伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

裁判について

 2016年12月5日、長野地裁に継続していた松原智浩の再審請求が、棄却された。
 棄却決定の理由は、未だ決定書を目にしておらず、情報も来ていないため、解らない。
 宮田弁護士たちは、12月7日に東京高裁へ抗告を行ったようである。

 請求棄却自体には、驚いていない。
 松原は、あのような事件であるにもかかわらず、深い後悔の念を抱いていた。再審請求はもちろん、控訴にさえも消極的であったのだ。根拠のない再審請求を行ったわけではないだろう。しかし、それでも受け入れられる可能性は乏しかった。
 それは、日本の裁判所は部分冤罪はおろか、完全に冤罪であろうとも、再審請求を受け入れようとはしないからだ。名張ぶどう酒事件の奥西死刑囚は、再審請求が容れられず、無念のうちに獄死した。袴田事件でさえ、再審請求決定が出るまでに33年4ヶ月もかかったのである。
 だから、残念ながら、再審請求が棄却される可能性は高いと考えていた。驚いたのは、棄却の迅速さである。

 松原が再審請求を行ったのは、2016年5月31日。わずか半年で、地裁段階で再審請求が棄却された計算になる。完全無罪を主張していない再審請求とはいえ、これはいかにも早すぎる。
 例えば、故・小林光弘死刑囚は、「殺意はなかった」として2008年11月20日に再審請求を行ったが、青森地裁で再審請求が棄却されたのは2011年6月20日である。およそ2年7ヶ月も、審理してもらえたのだ。
 この差は、いったいなぜなのか。もちろん、弁護人の熱意の差ではない。宮田弁護士たちは、きわめて熱心に松原の弁護を行っている。

 ともかく、東京高裁では慎重に審理してもらえることを望む。そして、可能性は低いかもしれないが、松原の主張が容れられることを願っている。

 5月25日、伊藤の最高裁判決に対する、判決訂正申し立てが棄却されてしまった。
 判決訂正申し立てとは、最高裁判決の文章内容や誤字脱字について、訂正申し立てを行う行為である。
 世間では上告棄却をもって死刑確定と言われるが、正確には、判決訂正申し立てが棄却された時点で、死刑確定である。なので、5月25日、伊藤の死刑は確定してしまったということだ。

 判決訂正申し立てが容れられることは殆どない。そして、容れられたとしても、判決が覆る可能性も乏しい。だから、上告棄却の判決が出た時点で、実質的な死刑確定であった。それでも、裁判手続きがすべて終了してしまったことで、死刑という言葉が、圧迫感をもって迫ってきた。

 そして、訂正申し立て棄却に伴い、伊藤は死刑囚として処遇されることとなる。外部交通が制限されるということだ。私は、伊藤に交流を申請してもらうように頼んでいるが、許可されるかは不透明である。
 しかし、なぜ一律に交流を禁止する必要があるのか。誰とも交流を持てない状況の方が、拘禁反応の悪化を招き、かえって心情の安定を害するのではないか。
 結局のところ、司法は忘却を望んでいるのだろう
 執行の前に、存在を忘れられることにより、「最初の死」を迎える。そして、この「最初の死」により、彼のために声を上げるものは、誰一人として居なくなる。当然、死刑判決の瑕疵も忘れ去られる。
 ともあれ、今のところは、伊藤との交流について待つしかないのが現実だ。
 
 なお、7月16日、真島事件について集会が行われる。これが、最後の集会となるかもしれない。
 事件に関心ある方々は、ご来場くだされば幸いです。

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 「日本の裁判は長い」
 かつて、盛んに口にされていた言葉だ。
 20世紀末には、それも間違いではなかった。しかし、21世紀の裁判に当てはめるのであれば、事実に反している。
 ゼロ年代後半から、裁判の審理時間は、大幅に短縮されてしまった。死刑事件であっても、同様である。ことに、裁判員裁判が開始されてから、その傾向は顕著となっている。

