伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

真島事件公判傍聴記

2013年10月24日
東京高裁
805号法廷
事件番号・平成24年(う)第572号
罪名・強盗殺人、死体遺棄
被告人・伊藤和史
裁判長・村瀬均
裁判官・秋山敬
裁判官・池田知史
検察官・山下純司
書記官・野崎裕一

 本日は、傍聴券の抽選が行われる予定だったが、締め切り時間の10時15分までに、35枚のところ30人しか並ばなかった。そのため、抽選は行われなかった。早朝のため、気まぐれで傍聴しようと考える傍聴人、課題をこなすことにしか興味がない学生が、抽選に並ばなかったためか。なお、伊藤の家族も、抽選に並んでいた。
 「遺族」のK・Kは、本日も傍聴席に座っていなかった。9月19日の弁論以前に傍聴した法廷では、常に被告席の方を睨みつけ、時には指をボキボキと鳴らして、被告人を威嚇していた。東京高裁の控訴審では、証言台で泣き続ける伊藤の母を、ニヤニヤと嗤い満足げに眺めていた。そのK・Kは、前回の弁論に引き続き、今回も法廷に姿を見せなかった。被害者支援団体、代理人の弁護士らしき人の姿もなかった。
 これで、真島事件の法廷には、「遺族」の姿はなくなったことになるのだろうか。
 金文夫の愛人だった、20代後半の女性であるK・Aは、文夫を「大事な人」と呼び、地裁公判では伊藤の極刑を望んだ。しかし、伊藤の控訴審公判には、一切姿を見せていない。ほかの遺族たちも、伊藤や池田の一審公判の際には、大挙して傍聴に訪れていた。被害者支援団体や代理人の弁護士を何人も引き連れ、傍聴席の三分の一を埋め、被告人を憎々しげに睨みつけていた。スーツ姿の人はほぼおらず、薄汚れたジーンズや、色褪せたジャケットなどのカジュアルな服装が目立った。がっしりとした筋肉質な男性が多く、私の主観では、崩れた印象も感じられた。この「遺族」たちは、松原の控訴審にも伊藤の控訴審にも、一切姿を見せていない。文夫の娘は、池田の長野地裁公判で同人の死刑を求めたそうだが、松原、伊藤の控訴審には、やはり一切姿を見せていない。伊藤の一審公判においては、楠見由紀子の両親も傍聴に訪れ、遺影を突き付け、「一言いえ!」と伊藤を怒鳴りつけていた。しかし楠見の親族も、松原の控訴審にも伊藤の控訴審にも、一切姿を見せていないのである。
私は、これまで傍聴した有名事件の法廷を思い出した。例えば、2002年に合計4人が殺害された、マブチモーター事件。この事件の遺族たちは一審から二審まで、すべての公判を欠かさず傍聴していた。東京近辺に住んでいるわけでもなく、忙しい身の上であろうが、それでも裁判を最後まで見届けようとしていた。秋葉原通り魔殺傷事件の遺族も、控訴審では被告人不在の法廷であったにもかかわらず、懸命に足を運んでいた。真島事件の控訴審公判は、これらの公判の法廷とは、あまりにも様相が異なっていた。
 記者席は四つ指定されており、すべて埋まった。一方、傍聴席にはこれまでと違い、空席がちらほらとあった。
 検察官は、眼鏡をかけており、鼻の下が長く、頬のひげの剃り跡は濃い。貧相な万年係長といった風情の中年男性だったが、眼鏡の奥の目は、刃のように鋭い。
 伊藤は、白い長袖のジャージの上下に、眼鏡という、これまでと同じいでたちだった。眼鏡の奥の目は、どこか不安そうに揺らいでいた。大人しく気弱な印象の顔には、硬い表情があった。被告用出入り口のところで、深々と一礼してから、入廷した。
 そして、10時30分に、第六回控訴審公判は開廷した。
今村善幸弁護士は、宮城事件について書類を提出した。裁判長は、被告人質問を続行する形となっているので、改めて証拠を請求しなくてもよい、と答えた。
 そして、裁判長は、前回に続き被告人質問を行う旨を述べた。伊藤は傍聴席のほうに深々と一礼したのちに、証言台の椅子に座った。
 被告人質問は、長野地裁から伊藤の弁護を担当する、今村善幸弁護士により行われた。

今村善幸弁護士の被告人質問
弁護士「前回に引き続いて話を聞きます」
被告人「はい」
弁護士「前回の法廷で、平成22年4月13日のことについて、お尋ねしました。」
被告人「はい」
弁護士「今日は、もう少し、その日のことを詳しく聞きます」
被告人「はい」
弁護士「事実として確認します。4月13日、朝から長野中央警察署において、事情を聴かれていましたね」
被告人「はい」
弁護士「近くのラーメン屋でラーメンを食べた後、午後も引き続き事情を聴かれた」
被告人「はい」
弁護士「貴方の担当した刑事さんは、佐藤刑事と丸山刑事が、取り調べの担当でしたね」
