伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

裁判について

 2月3日、竪山辰美、伊能和夫両名の検察側上告が棄却された。また、2月9日、池田薫の被告側上告も棄却された。いずれも、村瀬均裁判長が破棄減刑した被告たちである。
 当ブログを読まれている方はご承知だろうが、村瀬裁判長は、伊藤の控訴を棄却した裁判長。池田薫は、伊藤の共犯者である。判決文を検討してみなければ何とも言えないが、村瀬裁判長の判断が、最高裁で受け入れられたということになるのだろうか。
 最近は多忙のため、記事を書く時間がないが、近々何とかして投稿したいと考えている。
 なお、伊能、竪山の上告審判決は、裁判所のHPにアップされていたので、リンクを貼っておく。
 伊能和夫上告審判決
 竪山辰美上告審判決
 池田薫の上告審判決はいまだアップされていないが、これは被告側上告というありふれたものであり、判例としても重要な意味を含んでいないからであろう。
 なお、竪山と伊能の上告審は、最高裁第二小法廷が担当し、裁判長は千葉勝美、裁判官は鬼丸かおる、山本庸幸の二人であった。池田薫は、最高裁第三小法廷が担当し、裁判長は大橋正春だったようだ。こちらは、判決文がいまだ公開されておらず、報道もないので、裁判官の名前は解らない。
  
 遅くなってしまったが、伊藤から面会先約のお知らせがあったので、記載する。

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面会先約のお知らせ
2月13日です

                 伊藤和史

 強盗殺人の量刑は、死刑か無期懲役と、刑法240条に定められている。以前に書いた通り、強盗殺人の適用は動機ではなく、「殺害時に財物を奪う意思があったか否か」により、決定される。
 しかし、死刑は人命を奪う究極の刑罰である。無期懲役は、2010年代に入ってからの運用では、少なくとも30年程度の服役が必要であり、仮釈放人数も少ない。終生にわたり刑務所から出られない可能性が高い刑罰である。このような重い刑罰を適用するのは、強盗殺人と聞いてイメージする犯罪、すなわち、「利益を殺人の主要な目的とし」「ほぼ落ち度のない人を殺害する」という犯罪に、限定するべきではないか。主目的が利益ではない殺人を適用範囲に含めるとしても、利益目的と同程度に悪質な動機の殺人に、適用を限定する必要があるのではないか。
 少なくとも、被害者たちから重大な犯罪被害を受けた事例で、死刑や無期懲役に処さねばならない理由が、存在するのだろうか。
 刑法66条には、「犯罪の情状に酌量すベきものがあるときは、その刑を減軽することができる」と定められている。強盗殺人の適用を受け、同条文の適用により有期懲役に減軽された事件は、90年代にはしばしば見られた。若年であること、反省悔悟の念が顕著であるという理由であっても、無期求刑に対し懲役15年(当時の有期懲役の最高刑)となる例があったからだ。
 しかし、被害者の犯罪行為が加害者の「情状に酌量すべきもの」とされ、無期求刑に対し有期懲役が選択された事件も存在する。

<スナックママ殺害事件>
 事件は平成3年7月29日、茨城県で発生した。被害者はスナックママ、加害者はその下で働かされていたタイ人女性3名である。加害者たちは、被害者より逃げれば殺すと脅され、売春を強いられ、その売り上げも搾取されていた。また、日常的に、激しい罵倒を受けていた。
 この事件の被告人たちは、水戸地裁下妻支部で審理を受けた。検察は被告たちの被害を一顧だにせず、無期懲役を求刑。下妻支部は無期懲役より減軽し、被告たちに懲役十年の判決を下す。被告たちは控訴し、平成8年7月16日、東京高裁は一審の量刑は重すぎるとして、被告三人を懲役八年に軽減した。
 被告たちがどのような被害を受けていたか。少し長くなるが、東京高裁判決より抜粋する。なお、この事件の高裁判決文は、裁判所のHPにアップされており、以下のリンクから見ることができる。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/182/020182_hanrei.pdf

