伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

伊藤和史公判傍聴記

IMG_5296
 

 2016年4月26日、私は再び、武骨な荒々しい窟に足を踏み入れた。
 最高裁弁論から一月も経ていないこの日、伊藤の最高裁判決が予定されていたからだ。
傍聴券は44枚予定されていた。交付の締め切りは14時20分であったが、少し遅れた私も、余裕で傍聴券をもらうことができた。
 とはいえ、この日は、たくさんの傍聴人が来ていた。普通、最高裁判決では10人前後の傍聴人しか来ない。しかしこの日、抽選の時間までに並んだのは17人ほどであり、最終的には22,3人ほどの傍聴人が傍聴に訪れた。随分と多い。少しは、事件の詳細が知れ渡っているのだろうか。そうであってほしい。
 待機場所には、「長野の会」の会長も来ていた。私たちは挨拶を交わし、最高裁判決まで、あまりにも早すぎた、などと話をした。2010年5月下旬に起訴され、最高裁判決が2016年4月26日。起訴から、6年もたっていないのだ。しかし、これでも最近は裁判が「長期化」しているということになるようである。また、最高裁の弁論が3月29日から最高裁判決まで、期間は一月に満たない。これも、異例の短さである。
 また、伊藤の母が傍聴に訪れることも、この時に聞いた。意外ではあったが、そうであってほしいと思った。
 やがて、職員から先導され、第三小法廷へと案内される。
 記者は、14人ほどが傍聴に訪れていた。これも、普段の最高裁と比べ、随分と多い。最前列には、伊藤の母と、伊藤の妻たちが座っていた。私は、伊藤の家族、ことに母の姿を見て、ほっとした。伊藤と疎遠になっていると聞いていたが、やはり、子のことを気にかけていたのか。
 ちなみに、「被害者遺族」は、K・Kを含め、誰一人として傍聴に訪れていなかった。検察官は、「処罰感情」などと口にして、虚しくならないのだろうか?しかし、この日も、「峻烈な処罰感情」を理由に、上告が棄却されるに違いない。
 開廷表には、弁護人として、今村善幸弁護士と、西田理恵弁護士の名前が書かれていた。しかし、この日法廷には、今村弁護士の姿しかなかった。最終判決であるから、弁護人が一人いればいいということなのだろうか。その今村弁護士は、しきりに書類をめくっていた。最高裁判決であり、これ以上、主張を行う場はない。それでも、書類をチェックせずにいられないのは、不安なのか、
 検察官は、依然と同じく野口と言う男であり、柔らかそうな椅子に、深く身を持たせかけ、座っていた。
 職員より、裁判長たちの入廷後、2分間の撮影が行われる旨申し渡される。なぜ、判決だけ撮影する気になっただろうか。
 その後、裁判長たちが入廷した。裁判長は、白髪が後退した、痩せた老人だった。他の裁判官たちは、短髪の老女、白髪を七三分けにした小太りの老人、眼鏡をかけた鷲鼻の白髪の老人、丸顔で白髪が前頭部から頭頂部にかけて禿げ上がった老人の、四人であった。なお、後に今村弁護士から頂いた判決文で確認したところ、裁判長以下五名の氏名は、以下の通りである。
大橋正春裁判長
岡部喜代子裁判官
大谷剛彦裁判官
木内道祥裁判官
山﨑敏充裁判官
 入廷とともに、起立するように言われるが、私は座ったままでいた。弁論の時から起立はしないようにしていた。どうせ、上告棄却するつもりだろうと思っていたからだ。また、裁判官への起立と礼は「慣行」に過ぎないのだが、そのような慣行が、なぜ、未だに続いているのだろう。
 傍聴人が座ると、裁判長は、開廷を宣言する。
「それでは、開廷します」
そして、職員に目をやる。女性職員が、事件名と被告名を述べ、開廷する、とアナウンスを行う。
「それでは、以下のように、宣告します」

理由
 本件は、被告人が共犯者と共謀のうえ、金文夫会長と良亮専務夫妻を殺害し、現金を強取した、強盗殺人、死体遺棄の事案である。
 

 おや、と思った。最高裁判決は、主文朗読から始まるのが、通例である。もしかして破棄差し戻しとなるのか、という淡い期待を、一瞬だけでも抱いてしまった。

 相応に考慮すべき事情もある。しかし 

 ああ、やはり駄目だったか。一瞬前の自分に、唾を吐きかけてやりたい気持ちだった。甘いにも程がある。破棄差し戻しなど、あるわけない。この国の司法に、そのような良心があるならば、そもそも伊藤に死刑判決が下される筈がない。
 ここに入る者、一切の希望を捨てよ。

 内妻殺害は、巻き込まれたもので、考慮すべき事情はない。犯行は冷酷非情であり、結果は重大である。
 共犯者と順次共謀を遂げ、自ら率先して三人殺害に着手し、終始、犯行を主導している。
 よって、つぎの通り判決する。

主文・本件上告を棄却する
以上
 

 2011年に長野地裁の裁判員と、高木順子ら裁判官たちが打ち立てた、新たな基準。加害者の受けた犯罪被害を軽視し、「被害者」の犯罪行為を美化し目を逸らす、新たな時代の基準。それは、わずかな時間で、完璧に確立された。
 これまでの他の事件の裁判でも、そのような基準はしばしば見られた。しかし、今この瞬間、その基準は、完璧に、強固に、確立されたと言えるだろう。
「ふざけるな!」
 朗読が終わるか終らないかに、私は声を上げていた。上告が棄却されてしまうのであれば、何か意思表示をすべきではないか。漠然と考えていたけれども、いざとなると、その言葉は自然に出てきた。
「静粛に!」
 職員が怒鳴りつける。幾人かの傍聴人が、不審そうな顔でこちらを見た。裁判長は、閉廷を宣言し、別の職員は起立を促す。誰が起立などするものか。私は座ったまま、さらに続けた。
「同じ立場になってみろ!!」
 裁判長は法廷に目をくれず、そそくさと退廷した。職員は、又も「静粛に!」と怒鳴る。
自分が伊藤の立場になった時、何ができるのか。そこまで賢い行動をとれるのか。伊藤が受けた犯罪被害に対し、一片の酌量も与える必要がないと言えるのか。そのような言葉が、私の頭の中に渦巻いていた。
 職員たちの刺すような視線を受けながら、私は法廷を後にした。時計を見ると、15時の開廷から、1分ほどしか経過していない。傍聴券を受け取って以来、空疎な儀式で40分ほど拘束された挙句、たった1分の言い渡し。一人の人間の命を奪う宣告は、それで終わる。

IMG_6418


 法廷の外では、今村弁護士が、被告人の母、妻、妻の親族とともにいた。私たちは、何を言えばいいかわからないまま、伊藤の親族に挨拶をする。挨拶を返した時、伊藤の妻は、目に涙を浮かべていた。他の家族も、暗い、沈んだ顔をしている。今村弁護士は、家族の手前もあり、何とか平静を保っている様子だった。しかし、その心中は、いかばかりだっただろう。
 その後、今村弁護士は、記者からの取材を受けていた。取材後は、伊藤の家族とともに、今後の打ち合わせをするらしい。私は、弁護士や伊藤の家族と別れ、歩き出した。横断歩道を渡っている時、瞼の奥が熱くなってきた。

 これで、本当に終わってしまうのか?

