伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

「被害者」について

 続いて、長野地裁の証人として出廷した、もう一人の遺族についても、少しばかり書く。

 K・Aは、事件当時29歳であり、当時62歳の金文夫の内妻であった。文夫が債務者から奪ったスナックで働いていたことがきっかけで、文夫の愛人となった。
 K・Aも、伊藤の長野地裁の公判に、検察側の証人として出廷している。2011年12月14日の公判であり、森武夫証人の後、伊藤の被告人質問の前に、証人として証言を行った。
 まずは、萩谷検察官が証人尋問に立った。真島の家は、伊藤にとって快適な環境だった、被害者たちと伊藤は仲良く暮らしていた、など、検察側の証人尋問では答えていた。また、自分も住んでいた真島の家で殺害が行われ、「足音が聞こえると怖い」と答えていた。「面倒もよく見てもらっていた。厳しくされたからと言って、殺していいのか」「会長や専務と二度と会えず辛い、極刑を望む」などと述べた。
 このように、金父子の伊藤への振る舞いについて、知悉しているかのような証言を行った。しかし、今村弁護人の証人尋問となると、それは崩れていった。
 まず、K・Aは、伊藤と勤務時間が異なっていたため、真島の家では少し顔を見るだけであった。「真島の家では、顔を見るくらいでした」と、K・A自身認めた。調書でも、『生活パターンが違うことから、家の中で顔を合わせることは殆どありません』と述べている。これでは、金父子の暴言や暴力を目にする機会は、殆どないであろう。ましてや、伊藤が最も多く暴力を振るわれていたのは、強制労働させられていた建築現場である。ヘルメットの上からハンマーで頭を叩かれ、鉄材や資材を投げつけられたのだ。殴る蹴るの暴力もあった。
 また、K・Aも、金父子の犯罪行為について、疑わしい行動があった。事件後の、真島の家からの金品や違法行為に関係する書類の移動を、手伝っていたのだ。
 まず、事件後、K・Aの部屋からは7000万円という大金が移動させられている。K・Aの声は、今村弁護士の反対尋問となってからは非常に小さかったが、この時は聞き取れないほど小さな声だった。「あと、書類を移動させましたが、それは何の書類か、ちょっと解りません。あと、倉庫の現金420万円」と、弁護人の質問に答えている。しかし、ずっと一緒に暮らしていたK・Aが、書類の内容が解らないということがあるだろうか。なぜ、慌ただしく書類や現金を移動せねばならないか、疑問を持たなかったのだろうか?
 K・Aの会長への感情についても、今村弁護士は疑問を呈した。まず、K・Aは、金文夫の事を、調書でも会話でも、一切、主人などの夫を表す呼称で呼んでいない。全て「会長」である。また、文夫と10年間ほど一緒にいたが、撮った写真はたったの一枚であった。そして、文夫の両親の名前も知らなかった。確かに、愛し合っていた内縁関係の男女としては、随分と淡泊に思える。

 なお、K・AもK・Kと同じく、閉廷後は「遺族」同士で、法廷前の廊下で笑いながら会話をしていた。今村弁護士によれば、公判後に検察庁まで移動する間も、笑いながら話をしていたようだ。控訴審では松原の公判に姿を見せたのみであり、伊藤の公判にも、池田の公判にも、一切姿を見せなかった。「大事な人」を殺された女性にしては、これまた随分と薄情な態度に思える。

 「被害者」たちや「遺族」たちの風聞について、いくつか耳にしたこともある。しかし、ここでは書くのをやめておこう。
 とりあえず、一つだけは確実に言える。
 「遺族」についての問題は、伊藤の情状面の立証を阻害することにとどまらない。事件の背景である、宮城事件や真島の家の暗部について、真相解明を阻害するものであったと言えないだろうか。
 しかし、裁判官や裁判員、検察官にとって、それは些細な問題であったようだ。彼らは、誰一人として関心を払わなかったのだから。