被告人「そうです」
弁護士「あなたは開始一時間ほどたった後、午後、2~3時間時間をください、正直に話します、と言った」
被告人「はい」
弁護士「一時間経過した後に、話した」
被告人「はい」
弁護士「実は、会長、専務、由紀子さんは僕らが殺しました、と話したんですね」
被告人「はい」
弁護士「自白で、あなたは、どこに死体があると言いましたか?」
被告人「僕は、あの、斎田さんというところの、まあ、斎田さんのヤード…資材置き場に、あの、死体を埋めましたと、いうように話しました」
弁護士「前回被告人質問で、携帯電話を出して住所のわかるところを見せたと言いましたが」
被告人「はい」
弁護士「何を見せたんですか?」
被告人「携帯電話の中の、あの、取引先との送受信メール、それを見せて、斎田さんの住所を知らせました」
弁護士「二つのことを聞く」
被告人「はい」
弁護士「宮城さんの死体遺棄と、文夫さんのお金の話について、質問します」
被告人「はい」
弁護士「宮城さんの遺体について聞いていきます。宮城さんの死体遺棄について話をしたのはいつですか?」
被告人「これは、あの、斎田さんのヤードに死体を埋めたっていう話をしてからです」
弁護士「斎田さんのヤードに死体を埋めた話をしてから、宮城さんの死体の話が出て来たんですか」
被告人「はい」
弁護士「経緯は、どのようなものですか」
被告人「丸山刑事から、あの、『じゃあ先ほど、正直に話してくれるといってくれたので信じるけれど、仕事だから聞かせてもらう。わからなければ別にそれは構わない、こっちで調べるから』と言われた後に、『じゃあ、聞くけど、あの倉庫について、知っていることを話してほしい』と言われました」
弁護士「それで」
被告人「僕はそれに対して、あの倉庫、まあ、あの高田の倉庫の奥に止めてあった白のレガシーに、宮城さんの死体があって、まあ、当時の言葉で言いますけども、専務が拳銃で宮城さんを殺しました。それで、専務と原田さん、僕の三人で死体を箱に入れて、最終的に高田の倉庫に隠しました、と話しました」
弁護士「そこで初めて、原田さんの話をした」
被告人「はい」
弁護士「それで刑事さんは」
被告人「佐藤刑事が、あの倉庫の死体も、本当は伊藤さんが殺したんじゃないのか、と言われて、専務が死んでるからと言って、専務になすりつけているんじゃないのか、というふうに疑われました」
弁護士「それで」
被告人「僕は本当に、専務が拳銃で殺したんです、原田さんを捕まえてくれればそれが解ります、だから早く捕まえてください、というように、お願いするように訴えました」
弁護士「それで」
被告人「原田さんのマンション、それとまあ、銃のありかについて、そのことを伝えました」
弁護士「原田さんの居場所については」
被告人「原田さんの居場所については、先に、以前、原田さんが覚せい剤で逮捕された話をしてから、原田さんが、5月7日に、長野県から、まあ、地元の兵庫県に移った、と話をしました」
弁護士「銃について」
被告人「拳銃の場所については、宮城さんが殺害された後に、兵庫県から長野県に戻る間、原田さんが運転していたベンツから、当時自分の運転していた白のレガシーに拳銃を移した、義昭さんが運転を変わった、と話をしました」
弁護士「銃は見つかりましたか」
被告人「見つからなかったです」
 誰が拳銃を始末したのか?良亮か、文夫か、あるいは?K・Kも、宮城の死体が高田の倉庫にあることを知っている様子だったが。
弁護士「宮城さんが殺されたのは、出所後のことだと話をしましたか」
被告人「そうです」
弁護士「原田については」
被告人「5月のことなんですけど、刑事さんから一枚の写真を見せていただきました」
弁護士「それは?」
被告人「航空の防犯カメラに映っている写真だと思いますが、ぼやけていてはっきりと解らなかったので、原田さんの特徴が分かるはっきりした写真がほしい、と話しました。それと、原田さんの特徴がある」
弁護士「それで特徴は」
被告人「原田さんは元組員で、右の指が小指ともう一本がないのと、まあ、移っていた写真がぼやけていて、もっと特徴の分かる写真を見せてほしい、と言いました」
弁護士「それで、新しい写真は見せてもらいましたか」
被告人「はい。のちに、原田さんの写真を見せられて、それで原田さんと確認しました」
弁護士「原田は逮捕された」
被告人「はい」
弁護士「文夫さんのお金の件について、いつ話しましたか?」
被告人「自分の前回の公判で、4月21日に、お金をとったという調書が残っていましたので、おそらく、そのころ、話をしたと思います」