 控訴審第二回、第三回公判と順番が前後するが、この傍聴記が先に完成したので、投稿しておく。

 2013年7月16日、午後3時より、伊藤和史の第四回控訴審公判が行われた。
傍聴券は、14時45分に、先着順の締め切り予定であった。しかし、14時38分に、予定の40人に達したのか、傍聴券が希望者へと配られた。伊藤の母と妻も法廷に来ており、傍聴券の交付に並んでいた。「長野の会」の支援者たちも、来ていた。
 この日は、伊藤の精神鑑定を行った鑑定人の、証人尋問を行う予定であった。開廷前、今村善幸弁護士は証人と共に待合室に入り、相談を慌ただしく行っていた。証人は、眼鏡をかけた、白髪交じりの短髪の、50代ぐらいの男性である。スーツ姿であり、生真面目で紳士的な印象だった。
 もう一人の、東京高裁から付いた今村弁護士は、先に法廷内に入って準備をしていた。その後、一度待合室へと入り、今村善幸弁護士や鑑定人と少し話をし、又再び法廷内に戻る。
 私たち傍聴人は、15時となり、ようやく入廷が許された。
 この日、検察官は、水沼から山下純司という、初老の男に代わっていた。全体的に痩せているが、顎は年相応に弛んでいる。髪はやわらかく、眼鏡をかけており、サラリーマン的な印象を与えた。
 伊藤は、どこか不安そうな表情で、入廷した。以前のように長袖の白いジャージの上下を身に着けている。服がないのかもしれない。眼鏡をかけて、髪は丸坊主にしている。一審時と比べ、少し肌の色は良くなり、普通の体格に戻ってきているようにも思えた。
 法廷に入る際、傍聴席の方に深々と一礼した。しかし、この日はK・Kをはじめとした「被害者遺族」は不在であった。これからも、幾度か遺族不在の法廷が開かれることとなる。

 裁判長たちが入廷し、公判が開始される。村瀬均裁判長は、これまで採否を留保していた小林マサト証人を、採用決定した。検察官はこれに同意し、内容の信用性を争う、と述べた。弁護人は、30分ほど証人尋問を行うこととする。
 証人は促されて証言台の前に立ち、宣誓を行い、小林マサトと名前を告げた。伊藤は、証人の方に一礼をしていた。
そして、証人は、前記の記事に書いた通りに証言を行った。

 証人尋問終了後、主任弁護人の今村善幸弁護士が、被告人質問を行うこととなる。10分程度、と述べていた。伊藤は、裁判長に促され、証言台の椅子に座る。証言台の前で、傍聴席の方を向き、一礼をした。
今村弁護士(長野)の被告人質問
弁護人「引き続き、主任弁護人の今村から、話を聞きます」
伊藤「はい」
弁護人「小林先生の話は聞いていましたか」
伊藤「はい、聞いてました」
弁護人「思ったことは」
伊藤「自分は、小林先生作成の鑑定書を何度も読んで、先ほどの小林先生が説明下さったことを聞いて、当時自分の陥っていた状況について、解り易く説明をしてくださったと、良くわかりました。それで、あの、自分が今回作成した上申書の中で、自分が当時陥っていたことに、言っていたんですけども、小林先生の考えている、説明しているというような内容と、よく似たことを、自分は上申書に書いています」
弁護人「書いている」
伊藤「はい」
弁護人「例えば」
伊藤「言葉で言えば、僕は、操り人形という言葉で表現しています」
弁護人「どういう意味で使ったか覚えていますか」
伊藤「時期で言えば、平成20年上旬となります」
弁護人「控訴趣意書,弁二号証、60p、5行目を示します。『私は不満の気持ちを抑えることができず、文夫さんと良亮さんの操り人形になっている気持でした』とある。この部分ですか」
伊藤「はい、そうです」
弁護人「この意味は」
伊藤「この時期に、記載した操り人形という意味合いは、僕が文夫さんと良亮さんの存在や世界を、世界について、頭の中では拒否とか拒絶しているんですけど、僕の体が文夫さんや良亮さんの激しい暴力や拘束により、服従してしまっている状態で、自分の体が勝手に動いてしまっているという状態です」
弁護人「平成21年4月に、操り人形と書いている」
伊藤「はい」
弁護人「この時、初めて自分が操り人形だと感じた」
伊藤「この時期に確信したんですけど、今思えば、操り人形になってしまったというきっかけは、平成20年の10月の頃になります」
弁護人「平成20年の10月に、何があった」
伊藤「平成20年の10月当時、自分は大阪の自宅にいてて、家族と一緒に生活していたわけなんですが、あの、突然まあ、良亮さんから連絡があって、原田さんが逮捕されてしまったと知らされて、原田さんの代わりに僕が長野に来て働けという風なことを強要されたんで、そのことについて、自分は家族から離れたくないっていう思いで、答えに困っていたんですけども、その時に良亮さんが、『お前もあいつみたいになってもええんか』という言葉を言われてしまったので、まあ、その時期から、良亮さんが宮城さんを拳銃で射殺したことですね、その時の状況が頭に思い浮かんでしまって、自分は、その、強い、恐怖心に包まれてしまって、そこから操られていたんじゃないかって思ってます」
弁護人「実際に、貴方が、あいつみたいになってもええんかという風に言われたのは、その時が初めてなんですか」
伊藤「いや、この時は二回目なんですけど、一回目は、平成20年7月21日、良亮さんが宮城さんを殺害した時なんですけども、その時、目の前に宮城さんがいたってことで、『お前もこいつみたいになってもええんか』と言われたことが、一回だけ」
弁護人「そして、先ほどの話だと、操り人形という言葉を、二回使った」
伊藤「はい」
弁護人「もう一つは、どこですか」
伊藤「もうひとつは、平成22年の1月」
弁護人「平成22年の1月」
伊藤「はい」
弁護人「控訴審弁二号証、72P,上から一行目を読みます『私は、真島の家に戻る途中で、再び文夫さん良亮さんの操り人形になると思うと、身も心ももたない思いでした』とある」
伊藤「はい」
弁護人「ここで、貴方が書いた操り人形というのは、どういうつもりで書きましたか」
伊藤「この時期ですと、操り人形という意味は、僕が、文夫さん良明さんの世界から、抜け出したくても抜け出せないような状況で、心身ともに、自分で言うことを聞かせられないっていう状態に陥っていて、肉体的に、精神的に、限界に達しようとしているのか、限界を超えているのか解りませんが、そういう風な状況でした」
弁護人「自殺をあきらめ、殺害決意したのは、平成21年の秋でしたね」
伊藤「はい」
弁護人「自殺諦めたきっかけは、電話で、奥さんの声を聴いたことでしたね」
伊藤「はい」
弁護人「殺害することについて決めた、秋から平成22年までは、心境は」
伊藤「その時の心境なんですけど、自分は、自分は、あの、文夫さんと良亮さんの存在が、完璧すぎたっていうような感じだったので、確実に文夫さん良亮さんの世界から抜け出すためには、文夫さん良明さんは完全に殺害してしまわないと安心ができない、という状況になりました」
弁護人「そういった中で、松原さんから、二人を『一思いに殺してやりたいな』と言われた」
伊藤「はい、そうです」
弁護人「いつごろですか」
伊藤「そう言われたのは、平成22年の2月の10日ごろです」
弁護人「ところでね、自分を鬱病だと感じたことはありませんか」
伊藤「それは全く、全然わかりませんでした」
弁護人「まわりの人から鬱病だと言われたことは」
伊藤「自分が今記憶にあるのは、長野地裁の一審の時に、妻の証言から、えー、この人っていうのは僕の事なんですけど、『この人、病んでるんじゃないかな』という言葉を聞いた時に、ああそうだったんだな、と思いました」
弁護人「奥さんのその証言は、どの時期をさしているんですか」
伊藤「時期で言えば、えー、弁護士さんが質問した内容は、あの、真島の家に住んでから様子が変わってからどうでしたか、という内容だと思います」
弁護人「真島の家に住んでから、奥さんは、貴方が病んでるんじゃないかと思ったということですか」
伊藤「はい」

