい。
2014年7月現在までに、村瀬裁判長が関与した裁判員死刑事件の控訴審は四件である。
このうち、伊藤和史に対しては、2014年2月20日、控訴を棄却し一審の死刑判決を支持した。
ほかの三件については、すべて一審の死刑判決を破棄し、無期懲役へと減刑した。一件目は伊能和夫被告、二件目は竪山辰美被告、三件目は伊藤の共犯者と認定された、池田薫である。
伊藤と、彼らを分けたものは何か?ここでは、伊能、竪山両被告と比較する。
判決を分けたものは、もちろん、情状酌量の余地ではない。殺害人数。殺害自体の計画性。細かい要素を挙げれば、そうなる。しかし、より包括的な理由として、以下のようなものが考えられる。
村瀬裁判長は「死刑選択の公平性」「死刑への慎重な態度」の確立に関心があった。しかし、真島事件という、「前例のない事件」に対応することができなかったのではないか。
伊能和夫被告は、2009年11月、港区で男性を金目当てに殺害した。また昭和63年に、妻を夫婦喧嘩から殺害し、実子二人を無理心中目的で殺傷した、二人への殺人、一人への殺人未遂の前科がある。この前科の殺人では、懲役20年の判決を受けている。
竪山辰美被告の事件は、一般的には千葉大学女子大生放火殺人事件として知られている。殺害人数は一人だが、多くの事件を起こしているので、以下に主要な事件を箇条書きにする。
1・2009年10月2日、千葉県松戸市において、76歳の被害者に強盗致傷。
2・同年10月7日、佐倉市の民家において、61歳の女性を拳で殴打するなどして強盗致傷。この被害者は、神経損傷の後遺症を負った。また、同人の31歳の娘を車に監禁して連れ出し、拳で殴打し、強盗強姦致傷。この被害者は二週間のけがを負った。
3・同年10月20日、千葉大女子大生の部屋に、金銭を奪う目的で侵入。経緯は不明であるが、何らかの理由から殺害を決意し、胸部を包丁で刺して失血死させる。その後、キャッシュカードを奪い、犯跡を隠ぺいするために部屋に放火する。
4・同年10月31日、22歳の女性を駐車場で強盗目的で襲い、顔面を殴打するなどして、全治二週間のけがを負わせる。このときは金を奪うのに失敗している。
5・同年11月2日、千葉県の民家に侵入し、30歳の女性に対し強盗強姦未遂。
村瀬裁判長を減刑に踏み切らせたのは、裁判員裁判における量刑についての問題意識と思われる。「市民感情」の名の下、死刑基準が感情的なものに左右されることに、危機感を抱いたのではないか。そして、死刑の適用を、公平かつ論理的なものにせねばならない、と考えたのではないか。
伊能被告と竪山被告の高裁審理に共通するのは、書面の提出以外、法廷で新たな証拠調べを行うことなく、減刑判決を出したという点だ。伊能被告は、控訴審では一回も出廷せず、証人尋問も行われなかった。竪山被告は、控訴審では遺族の意見陳述書、被害者の死体解剖記録が証拠採用されただけである。証人尋問も、被告人質問も行われていない。判決を聞いた限りでは、この解剖記録は、被告の主張を裏付けるものとはならなかった。つまり、両事件とも、被告に有利な証拠は一切提出されていないのである。
このような審理方法で、有利な証拠が新たに提出されていないにもかかわらず減刑したことは、村瀬裁判長が情状を検討したのではなく、「過去の量刑傾向との均衡」「過去の量刑傾向を逸脱するに当たり、説得力のある理由が示されているか」に着目し、量刑を検討したことを意味する。
判決文では、過去の事件と被告たちの事件を比較し、「あえて無期懲役ではなく死刑を」科す理由があるか、中心に検討している。
伊能被告の前科は、家庭内の無理心中を含む殺人であり、強盗殺人やそれに類する殺人ではない。今回の強盗殺人と前科は類似した犯罪ではなく、犯罪傾向が矯正不可能なまでとは断言できないとした。竪山被告の前科は、人を死に至らしめた前科や殺人未遂はない。強盗殺人以外には、殺人未遂の事件も起こしていない。そして、殺害の計画性。計画性は、人命への危険性という観点から、死刑相当か否かを評価するに当たり、重要な要素となる。両事件とも、殺害自体に計画性は認められなかった。
これらの理由から、上記の二事件を、「これまでの傾向から逸脱し、あえて死刑を科す必要があるか疑問である」として、無期懲役に減刑した。
村瀬裁判長は、量刑の在り方について問題意識を持ち、事件の要素を詳細に検討する、プロ意識の持ち主だったと言える。「死刑は無期懲役と質的に異なる刑罰であり、どのような場合に死刑が許されるかという評価には、先例の集積が参考になる」と、伊能被告の控訴審判決で述べている。それは正論である。死刑は懲役刑とは全く異なる刑罰であり、慎重に選択されるべきものである。そして、量刑は他の事件と比較して公平でなければならない。「比較」を行わず、この事件は許しがたい、という思いだけで重罰を選択するのであれば、それは感情的かつ恣意的であろう。
しかし、村瀬裁判長には「先例と詳細に比較」する公平さと丁寧さはあっても、「これまでにない、新たな事例」について、新たな判断を示す器量が欠けていたように思う。
被害者三名の強盗殺人で、死刑を逃れた例は、これまでない。村瀬裁判長も、それらの判決例を参考にしただろう。しかし、それらはいずれも、利欲目的で、罪のない人々を殺害した事案だ。
伊藤たちの事件は、被害者たちの凶悪な犯罪が、事件の原因となっている。伊藤たちの行為が、「強盗殺人」という罪名の構成要件に該当してしまうとしても、過去の「被害者三名の強盗殺人」とは、動機も事情も何もかもが異なっているのである。
村瀬裁判長が、それらの事件の判決を、安直に真島事件に当てはめたとは言わない。しかし、「被害者三名の強盗殺人」という枠組みに縛られたのではないか、とは思える。
事件の本質は、被害者と加害者の関係、犯行動機である。これらが異なれば、罪の重さ、社会への影響、事件の社会的意味、いずれも異なってくる。真島事件と、「利欲目的で、罪のない三人の人を殺した事件」。被害者人数と罪名だけで見れば、同じ「被害者三名の強盗殺人」であろう。しかし、その実質は全く異なっている。この二つを同等のものとして扱うことは、不適当である。
村瀬裁判長たちは、「先例の集積」を参考にした。しかし、先例となる事件と、真島事件の本質を安易に同一視したとしか思えない。評価の尺度を誤ったのではないか。