 この項では、最高裁での審理期間を見ていきたい。

 先日、藤城康孝被告の最高裁弁論期日が、2015年3月27日に指定された。
 藤城康孝は、2004年に積年の恨みから自分の血族7人を殺害。2009年に神戸地裁で死刑判決を受ける。高裁では再度精神鑑定が行われ、心神耗弱という鑑定結果も出たが、2013年4月26日に控訴棄却。つまり、控訴審判決から1年11か月で最高裁弁論が指定されたのだ。
 おそらく、4月末か5月上旬に、最高裁判決が出るであろう。控訴審判決から上告審判決まで、丸2年程度である。死刑事件としては、上告審判決まで異例の短さだ。
 
 21世紀のゼロ年代前半までは、死刑事件の裁判ともなれば、控訴審判決から上告審判決まで、最低でも4年かかり、5年~8年程度かかる事件も希ではなかった。
 しかし、2005年からは、オウム事件や一部の争点の多い事件を除き、2年数か月から3年数か月で、最高裁の審理は終了するようになった。それでも2013年までは、ほとんどの死刑事件の上告審は、3年以上の時間をとって審理していたのだ。
 以下は、2010年代に上告棄却された死刑事件被告たちの、上告審期間である。

 2010年・・・合計7人。3年以上、6人(うち1人は、あと十数日で丸4年)。2年以上、1人。
 2011年・・・合計20人。5年以上、3人。4年以上、6人。3年以上、10人。2年以上、1人。
 2012年・・・合計6人。4年以上、2人。3年以上、1人。2年以上、3人(うち2人は、あと十数日で丸3年)
 2013年・・・合計5人。3年以上、5人。

 このように、2013年までは、上告棄却まで3年未満の被告数は少ない。
 2014年以降、上告棄却により死刑が確定した被告たちの、最高裁での審理期間はどれほどであったか。

2014年
小川和弘・・・2011年7月26日、控訴棄却。2014年3月6日、上告棄却。約2年7か月。
矢野治・・・2009年11月10日、控訴棄却。2014年3月14日、上告棄却。約4年4か月。
小泉毅・・・2011年12月26日、控訴棄却。2014年6月13日、上告棄却。約2年6か月。
松原智浩・・・2012年3月22日、控訴棄却。2014年9月2日、上告棄却。約2年5か月。
奥本章寛・・・2012年3月22日、控訴棄却。2014年10月16日、上告棄却。約2年7か月。
桒田一也・・・2012年7月10日、控訴棄却。2014年12月2日、上告棄却。約2年5か月。

2015年
加藤智大・・・2012年9月14日、控訴棄却。2015年2月2日、上告棄却。約2年5か月。

 2014年に死刑確定した被告は、6人中5人が3年に満たない期間で、上告棄却されている。矢野被告は、弁護士を解任したために審理が長引いたものであり、本来であれば前年の10月か11月に刑が確定していたであろう。例外を除けば、審理期間の短縮化は歴然としている。
 そして、裁判員裁判で裁かれた3人の被告、奥本、桒田、そして、伊藤の共犯者である松原は、いずれも2年数か月の期間で上告棄却されている。
 上告審での審理期間は、2年数か月未満。それが裁判員時代の新しい基準と考えるのは、穿ちすぎだろうか?

 それにしても、審理期間を短縮して、どうなるというのか。
「裁判に時間をかけるなど、税金の無駄だ」
「被害者の事を考えれば、早く終わらせてしまえ」
 という声も、あるかもしれない。刑事訴訟法で認められている上告理由には「刑の量刑が著しく不当であること」も、含まれている。量刑についての争いは、正当な上告理由である。そして、死刑は究極の刑罰であり、濫用すべきではない。これらを鑑みれば、今一度、量刑判断に際しても、慎重に行うようにすべきではないか。