 検察官からの被告人質問は行われなかった。伊藤は、傍聴席の方に一礼し、被告席に戻った。この日も、硬い、不安そうな表情が多かった。
 これで、証拠調べは終わり、次回に弁論を行うこととなる。9月16日15時に、期日が指定される。この日の公判が終わったのは、15時55分のことだった。
 伊藤は手錠をかけられた後、裁判長に促され退廷する。
 その途中、支援者の一人は「頑張って、これだけ応援しているんだからね!」と、退廷時に伊藤に声をかけた。伊藤は、黙って頭を下げた。私も、「お体に気を付けてください」と伊藤に声をかける。これに、伊藤は二度頷く。
 伊藤は、答えることができない。応援に答えれば、裁判所から注意を受けてしまうからだ。
 そのまま刑務官に促され、扉の奥へと消えていった。

 続いて、検察官の野口による弁論が始まった。野口の口調は、まるでパソコンの製品番号を復唱しているかのように、言葉に意味や意思が感じられないものだった。

 本件上告には理由がなく、速やかに棄却されるべき事案だが、事案を鑑み、若干の意見を述べる。
 弁護人は、事件を起こさない期待可能性がなかったと主張している。被告人が抑圧されていたことは事実だが、身体への物理的拘束はなく、妻と電話で連絡はとっていた。
 平成20年7月に宮城の遺体を遺棄するという犯罪を行っており、何を置いても自首すべきであった。それをせず、文夫親子のもとに身を置いてみすみす状況を悪化させた。
 被告人と松原は、自らの自由意思において、犯行に及んだものである。


 「人でなしめ」
 私は、思わず声に出して言っていた。
 自首すべきであった?自首を望まなかったのも、不可能にしたのも、「被害者」であり、宮城殺害の犯人である金良亮だ!
 伊藤は好きで、金父子のもとに身を寄せたわけではなく、暴力を振るわれ、脅されて同居させられたのである。そもそもの初めから、伊藤の状況を悪化させた原因は、金父子である。一体、この検察官は事件記録をまともに読んでいるのか。それとも、読んでも事件の状況が理解できないのか。

 三人を次々と絞殺し、死体を資材置き場に運んで捨てた。文夫父子殺害の動機は、文夫父子から逃れ、自由になることと、死体の運搬費を奪う目的である。有紀子は巻き込まれて殺害されたもので、いずれの動機も自己中心的である。 

 この事件の判決や検察官の発言を聞くたびに思うのだが、このような司法官僚たちに、国民の自由や人権についての判断を委ねるべきではない。その重要性について、彼らは理屈以外は何ら理解していないであろうから。
 伊藤は日常的に暴力を加えられ、罵倒され、搾取され、殺害すると脅されていた。そのような強制収容所に等しき場所から逃れようとすることの、どこが自己中心的なのか。殺害という方法が間違っているという指摘はあり得ても、迫害者を退け自由になりたいという思いは、間違っていると否定しえない。否定するのであれば、それは基本的人権と人間の尊厳を否定するということだ。

 無防備な被害者の首にロープを巻きつけて首を絞め、4~50分にわたって3名を殺害している。執拗かつ冷酷という他ない。
 平穏な生活を送っていた被害者三人を殺害し、金銭を奪っており、結果は重大である。遺族らの処罰感情は厳しく、全員が被告たちの極刑を望んでいる。
被告人は事件の発案者であり、殺害のための物品を購入するなどして入手し、自らも殺害実行を行っている。被害者らが失踪したように見せかけ、警官や、安否を心配する遺族に、失踪した旨嘘をついており、悪質である。
宮城の死体を物のように扱い、平然と暮らしており、強盗殺人を起こしている。悪質である。
罪責は誠に悪質であり、死刑はやむを得ない。
原審の判決は正当である。弁護人の上告趣意には理由がない
以上