 遺族について、批判的な見解を述べてはならない、という風潮がある。しかしながら、「被害者」であろうが「遺族」であろうが、我々と同じ人間であり、その行動が倫理的、道徳的に評価されるのは、当然のことだ。
 ましてや、その言動が、重大事件の解明と関連があるかもしれないのであれば、少しばかり疑問をさしはさんだとて、悪いことは無かろう。

 私がこれから書くのは、金父子の遺族の一人であるK・Kの奇怪な言動である。

 K・Kは、神戸在住の建設業者である。文夫の甥であり、良亮とは従兄弟の関係に当たる。年齢は公判で語られたことはないが、2011年の時点で三十を超しているだろう。妻子持ちである。
 その風貌は独特であり、一度見たら忘れることはできない。スキンヘッドであり、薄い眉の下には、鋭い眼が光っている。筋肉隆々とした固太りの体格は、彼が金父子と血縁関係にあることを納得させた。
 また、服装にも特徴があった。多くの裁判を傍聴してきたが、遺族はスーツ姿といった礼服で、遺族席に座っている。しかし、K・Kは半袖シャツ、半ズボンといったカジュアルな格好であり、一度もスーツのような改まった格好をしているのを見たことがない。
 公判に出廷した際には、被害者の大きな遺影を掲げて、被告を睨みつけている。伊藤の家族の涙には、嬉しそうに見える笑みを浮かべていた。伊藤の長野地裁での被告人質問の際には、指をボキボキ鳴らし、威嚇していたようである。
 伊藤の書いた上申書によれば、平成20年12月には、逃げた債務者二人を捕え、文夫の前に突き出している。当然、文夫がヤミ金を行い、人々を苦しめていることを知っていただろう。なお、文夫はK・Kの前で、「お前ら,これからワシらと働け,返事せんと殺してまうぞ」と債務者たちを恫喝しており、さらには「二人を思うようにつかえ」とK・Kに許可を与えた。債務者の一人は、文夫の統率するオリエンタルグループの忘年会にも、出席させられたらしい。上申書では債務者二人の具体的な名前も挙げられている。
 K・Kの奇怪な言動は、伊藤の上申書の中だけに存在するわけではない。長野地裁の公判では、宮城事件について、疑わしい言動が見られた。
 
 平成23年12月13日、K・Kは証人として、長野地裁の公判に出廷した。検察側の質問には、極めて流暢に答えていた。なお、検察官の質問の間中、獲物を追い詰めるような、にやにや笑いを終始浮かべていた。
 会長も専務も伊藤やその家族を可愛がっていた、伊藤もお世話になっていると感謝していた、などと述べた。 また、文夫の妻が2011年の裁判前に死亡したことに触れ、「犯人たちに処罰感情を述べられないのが心残りと言っていた」「伊藤は、特にかわいがっていたのに、すごく腹が立つ、なんて奴だ、と言っていた」と供述した。なお補足すれば、金文夫は、この死亡した妻とは別に、息子の良亮よりも若い愛人を持っていた。
処罰感情については
「時間が経つにつれ、伯父や良亮を失った喪失感は大きくなる」「死人に口なしだ」「伊藤は醜い、極刑にしてほしい」
と述べていた。極刑という言葉を口にしたとき、にやにや笑いが大きくなった。「極刑」という言葉の余韻をかみしめ、味わっているようにも見えた。
 しかし、弁護人の証人尋問へと移ると、K・Kの余裕は崩れていった。証人尋問を担当したのは、伊藤の弁護に一審から携わっている、今村善幸弁護士である。
 今村弁護士は、まず、K・Kの調書内容について質問した。
「貴方は調書の中で、『会長は平成21年7月まで、山口組清水組のやくざでした』と述べていませんか?」
事件前から、文夫の反社会性を知っていたのではないか。今村弁護士は、そう問いたかったのだろう。
「私は、事実として知りません」
K・Kの返答は少し早口であり、少なくとも検察の証人尋問の時のような、余裕ある態度ではなかった。
「知らないんですか?」
「調書は、警察に教えてもらって書きました」
「調書の中に、そういう記載があるのは確かですか」
「はい」
 K・Kは、不承不承といった感じで認めた。今村弁護士は、平成21年5月に伊藤が真島の家に住まわされた時にはまだ金文夫が暴力団組員だったことを確認するが、K・Kはこれに、聞き取れない、あいまいな返答しか返さなかった。
「専務は、山口組系の松下組のやくざでしたね」
との質問には
「まあそれも、後に聞いた話ですが」
と、事件前は知らなかったかのような返答を返す。深い関係があった叔父や従兄弟について、随分と知らないことが多いようだ。
「会長のマジェスタは、元々、誰のだったと聞いていますか」
「Hさん」
「Mさんのものと聞いてはいませんか」
「知りません」
 つまり、金文夫は、他人のマジェスタを運転していたということだ。もちろん、債務者から取り上げたということだろう
 また、K・Kのマジェスタは、文夫から購入したものだった。今村弁護士は、これについても質問する。
「会長が、利息が払えない債務者から取り上げたマジェスタと聞いていませんか」
K・Kは「聞いていません」とだけ答えた。質問を早く終わりにしたい様子であった。