弁護士「殺害後にお金を盗んだ」
被告人「はい、仰る通りです」
弁護士「文夫さんのお金の話が出てきた経緯は」
被告人「恐らくなんですけど、斎田さんに支払う報酬の話が・・・出たので、文夫さんのお金で支払うというような話をしたと・・・」
弁護士「どっちから、話が出てきましたか」
被告人「それは未だにちょっと、はっきりしないんですけど、自分から話したのか、もしくは、あー、刑事さんに追及されて話したのか、検事さんから追及されて話したのか、はっきり覚えていないです」
この時の伊藤の声は、少し焦った、弱った感じの声だった。私は、伊藤の不安そうな眼差し、硬い表情を思い出していた。
罪名が殺人と認定されれば、殺人の事実さえ犯行発覚に先んじて供述すれば、自首は成立する。しかし、もしも強盗殺人と認定された場合、金をとったことを話していなければ、「犯行の主要な事実を話したとはいえない」として、自首が認定されないかもしれない。殺害時の金銭奪取の意図は、強盗殺人の成立にあたり、必要な要素である。強盗殺人と認定された場合、「犯行の主要な事実を話した」か否かについて判断するに際し、金をとったことを発覚以前に話したか否かが、重要になる可能性があった。
弁護士「最後に聞きますけども、4月13日午後、3人を殺したと警察に話した」
被告人「はい」
弁護士「さらに、死体を埋めたと話をした」
被告人「はい、しました」
弁護士「その時、文夫さんのお金のことを話さなかった理由は何ですか?」
被告人「いや、その、話をしなかったわけじゃないんですが、前回の公判でもいってるんですけど、妻子がこれからどうやって暮らしていくのか心配とか、金沢浩一さんが言った、3人を殺せばそいつは確実に死刑になるという言葉とか、そういう話の中で、自分は由紀子さんと文夫さんと良亮さんと三人を殺害してしまっているんで、殺害してしまったという物事が大きすぎて、また、殺めてしまってから、三人を殺害した光景が思い出されてしまって、お金の話しなければいけなかったんですけど、どうしても、その、人の命を奪ってしまった物事の方が大きすぎて、すっかりお金の話が、抜けてしまっていたんです。すみません」
 終わりの方は、不安からか、早口になっていた。そして、やや涙声にもなっていた。
最初の自供時に、金をとったことが頭から抜けていたとしても、不思議ではあるまい。検察官でさえ、この事件は金目当ての犯行ではないと認めていた。被告人質問、犯行時の状況を見た限りでは、犯行動機に利益を得る意図は見受けられない。伊藤に至っては、とった金はすべて斎田に渡すつもりでいたのである。
 また伊藤は、金をとった事実について、自分から話したと強弁しなかった。「追及されて話した」という、自首成立を壊しかねない可能性も、検討している。その態度からは、第一自供時の精神状態について、正直に話そうという思いが感じられた。
弁護士「抜けていたとはどういうことですか」
被告人「今話した三つのことが僕の頭の中の殆どを占めてしまっていたんで、だから、お金のことがすっかり、ほんとに抜けてしまって、人を殺めてしまったという物事の方が、ほんとに大きかったんで、だから、その時はお金の話出てこなかったんだと思います、はい」
弁護士「お金をとったことは、隠していないと」
被告人「殊更隠すつもりはなかったので、はい」
 ここで、検察官の被告人質問となる筈であった。しかし、検察官は、控訴審で突然自首の成否を争い始めたので、準備ができていない、続行してほしい、と言い出した。検察官の要望により、前回期日から一か月も待ったが、まだ準備ができないらしい。「補充で、自白の経緯、捜査の進捗状況などを警察に確認したうえで、聞いていきたい」と述べた。
 裁判長は、ひとまず、伊藤さんに被告席へ戻るように言う。伊藤さんは、傍聴席に深々と一礼したのち、被告席へと戻った。
 東京高裁から弁護についた、中年の今村弁護士は、「改めて警官を訊問して、供述調書を作るのですか、それとも、当時の記録を確認するのですか」と検察官に尋ねる。検察官は「両方です」と、平然と答えた。
 私は、呆れた。警察の記録は、被告側に良い事情は切り落とされ、悪い事情が誇大に書かれている傾向が大きい。ましてや、自首の成否が問題となっている現状で、警察が被告人に有利な事実を話すだろうか。
 今村核弁護士も、同様に感じたらしい。「当時作成した記録を調べるのならば,私共も賛成しますが、改めて調査しても、内容の信用性が・・・」と苦笑していた。結局、新たに警察官の供述調書を作った場合は、それを前提に質問する。検察側は、新しく作った供述調書を証拠として請求するとは限らない、ということになった。