 少なくとも近年、死刑判決を受けているのは、利欲目的、性犯罪などの動機で殺人を行った者だけではない。真島事件の被告程でないにせよ、被害者側の犯罪が事件の原因となっている事例も、散見される。殺害という手段が正当化されないにせよ、そのような事件まで「被害者の事を考え」迅速に死刑を選択する行為は、「被害者」の犯罪を矮小化する、不公平な態度と言えるだろう。
 「加害者は、被害者に殺されたわけではない」という人もいるかもしれない。しかし、死刑は究極の刑罰である。動機が「被害者の犯罪」が発端である場合、被告が救いがたい人間であるか、国民が新たに人命を奪わねばならない罪であるか、判断する重要な指標となるだろう。
 また、殺人を行っていない場合でも、当人にとって殺されたに等しい被害を与える行為はある。たとえば、「被害者」が「加害者」を監禁同様にして、一切の権利を奪い、暴力をふるい続けた場合。性的被害を与えた場合。自殺さえ考えるほど追い込んだ場合。それらは、殺人、少なくとも殺人未遂に匹敵するとは言えないか。
 前述のような「厳罰化」が進行している現在、最高裁は慎重な判断を心掛けるべきではないか。

 ともあれ、この傾向を見て、私が気になることは、一つである。
 伊藤の上告審判決まで、どれほど時間が残されているのだろう?
 真島事件こそ、刑が本当に適切か、時間をかけて熟慮すべき事件だったのではないか。しかし、松原が手早く上告棄却されてしまったのは、前述の通りだ。
 伊藤を取り巻く現実は、冷たく、厳しい。最高裁は、事件の経緯に対し、真摯に向き合ってくれるのだろうか。

 2月3日、竪山辰美、伊能和夫両名の検察側上告が棄却された。また、2月9日、池田薫の被告側上告も棄却された。いずれも、村瀬均裁判長が破棄減刑した被告たちである。
 当ブログを読まれている方はご承知だろうが、村瀬裁判長は、伊藤の控訴を棄却した裁判長。池田薫は、伊藤の共犯者である。判決文を検討してみなければ何とも言えないが、村瀬裁判長の判断が、最高裁で受け入れられたということになるのだろうか。
 最近は多忙のため、記事を書く時間がないが、近々何とかして投稿したいと考えている。
 なお、伊能、竪山の上告審判決は、裁判所のHPにアップされていたので、リンクを貼っておく。
 伊能和夫上告審判決
 竪山辰美上告審判決
 池田薫の上告審判決はいまだアップされていないが、これは被告側上告というありふれたものであり、判例としても重要な意味を含んでいないからであろう。
 なお、竪山と伊能の上告審は、最高裁第二小法廷が担当し、裁判長は千葉勝美、裁判官は鬼丸かおる、山本庸幸の二人であった。池田薫は、最高裁第三小法廷が担当し、裁判長は大橋正春だったようだ。こちらは、判決文がいまだ公開されておらず、報道もないので、裁判官の名前は解らない。
  
 遅くなってしまったが、伊藤から面会先約のお知らせがあったので、記載する。

ブログへ
面会先約のお知らせ
2月13日です

                 伊藤和史

 強盗殺人の量刑は、死刑か無期懲役と、刑法240条に定められている。以前に書いた通り、強盗殺人の適用は動機ではなく、「殺害時に財物を奪う意思があったか否か」により、決定される。
 しかし、死刑は人命を奪う究極の刑罰である。無期懲役は、2010年代に入ってからの運用では、少なくとも30年程度の服役が必要であり、仮釈放人数も少ない。終生にわたり刑務所から出られない可能性が高い刑罰である。このような重い刑罰を適用するのは、強盗殺人と聞いてイメージする犯罪、すなわち、「利益を殺人の主要な目的とし」「ほぼ落ち度のない人を殺害する」という犯罪に、限定するべきではないか。主目的が利益ではない殺人を適用範囲に含めるとしても、利益目的と同程度に悪質な動機の殺人に、適用を限定する必要があるのではないか。
 少なくとも、被害者たちから重大な犯罪被害を受けた事例で、死刑や無期懲役に処さねばならない理由が、存在するのだろうか。
 刑法66条には、「犯罪の情状に酌量すベきものがあるときは、その刑を減軽することができる」と定められている。強盗殺人の適用を受け、同条文の適用により有期懲役に減軽された事件は、90年代にはしばしば見られた。若年であること、反省悔悟の念が顕著であるという理由であっても、無期求刑に対し懲役15年(当時の有期懲役の最高刑)となる例があったからだ。
 しかし、被害者の犯罪行為が加害者の「情状に酌量すべきもの」とされ、無期求刑に対し有期懲役が選択された事件も存在する。