 続いて、宮城の遺体が発見された、高田の倉庫についての尋問へと移る。この部分が、K・Kの疑惑を掻き立てる部分である。
「松原さんは、貴方が、宮城の死体が倉庫にあることを知っていた、と証言していた」
「私は、宮城は知らない。見たことがない」
「名前は知ってた」
「はい」
「倉庫の死体、ニュースで初めて知ったと」
「はい」
「宮城、中川、と、その死体の身元知ってないか」
「ニュースで流していました」
そして、倉庫内での言動に、質問内容は移る。
「倉庫に入ったのは3月28日」
「そうです」
「入った時、倉庫に死体あると解らなかったですか」
「確認したわけじゃない」
「なるほど」
 宮城の遺体が、倉庫にあることを知らなかったと、K・Kははっきりと答えたわけだ。これが嘘であれば、K・Kは偽証罪に問われる危険性がある。
 続いて、倉庫内に入った話に移る。K・Kは、事件発覚前に、伊藤とともに倉庫に入った。まず、東側の小さな出入り口の鍵を開け、倉庫内に入った。倉庫に入って、まず眼に入ったのはバイクだったが、それには目もくれず、ハチロクの方に行く。そして次に、宮城の死体が入っていたレガシーの、左の助手席の後部のドアを開けた。
「高田の倉庫に入った時、レガシーは見えませんね」
「はい」
 倉庫は雑然としており、様々なものが積んであった。死体の入ったレガシーは、その倉庫の奥、ドアから遠くに位置していた。そのレガシーまで、K・Kは随分とスムーズに移動したようだ。
「その後、後ろのハッチバックのドアを開けました」
「トランクを開けましたね」
今村弁護士は、確認する。
「はい」
 この当時、レガシーのトランクには、良亮が殺した宮城の遺体が、積まれたままになっていた。
「開けて、伊藤さんに何と言いましたか」
「この車、いやに臭いと」
「中川っていう言葉、出していませんか」
「いえ・・・」
 今村弁護士は、より直截に、質問を続けた。
「こういう風に言ってませんか『これ(死体の事)、やばいぞ!間違いなく中川(宮城の別名)だ!間違いなくヤバイで!もう出よう!』とは言っていませんか?」
「言っていません」
 K・Kがこのような言葉を吐いたのであれば、長時間にわたり放置され、原形をとどめていない死体を一目見て、宮城の遺体であると解ったということになる。それは、あらかじめ、宮城の死体が倉庫内に隠されていたことを、知っていたということにならないか。
 K・Kは、トランクの中を見たか否かについて、「臭いがきつかったので、そんなに大きく車のトランクを開けていない」とトランクの中身を見たことについて否定した。
「一年半を経過している、しかも、二度も夏を越している死体ですよ。ものすごい匂いですよね」
 今村弁護士は、当然疑問を呈した。K・Kは、自分は阪神大震災の時に死体の臭いを嗅いだことがあり、死体と同じ臭いがすると思った、とは認めた。
「伊藤さんに、こう言っていませんか?Uをさして、『あいつに、車を引き取らせよう。コレは何やと言って、突然出てきたことにしよう』と。・・・今、頷いていますか?」
「私、言った覚えがないです、そういうことは」
 どうやら、この質問時、K・Kは相当に落ち着きをなくしていたようだ。もしもK・Kがこのように言っていたのであれば、宮城の死体を警察が発見する前に、何とか処分しようと考えていたということになる。なぜ、K・Kは宮城の死体を処分せねばならないのか?
「会長は、死体があることを知っていたのでは」
「解んないです」
 金文夫は、事業全体を統括し、金の出入りにも目を光らせていた。良亮の動きも、細かく把握しようとしていた。その文夫が、良亮が死体を倉庫に隠していることを、知らなかったということがありえるだろうか?
「月に一度しか長野に来ていないあなたでさえ、死体だと解った。なら、会長は?」
「解らないです」
 また、平成22年4月6日か7日午後に、佐藤、丸山、という二人の刑事が真島の家に聞き込み捜査にやってきた。刑事二人はK・Kに名刺を渡しており、今村弁護士に指摘され、K・Kも名前を思い出した。この時は、伊藤たちがまだ逮捕されていない時である。この時のK・Kの言動についても、今村弁護士は質問をした。
「貴方は刑事に『会長は厳しい人間で、ここは、ヤクザの部屋住みよりも厳しい』と言っていませんか」
「覚えていないです」
 言っていないとは否定しなかった。ちなみに、この当時は事件から、一年数か月しか経過していない時点である。刑事がやってきた印象的な場面の事を、随分あっさりと忘れてしまったらしい。
 そして、今村弁護士は、高田の倉庫の図面を用いて、倉庫内のK・Kの動きを明らかにしようとした。しかしこの時、K・Kは異様なまでの狼狽を示していた。
「貴方の入った出入り口に、印をつけてください」
「これを、しないといけない事情があるんですか?」