 とりあえず、次回期日は12月3日10時30分に指定された。これで結審する予定とのことだ。控訴審第六回公判は、10時55分に閉廷した。
 伊藤さんは、硬い表情で、うつむいて閉廷した。私が「伊藤さん、頑張ってください」と声をかけたところ、硬い表情のまま、軽く頷いた。そして、被告用扉の奥に、姿を消した。

 ブログをほとんど書いていないが、だいぶ遅くなってしまったものの、伊藤(辻野)和史の公判について書き残していこうと思う。
 現在は、伊藤は親を含めて周囲との交流を絶ってしまっており、送金に対して礼状を送るぐらいである。
 安倍政権が倒れなければ、無法な死刑執行は続くであろう。そうでなくとも、伊藤は再審請求を行っておらず、さらに交流を絶ってしまっていることもあり、危機的状況である。
 送金以外に、私にできることは、これしかない。とりあえず、細々と続けていきたいと思う。

 2013年5月30日15時、東京高裁805号法廷にて、伊藤和史の第二回控訴審公判が行われた。
 傍聴券は、今回は先着順であった。14時45分に配布予定だったが、少し早く、14時38分に配られた。39枚の傍聴券に対し、30数人がその時間までに来ていたらしい。
 法廷の前では、遺族のK・Kが、なぜか一般傍聴人に交じって並んでいた。遺族席の提供を、裁判所が拒むことはないと思うのだが。K・Kの方で申請を行わなかったのだろうか?
 伊藤は、前回と同じく丸坊主に眼鏡であり、白い長袖のジャージの上下を着ていた。入廷時の表情は、硬かった。
 予定通り15時に、伊藤の控訴審第二回公判は開始される。本日は、被告人質問である。伊藤は、裁判長に証言台の椅子に座るよう促され、被告席を立った。そして、傍聴席の方に深々と一礼し、証言台の椅子に座った。

今村善幸弁護士の被告人質問
弁護士「それでは、主任弁護人の今村から、話を聞いていきます。事件から三年以上経過していますけども、改めて、被害者の方について、いまどのように思っていますか」
伊藤「どのように、謝ればいいか言葉が見つかりませんが、謝っても謝りきれないことで、本当に、申し訳なく思っています」
伊藤は、前方に頭を下げた。
裁判長「被告人、もうちょっと前へ」
裁判長は、声が聞こえにくかったらしい。
弁護士「謝りきれないということなんだけども」
伊藤「はい」
弁護士「確認します。貴方の今の気持ちをね、どのように表していますか?」
伊藤「遺棄をしてしまった宮城法浩さんも含めて、殺めてしまった方々に、毎日祈っています」
弁護士「毎日祈っているって、何を祈っていますか」
伊藤「まずは、自分の起こしてしまった犯罪に対して、反省の思いと、被害者の方々に対して、ご冥福をお祈りしています」
弁護士「祈る時間は毎日決まっているんですか?」
伊藤「はい、特に、食事をする前です」
弁護士「なぜですか」
伊藤「殺めてしまった被害者の方々に対して、自分は図々しくもご飯を食べて生きておりますので、それが本当に申し訳ないという思いで、お祈りするようにしています」
弁護士「それは、お供えをするという意味もあるんですか」
伊藤「はい、もちろん、お供えをするという意味もあるんですが、その、被害者の方々に対して、できる限り、限界はありますけども、好物のものをお供えをしています」
弁護士「例えば、好物とはなんですか」
伊藤「それは、文夫さんは、ピーナッツだとか、オレンジジュースを好んでよく食べていましたので。長野の刑事施設では、オレンジジュースはあったんですが、東京拘置所ではオレンジジュースはなかったので、代わりに、野菜ジュースを。良亮さんは、ラーメンが好きだったんで、カップラーメンをお供えしています。有紀子さんに対しては、チョコレートだとかクッキーだとか、そういう洋菓子が好きなので、洋菓子をお供えしたりと。宮城さんは、缶ビール、おつまみであるスナック菓子が好物でしたので、好物のスナック菓子をお供えしています。東京拘置所に来てからはお花も買えるようになったので、できるかぎり、お花もお供えするようにしてあげていますし」
弁護士「うん」
伊藤「時々、支援者の方々が、お菓子をいただくこともありますので、自分が先に食べるとかではなくて、先にお供えをしています」
弁護士「お供え以外に貴方がしていることは、何かありますか」
伊藤「いま、写経をやっています」
弁護士「写経」
伊藤「はい」
弁護士「写経はどれくらいやっていますか」
伊藤「毎朝」
弁護士「写経っていうのは、どのくらいの時間がかかりますか?」