<スナックママ殺害事件>
 事件は平成3年7月29日、茨城県で発生した。被害者はスナックママ、加害者はその下で働かされていたタイ人女性3名である。加害者たちは、被害者より逃げれば殺すと脅され、売春を強いられ、その売り上げも搾取されていた。また、日常的に、激しい罵倒を受けていた。
 この事件の被告人たちは、水戸地裁下妻支部で審理を受けた。検察は被告たちの被害を一顧だにせず、無期懲役を求刑。下妻支部は無期懲役より減軽し、被告たちに懲役十年の判決を下す。被告たちは控訴し、平成8年7月16日、東京高裁は一審の量刑は重すぎるとして、被告三人を懲役八年に軽減した。
 被告たちがどのような被害を受けていたか。少し長くなるが、東京高裁判決より抜粋する。なお、この事件の高裁判決文は、裁判所のHPにアップされており、以下のリンクから見ることができる。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/182/020182_hanrei.pdf

(1)被告人Fは、平成三年(一九九一年)三月一六日、日本国に入国したものである。同被告人は、タイに住む知り合いの者から、日本でレストランのウエイトレスとして働けば給料がよいので同被告人の両親によい仕送りができるなどという誘いを受け、世話役として紹介された者から航空便の運賃のほかパスポートを取得するのに要した費用や衣類代などの立て替えを受けたことから、右世話役の者に連れられて、同日、飛行機で成田空港に到着したが、その際、自分自身の所持金としては日本円にして一〇〇〇円にも満たないものであった。ところが、同被告人は、成田空港に到着直後、右世話役の者から、同被告人名義のパスポートと入国審査の際の見せ金として渡されていた現金などを取り上げられ、右世話役の者や途中から加わったタイ人や日本人らに、同様の趣旨で連れとなっていたタイ人女性三名とともに、同空港近くのホテルやアパート三か所を連れまわされて、三か所目のアパートで、A(当時二八歳)に引き合わされ、同被告人においてはAと一緒に行くよう指示されるとともに、同被告人名義のパスポートなどをAの方に引き渡されるに至った。
(2)同被告人は、その直後、Aから、お前はAに対して三五〇万円の借金があるので、売春の仕事をして返せという趣旨のことを言われ、同被告人の持つ身分証明書などの入っていたハンドバッグを取り上げられた。そして、同被告人は、同日、Aに、千葉県佐原市内のアパートに連れて行かれ、同夜から近くのスナックに働き出され、その後は、右アパートに住む二、三〇人のタイ人女性とともに、店に来る客を相手に売春を行わされていた。その後、同被告人は、Aに連れられ、茨城県つくば市h所在のスナック「M」や同県稲敷郡i村所在のスナックに移り、Aと同じアパートに住まわされて、同様の売春の仕事を行うことを強制され、さらに、同年五月下旬、同県下館市大字fj番地のk所在のgアパートl号室に移り、その後は同アパートに住み、同県真壁郡m町所在のスナック「P」でホステスとして働くとともに、店の客らを相手に売春を行うことを強いられていた。
(3)被告人G及び同Hはいずれも、同年八月一一日、一緒に日本国に入国したものである。同被告人らも、被告人Fと同様に、それぞれ知り合いの者から、日本の工場で働けば高齢の母親によい仕送りができる(被告人G)、あるいは日本のレストランでホステスとして働けば給料もよく、前借りもできるので両親や子供に十分送金ができる(被告人H)などという誘いを受け、航空便の運賃のほかパスポートを取得するのに要した費用などの立て替えを受けたことから、世話役の者らに連れられて、同日、たまたま同行する形で飛行機で成田空港に到着した。そして、被告人G及び同Hは、右世話役の者らに連れられて、成田空港近くのホテルに一泊後、東京のホテルで一泊し、さらに右世話役の者らの知り合いの者の住むアパートへ連れて行かれ、その間に同被告人ら名義の各パスポートを取り上げられ、同月一五日、右世話役の知り合いの者に連れて行かれた千葉県内のアパートにAがやって来て、同被告人らのパスポートの引き渡しを受けたAから一緒に来るように指示された。