(1)被告人Fは、平成三年(一九九一年)三月一六日、日本国に入国したものである。同被告人は、タイに住む知り合いの者から、日本でレストランのウエイトレスとして働けば給料がよいので同被告人の両親によい仕送りができるなどという誘いを受け、世話役として紹介された者から航空便の運賃のほかパスポートを取得するのに要した費用や衣類代などの立て替えを受けたことから、右世話役の者に連れられて、同日、飛行機で成田空港に到着したが、その際、自分自身の所持金としては日本円にして一〇〇〇円にも満たないものであった。ところが、同被告人は、成田空港に到着直後、右世話役の者から、同被告人名義のパスポートと入国審査の際の見せ金として渡されていた現金などを取り上げられ、右世話役の者や途中から加わったタイ人や日本人らに、同様の趣旨で連れとなっていたタイ人女性三名とともに、同空港近くのホテルやアパート三か所を連れまわされて、三か所目のアパートで、A(当時二八歳)に引き合わされ、同被告人においてはAと一緒に行くよう指示されるとともに、同被告人名義のパスポートなどをAの方に引き渡されるに至った。
(2)同被告人は、その直後、Aから、お前はAに対して三五〇万円の借金があるので、売春の仕事をして返せという趣旨のことを言われ、同被告人の持つ身分証明書などの入っていたハンドバッグを取り上げられた。そして、同被告人は、同日、Aに、千葉県佐原市内のアパートに連れて行かれ、同夜から近くのスナックに働き出され、その後は、右アパートに住む二、三〇人のタイ人女性とともに、店に来る客を相手に売春を行わされていた。その後、同被告人は、Aに連れられ、茨城県つくば市h所在のスナック「M」や同県稲敷郡i村所在のスナックに移り、Aと同じアパートに住まわされて、同様の売春の仕事を行うことを強制され、さらに、同年五月下旬、同県下館市大字fj番地のk所在のgアパートl号室に移り、その後は同アパートに住み、同県真壁郡m町所在のスナック「P」でホステスとして働くとともに、店の客らを相手に売春を行うことを強いられていた。
(3)被告人G及び同Hはいずれも、同年八月一一日、一緒に日本国に入国したものである。同被告人らも、被告人Fと同様に、それぞれ知り合いの者から、日本の工場で働けば高齢の母親によい仕送りができる(被告人G)、あるいは日本のレストランでホステスとして働けば給料もよく、前借りもできるので両親や子供に十分送金ができる(被告人H)などという誘いを受け、航空便の運賃のほかパスポートを取得するのに要した費用などの立て替えを受けたことから、世話役の者らに連れられて、同日、たまたま同行する形で飛行機で成田空港に到着した。そして、被告人G及び同Hは、右世話役の者らに連れられて、成田空港近くのホテルに一泊後、東京のホテルで一泊し、さらに右世話役の者らの知り合いの者の住むアパートへ連れて行かれ、その間に同被告人ら名義の各パスポートを取り上げられ、同月一五日、右世話役の知り合いの者に連れて行かれた千葉県内のアパートにAがやって来て、同被告人らのパスポートの引き渡しを受けたAから一緒に来るように指示された。