伊藤「部屋に時計はないんで、解らないんですけど、大体、一時間くらいはやっているかと思います」
弁護士「写経とは、そもそもどういう意味があるんでしょうか」
伊藤「仏様に対して、冥福を祈るというふうに、思っていますが」
弁護士「貴方にとって写経の意味は」
伊藤「自分にとって写経は、単純に、被害者の方々に対して、そういうような詫びること、ご冥福をお祈りしながら、次は、僕の意思でお世話さしていただくという思いで、自分の犯してしまったことに対して、反省の念を込める思いで、写経してます」
弁護士「写経と言うのは、どのようにやりますか」
伊藤「自分のやり方は、手や口を広げて姿勢を正してから、写経するように、一つ一つの文字を、心を込めて、唱写しております」
弁護士「その書き終わった写経っていうのは、どうしますか」
伊藤「一番最初に、写経したものは、居室内に小さい棚あるんですが、仏壇の代わりに使わしてもらうことを刑事施設に許可を受けて、いったんそこにお供えしてから、ある程度纏めてから、栃木県の大田原市にある、黒羽山大雄寺というお寺に奉納してます」
インターネット上で調べたところ、この寺の存在は確認できた。
弁護士「いま、お祈りとかお供え物、そして写経のことをお話ししましたが、それ以外に、何かありますか」
伊藤「それ以外に、限られてますけど、刑事施設の許可を受けて、教誨を受けています」
弁護士「教誨」
伊藤「はい」
弁護士「はい、その教誨はどれくらいの頻度でやっていますか」
伊藤「月に一度しか受けさせてもらえないので、毎月一回」
弁護士「やってると」
伊藤「はい、やっています」
弁護士「教誨とは、どのようなことをやるんでしょう」
伊藤「まあ、自分はそもそも、どこの宗派にも属していないんですが、仏教のお経を読んで、教誨師の方と一緒に、よみ慣れないお経ですけど、被害者の方を弔うために、よんでいます」
弁護士「その教誨を通じて、貴方は何を学びましたか」
伊藤「その当時、自分が人を殺めてしまったことで、冥福と言う言葉、意味を知らなかったので、少し教誨師の方に時間をいただいて、ご冥福と言う言葉の意味について、教えていただきました」
弁護士「冥福と言うのは、どのような意味ですか」
伊藤「教誨師曰くは、亡くなられた方に対してご冥福をお祈りするということは、亡くなられた方の幸せを想定していると。だから、亡くなられた方にこれからの幸福を祈り続けなさい、祈り続ければ必ずかないますよ、と言うことを教えてもらいました。そういうことを知りました」
弁護士「冥福とかお祈りとか、お供えとか、写経、教誨、それ以外に貴方がしていることは何かありますか」
伊藤「自分が人を殺めてしまう前の、当時の状況を振り返ってですね、ホンマに、殺害以外の方法がなかったのか、まだ別の方法があったんじゃないかと、いうことばかり考えていますし、そういうことを考えていく中で、事件の経緯について、思い出したことがあります」
弁護士「それはなんですか」
伊藤「まあ、端的にいますと、文夫さんが所持していた輪ゴムのお金についてですが、えー、自分が、松原さんに、えー、奪うように、話しています」
弁護士「話した」
伊藤「はい、それを思い出しました」
弁護士「それを思い出した」
伊藤「はい」
弁護士「思い出したきっかけは」
伊藤「一審の自分の、裁判員裁判の時に、松原さんの、出廷、証人として出廷されたんですけども、その時の調書を読んだ時に、少し色を付けたい、という言葉が目に留まった」
弁護士「何と」
伊藤「少し、色を付けたい」
弁護士「色を付けたい」
伊藤「という、それに自分、目が留まってしまって、長野の人で色を付けたいという言葉を使うかな、と思ったので。これは関西の、僕の言葉やと思って、思いだすと、(聞き取れず)という、思い出しました」
弁護士「どうして今となって、そのことを話すのですか?」
伊藤「そもそも、少しでも事実が明らかになるかと思って、被害者の方に対して、ご遺族の方に対しても、何らかの謝罪の意味になるかなと、思いました」
弁護士「事件のことで、それ以外に思い出したことはありますか」
伊藤「事件のことについて、それ以外のことについては、今のところ思い出せてないです」
弁護士「その前にね、貴方が解決する方法を考えたということですが」
伊東「はい」
弁護士「殺害する以外に、解決方法は見つかりましたか?」
伊藤「当時自分が、自分なりに考えていた解決方法は、五つあったんですけども、その中で、逃げるという方法と、自殺すること、殺害するという方法を除いた、二つの方法があります。これは、もっと深く考えて、強行していれば、こういう事件にならなかったかな、と思いました」