 弁論の時間は、10分にやや満たないものであり、およそ15時25分に終わった。
 今村弁護士の弁論とは逆の意味で、検察官の弁論は異例尽くしだった。どこをとっても、虚しい定型文に満ちており、いくつかの内容は、現実と完全に祖語をきたしていた。検察官が一言を紡ぐたびに、怒りを通り越して失笑が漏れそうになった。
 法廷内を、もう一度見まわす。遺族は一人として、傍聴に訪れていなかった。弁論の間中、検察官の事務的な声は、空席を撫でていたわけだ。
 それにしても、被害者たちが「平穏な生活」を送っていたというのは、恐れ入った。その「平穏な生活」は、伊藤たち被害者を無給で酷使し、幾人もの債務者の人生を破滅させ、自殺に追い込み、奪い取った生活である。それを完全に閑却している。
 宮城の死体遺棄についても同様だ。数年間、死体を物のように放置し、死体のそばで車の改造に熱中していたのは、金良亮である。伊藤は、その良亮に命じられて逆らえず、死体を捨てるのを手伝っただけだ。
 殺人者であり死体遺棄の主犯でもある男から、日々抑圧され、苦しめられる生活を、「平然と暮らしていた」などと形容するのも、あまりにも異様な言葉ではないか。

「双方、これ以上ありませんね」
 裁判長は、今村弁護士に尋ねる。弁論の間、裁判官たちは、机上に置かれた弁論を俯きがちに見ていた。その表情から、思いは読み取れない。
「ありません」
 今村弁護士は、硬い表情で答えた。
「判決期日は追って指定する。終わります」
 裁判長の声とともに、野口検察官は、そそくさと法廷を後にした。その時、初めて表情を見ることができた。どこか不満そうな、面倒な仕事を任せられた、とでも言いたげな表情だった。
 そして、私たち傍聴人も、職員に追い立てられて、法廷を後にした。止まりたいとも思わない。ここも、真島の家とは別の、鬼の窟にすぎない。
 異なるのは、手段と動機だけだ。文夫父子らは暴力で人生を奪ったが、司法官僚たちは、理屈と言葉で生命と尊厳を踏みにじった。金父子らの動機は下劣な欲望であったが、司法官僚たちの動機は、無感覚と二つの「神」への盲信である。
 『ようやく暴力から解放されたかと思えば、今度は宮城からの暴力が始まった。文夫親子からも暴力を受けた。そして、死刑が確定すると、やがてこの国から命を奪う暴力を受けることになるのです』
 伊藤の人生は、鬼の窟を盥回しにされただけで、終わってしまうのか?それが、正義だとでも?伊藤が己や家族を守るために行った行為は、正当防衛や死刑と比較し、そこまで救いがたく邪悪だというのか?
 だが、それでも、私たちには待つことしかできない。

IMG_5296
 
 『奇岩城』
 昨年に物故された、ノンフィクション作家の佐木隆三氏は、最高裁の外観をそのように評していた。
 しかし、私は、この建物が、山奥の窟のように思えて仕方がなかった。その外観は、荒々しく冷たい、むき出しの岩肌のようだ。城と言うにはあまりにも優美さに欠け、「建築物」らしさも備えていない。そして、普段めったに扉を開かず、中の人々が何を行い、考えているのか、窺い知ることはできない。その得体の知れなさも含め、窟を彷彿とさせた。
 私がこの日、窟の門前に並んだ理由は、伊藤和史の最高裁弁論を傍聴するためだ。なるべく先延ばしになってほしいと願っていた日が、ついに来てしまった。結論は解りきっている。そのため、行きたくない思いもあった。しかし、伊藤を放り出して部屋に篭っているわけにはいかない。目をそむけたとしても、現実はなくならないのだ。それならば、少しでも、伊藤の行く先について行くべきではないかと考えた。
 開廷は15時からの予定だったが、先着順の傍聴券交付が実施されており、14時少し過ぎから並ばざるを得なくなった。とはいえ、14時30分の締め切りまでに列に並んだのは、45枚の傍聴券に対し、15人に過ぎなかった。
 この日、法廷には、『長野の会』のメンバーが顔を見せていた。また、伊藤の妻や、そのご家族も傍聴に訪れていた。伊藤は妻のことを思い離婚しようとしているが、妻は、伊藤を見捨てられないようだ。
 それにほっとすると同時に、鉛を飲んだような重苦しさを感じた。伊藤は、相手の幸せのために、妻たちと別れようとしている。だからこそ、妻とその家族は傷つくだろう。伊藤の優しさ、想いの強さを理解しているほど、その後悔と苦痛は強くなる。
 そして、彼女らと別れれば、伊藤に帰る場所はなくなる。全くの孤独になってしまう。

 14時30分に裁判所内に案内されてからも、松原の時と同じ儀式の繰り返しだった。身体検査と案内の繰り返し。14時50分ぐらいに、ようやく入廷し、傍聴席に座ることが許された。
 ちなみに、法廷前の開廷表によれば、最高裁の裁判官は、大橋、岡部、大谷、木内、山﨑の5人である。検察官は、野口と言う男であった。書記官は、横川、中溝の二人と記載がある。
 弁護人は、一審から伊藤の弁護人を務めてきた、今村弁護士だった。もう一人、西田という3~40代の女性弁護士が、座っていた。
 対する野口検察官は、後頭部の薄くなった、眼鏡をかけた太り気味の、初老の男だった。
 最高裁ではあらかじめ、傍聴席を挟む形で、記者席のブロックがしつらえらえている。
 傍聴人たちは、傍聴席に座ることが許されてすぐに、職員から「裁判長たちが入廷したら起立するように」など、注意事項を申し渡される。
 座ってしばらくしていると、弁護人と検察官の差異が目立ってきた。弁護士たちは、神経質に思えるほど、書類を何度も確認している。その表情は険しく、どこか悲壮な様子でもあった。たいして、検察官は、ただ椅子にぼーっと座っているだけだ。

 被告人は、原則として最高裁の法廷に出頭できない。そのため、伊藤の姿は最高裁の法廷になかった。
しかし、いなかったのは伊藤だけではない。この日、「被害者遺族」は、誰一人として傍聴に訪れていなかった。
 これは異例の事態だ。被告人の出廷しない最高裁の公判、遠隔地の事件であっても、通常、被害者遺族は必ず裁判所に姿を見せる。武富士放火殺害事件、光市母子殺害事件といった、青森県や山口県などの遠隔地の事件でも、時間と距離を顧みず、必ず傍聴に訪れる。それは、被害者への思いの深さの表れだろう。悲劇の行く末を見極め、事件に区切りをつけて、人生を復元しようとしているようにも思える。
 しかし、その「被害者遺族」が法廷に不在であることは、何を意味するのであろうか。そもそも、高裁段階から、遺族は金文夫の甥であるK・K以外傍聴に訪れず、そのK・Kも不在であることも多かった。
 マスコミ向けに、積極的に被告たちの死刑を訴えていたK・K。一審の公判では、ボキボキと拳を鳴らして被告席や傍聴席を威圧していたK・K。伊藤の母の涙に、満足そうな笑顔を浮かべていたK・K。そのK・Kさえも、この法廷には居ない。
 この公判では、「遺族の処罰感情は峻烈である」という類型的な文言が、空の遺族席に虚しく漂うこととなる。