 (4) 被告人G及び同Hは、同日夜、Aに連れられてgアパートl号室に到着し、翌一六日、同女に伴われて買い物に出かけたが、買い物から帰って来た際、同女から、自分はあんたたちを買ったのだから、あんたたちは三五〇万円の借金を返さなければならない、買って来た物の代金も借金になる、部屋代も月五万円が借金に加わるという趣旨のことを告げられた。そして、同被告人らは、同日夕方、車に乗せられて、スナック「P」に出勤させられ、さらに、Aから、客と一緒にホテルに行って売春をしろということを言われて、実際にそれぞれ紹介された客と一緒にホテルに赴かされるに至り、同日夜以降は、被告人Fと同じく、gアパートl号室に住み、毎晩スナック「P」に出かけてホステスとして働くとともに、店の客らを相手に売春を行うことを強いられていた。なお、被告人らと同様にgアパートl号室に住み、スナック「P」で売春の客を取らされるタイ人女性は、被告人らのほかにも二〇人前後いた。
(5)被告人三名は、こうして、Aから売春を行うことを強いられ、さらに同女には、被告人らの前記借金の返済に充てるということで、客の支払う売春の対価を全て取り上げられ(ただし、Aは、そのうちから客一人につき五〇〇〇円をスナック「P」の経営者に支払うということをしていた)、被告人ら自身としては、「P」から給料等の支払いを受けたことがなく、売春の相手がくれるいわゆるチップだけが唯一の収入になっていたが、Aに見つかると借金の返済に充てると称してこれまでも取り上げられるおそれがあったため、同女に知られないようにこっそりと隠していた。さらに、被告人三名は、Aから、部屋代や食事代、買った衣類の代金なども借金の上乗せになると告げられていたほか、土曜日曜に売春の客がいないときは五〇〇〇円が、三日間客がつかないときは一日分が罰金として借金に加算され、さらに、日本に来てから七か月以内に借金を返済し終わらなければ、罰金一〇万円を加算するなどと言われていた。
(6)さらに、被告人三名は、売春の相手から屈辱的な行為を求められた際にこれを断ったりしたことが、Aの耳に入ったときは、同女から口汚く罵られたり、殴る、蹴る、髪の毛を引っ張るなどの乱暴をされたりし、また、日頃から、同女に、お前たちは勝手に外出するな、国元に電話をかけたりするななどと厳しく言われ、さらには、もしお前たちが逃げ出したりすれば、必ず捜し出して殺すし、お前たちの親もタイにいる者に殺させるという趣旨のことを激しい口調で言われたりした。
(7)被告人F及び同Hは、同年九月一七日ころの夜、Aが留守の折りをみて、無断でgアパートから外出し、近くのスーパーマーケットで菓子を買って来たが、これを仲間の告げ口で知ったAから、同月一九日又は同月二〇日ころ、「勝手な行動するな、国際電話を掛けるな」「外出禁止」などと怒鳴られ、その際、被告人Fが、「電話位いいでしょ」と言い返したりしたことから、Aに、「借金のことを考えろ、お前ら気をつけろ」などと怒鳴られたり、被告人らを激しく貶めるような言葉で罵られたりした。
(8)さらに、被告人F及び同Hは、同月二〇日前後ころ、それまで二段ベッドの置かれていた部屋で寝起きしていたことから、両名がベッドの上で言葉を交わしていたところ、Aに部屋に入って来られ、「お前たちどうして二人でいるの、何しているの、すぐ降りなさい」「お前らあんまり問題を起こすんじゃないよ」などと叱責された上、被告人HはAと同じ部屋で寝起きするよう命じられた。