伊藤が逃げれば、金父子は伊藤の妻子を追い詰め、奴隷的境遇に置いただろう。伊藤が自殺しても、同様である。
弁護士「その二つは」
伊藤「まず一つは、警察に通報じゃないけど、相談するということと、自分が家族に相談してみればよかったな、ということでした」
弁護士「警察には、何を相談しますか」
伊藤「端的に言いいますと、自分の事。自分が、文夫さん、良亮さんにされていることを、相談するということです」
殺人や出資法違反を除いても、金父子の伊藤への行為は犯罪である。暴行、傷害、脅迫には確実に問われたであろう。伊藤に直接的に行った行為だけでも、実刑は免れなかったに違いない。
弁護士「一審では、通報できなかったと言っていたと思う。なぜ、一審で、通報できないと述べていたのですか」
伊藤「まあ、文夫さんと良亮さんが、刑事さんの方と関係があったので、まあ、通報できないと」
弁護士「どうして、今は通報できると思えるようになったんですか」
伊藤「一つは、自分が落ち着いたっていうのもあるんですけども、まあ、(聞き取れず)そして、その、文夫さんと、良亮さんと、ずっと一緒だったというわけでもなかったし、小学校に行くときだけは、大阪に帰ることもできたんで。その時ばかりは、文夫さんと良亮さんから離れる時間もあったので。それで、長野県の警察の方が信用できなかったとしても、大阪の警察であれば対応してくれたんじゃないかなっていうふうなことで。そこに逃げ込んだり、駆け込めばよかったと思います」
弁護士「二つ目は何とおっしゃいましたか」
伊藤「二つ目は、友人や家族に相談すればよかったなあと」
弁護士「これは、何を相談する」
伊藤「まあ同じく、文夫さんと良明さんから解放される手立てはないかっていうことです」
弁護士「当時は、なぜ相談しなかったのですか」
伊藤「文夫さんと良亮さんの世界に、巻き込みたくなかったからです」
弁護士「どうして、貴方の考え方や気持ちに、変化があったか」
伊藤「人の命について、考えるようになったからです」
弁護士「きっかけは何かあったのですか」
伊藤「自分が人を殺めてしまったこと、一審で、死刑判決が出たということです」
そして、今村弁護士は、伊藤の幼少時の体験について質問に入る。
弁護士「幼少時について聞いていきます」
伊藤「はい」
弁護士「前回の裁判で、お母さんの話は聞いていたね」
伊藤「聞いていました」
弁護士「お母さんの話によると、Mさん,実の父親ではないと。Tと。これは知っていましたか」
伊藤「お母さんの証言を聞く前に、検察官が教えてくれました」
弁護士「それまでは知らない」
伊藤「はい、知りませんでした」
弁護士「戸籍上の実父のMさんと会ったことは」
伊藤「いえ、会ったことはないですし、ぼんやりした記憶で」
弁護士「Tは」
伊藤「随分先に、会った記憶はあるんですけど、顔も忘れてしまいまして、ただ覚えているのは、背の高いがっしりした人やなっていうことぐらいで」
弁護士「Tと別れた後、貴方、託児所に預けられていたと。記憶は」
伊藤「ありますけど、そもそも、自分は託児所ではなくて、施設だと思っていました」
弁護士「なぜ」
伊藤「実際に、友人で、施設で育った人がおるんですけども、親が迎えに来ない、集団生活をしてるというのもあるし、自分の思うように欲しいもの手に入らない、まあ、いろいろあるんですけども、そういう状況が似ていたからです」
弁護士「迎えに来た頻度は」
伊藤「迎えに来たのは、」
弁護士「施設でなく、託児所というのが解ったのは」
伊藤「この事件で逮捕されてから、検察官の調べで知らされました」
弁護士「あなたとしては、家に帰れなかったという記憶ですか」
伊藤「そうです」
弁護士「託児所について、他には記憶はありますか」
伊藤「託児所の先生に叩かれるとか、お菓子をもらったり、でした」
弁護士「先生から、どう叩かれたか覚えてます?」
伊藤「平手で、頭叩かれたり、顔たたかれたりとか」
弁護士「当時、貴方は何歳ですか」
伊藤「当時は、3歳でした」
弁護士「入っていたのは」
伊藤「幼稚園に入園するまでです」
弁護士「お母さんは、再婚する」
伊東「はい」
弁護士「Yと母親の再婚時は、いくつですか」
伊藤「幼稚園に入るくらい、5歳です」
弁護士「5歳前。お母さんによると、Yには、貴方と同じくらいの年の子がいた。覚えてる」
伊藤「はい、覚えてます」
弁護士「連れ後の男の子の名前は」
伊藤「T」
弁護士「T君と、貴方の仲はどうでしたか」
伊藤「お互い兄弟ができたっていうのもあって、まあ、仲は悪くなかったと思います」
弁護士「Tへの、Yの暴力は見たことある?」