 15時ごろ、裁判官席付近の扉から女性職員が出てきて、「間もなく開廷します」とだけ告げて、すぐに扉の奥へと引っ込んだ。そして、裁判長たちが入廷した。裁判長は額と頭頂部の禿げ上がった、眼鏡をかけた白髪の老人だ。どこか茫洋とした印象を与える顔立ちだった。裁判官たち四人も入廷したが、殆ど印象に残っていない。入廷してすぐ開廷が宣せられたからである。
「開廷します」
 裁判長の言葉とともに、職員が、伊藤の公判を開廷する旨、告げた。
裁判長「弁護人は、上告趣意書に記載された上告趣意を陳述しますか」
今村弁護士「はい、陳述します」
裁判長「上告趣意に、補足する点がございますか」
今村弁護士「はい」
そして、今村弁護士は立ち上がり、弁論を開始した。

 本日は、今村と西田が出廷しており、今村が弁論を述べます。論点は三つであり、時間は十五分ほどを頂きます。
第一・期待可能性がないこと
 原審裁判所は、伊藤さんが文夫親子の命まで奪うこともやむを得ないような、命の危険にさらされるほど極限状態ではなく、殺害以外の方法をとる余地もあったと認定している。
しかし、それは事後的な考察であり、逃げられない心理状態を歯牙にもかけない判断を下している。
短絡的に殺害を決意したわけではない。宮城から生命の危険を感じるほどの暴力を、度々受け、文夫親子の支配に移る時点ですでに心身ともに極限状態であった。
 宮城の暴力へ何とか対応できなかったのかと考えられるかもしれないが、継父や実母から虐待を受けるという不遇な生い立ちから、暴力により合理的な判断を放棄してしまう「学習性無気力」となった。そのため、宮城の暴力に耐えるしかなかった。
 (注・金良亮が、宮城を殺したため)伊藤さんの支配権が文夫親子に移り、宮城殺害直後に(注・良亮から)言われた「お前もあいつみたいになってもええんか」という言葉が、条件反射となり、宮城と同じく殺されるのではないか、と恐怖に襲われるようになった。
 文夫親子の日常的暴力により、完全に精神を支配されただけではなく、ことあるごとに良亮から言われた「お前もあいつみたいになってええんか」という殺害を示唆する脅しにより、伊藤さんの思考は無力化していった。伊藤さんは、当時の状況を、文夫親子の操り人形のようであったと述べている。
 文夫親子による日常的な理不尽な暴力、良亮による殺害を示唆する言葉による支配、一日平均3時間の睡眠時間、長時間労働(注・もちろん給料など支払われていない)が加わり、伊藤さんの意識は朦朧としていった。
 伊藤さんの体重は、平成21年3月から平成22年3月にかけて13キログラム以上も激減している。宮城の支配に比べ、文夫親子の支配の苛酷さを物語っている。
 徹底的に追い詰められた末の犯行である。

第二・被害者らの落ち度について
 原審は、有紀子を巻き込んで殺害実行を決意し、実行した点をとらえ、犯行の経緯や動機に酌むべき事情があるとしても限度があるとしたが、過去の判例や裁判例は、そのように被害者の落ち度を捉えていない。死刑求刑に対して無期懲役が下された事件もあるが、これには落ち度のない被害者が巻き込まれた事件も含まれている。


そして、今村弁護士は、以下の五事件をあげた
1・暴力団組長ら三人射殺事件。
2・ロボトミー殺人事件
3・つくば母子殺害事件
4・茨城会社社長夫婦殺害事件
5・栃木連続殺人事件
 その弁論自体は賛同するが、有紀子が何の落ち度もない、つまり、文夫親子の犯罪と無関係だったとは、到底思えない。有紀子は、金父子が金融業として登録する際に、名義貸しを行っている。また、被告人の一人である池田に、内妻の堕胎を迫っている。どう考えても、文夫親子の犯罪を知り、それを容易にすべく動いており、犯罪によって利益を得ているとしか思えない。また、彼女が文夫親子の犯罪と無縁の人間であれば、伊藤たちを拘束し、文夫親子を援助する危険もなかったのだから、殺されることもなかったのではないかとも思える。
 検察はろくな捜査も行わず、「被害者遺族」も、文夫親子の犯罪の実態を隠そうとしたと考えられる節もある。そのため、有紀子の関与については、厚みのある立証ができなかったようだ。ならば、いっそ言わない方が良いと判断したのか。それとも、上告趣意書には多少なりとも言及があるのか。
 ともあれ、有紀子=天使という図式に疑問をさしはさまなかったのは、残念ではあった。弁論は続く。

 被害者の落ち度は、被害者の被侵害法益のみを減少させると捉えるべきではない。過去の判例や裁判例では、非難可能性が減少されることで、量刑上斟酌されている。
 重要なのは、被害者または被害者に関わりがある者の言動等が起因となったか否かである。
 

そして、弁論は最後の論点に差し掛かる。今村弁護士も、心なしか声に力を込めたようであった。

最後に。
 私は長野地裁から弁護人を務めておりますが、一審から、死刑制度は違憲であるとの主張を述べていません。それは、死刑を合憲であると考えているわけではなく・・・
 

 ここで、今村弁護士は、下を向いた。暫しの間、沈黙する。それは、こみあげてくる思いを、必死に堪えているようでもあった。

 ・・・この事件は、そもそも憲法問題ではないからです。 

 明らかに、声が上ずっていた。今度は絶句することなく、何とか弁論を続ける。

 写真というものは解り易いものです。伊藤さんの体に残った傷を写した写真をご覧になったでしょうか。伊藤さんの体には様々な傷が残っています。
 宮城からビールジョッキで殴られた後頭部の傷、硝子の破片で刺された左腹部、包丁で刺された左腿の傷です。腹部からは腸が出てくるほどの重傷を負ったが、家族への報復を心配し、伊藤さんは医師の指示に反して緊急運搬された病院を退院しました。
 宮城からの暴力は、文夫親子とは無関係と思うかもしれません。しかし、良亮が宮城を射殺したことが架橋となり、宮城の支配から文夫親子の支配に移行しただけである。伊藤さんへの支配は変わっていません。むしろ伊藤さんは、文夫親子からの精神的な支配の方が苦痛だったと述べています。
 文夫親子の拘束は殺害時まで続いており、殺害しなければ、伊藤さんへの拘束は続いていたでしょう。