 拘束と搾取の態様は、真島事件を髣髴とさせる。売春強要も、非常に屈辱的な行為だ。被害者の落ち度は甚大であり、有期懲役、しかも刑法66条による軽減の下限に近い量刑にまで軽減されたのは、当然だろう。ただし、この事件の被告たちは、鉄パイプで殴られる、拳で殴打されるほどの暴力はなく、殺人を目撃させられていない。そう考えると、暴力と死の恐怖という点から言えば、伊藤たちの方が受けていた被害は甚大だ。金銭目的に起こした事件ではないが、現金700万円近くと貴金属を奪っており、結果的に奪われた金品は、真島事件よりも多額である。
 この事件の被告人たちが軽減されたのは当然だ。しかし、被告人たちの被害内容を比較したとき、被害者人数が多いとはいえ、伊藤たちに死刑や無期を言い渡すのは、あまりにも重いのではないか。3人と言う被害者人数は、多数の者から犯罪被害を受け、より厳しい状況に置かれていたことを意味している。

 次は、量刑の理由を示し、伊藤たちの事件との比較を行いたい。以下に、軽減理由となった部分を引用する。

5 しかし一方、被告人らの所為は、強盗殺人罪に該当するとはいえ、被告人らが主として奪い取ろうと考えていたのは、被害者から取り上げられていた自分たちのパスポートであり、付随して若干の現金や貴金属類も手に入ることは考えていたものの、金銭的な欲望などに基づき、当初からいわゆる金目の物を強取しようとして本件犯行に及んだものではない。また、被告人らが、被害者の殺害を企てるに至ったのは、主として、自分たちの置かれているあたかも奴隷のような悲惨な境遇から逃れ出るには、被害者を殺すほかないと考えたことにあり、前記第二の三においてみたように、そのように考えたこともある程度無理からぬものがある。したがって、これらの事情も、量刑に当たって十分に考慮することを要する。
 
 伊藤たちが金を奪ったのは、死体遺棄のためである。仮に判決の認定の通り、事前に余った金を分ける話が多少出ていたとしても、利益を積極的に得ようと考えていたとは言えない。金が本当に欲しければ、もっと徹底的に家を探せば良い話だ。伊藤たちは奴隷のような境遇に置かれていただけではなく、ひどい暴力を受け、死の恐怖や家族への危害も、切迫して感じていた。

6 さらに、右にも触れたとおり、被告人三名が本件犯行に至った背景には、被告人らの置かれていた悲惨な境遇があり、そのような境遇の中で被告人らが味わされた苦悩の深刻さは絶大なものであったことは否定できない。すなわち、被告人らは、いずれも、日本で働けば金になるという誘いに乗って日本に来た者であるが、日本に到着すると、直ちにパスポートを取り上げられ、事情も分からぬまま、被害者から三五〇万円という多額の借金を返済するよう要求され、スナックでホステスとして無報酬で働かされながら、借金返済のために過酷な条件で売春を行うことを強制されるに至っていたものである。そして、被告人らが、このような境遇に落ち込むに至ったことにつき、背後にかなり大がかりな人身売買組織や売春組織があるものと窺われる。また、被害者のもとで無理やり働かされるようになった後は、売春の相手方となった男たちからも自分の人格を無視され、屈辱的な行為を強制された上、売春の対価として得た金もすべて被害者に取り上げられるに至っている。日常の生活においても、被害者とともに同じ家屋に住まわされ、勝手な外出や電話を禁止され、かつまた、部屋代や買い与えられた衣類などの代金も借金に上乗せされ、三日間売春の相手方が見つからなければ罰金を科されることにもなっていたのである。加えて、被害者は、被告人らに対し、もし逃げ出すようなことがあれば、必ずお前たちを捜し出して殺すし、タイに住むお前たちの両親も殺すなどと言って、被告人らの逃げ出すのを押さえつけようと図り、一方、被告人らにおいても、タイ語しか話すことができず、日本にやって来てから日の浅かったこともあり、日本の社会の仕組みなどについてもほとんど知らず、その意味でも、法的にも私的にも他に助けを求めようとするには、実際上著しく困難な状況にあったことはたしかである。したがって、被告人らがこうした悲惨な境遇にいて、法的な救援も直ちには期待できないような状況にあったことは、被告人らに対する量刑に当たって、十分に考慮を要する点である。

 『本件犯行に至った背景には、被告人らの置かれていた悲惨な境遇があり、そのような境遇の中で被告人らが味わされた苦悩の深刻さは絶大なものであった』 
 この指摘が、いかに伊藤たちの置かれていた状況と合致するかについては、もはや説明する必要もないだろう。
 そして、『法的にも私的にも他に助けを求めようとするには、実際上著しく困難な状況にあったことはたしかである。したがって、被告人らがこうした悲惨な境遇にいて、法的な救援も直ちには期待できないような状況にあったことは、被告人らに対する量刑に当たって、十分に考慮を要する点である』という指摘は、そのまま伊藤たちにも当てはまる。
 伊藤たちも、真島の家で厳しく拘束され、監視されていた。逃げた債務者には、家族に追い込みが行くことを知っていた。金良亮が殺人を犯したことを知っており、死の恐怖は切迫していた。伊藤の場合、金父子は家族にまで毒手を伸ばそうとしていた節もある。
 逃げ出すことが100%不可能でなくとも、困難な状況であれば酌量軽減の理由となることを、判決の指摘は示している。