伊藤「あります。あの、殴られたり、蹴られたりよくありましたし、殴られたり蹴られたりしておしっこ漏らしたりとか、ウンコもらすこともあったし、恐らくストレスが原因だと思うんですけど、よく血便を出していました」
弁護士「お母さんによると、貴方もYから暴力受けていたと、覚えてる」
伊藤「はい、覚えています」
弁護士「どのような暴力でした」
伊藤「僕も、T君のような、殴られたり蹴られたりしてます。その暴力の中で、Yさんがあって、踏んづけられるように蹴られるので、あの、ということもあったし、オカンが、頭血流すぐらい殴られて、夕ご飯は、猫を飼っていたんですけども、二人で、猫のキャットフードを食べて、飢えをしのぐこともありましたし」
弁護士「母親も暴力振るっていたと」
伊藤「覚えています」
弁護士「どうやってですか」
伊藤「お母さんは主に、物を使って殴るんですけど、それ以外に素っ裸にされて、痣ができるほど殴られることもありました。よく殴られました」
弁護士「どんなもの使う」
伊藤「近いものなんですけども、いろんなもので」
弁護士「投げるか、叩くんですか」
伊藤「投げられるときもありましたし、殴られることもありましたし、殴られるときは、カバンの金具で殴られました」
弁護士「傷は残ってますか」
伊藤「今もちょっと残っています」
弁護士「どこですか」
伊藤「左のこめかみあたりです」
伊藤は、その場所を指さした。
弁護士「お母さんによると、貴方はYの姓は名乗りたくないといった、一緒に住みたくないと言った」
伊藤「覚えてますけども、お母さんも、Yさんも、暴力を振るっていましたし。お母さんは親だし、それで、その、Yさん」
弁護士「お母さん、迎えに来てくれたっていうのは」
弁護士「伊藤Sさんと、お母さんは結婚した」
伊藤「はい」
弁護士「貴方の年は」
伊藤「8歳です」
弁護士「暴力は」
伊藤「ありません。しつけくらいに、少し小突く程度です」
弁護士「母と伊藤さん結婚して、貴方自身に、心の変化は」
伊藤「端的に言いますと、自分、心を開けていなかったと思います」
弁護士「Sさんと結婚し、お母さんの叱り方、変化は」
伊藤「Y時代の殴りかけよりも、もっと激しくやられました」
弁護士「なんですか」
伊藤「物を使って殴られ、クラスメイトに痣を見られて、刺青や、ヤクザや、といじめられるようになりました」
弁護士「お母さんは、パチンコに依存していた」
伊藤「当時、母が家を空けていたことしか知らないので」
弁護士「小学校三年から中学一年までの生活は」
伊藤「お母さんから、門限は四時までと決められていて、弟の面倒見るように押し付けられて、家の家事をするようにもなったし。友達とも遊べなくなったし。その代わりに、スイミングを習わしてくれた」
弁護士「お母さんの言っていた借用書は」
伊藤「はい、自分は借りていない、宮城さんからの500万円の借用書です」
弁護士「お母さんの言っていたことで、違うことは」
伊藤「強いて言えば、自分が22歳の時に家を出たきっかけですけど、弟の方、大切にされ、寂しい思いをして、22の時、家を出て、もう帰ってくるなと言われ、ああ、愛されてないんだ、と思いました」
弁護士「お母さんへの思いは」
伊藤「母さんは、ほんとに難しい性格で、難しかった人ですけど、自分、人を殺めてしまったので、お母さんに、申し訳なく思います」
弁護士「少し、事件前のことについて聞きます。弁2号証を示します。これ、貴方の書いたものですね」
伊藤「そうです」
弁護士「完成後、見直した」
伊藤「はい、しました」
弁護士「直したいことはありますか」
伊藤「漢字が違うだけで、大丈夫と思います」
弁護士「言いたいことは、すべて言えた」
伊藤「述べられていると思います、はい」
弁護士「事件前、一番苦しかった時期は」
伊藤「まあ、どれも苦しかったですけど、時期で言えば、平成22年1月のころです」
弁護士「何がありましたか」
伊藤「平成22年の1月に、文夫さんは栄ビルを購入して、解体している時なんですが、文夫さん、良明さんと一緒にご飯を食べている時なんですが、自分の(注・伊藤の)妻子をスナックで働かせる、真島の家で住まわせて働かせると決められてしまい、苦しかったです」
弁護士「貴方の妻子を、働かされることについて」
伊藤「文夫さんにそう言われたことについて、頭で考えるよりも前に、強く、『そんなことできません』と言って、二人から暴力を受けました。その時はまったく痛みを、感じませんでした」
弁護士「その暴行時間は、短かったですか」
伊藤「長いか短いか、解りません」