 補足すれば、金良亮は宮城の手下として伊藤を脅していた。そして、宮城が伊藤から搾取した金の分け前にも預かっていた。いわば、宮城の暴力を利用して利益を得ていたのであり、宮城が生きていた時から、実質的に伊藤に暴力をふるっていたと言って良いだろう。

 今村弁護士は、鼻をすすった。泣きそうになるのを必死に堪えている様子だ。ほぼ六年、伊藤に付き添い、裁判を闘ってきた。伊藤の受けた被害も、その苦痛と恐怖も知っている。そして、妻たち家族を除けば、伊藤という人間を一番よく理解している人間に違いない。しかし、その伊藤のために今村弁護士ができることは、あまりにも限られていた。

 東京高裁は、次のように判示しました。『被告人は、相当の期間にわたり、文夫親子から頻繁に暴力的な扱いを受けたり、良亮から繰り返し殺害を示唆されながら、長時間労働を強いられ、生活も拘束され、家族ともほとんど会えない状況が続いたことから、心身ともに疲弊し、耐え難い心境になり、文夫親子から解放されて家に帰りたい思いを募らせ、文夫親子への殺害を決意したものと認められる』
 このような犯行時を認定したうえで、判決が死刑となった例があるか。伊藤さんは、家族との生活と言う人として至極当たり前の自由を取り戻すために、この事件を起こしたということを想像してみてください。
 『生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い』
 最高裁大法廷で、死刑合憲とされた判決文での言葉です。
 私は、最近では最高裁で死刑が無期に減刑されることがなく、本件が上告棄却されるだろうことを知っています。松原さんの死刑が確定している以上、この裁判は消化試合だとか、敗戦処理だと揶揄されもします。
 しかし、伊藤さんの命が地球より軽く考えられていないか、今一度考えて頂きたいのです。
 伊藤さんは幼少期、実母から暴力を受けていた。少年期には、継父から。ようやく暴力から解放されたかと思えば、今度は宮城からの暴力が始まった。文夫親子からも暴力を受けた。そして、死刑が確定すると、やがてこの国から命を奪う暴力を受けることになるのです。
 人は誰も暴力を受けるためにこの世に生を授かったのではありません。死刑という暴力が伊藤さんにとって本当にふさわしい刑なのか、死刑が正しい選択なのか、どうかもう一度考えてください。


 今村弁護士の弁論は、15時15分に終わった。
 より論理構成が精緻な弁論はあるだろう。より長い弁論も、細かく論点を提示していく弁論もある。しかしそれでも、最高裁における最良の弁論の一つではないかと思えた。
被告人は最高裁の法廷に出廷を許されていないため、伊藤も法廷には不在である。しかし、今村弁護士は、法廷に伊藤を呼び出した。
 伊藤という一人の人間に思いを致すことで、その被害を浮き彫りにしただけでなく、一人の人間として立体的に描き出すことに成功した。一人の人間を完璧に代弁したという意味で、最良の弁論だった。
 だからこそ、その無力感は、痛ましい。
 今村弁護士は、自分が死力を尽くそうとも、結果を変えられないことを、理解している。新しい時代の司法にとって、被告人は裁く対象に過ぎない。弁護士は人間かもしれない。しかし、「被害者」と「量刑基準」の二つは、絶対的な神だ。邪悪であろうが、理不尽であろうが、そのようなことは歯牙にもかけない。この豪奢な窟で行われているのは、審理ではなく、神に向けられた儀式である。敗北は、あらかじめ決められているのだ。
 今村弁護士は、弁護士席に座った。その表情は硬く、どこか打ちひしがれているようにも思えた。

 2013年5月14日、東京高裁で、伊藤和史の控訴審初公判が行われた。
 伊藤の控訴審は、東京高裁第10刑事部に係属。公判は805号法廷で行われた。事件番号は、平成24年(う)第572号。罪名は、死体遺棄と強盗殺人である。
 「被害者」たちの犯罪から逃れるための事件であるにもかかわらず、「強盗殺人」という罪名が適用された理由については、下記の記事を読んでいただきたい。
http://masimaziken.blog.jp/archives/1006846580.html 