 (4) 被告人G及び同Hは、同日夜、Aに連れられてgアパートl号室に到着し、翌一六日、同女に伴われて買い物に出かけたが、買い物から帰って来た際、同女から、自分はあんたたちを買ったのだから、あんたたちは三五〇万円の借金を返さなければならない、買って来た物の代金も借金になる、部屋代も月五万円が借金に加わるという趣旨のことを告げられた。そして、同被告人らは、同日夕方、車に乗せられて、スナック「P」に出勤させられ、さらに、Aから、客と一緒にホテルに行って売春をしろということを言われて、実際にそれぞれ紹介された客と一緒にホテルに赴かされるに至り、同日夜以降は、被告人Fと同じく、gアパートl号室に住み、毎晩スナック「P」に出かけてホステスとして働くとともに、店の客らを相手に売春を行うことを強いられていた。なお、被告人らと同様にgアパートl号室に住み、スナック「P」で売春の客を取らされるタイ人女性は、被告人らのほかにも二〇人前後いた。
(5)被告人三名は、こうして、Aから売春を行うことを強いられ、さらに同女には、被告人らの前記借金の返済に充てるということで、客の支払う売春の対価を全て取り上げられ(ただし、Aは、そのうちから客一人につき五〇〇〇円をスナック「P」の経営者に支払うということをしていた)、被告人ら自身としては、「P」から給料等の支払いを受けたことがなく、売春の相手がくれるいわゆるチップだけが唯一の収入になっていたが、Aに見つかると借金の返済に充てると称してこれまでも取り上げられるおそれがあったため、同女に知られないようにこっそりと隠していた。さらに、被告人三名は、Aから、部屋代や食事代、買った衣類の代金なども借金の上乗せになると告げられていたほか、土曜日曜に売春の客がいないときは五〇〇〇円が、三日間客がつかないときは一日分が罰金として借金に加算され、さらに、日本に来てから七か月以内に借金を返済し終わらなければ、罰金一〇万円を加算するなどと言われていた。
(6)さらに、被告人三名は、売春の相手から屈辱的な行為を求められた際にこれを断ったりしたことが、Aの耳に入ったときは、同女から口汚く罵られたり、殴る、蹴る、髪の毛を引っ張るなどの乱暴をされたりし、また、日頃から、同女に、お前たちは勝手に外出するな、国元に電話をかけたりするななどと厳しく言われ、さらには、もしお前たちが逃げ出したりすれば、必ず捜し出して殺すし、お前たちの親もタイにいる者に殺させるという趣旨のことを激しい口調で言われたりした。
(7)被告人F及び同Hは、同年九月一七日ころの夜、Aが留守の折りをみて、無断でgアパートから外出し、近くのスーパーマーケットで菓子を買って来たが、これを仲間の告げ口で知ったAから、同月一九日又は同月二〇日ころ、「勝手な行動するな、国際電話を掛けるな」「外出禁止」などと怒鳴られ、その際、被告人Fが、「電話位いいでしょ」と言い返したりしたことから、Aに、「借金のことを考えろ、お前ら気をつけろ」などと怒鳴られたり、被告人らを激しく貶めるような言葉で罵られたりした。
(8)さらに、被告人F及び同Hは、同月二〇日前後ころ、それまで二段ベッドの置かれていた部屋で寝起きしていたことから、両名がベッドの上で言葉を交わしていたところ、Aに部屋に入って来られ、「お前たちどうして二人でいるの、何しているの、すぐ降りなさい」「お前らあんまり問題を起こすんじゃないよ」などと叱責された上、被告人HはAと同じ部屋で寝起きするよう命じられた。


 拘束と搾取の態様は、真島事件を髣髴とさせる。売春強要も、非常に屈辱的な行為だ。被害者の落ち度は甚大であり、有期懲役、しかも刑法66条による軽減の下限に近い量刑にまで軽減されたのは、当然だろう。ただし、この事件の被告たちは、鉄パイプで殴られる、拳で殴打されるほどの暴力はなく、殺人を目撃させられていない。そう考えると、暴力と死の恐怖という点から言えば、伊藤たちの方が受けていた被害は甚大だ。金銭目的に起こした事件ではないが、現金700万円近くと貴金属を奪っており、結果的に奪われた金品は、真島事件よりも多額である。
 この事件の被告人たちが軽減されたのは当然だ。しかし、被告人たちの被害内容を比較したとき、被害者人数が多いとはいえ、伊藤たちに死刑や無期を言い渡すのは、あまりにも重いのではないか。3人と言う被害者人数は、多数の者から犯罪被害を受け、より厳しい状況に置かれていたことを意味している。