非常に拒否的な態度を示した。今村弁護士は、この拒否に対し、高木順子裁判長に訴訟指揮を求めた。K・Kは、「関係のないこと。良くわからない」「私はこの事件に関与している人でもないので!関係ないという前提で、何をもって指せばいいか解らない!」などと、声を荒げ、答える。倉庫内での行動について答えるのが、そこまで躊躇することなのか?
「処罰受ける恐れがあるのであれば、法的には拒否できます。拒否しますか?」
 今村弁護士は、K・Kに問う。暗に、宮城事件への関与を問うた質問であった。
「いや、やりますよ」
 気にしていない、とでも言いたげに、笑う。やりたくなさそうであったが、K・Kとしては、そう答えるしかなかっただろう。
 検察官は、「弁護人の、金父子がどんな人かと言う立証趣旨とは、関係ない」と、K・Kに助け船を出した。
 今村弁護士は、K・Kが答えなさそうだと思ったのか、これで事件についての質問を、いったん打ち切った。
続いて、検察官が、倉庫に入った理由などを質問する。K・Kの不審点を、少しでも払拭しようとしている様子だった。弁護士の尋問中も、細かい点にケチをつけて、幾度も尋問を中断させていた。「遺族」を庇護したいようだが、問題となっているのは、事件の真相究明に当たり、重要な事柄だ。ことによったら、証人が何らかの犯罪に関与したか否か、と言う問題も含んでいるものである。真相究明を考えないで良いのだろうか。
 しかし、検察官の努力も実らず、さすがに裁判員もK・Kの言動に不信感を抱いたようであった。
まず、中年女性の3番裁判員が尋問を行った。
「死体の臭いだと解り、それで、今後どうしようというのはありませんか?」
死体の臭いを嗅げば、不信感を抱き、正体を確かめようとするのが普通だ。また、死体を発見すれば、すぐに警察に通報するのが一般市民である。
「後日に警察が、一緒に同行すると決まっていましたので。二つの倉庫とも、岡村刑事と二人で行こうとなっていましたので、私自身がどうこう、手を打つとか、しませんでした。いずれ警察が来たらはっきりとするだろうし。事件と解って、遺体と解り、今記憶がくっついて、すごいと正直思っている。私の感覚では、わざわざ臭いものを引っ張り出そうと思っていない。私は、まるで関係ないことと思っていました。証言しないといけない、すごい話みたいになっていますが、関係ない者としては、拒否をしたいと、そう思っていると」
 だらだらとした、多弁ではあるが要領を得ない答えである。しかし、死体の臭いなどしたら、普通は正体を確かめるぐらいはする。また、金父子が何をしていたか、関心は持たなかったのだろうか。
続いて、6番裁判員が尋問を行った。
「後日とは、いつ?」
 死体発見が遅くなれば遅くなるほど、事件の実態が分からなくなるかもしれない。それは、素人でも解ることである。
「元々は、すぐにでもと。しかし、失踪届を出した段階なので、すぐに、警察はいろんなところに来てくれないんですよ。時間も、実況見分とか。何日か経つと、どんどん心配になるでしょ。ことの重要性を見て、初めて動きだしてくれる。事件当時は、三人が失踪となっていた。時間がたってから、大変だとなっていくんです。担当刑事さんが、一人、二人、来てくれる。最初から、あっちこっちに警察が出る話ではない」
すぐに警察が来ないのであれば、余計に、早く警察に知らせるべきではないか。この時のK・Kの様子には、際立った変化があった。落ち着きなく、体を動かしていた。今村弁護士は、それを見逃さなかった。質問の時間ではなかったが、横から質問を行う。
「左足をカクカクしながら話しているのは、なぜなんですか?」
 K・Kは、「貧乏ゆすりです」とだけ答えた。貧乏ゆすりは、気分が落ち着かない時に、出てくるものではないか。
 高木裁判長は、弁護士に許可を得て話すように注意する。そして、この質問の所は、公判記録から抹消した。検察官の発案である。
 また、2番の裁判員も失踪届を出した日にちについて尋問を行い、K・Kは26日だと答えた。
 最後に、今村弁護士が、もう一度尋問に立った。
「貴方が高田の倉庫に入った時には、会長たちが失踪中となっている時ですね」
「そうです」
「貴方は、トランクを開けて、死体かも知れないと思った。とすれば、あなたはその死体を、会長、専務、有紀子さんのかもしれないとは、思わなかったのですか?」
 それが、だれしもが抱く疑問だっただろう。私も、それが疑問であった。3人の失踪中、死体の臭いがする。そうなれば、心配し、その臭いの元を確かめようとするのが普通だ。
 K・Kは、何事か答える。しかし、その声はあいまいで小さく、聞き取ることができなかった。伊藤の死刑を求めていた時のような、はっきりとした声とは、完全に異なる。
 なお、宮城の死体は、警察の捜索により4月10日に高田の倉庫から発見された。K・Kは、死体発見前には、警察に全く死体について話していないということだ。