7 そうすると、以上にみた諸事情に加え、さらにまた、被告人らが、被害者に対し、自分たちを悲惨な境遇に陥れたことにつき、なお強い憤りの気持ちを抱いているものの、このような形で被害者の生命を奪ってしまったことについては、現在では反省後悔していること、被告人三名には、日本においても母国においても、全く前科前歴がないこと、被告人Fや被告人Gには、タイに年老いた両親あるいは母親がいて、右各被告人の安否を気遣いながらその帰りを待っていること、また、被告人Hにおいても、自分の生んだ子供がタイで母親である同被告人の帰りを待っていることその他、所論指摘の被告人らに有利な事情を合わせ考えると、強盗殺人罪の法定刑のうち無期懲役刑を選択して酌量軽減の上、被告人三名をそれぞれ懲役一〇年に処した原判決の量刑は、なお重過ぎ、このまま維持することは相当でないと認められる。論旨は、理由がある。

 このように刑法66条は、近年である90年代後半まで、生きた条文であった。
 その理由は、被告たちの事情にも目を配るように努め、「被害者」という立場の人間の行為も、公平に評価しようとする精神があったからではないか。公平性、批判精神が残されていた、とも言えるかもしれない。
 しかし、真島事件の判決を下した裁判長や裁判員たちは、この判決からは遠く離れた場所にいる。
 『家族の元に帰りたい,A会長親子から解放されたいという自己の希望を,解決のため何らかの手だてを試みることなく,3名を殺害することによってこれを果たそうというのは,あまりに安易に自己の利益を被害者の生命より優先させたものである』
 伊藤の、長野地裁判決の一文である。「市民」が、裁判官とともに下した判決だ。
 その論理によれば、奴隷的境遇から解放されたいという思いは、「利益」ということになるらしい。恐怖と暴力から逃れること、それ自体は、人間であれば平等に与えられた権利ではないのか?
 もちろん、殺人という手段を肯定できないのは理解できる。しかし、その当然の権利への欲求を軽減理由としないのであれば、それは、恐怖と暴力から逃れることを「正当な権利」ではなく、「本来であれば与えられるべきではない、不当な利益」とみなしているに等しい。
 そして、「市民」の下した判決は、以下のように言っているように思えてならない。
 「僅かでも逃げられる可能性があるならば、不当な被害を受け、厳しく拘束されていても、逃げなかったお前に事件の全責任はある。逃げたことにより、家族に危害が加えられようとも、それは我々の関知することではない」

 ともあれ、かつての裁判所は、強盗殺人であっても利欲やそれに準じる悪質な殺人と、犯罪被害への防衛的殺人を、厳しく峻別していたと言える。「不当な権利侵害への防衛」それ自体は、人の権利であり、「不当な被害や苦痛への怒り」は、当然の感情であることを理解していたからだろう。
 防衛意志の発露である殺人は、社会に脅威を与えるものではない。そして、不当な侵害を行った人間は、誰であろうと行為を評価し判決に反映することが、公平な姿勢である。そのような、ごく普通の論理も、認識していたのではないか。

 以上に見てきたように、これまでの裁判所の姿勢に照らしても、伊藤たちを有期懲役に軽減することは、裁判例、事件の本質、いずれの点から見ても無理のある判断とは言えない。
 被告たちの犯罪被害を量刑に反映しないことが「正義」というのであれば、刑法66条は新しき時代の裁判官と「市民」たちにより、棺に放り込まれたのだろう。