 次は、量刑の理由を示し、伊藤たちの事件との比較を行いたい。以下に、軽減理由となった部分を引用する。

5 しかし一方、被告人らの所為は、強盗殺人罪に該当するとはいえ、被告人らが主として奪い取ろうと考えていたのは、被害者から取り上げられていた自分たちのパスポートであり、付随して若干の現金や貴金属類も手に入ることは考えていたものの、金銭的な欲望などに基づき、当初からいわゆる金目の物を強取しようとして本件犯行に及んだものではない。また、被告人らが、被害者の殺害を企てるに至ったのは、主として、自分たちの置かれているあたかも奴隷のような悲惨な境遇から逃れ出るには、被害者を殺すほかないと考えたことにあり、前記第二の三においてみたように、そのように考えたこともある程度無理からぬものがある。したがって、これらの事情も、量刑に当たって十分に考慮することを要する。
 
 伊藤たちが金を奪ったのは、死体遺棄のためである。仮に判決の認定の通り、事前に余った金を分ける話が多少出ていたとしても、利益を積極的に得ようと考えていたとは言えない。金が本当に欲しければ、もっと徹底的に家を探せば良い話だ。伊藤たちは奴隷のような境遇に置かれていただけではなく、ひどい暴力を受け、死の恐怖や家族への危害も、切迫して感じていた。

6 さらに、右にも触れたとおり、被告人三名が本件犯行に至った背景には、被告人らの置かれていた悲惨な境遇があり、そのような境遇の中で被告人らが味わされた苦悩の深刻さは絶大なものであったことは否定できない。すなわち、被告人らは、いずれも、日本で働けば金になるという誘いに乗って日本に来た者であるが、日本に到着すると、直ちにパスポートを取り上げられ、事情も分からぬまま、被害者から三五〇万円という多額の借金を返済するよう要求され、スナックでホステスとして無報酬で働かされながら、借金返済のために過酷な条件で売春を行うことを強制されるに至っていたものである。そして、被告人らが、このような境遇に落ち込むに至ったことにつき、背後にかなり大がかりな人身売買組織や売春組織があるものと窺われる。また、被害者のもとで無理やり働かされるようになった後は、売春の相手方となった男たちからも自分の人格を無視され、屈辱的な行為を強制された上、売春の対価として得た金もすべて被害者に取り上げられるに至っている。日常の生活においても、被害者とともに同じ家屋に住まわされ、勝手な外出や電話を禁止され、かつまた、部屋代や買い与えられた衣類などの代金も借金に上乗せされ、三日間売春の相手方が見つからなければ罰金を科されることにもなっていたのである。加えて、被害者は、被告人らに対し、もし逃げ出すようなことがあれば、必ずお前たちを捜し出して殺すし、タイに住むお前たちの両親も殺すなどと言って、被告人らの逃げ出すのを押さえつけようと図り、一方、被告人らにおいても、タイ語しか話すことができず、日本にやって来てから日の浅かったこともあり、日本の社会の仕組みなどについてもほとんど知らず、その意味でも、法的にも私的にも他に助けを求めようとするには、実際上著しく困難な状況にあったことはたしかである。したがって、被告人らがこうした悲惨な境遇にいて、法的な救援も直ちには期待できないような状況にあったことは、被告人らに対する量刑に当たって、十分に考慮を要する点である。