 なお、12月14日の長野地裁公判で、伊藤の被告人質問が行われた。その際、K・Kの言動について、大体以下のように答えている。
 「正面にバイクが見えました。K・Kさんは、『良亮、まだバイク遊びしてんのか』と怒っていました。(バイクには)触りません。レガシーのほうに歩いていきました。最初に行ったのはレガシーの方です。車は四台ありますが、最初に行ったのはレガシーの方です。出入り口の所から、死体の入ったレガシーは見えません。K・Kさんが先頭を歩き、自分がついて行きました。レガシーまで行って、助手席の後部座席を開けました。K・Kさんは、『うっ』と声を出して、ドアを閉めました。中にあるRVXの荷物を確認し、ドアを閉めました。(K・Kの言動について)その通りに言っていいですか?『これ、やばいぞ。間違いなく中川(宮城)や。絶対ヤバイで。これ中川の死体やで、ここ、もう出よう』と言いました。その後、あわてるように二人で倉庫を出ていき、真島の家に一緒に戻りました」
 なお、倉庫内の写真について、スクリーンに映し出された。宮城の死体が入ったレガシーは、K・Kと伊藤が入った出入り口とは反対の、倉庫の隅に止めてあった。また、その周りを三台の車が囲んでいた。つまり、K・Kたちが入った出入り口からは、最も見えにくく行きつきにくい場所にあったのだ。その場所まで、K・Kはさほど躊躇せず、ほぼ一直線に向かっていった。
 また、高田の倉庫から戻った後、K・Kはこのように言っていたらしい
「松原さんのいない時『Uちゃんにレガシーを引き取らそう。そして、いきなり何かでてきたようにしよう』と言いました」
 そして、金文夫とK・Kの宮城事件への関与については
「僕の思っていることですが、そもそも会長も、K・Kさんも、この件について知っていたと思います」
 と、状況を分析して、本人なりに結論を導き出している。なお、この一連の質問の間、K・Kは顎を上げ、口をすぼめ、冷ややかな目で伊藤を睨んでいた。
 K・Kは、レガシーに死体があることを、あらかじめ知っていたのか?また、その死体が誰のものかについても、知っていたのか?そして、その死体を処分しようと考えていたのだろうか?証人尋問を聞いた限りでは、K・Kの行動は不可解であり、疑問は深まるばかりだった。
 もしも、死体の存在と身元を知り、死体を処分しようと考えていたのであれば、それはなぜなのか?どうして死体の存在と身元を知っていたのか。どうして、死体を処分しなければならなかったのか。なぜ、すぐに警察に通報しなかったのか。