 村瀬裁判長の減刑判決と伊藤の控訴棄却について、若干書く。減刑判決と、伊藤への控訴棄却の間にある理由や事情について、私は十分にとらえきれていないかもしれない。のちに、別の記事の中で加筆や修正を行うことも考えられる。
 なお、伊藤は強盗殺人の成立について争っている。なので、真島事件を「形式的強盗殺人」としている点については、「仮に、形式的強盗殺人が成立するにしても」という但し書きつきの話として読んでもらいたい。

 2014年7月現在までに、村瀬裁判長が関与した裁判員死刑事件の控訴審は四件である。
 このうち、伊藤和史に対しては、2014年2月20日、控訴を棄却し一審の死刑判決を支持した。
 ほかの三件については、すべて一審の死刑判決を破棄し、無期懲役へと減刑した。一件目は伊能和夫被告、二件目は竪山辰美被告、三件目は伊藤の共犯者と認定された、池田薫である。
 伊藤と、彼らを分けたものは何か?ここでは、伊能、竪山両被告と比較する。
 判決を分けたものは、もちろん、情状酌量の余地ではない。殺害人数。殺害自体の計画性。細かい要素を挙げれば、そうなる。しかし、より包括的な理由として、以下のようなものが考えられる。
 村瀬裁判長は「死刑選択の公平性」「死刑への慎重な態度」の確立に関心があった。しかし、真島事件という、「前例のない事件」に対応することができなかったのではないか。

 伊能和夫被告は、2009年11月、港区で男性を金目当てに殺害した。また昭和63年に、妻を夫婦喧嘩から殺害し、実子二人を無理心中目的で殺傷した、二人への殺人、一人への殺人未遂の前科がある。この前科の殺人では、懲役20年の判決を受けている。
 竪山辰美被告の事件は、一般的には千葉大学女子大生放火殺人事件として知られている。殺害人数は一人だが、多くの事件を起こしているので、以下に主要な事件を箇条書きにする。
1・2009年10月2日、千葉県松戸市において、76歳の被害者に強盗致傷。
2・同年10月7日、佐倉市の民家において、61歳の女性を拳で殴打するなどして強盗致傷。この被害者は、神経損傷の後遺症を負った。また、同人の31歳の娘を車に監禁して連れ出し、拳で殴打し、強盗強姦致傷。この被害者は二週間のけがを負った。
3・同年10月20日、千葉大女子大生の部屋に、金銭を奪う目的で侵入。経緯は不明であるが、何らかの理由から殺害を決意し、胸部を包丁で刺して失血死させる。その後、キャッシュカードを奪い、犯跡を隠ぺいするために部屋に放火する。
4・同年10月31日、22歳の女性を駐車場で強盗目的で襲い、顔面を殴打するなどして、全治二週間のけがを負わせる。このときは金を奪うのに失敗している。
5・同年11月2日、千葉県の民家に侵入し、30歳の女性に対し強盗強姦未遂。

 村瀬裁判長を減刑に踏み切らせたのは、裁判員裁判における量刑についての問題意識と思われる。「市民感情」の名の下、死刑基準が感情的なものに左右されることに、危機感を抱いたのではないか。そして、死刑の適用を、公平かつ論理的なものにせねばならない、と考えたのではないか。
 伊能被告と竪山被告の高裁審理に共通するのは、書面の提出以外、法廷で新たな証拠調べを行うことなく、減刑判決を出したという点だ。伊能被告は、控訴審では一回も出廷せず、証人尋問も行われなかった。竪山被告は、控訴審では遺族の意見陳述書、被害者の死体解剖記録が証拠採用されただけである。証人尋問も、被告人質問も行われていない。判決を聞いた限りでは、この解剖記録は、被告の主張を裏付けるものとはならなかった。つまり、両事件とも、被告に有利な証拠は一切提出されていないのである。
 このような審理方法で、有利な証拠が新たに提出されていないにもかかわらず減刑したことは、村瀬裁判長が情状を検討したのではなく、「過去の量刑傾向との均衡」「過去の量刑傾向を逸脱するに当たり、説得力のある理由が示されているか」に着目し、量刑を検討したことを意味する。
 判決文では、過去の事件と被告たちの事件を比較し、「あえて無期懲役ではなく死刑を」科す理由があるか、中心に検討している。