 5月14日当日。14時45分の傍聴券抽選の締め切り前に、29枚に対して43人が並んだ。思いのほか大勢が並んだのは、午後からの公判であり、適当に並んでみた人間も多かったからか。『長野の会』のメンバーは、6人が傍聴券に並んだが、すべて外れてしまった。私が一人当たり、法廷へと入る。
 「遺族」として公判に頻繁に顔を見せたK・Kは、伊藤の控訴審公判でも、傍聴席の最前列に陣取っていた。しかし、他に遺族らしき人はいない。伊藤の地裁公判に大挙して押し寄せ、被告席を威圧していた遺族たちは、どこへ行ったのだろう。
 伊藤の弁護人は、長野地裁で伊藤の弁護を担当していた今村弁護士が、控訴審でもついていた。もう一人は、控訴審から新たに担当となった、東京弁護士会所属の初老の弁護士である。この弁護士も、今村という名前らしい。
 検察官は、痩せており、眼鏡をかけ、髪をオールバックにした初老の男だった。風貌からは、小役人じみた雰囲気を、どうしても感じてしまう。名前は、水沼祐治といった。
 記者席には、二席ほど空席があった。また、傍聴席には一席、空席があった。この席を使うことができたならば、『長野の会』のメンバーも、半分ほどは傍聴ができただろう。何とももったいない。
 裁判長は、村瀬均。裁判官は、秋山敬と池田知史である。裁判長は、黒髪を七三分けにした、眼鏡をかけた初老の男性だ。知的で謹厳な印象を与える風貌である。秋山裁判官は、髪をオールバックにした4,50代の男性。池田裁判官は、まじめそうな印象を与える、整った顔立ちの中年男性である。
 この裁判官たちの名を見て、思い当たる人もいるかもしれない。港区の男性殺害、千葉女子大生殺害事件と、裁判員裁判の死刑判決をたて続けに破棄し、無期懲役を言い渡した裁判官たちである。この公判を傍聴した時には、破棄減刑判決をまだ出していない。私も、裁判官たちに注目していなかった。
 公判開始は、15時からであったが、開始前に2分間ほどのビデオカメラによる撮影が行われた。被告人は、この時は法廷に不在である。裁判長たちの顔と、傍聴人の後頭部が映されるだけだ。
 撮影が終わってから、伊藤は二人の刑務官に連れられ、法廷に入廷した。髪を短く刈っており、白い長袖ジャージの上下を着ていた。肌には相変わらず生気がなく、痩せている。眼鏡の奥の瞳は、柔和でまじめな印象だが、その表情は、硬く暗かった。しかし、瞳には、少し落ち着いたような印象があった。真島の家から離れることができてから、長く経過したことで、少し精神的に平穏を取り戻したのだろうか。
 伊藤は、三列ある傍聴席の、それぞれの列に一礼した後に、被告席に座った。
「開廷します。被告人は前に出てください」
裁判長に促され、伊藤は証言台の前に立つ。裁判長は、型どおりに人定質問を始めた。伊藤は、やや小さな硬い声で、それに答えた。
裁判長「名前は何と言いますか」
伊藤「伊藤和史です」
裁判長「生年月日は」
伊藤「昭和54年2月16日生まれです」
裁判長は本籍についても質問し、伊藤は答えた。
裁判長「住所は」
伊藤「長野県長野市真島町真島2009-4」
 これは、伊藤が自ら選んだ場所ではない。真島の家の住所だ。事件から4年が経過した今でも、未だに、真島の家の住所を使わねばならないのである。未だ扉は閉ざされ、被告たちは繋がれている。伊藤たちが法廷に立つたびに、私は同じことを感じるだろう。
裁判長「仕事は何をしていますか」
伊藤「会社員です」
 あの奴隷的搾取を、会社員と呼ぶべきだろうか?しかし、体裁上は会社員とされており、報道でも金父子の従業員となっていた。伊藤としても、そのように答えるしかないのか。
「はい、じゃあ元に戻ってください」
裁判長に促され、伊藤は被告席へと戻った。
弁護人の控訴趣意は、6月28日付の趣意書の通り。検察官の答弁は、6月29日付答弁の通り。
 弁護人は、証人を三名、書証を1から7番まで請求する。また、被告人質問の実施も請求した。検察官は、これに対して、伊藤の母の証人尋問のみを了承し、他の二人は不必要であると意見を述べた。書証は、1番不同意、2番は同意、3番から7番までは不同意。被告人質問については、「しかるべく」すなわち、裁判官に任せる、という態度であった。
裁判長は、まず、伊藤の作成した上申書を取り調べることにした。検察官も、取り調べには同意する。上申書の写しが、裁判所に提出された。
「伊藤証人について、取り調べます。証人の方、前に」
 続いて、伊藤の母を証人として取り調べることとなる。伊藤の母は促され、証言台の前に立った。裁判長の人定質問に答える。
「宣誓、良心に従って・・・真実を・・・何事も・・・述べることを誓います・・・」
涙声で、しゃくり上げながら、宣誓を行う。言葉は途切れがちだった。所々、声は聞き取れないほど小さかった。
「今、読まれた内容は、解りますね?」
 通例通りの注意だが、裁判長の声は心配そうだった。
 一審から伊藤を弁護してきた今村弁護士が、伊藤の母の証人尋問を担当した。
弁護士「伊藤和史さんの、お母さんですね」
証人「はい」
弁護士「和史さんがここにいる理由は、解りますか」
証人「はい」
弁護士「どういった理由でしょう」
証人「三人の方を殺害したからです」
弁護士「それを知ったのは」
証人「TVのニュースです」
弁護士「和史さんの幼少期について教えてください。まず、和史さんと、何歳のころまで同居していましたか」
証人「22歳の時までだと思っています」
弁護士「離れた理由は」
証人「結婚するので、二人で暮らすと言っていたと思います」
弁護士「それでは、和史さんが生まれてから、今迄まで順に聞いていきますね。和史さんは、昭和54年に生まれていますね。和史と名付けた理由は?」
証人「平和の和と、史は、姓名判断の本を読んで、字が画数にあうというので、つけました」
 また、証人尋問の中では、伊藤の生い立ちが語られた。
家族のプライバシー保護のために詳細は記載しないが、伊藤は、母の再婚相手などから、幼少時に虐待を受けていた。暴力を伴った、肉体的・精神的虐待である。この経験で、暴力への無力感が刷り込まれたのだろうか。母が元々同居していた男は、家に生活費を入れず、伊藤の母を売りとばそうとしたこともあったらしい。
弁護士「(学校を中退してから)平成12年までの和史さんの生活は?」
証人「インド料理店に勤めていました。」
弁護士「逮捕されてから、最初に和史さんにあったのはいつですか」
証人「平成24年、8月です」
弁護士「すぐに会いに行かなかった理由は」
証人「会いたくなかったです」
弁護士「なぜ」
証人「諦めようと思いました」
弁護士「どういうことですか」
証人「こういう事件を起こして、私たちを裏切っている。そう思ったんです」
弁護士「一審判決後、面会しましたね」
証人「はい」
弁護士「なぜですか」
証人「和史の手紙の内容と、弁護士さんに、挨拶せないかんと思いました」
弁護士「面会して、良かったですか」
証人「はい」
弁護士「面会して、印象に残ったことは」
 伊藤の母は、これまでも啜り泣いていた。しかしこの時、当時を思い出して感極まったのか、はっきりと泣き出した。数年ぶりに再会する息子は、獄舎に囚われていただけではない。昔と比べて窶れはて、やせ細っていただろう。立ち振る舞いと外見の変化が、伊藤の境遇を、なによりも雄弁に物語っていたのではないか。そして、何もできなかったという後悔が、心を満たしたのかもしれない。
