宮城事件とは、2008年7月20日、金良亮が兄貴分の元暴力団員である宮城法浩を射殺した事件のことを指す。伊藤は、この殺人を目撃してしまった。それをきっかけに、良亮への恐怖は一層強まった。そして、良亮の父であり、ヤミ金を取り仕切る文夫にも、同等以上の恐怖を感じた。
 宮城は、良亮の暴走族時代からの先輩であり、暴力団時代には兄貴分であった。共に犯罪行為を行い、伊藤を監禁して養子縁組を強要し借金させ、金蔓にしていた。まずは宮城が、伊藤を監禁し、暴力を加えた。良亮は、より多額の借金をする方法を伊藤に指示していた。住所本籍、友人知人の連絡先を握っている、逃げれば危害を加えると、宮城とともに伊藤を脅していた。
 しかし、宮城が服役する少し前から、良亮と宮城の関係はぎくしゃくし始めていた。良亮に、犯罪で得た金を多く渡すように言い、暴力に訴えることもしばしばあったらしい。事件直前には、良亮は伊藤相手にさえ、「宮城と縁を切りたい」「殺す」などと愚痴を言っていた。
 宮城は覚せい剤中毒者であり、異様な言動、理由なき暴力が目立った。牛丼を素手で食べ、ゴキブリを踏みつけても平然としていた。伊藤にガラス片で腸が露出するほどの重傷を負わせ、足を包丁で刺した。
 事件当日、良亮は刑務所から出所した宮城を、伊藤、暴力団組員のHとともに迎えに行った。そして、伊藤が車の外に出ている間に、宮城を殺害した。場所は、兵庫県尼崎市の路上、尼崎警察署のすぐ側である。
殺害時車内にいたHによれば、宮城は銃弾を撃ち込まれたときに、「痛っ」と叫んだ。
 良亮は宮城を射殺すると、「はよ(車に)乗れ、お前もこいつみたいに殺してしまうぞ」と伊藤を脅し、訳のわからずにいる伊藤を、無理やり車に乗せた。伊藤は、宮城の死体の様子について、上申書の中で次のように述べている。
『宮城さんの頭からは,血があふれるように流れ出していて,頭から顔や首などが真っ赤になっていて,宮城さんの着ている黒のジャージは,血を吸い込んで黒光りしていました』
 血の臭が鼻をつき、伊藤は吐き気を催した。そして、自らが殺されるかもしれない、という恐怖が湧き上がってきた。良亮への恐怖が一層膨れ上がり、逆らうことなど考えられなくなった。
 7月22日、良亮は、伊藤とHを連れて、父親である文夫のいる真島の家に帰った。そして文夫に、「中川(宮城)と縁が切れました」と短く報告した。文夫は、宮城と縁が切れたとはどういう意味か、という、本来であれば行うべき質問を、何もしなかった。「縁が切れた」という言葉の意味を、文夫はよく知っていたのではないか。
文夫は良亮の報告が終わるとすぐに、Hに「このまま北信ケンソウの仕事をしろ」と指示し、伊藤には「お前は月の半分、北信ケンソウでHと共に仕事をしろ。良亮を支えろ」と命じた。伊藤は、普段の言動や宮城殺害を目撃したことから、良亮に強い恐怖心を抱いていた。その良亮が平伏している文夫に、逆らうことなどできなかった。
 良亮は同日、宮城の死体を入れるコンテナボックスを買いに、長野県のホームセンターに出かけている。そして、Hと伊藤に命じ、死体をコンテナボックスに無理やり押し込んだ。最終的に、宮城の死体を車のトランクに入れ、その車ごと高田の倉庫に隠したのは2008年8月のことである。その頃には死体の腐敗が進み、トランク内は異臭が立ち込めていた。
 死体をトランクに隠した後も、良亮は倉庫を頻繁に使用していた。2008年11月には、倉庫内で車の改造を行っている。伊藤は金一家三人を殺害した後、常に良心の呵責にさいなまれ、知らないと嘘をつくことに重荷を感じていた。そのため、自発的に殺人事件を申告し、控訴審では自首が認められている。
 しかし、「被害者」である金良亮は、暴走族時代から世話になっていた先輩を殺したにもかかわらず、良心の呵責に苛まれた様子は見えない。死体を気にとめることなく、異臭を放つ死体のすぐ近くで、夢中になって大好きな車の改造に没頭していた。もちろん、ルーチンワークであるヤミ金にも、積極的に着手していた。
 宮城の死体が発見されたのは、殺害から2年近く経過した、2010年4月10日のことである。
ちなみに、良亮は、宮城への殺人、死体遺棄で、2010年8月27日に書類送検されている。