 伊能被告の前科は、家庭内の無理心中を含む殺人であり、強盗殺人やそれに類する殺人ではない。今回の強盗殺人と前科は類似した犯罪ではなく、犯罪傾向が矯正不可能なまでとは断言できないとした。竪山被告の前科は、人を死に至らしめた前科や殺人未遂はない。強盗殺人以外には、殺人未遂の事件も起こしていない。そして、殺害の計画性。計画性は、人命への危険性という観点から、死刑相当か否かを評価するに当たり、重要な要素となる。両事件とも、殺害自体に計画性は認められなかった。
 これらの理由から、上記の二事件を、「これまでの傾向から逸脱し、あえて死刑を科す必要があるか疑問である」として、無期懲役に減刑した。

 村瀬裁判長は、量刑の在り方について問題意識を持ち、事件の要素を詳細に検討する、プロ意識の持ち主だったと言える。「死刑は無期懲役と質的に異なる刑罰であり、どのような場合に死刑が許されるかという評価には、先例の集積が参考になる」と、伊能被告の控訴審判決で述べている。それは正論である。死刑は懲役刑とは全く異なる刑罰であり、慎重に選択されるべきものである。そして、量刑は他の事件と比較して公平でなければならない。「比較」を行わず、この事件は許しがたい、という思いだけで重罰を選択するのであれば、それは感情的かつ恣意的であろう。
 しかし、村瀬裁判長には「先例と詳細に比較」する公平さと丁寧さはあっても、「これまでにない、新たな事例」について、新たな判断を示す器量が欠けていたように思う。
 被害者三名の強盗殺人で、死刑を逃れた例は、これまでない。村瀬裁判長も、それらの判決例を参考にしただろう。しかし、それらはいずれも、利欲目的で、罪のない人々を殺害した事案だ。
 伊藤たちの事件は、被害者たちの凶悪な犯罪が、事件の原因となっている。伊藤たちの行為が、「強盗殺人」という罪名の構成要件に該当してしまうとしても、過去の「被害者三名の強盗殺人」とは、動機も事情も何もかもが異なっているのである。
 村瀬裁判長が、それらの事件の判決を、安直に真島事件に当てはめたとは言わない。しかし、「被害者三名の強盗殺人」という枠組みに縛られたのではないか、とは思える。
 事件の本質は、被害者と加害者の関係、犯行動機である。これらが異なれば、罪の重さ、社会への影響、事件の社会的意味、いずれも異なってくる。真島事件と、「利欲目的で、罪のない三人の人を殺した事件」。被害者人数と罪名だけで見れば、同じ「被害者三名の強盗殺人」であろう。しかし、その実質は全く異なっている。この二つを同等のものとして扱うことは、不適当である。

 村瀬裁判長たちは、「先例の集積」を参考にした。しかし、先例となる事件と、真島事件の本質を安易に同一視したとしか思えない。評価の尺度を誤ったのではないか。

 この記事では、真島事件の被告たちに与えられた「強盗殺人」という罪名について、書いていきたい。なお、強盗殺人の法定刑は死刑か無期懲役であるが、それよりも減刑することは可能である。
 伊藤和史と松原智浩の罪名、裁判結果は、以下のとおりである。

<伊藤和史>
犯行時・31歳
罪名・強盗殺人、死体遺棄。
求刑・死刑
一審・長野地裁。2011年12月27日、死刑判決。
二審・東京高裁。2014年2月20日、控訴棄却。
現在、上告中。

<松原智浩>
犯行時・39歳
罪名・強盗殺人、死体遺棄
求刑・死刑
一審・長野地裁、2011年3月25日、死刑判決。
二審・東京高裁。2012年3月22日、控訴棄却。
現在、上告中。