証人「三人とも、涙涙で、会話したこともあまり覚えてないです」
弁護士「貴方は、和史さんの控訴趣意について読んだ」
証人「はい」
弁護士「事件の理由について」
証人「少し話しました」
弁護士「上申書は」
証人「読みました」
弁護士「感じたことは」
証人「和史の性格の臆病なところ、出たと」
弁護士「事件時、和史さんが他の人から暴力を受けていたことを、知っていましたか?」
伊藤の母は、頷いた。
弁護士「なぜ知ったのですか」
証人「家で短パンをはいていて、足を組んだとき、足の傷が酷くて、どうしたと聞きました」
 宮城により、刺された傷であろう。現在でも、まだ痕は残っている筈だ。
弁護士「答えは」
証人「刺されたって言っていました」
弁護士「理由は」
証人「聞かなかったです」
弁護士「和史さんは、普段は」
証人「プレゼントを、誕生日にくれたり」
弁護士「事件でニュースを見た時、どう思いましたか?」
証人「和史が殺されたと思いました」
弁護士「なぜ」
証人「足と腹を刺されたことで、とんでもないところに行っていると思ったからです」
弁護士「和史さんが加害者と知って」
証人「『反対だ』と(TVを見ていた家族に)言いました。とんでもない、何かが起こっていると思いました」
弁護士「事件前、和史さんと会ったのは」
証人「1月の、20日です」
弁護士「何がありましたか」
証人は答えたが、声が小さく聞き取れなかった。今村弁護士も、それは同様だったらしい。
弁護士「もう少し、大きな声でお願いします」
 伊藤の母を、なだめるように言う。
証人「和史が、トラックを・・・」
弁護士「何か買ってくれたのですか」
証人「ベッドです。買ってくれたので、それを取りに行きました。西宮まで一緒に行ってくれました」
弁護士「和史さんは、毎年1月1日に帰ってきましたか」
証人「いいえ」
弁護士「和史さんの、長野での仕事について」
証人「いいえ、知らなかったです」
弁護士「長野のどこに住んでいるか」
証人「いいえ、知りませんでした」
弁護士「事件前、和史さんが、困って貴方に助けを求めたことは」
証人「ありました」
弁護士「なんですか」
証人「お金を借りるので、保証人になってほしいと」
弁護士「いくらですか」
証人「最初は100万と言っていたので、それなら用意できるから、本当はいくらと聞きました」
弁護士「そうしたら」
証人「4~500万円と答えました」
弁護士「いつのこと」
証人「8年前です」
 宮城と良亮に監禁され、養子縁組を強要されていた頃のことだ。この時点で、何とか伊藤を救うことはできなかったのだろうか。しかし、伊藤と母は、当時は疎遠になっていた。伊藤の母にしてみれば、おかしいとは思っても、どのような事情があるのか、よく解らなかったかもしれない。そして、伊藤の母は、警察や法的知識とは、無縁に暮らしてきたようだ。このような事態を誰に相談すべきか、思いつかなかったのかもしれない。これらの事情が、警察や弁護士への相談を、躊躇させたのか。
弁護士「誰に金を貸すと?」
証人「いえ、名前は白紙でした」
弁護士「契約書はありましたか?」
証人「借用書・・・」
弁護士「貴方は、サインしましたか?」
証人「いえ、しません」
弁護士「これから、和史さんとどう接していきますか」
証人「できることをしていきたいです」
弁護士「考えられることは」
証人「手紙か、お金…」
弁護士「和史さんのことをあきらめたと言っていましたが、今はどう考えていますか?」
証人「協力して、頑張りたいと・・・」
 小さな、消え入りそうな声だった。そして、しゃくり上げているため、聞き取りにくい。裁判長は、「大きな声でお願いします」と、注意を促した。
証人「私にできることがあれば、したいと思っています」
 今度は、しゃくりあげながらも、はっきりした声で答えた。
弁護士「どうして、今は寄り添って、接していこうと思いますか?」
証人「特に何もしてやれず、可哀そうなことをしたと悔いています」
 幼少期の頃の事か、それとも、宮城や良亮に搾取されるようになってからの事だろうか。あるいは、その両方なのか。
弁護士「和史さんに、言ってあげられることは」
証人「ひどいことをして、悪かった・・・」
語尾は消え入り、涙声であり、聞き取ることができなかった。
弁護士「終わります」
 検察官はから、証人尋問は行われなかった。伊藤は、母親の証言を、硬く暗い表情で聞いていた。嫌な記憶を、緊張を強いられる場で想起させられたのだ。ひたすら苦痛だったのだろう。そして、自らの行為が母に与えた影響を目の当たりにし、暗然としたのかもしれない。
 しかし、伊藤はどうすればよかったのか。長野地裁で裁判長たちと「市民」が認定したように、簡単に逃げることができたのだろうか?伊藤以外の人間は、同じ立場に置かれたら、どのような行動をとったのだろう。
 私のとりとめのない考えをよそに、村瀬裁判長により、証人尋問の終了が宣せられた。そのとき、伊藤の母は、伊藤に頭を下げた。
「ごめんなさい、お母さんを許してください!」
 嗚咽交じりの、叫びのような声だった。伊藤は、母に深々と頭を下げ返す。表情は影になり、よく見えなかった。しかし、当然ながら、明るいものではなかっただろう。
 伊藤の母は退廷しながらも、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、何度も繰り返し、頭を下げる。法廷の外の廊下に通じる出入り口でも、「ごめんなさい」と泣き叫び、伊藤に頭を下げた。伊藤は母が叫ぶたびに、その声に押し潰されるように、黙って頭を下げ返す。慟哭する母に、言葉をかけてあげたかっただろう。しかし、それは法廷では許されない。
 裁判官たちが、この光景にどのような感情を抱いたかは、表情からは窺い知れなかった。しかし、「被害者遺族」であるK・Kは、すすり泣いている伊藤の母の姿を見ながら、にやにやと笑っていたように見えた。
 その表情は、苦しみを租借し、味わっているかのようだった。
 伊藤の母が退廷した後、裁判長はいくつか期日を指定した。5月30日15時、6月18日15時、7月16日15時、それぞれ被告人質問などを行うとのことだった。その後もさらに、審理を続行予定とのことだ。
 期日指定の後、15時58分に、伊藤和史の控訴審初公判は閉廷した。法廷に満ちていた緊張が切れる。傍聴人たちは席を立ち、出入り口へと向かっていった。心なしか、誰もが早足だった。
 伊藤は手錠をかけられ、退廷を促される。伊藤は証言台の前を横切り、傍聴席に背を向けた。法廷には、ほとんど人が残っていない。
 「伊藤さん、頑張ってください」
 私は、伊藤の背中に声をかけていた。法廷で目立つ行動をとるのは、躊躇があった。それでも、ここで黙っているのは許されない、と思えたのだ。
 伊藤は、傍聴席に背を向けたまま、前方に頭を下げた。言葉は伝わったようだが、歩みを止めるのは許されない。そのまま刑務官に引率され、被告用入り口の奥に姿を消した。
 扉は閉ざされた。
 長野地裁は、真島の家の扉を、より固く閉ざした。東京高裁は、どのような判断をするだろう。扉を開くのか、それとも、扉にもう一つ、閂を取り付けるのか。
 

↑このページのトップヘ