 また、同じく12月14日の長野地裁での被告人質問で、事件後のK・Kの言動について、伊藤は以下のように答えている。
「K・Kさんの指示で、真島の貴金属、見つかって困る借用書を集めました。自分が見たのは7000万円の現金ですけど、他にもあると思います。貴金属は、ライターと、主に時計(300万円相当など、高級品)です。書類は、見せられるのと、見せられない借用書、ノートパソコン、権利書です。(見せられない借用書は)自己破産後に書かせた借用書です。ボストンバッグに四つに分け、K・Kさんの事務所に送ったと聞いています」
 これは、伊藤だけが言っているわけではない。同じ12月14日の公判で、金文夫の内妻であるK・Aも、事件後に真島の家からの書類や金銭移動が行われたと証言している。また、K・Aの部屋からは、7000万円が硫黄させられたとK・Aは認めている。K・Aは書類の内容について「解らない」として語りたがらなかったが、伊藤の供述と遺族であるK・Aの証言は、ほぼ一致しているのだ。K・K主導による書類と金銭の移動は、実際に行われたと考えて良い。
 金父子の犯罪について、何も知らなかったのか?

 信濃毎日新聞の取材には「伯父は被告たちを可愛がっていた」と答え、金父子の正体について、何も知らないという態度をとっていたK・K。しかし、実際には、金父子の犯罪行為について知悉しており、一部は関与さえしていたのではないか?
 なお、K・Kは、2013年9月19日以降の伊藤の控訴審公判には、判決公判まで姿を見せていない。最高裁の弁論にも、姿を見せていない。また、2013年11月7日の池田の控訴審弁論の際も、傍聴席に姿を見せなかった。長野地裁の公判閉廷後には、他の遺族たちと廊下で笑いながら話している姿が、よく見られた。

 もちろん、K・Kの真意や、関与の実態などは、裁判で俎上に載せられていない。検察は興味を抱かなかったようだ。なので、私も断定的なことは言えない。しかし、法廷でこのようなやり取りが行われたこと、伊藤が上申書に上記のような記載をしていたことは事実である。
 そして、K・Kの言動は、証人尋問だけとっても、何も知らないにしては非常に奇怪に感じられた。それだけは、書いておきたい。