 伊藤の真島事件の起訴罪名は、強盗殺人、死体遺棄。宮城事件については、殺害には関与していないため、死体遺棄のみで起訴されている。松原は真島事件のみの起訴である。
 「強盗殺人」という罪名に、首をひねったかもしれない。伊藤たちは、利益を得るために、人を殺したのか?答えは、もちろん否である。被告たちは、被害者たちから日常的に暴力を振るわれ、労働を強いられるなど、犯罪被害にあっていた。当然、金父子に怒りと恐怖を抱き、自由を欲して、殺害を決意した。裁判所の判決も、それを認めている。例えば、伊藤の高裁判決では、以下の通りである。
 『被告人は、文夫親子から解放されて家族の下に帰るために本件各強盗殺人に及んでおり、金銭奪取を目的とする典型的な強盗殺人とは、異なる面がある』 
 なぜこのような動機であるにもかかわらず、罪名が「強盗殺人」となっているのか。それには、まず、強盗殺人という罪名について、説明せねばならない。

 強盗殺人と聞けば、「金を奪う目的で、恨みのない人を殺した事件」と考えるだろう。しかし、実際には違う。
 強盗殺人という犯罪は、利欲目的、怨恨を晴らす、といった動機と無関係に成立する。成立要件は、「人を殺害し、その殺害行為を手段として金品を奪う意図がある」というものだ。つまり、殺害前に、「被害者を殺害し金を奪う」という意図を抱いていれば、強盗殺人は成立するのである。例えば「恐喝された恨みから殺害を決意し、これまでの損害の埋め合わせとして、ついでに財布を奪うことを企図し、殺害を行った」という事件。この動機は恨みであり、利益目的ではない。それでも、強盗殺人は成立する。
 それでは、伊藤たちは、自らが無給で働かされ、搾取された埋め合わせに、金を奪おうとしたのか?それも、否である。結果的に金銭を分配したが、伊藤と松原は、金を自分のために使おう、とは犯行前には考えていなかった。金を奪おうと考えた理由は、「被害者」たちの死体遺棄と関係があった。
 伊藤は、取引相手だった斎田に、金父子の死体遺棄を依頼した。斎田は金父子から被害を受けていなかったが、報酬目的に、死体遺棄を引き受けた。そして、伊藤に200万円の金銭を要求した。もちろん、金父子から搾取されていた伊藤に、そのような金はない。どこから金を工面するか。松原と話し合った結果、金父子が所有する金銭から、報酬に必要な分だけとることとした。そのため、「殺害の際に金銭を奪う意図があった」とされて、強盗殺人とされてしまったのである。
 伊藤たちは金銭を欲していなかったが、金銭を欲して犯行に関与した唯一の人間が、斎田であった。
 金父子は闇金であり、真島の家には隠し金庫もあった。金がほしければ、徹底的に家探ししても不思議ではない。しかし現実には、物置と文夫のバッグから、461万円を奪ったのみである。そして被告たちは、そのほぼ半額である200万円を、斎田に渡している。

 それでは、伊藤を減刑することは不可能だったのか?
 強盗殺人の法定刑は、死刑か無期懲役である。この点だけでも、伊藤を無期懲役にすることに、法律上の障害はない。しかも、刑法66条により、情状を酌量し減軽することが可能だ。また、伊藤は自首が成立しているので、法律上も減軽が可能である。情状酌量だけで、死刑を選択したうえで懲役10年、あるいは無期懲役を選択したうえで懲役7年まで減軽することができる。理屈上は、伊藤は懲役3年6か月まで減軽が可能ということになる。
 情状により、刑を減軽された「強盗殺人」も存在する。被害者1名の強盗殺人で、懲役8年に減刑された事件である。これは、「被害者」の犯罪被害にあっていた事例だ。典型的な利欲目的の強盗殺人でも、自首の成立、果たした役割の程度により、有期懲役に減刑された事件は、数多い。
 このように、裁判官が真島事件の実質を認識し、それを判決に反映すれば、無期懲役や有期懲役に減刑することも、十分に可能であった。

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