 『本件犯行に至った背景には、被告人らの置かれていた悲惨な境遇があり、そのような境遇の中で被告人らが味わされた苦悩の深刻さは絶大なものであった』 
 この指摘が、いかに伊藤たちの置かれていた状況と合致するかについては、もはや説明する必要もないだろう。
 そして、『法的にも私的にも他に助けを求めようとするには、実際上著しく困難な状況にあったことはたしかである。したがって、被告人らがこうした悲惨な境遇にいて、法的な救援も直ちには期待できないような状況にあったことは、被告人らに対する量刑に当たって、十分に考慮を要する点である』という指摘は、そのまま伊藤たちにも当てはまる。
 伊藤たちも、真島の家で厳しく拘束され、監視されていた。逃げた債務者には、家族に追い込みが行くことを知っていた。金良亮が殺人を犯したことを知っており、死の恐怖は切迫していた。伊藤の場合、金父子は家族にまで毒手を伸ばそうとしていた節もある。
 逃げ出すことが100%不可能でなくとも、困難な状況であれば酌量軽減の理由となることを、判決の指摘は示している。

7 そうすると、以上にみた諸事情に加え、さらにまた、被告人らが、被害者に対し、自分たちを悲惨な境遇に陥れたことにつき、なお強い憤りの気持ちを抱いているものの、このような形で被害者の生命を奪ってしまったことについては、現在では反省後悔していること、被告人三名には、日本においても母国においても、全く前科前歴がないこと、被告人Fや被告人Gには、タイに年老いた両親あるいは母親がいて、右各被告人の安否を気遣いながらその帰りを待っていること、また、被告人Hにおいても、自分の生んだ子供がタイで母親である同被告人の帰りを待っていることその他、所論指摘の被告人らに有利な事情を合わせ考えると、強盗殺人罪の法定刑のうち無期懲役刑を選択して酌量軽減の上、被告人三名をそれぞれ懲役一〇年に処した原判決の量刑は、なお重過ぎ、このまま維持することは相当でないと認められる。論旨は、理由がある。

 このように刑法66条は、近年である90年代後半まで、生きた条文であった。
 その理由は、被告たちの事情にも目を配るように努め、「被害者」という立場の人間の行為も、公平に評価しようとする精神があったからではないか。公平性、批判精神が残されていた、とも言えるかもしれない。
 しかし、真島事件の判決を下した裁判長や裁判員たちは、この判決からは遠く離れた場所にいる。
 『家族の元に帰りたい,A会長親子から解放されたいという自己の希望を,解決のため何らかの手だてを試みることなく,3名を殺害することによってこれを果たそうというのは,あまりに安易に自己の利益を被害者の生命より優先させたものである』
 伊藤の、長野地裁判決の一文である。「市民」が、裁判官とともに下した判決だ。
 その論理によれば、奴隷的境遇から解放されたいという思いは、「利益」ということになるらしい。恐怖と暴力から逃れること、それ自体は、人間であれば平等に与えられた権利ではないのか?
 もちろん、殺人という手段を肯定できないのは理解できる。しかし、その当然の権利への欲求を軽減理由としないのであれば、それは、恐怖と暴力から逃れることを「正当な権利」ではなく、「本来であれば与えられるべきではない、不当な利益」とみなしているに等しい。
 そして、「市民」の下した判決は、以下のように言っているように思えてならない。
 「僅かでも逃げられる可能性があるならば、不当な被害を受け、厳しく拘束されていても、逃げなかったお前に事件の全責任はある。逃げたことにより、家族に危害が加えられようとも、それは我々の関知することではない」

 ともあれ、かつての裁判所は、強盗殺人であっても利欲やそれに準じる悪質な殺人と、犯罪被害への防衛的殺人を、厳しく峻別していたと言える。「不当な権利侵害への防衛」それ自体は、人の権利であり、「不当な被害や苦痛への怒り」は、当然の感情であることを理解していたからだろう。
 防衛意志の発露である殺人は、社会に脅威を与えるものではない。そして、不当な侵害を行った人間は、誰であろうと行為を評価し判決に反映することが、公平な姿勢である。そのような、ごく普通の論理も、認識していたのではないか。

 以上に見てきたように、これまでの裁判所の姿勢に照らしても、伊藤たちを有期懲役に軽減することは、裁判例、事件の本質、いずれの点から見ても無理のある判断とは言えない。
 被告たちの犯罪被害を量刑に反映しないことが「正義」というのであれば、刑法66条は新しき時代の裁判官と「市民」たちにより、棺に放り込まれたのだろう。

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