 裁判において、楠見有紀子の犯罪関与について、弁護士はどのように主張していたのか。裁判記録を引用し、検討してみたい。
 楠見有紀子の、金父子の犯罪行為に関する言動について、伊藤和史の控訴趣意書23ページでは、以下のように記述されている。

エ 楠見に落ち度がないとはいえないこと
楠見も全くの第三者ではなく,楠見も,会長や専務の下で働いていた。また,楠見は,実際に被告人が拘束支配されていることを見ても,見て見ぬ振りをしていただけでなく,被告人に休日がないことを知っているにもかかわらず,被告人をして,運転手をさせるなど,自らも被告人を利用していたのであるから,被害者側の事情として落ち度がある。
原判決が述べるような「理不尽な凶行の犠牲者」とはいえない。
共犯者松原は,このように証言する。

弁護人:伊藤さんは真島の家ではどういう扱いを受けていたんですか。
共犯者松原:完全に,会長,専務の言うことは絶対でしたし,日曜日も遊びに行きたいというお願いをしても却下されていましたし,出掛けるときは会長の運転手として出掛けるか,専務とゆきさんの遊びに行くのに付き合わされるか,どっちかでしたね。

     また,楠見は,専務に代わり,あるいは専務と一緒に,共犯者池田の交際相手に堕胎するように持ちかけるなどしている。

     共犯者池田は,調書でこのように供述する。
     共犯者池田:私は,専務に子供が欲しいことなどを訴えましたが,聞いてもらえませんでした。
その後も,私は,専務に考え直してくれるように頼みましたが,専務は私の頼みをきいてはくれず,子供を堕ろせと繰り返すばかりでした。
さらに,ゆきさんまで私に,「うちから彼女に子供を堕ろす話をしようか」などと言い出しました。


 このように、少なくとも控訴審においては、伊藤の弁護士たちは、具体的な根拠を示して楠見の関与を主張していたのである。なお、検察が金一族の犯罪捜査に消極的であったこと、「遺族」たちによる犯罪隠蔽が見え隠れすることを考慮すれば、楠見の犯罪関与は、より具体的かつ重大であった可能性は高い。
 金父子が、楠見名義で金融業の登録を行い、ヤミ金に従事していたことは、書かれていない。しかし、「会長や専務の下で働いていた」という一文に、このことも含まれていると考えて良いだろう。
 なお、控訴審判決は、弁護人の楠見についての主張に判断を示さず、『強盗殺人の障害になるという理不尽な理由で巻き添えとなって殺害され』たとして、控訴を棄却している。
 控訴審判決は、一審判決と比較すれば、まだ丁寧な内容であった。しかし、楠見が「天使」であったか否かは、死刑判決の重要要素となっている。いやしくも死刑判決を下すにあたり、その重要要素に触れない姿勢は、あまりにも不誠実ではないか。
 また、楠見が一般人であるか、伊藤たちと同じ犯罪被害者であれば、殺害された可能性はないように思う。そのような立場であれば、殺害に同調こそしなかったとしても、伊藤たちの行為を金父子に告げることはなかっただろう。あるいは、黙って伊藤たちを逃がしたかもしれない。楠見の死も、本人の立場や行為と、無関係とは言えない。

本当に、楠見有紀子は天使だったのだろうか?
 
 金良亮の内妻であり、「被害者」の一人である楠見有紀子は、法廷で、天使の如く扱われた。
 検察官は、金父子の犯罪を矮小化し、悪印象を希釈しようと努めた。しかし、犯罪自体を否定することはできなかった。
 だが楠見については、何の落ち度もないのに殺された、天使のごとき女性として扱った。
 伊藤の長野地裁における論告求刑の際には、スクリーンに楠見の結婚式での写真が映し出された。検事たちは論告を行いながら、写真に涙していたらしい。
 しかし、楠見有紀子は金父子の犯罪行為に無関係であり、何の罪もないのに殺された人間だったのか。

金父子は、ヤミ金を営んでいた。良亮は債務者相手に暴行、脅迫事件を起こし、2007年に懲役二年六か月の執行猶予判決を受けている。この有罪判決を機に、金父子は金融業者の免許を取り上げられた。金父子は犯罪をやめるのではなく、発覚を免れるため、より隠微な方法を採用した。
 質屋を表看板にし、質草に対して融資を行うという建前で、実質的にヤミ金に携わったのだ。金融業は、2010年6月以前の金利の上限は29.2%である(現在は20%以上の利息を取ると、罰せられる)。しかし、質屋はこの出資法上限金利の対象から外れており、年利108%の高い利息を取ることが可能である。金父子はこの抜け穴を利用し、質屋の体裁をとってヤミ金を行っていた。
 内妻の楠見由紀子は、自分の名義を金父子に貸して質屋の看板をかけさせ、闇金を続けることを可能にしたのだ。彼女の協力なければ、金父子が犯罪を重ねることはできなかっただろう。

また、池田薫の交際相手に堕胎させるよう、池田に働きかけていた。子供がいては、池田に奴隷的な労働をさせるのに、差し支えるからである。池田は、この言葉を聞いた時、屈辱に震えたという。
 なお、楠見は高校生の頃、大阪梅田で良亮にナンパされたことがきっかけで、同人との交際を開始した。2005年から5年間にわたり真島の家で同棲生活を送っていた。良亮が有罪判決を受けた裁判の傍聴にも行っている。良亮は少年時代から暴走族に所属しており、宮城とは、暴走族時代から先輩後輩の仲であった。良亮は楠見との交際中から、恥ずべき生活を送っていたということである。
 楠見は2007年7月、良亮が逮捕されているときに、良亮の面会に行くように、伊藤に指示している。そして、伊藤、楠見、文夫の愛人であるK・Aの三人は、長野南署に身柄拘束されている良亮と、面会を行っている。当然、楠見もK・Aも、良亮がヤミ金の債務者への傷害などで逮捕されたことを、よく知っていただろう。
 これらの事実を考慮すれば、楠見が、金父子の人間性を知らない、あるいは、犯罪性を知らない、といったことはおよそ考えられない。

  ならば、なぜ楠見の犯罪性について、立証が進められなかったか。
 一つは、被告たちが積極的に楠見の犯罪行為について、主張しなかったためである。楠見は共犯だったとしか考えられないが、彼女の殺害は、計画にはなかった。被告たちは殺害を非常に悔いており、犯罪への関与について主張しにくかった。
  もう一つは、彼女の関与について証言が可能な人が、誰一人としていなかったからだ。遺族たちは、遺影を掲げ、法廷の最前列に大挙して陣取っていた。被告や被告側の証人を睨み付け、伊藤和史の被告人質問の際には、指をボキボキと鳴らし、威嚇していた。このような状況であるため、非常に証言に立ちにくかった。
  しかし、最大の事情は、金一族の被害にあっていた人々が、圧力をかけられていることにあると思われる。松原智浩の長野地裁公判では、金父子のもとで強制労働させられていた人が、出廷するはずだった。しかし、その証人は、証言台に立つ直前に逃げ出し、行方知れずとなってしまったのだ。そのため、弁護側にとって立証が非常に困難になってしまった。松原の控訴審で出廷予定だった人も、遺族の圧力に負け、結局は証人としてではなく、自分の体験を文書として提出するにとどまった。その文書として提出したことについても、事後に圧力を受けたらしい。

 伊藤、松原、池田の弁護士は、いずれも控訴趣意書で、楠見の犯罪への関与について、言及している。池田の弁護士は、控訴審の弁論でも、『有紀子は不法行為の一部を行い、オリエンタルグループと関係があった』と言及している。しかし、上記のような事情から、十分に主張を尽くすことができなかったのである。
 検察官、裁判官、裁判員は、彼女を無垢な天使であるかのように美化し、死刑判決の重要な骨格とした。しかし、楠見を「天使」としたことは、「被害者遺族」による証拠隠しを追認し、金父子たちから被害を受けた人々への、二次被害を追認したに過ぎないのではないか。

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