弁護士「食事は、それからどうなりましたか」
伊藤「とらせてもらえないこともありました」
恐怖と暴力、過労に、飢餓が加わった。松原が伊藤に餅を持って行ってあげたのも、このころだろうか。
弁護士「平成22年、1月の体重は」
伊藤「70キロぐらいと思います」
弁護士「長野に住み始めた時は」
伊藤「平成20年の10月から、長野県に住むようになりました」
弁護士「当時の貴方の体重は」
伊藤「93キロです」
弁護士「急に減ったのは」
伊藤「健康チェックするアプリで、体重をチェックしてました」
弁護士「写真示します。これは」
伊藤「体重を記録するアプリです」
弁護士「同じものですか」
伊藤「はい」
弁護士「88.6キログラムとある。上になるごとに、記録は新しくなる」
伊藤「はい」
弁護士「6ページ目、2009年3月10日~2010年3月12日、一年の体重は、これでわかる」
伊藤「はい」
弁護士「どうして、体重を記録していたんですか」
伊藤「長野県で生活するようになったの、平成20年10月からですけど、服がだんだんぶかぶかになり、貧血も頻繁になり、変だなと思い、記録していくことになりました」
弁護士「貴方の身長は」
伊藤「168センチ」
弁護士「平成21年3月21日から、記録をつけ始めた。平成20年10月に真島の家に来てから、半年後からつけ始めたのですか」
伊藤「はい」
弁護士「4ページ目、2010年3月18日、83キロから86キロに、30日に増えている。これは」
伊藤「元々のサイズに戻そうと思い、必要以上に食事をとったり、それで・・・」
弁護士「平成22年1月というの、貴方、一番苦しいと言っていた」
伊藤「はい」
弁護士「その頃から、文夫さん、良亮さんを殺したいと思うようになったのですか」
伊藤「いえ、もう少し前、平成21年秋ごろです」
弁護士「何があったのですか」
伊藤「自分、自殺をあきらめたころです」
弁護士「その前の思いは」
伊藤「その前は、文夫さん、良明さんがいなくなればいいなと思った頃でした」
弁護士「自殺、諦めた経緯は」
伊藤「一つは、自分が自殺してしまったら、妻子が文夫さんに、捕らわれてしまうんじゃないかなって思ってましたし・・・自殺をしても、何も解決はしないと思ったからです」
弁護士「自殺をしようと思ったのはいつですか」
伊藤「誰かに相談しようとか、考えてたんで、いつというのは、ちょっと、断定できないです」
 今村弁護士は、この日はこれでいったん終わる旨を告げる。15時40分のことである。伊藤は、深々と傍聴席の方に一礼して、被告席に戻った。
 次回公判は、6月18日。弁護人の被告人質問後、検察官、裁判長から被告人質問が行われる。弁護人は、基本的に鑑定人への証人尋問後に、被告人質問を続行したい意向を述べる。
 こうして、控訴審第二回公判は終了し、伊藤は退廷する。私は、退廷する伊藤に「頑張ってください」と声をかけた。伊藤は、「ありがとうございます」と、少しこちらを向いて答えた。そして、出入り口の奥に姿を消した。

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 2016年4月26日、私は再び、武骨な荒々しい窟に足を踏み入れた。
 最高裁弁論から一月も経ていないこの日、伊藤の最高裁判決が予定されていたからだ。
傍聴券は44枚予定されていた。交付の締め切りは14時20分であったが、少し遅れた私も、余裕で傍聴券をもらうことができた。
 とはいえ、この日は、たくさんの傍聴人が来ていた。普通、最高裁判決では10人前後の傍聴人しか来ない。しかしこの日、抽選の時間までに並んだのは17人ほどであり、最終的には22,3人ほどの傍聴人が傍聴に訪れた。随分と多い。少しは、事件の詳細が知れ渡っているのだろうか。そうであってほしい。
 待機場所には、「長野の会」の会長も来ていた。私たちは挨拶を交わし、最高裁判決まで、あまりにも早すぎた、などと話をした。2010年5月下旬に起訴され、最高裁判決が2016年4月26日。起訴から、6年もたっていないのだ。しかし、これでも最近は裁判が「長期化」しているということになるようである。また、最高裁の弁論が3月29日から最高裁判決まで、期間は一月に満たない。これも、異例の短さである。
 また、伊藤の母が傍聴に訪れることも、この時に聞いた。意外ではあったが、そうであってほしいと思った。
 やがて、職員から先導され、第三小法廷へと案内される。
 記者は、14人ほどが傍聴に訪れていた。これも、普段の最高裁と比べ、随分と多い。最前列には、伊藤の母と、伊藤の妻たちが座っていた。私は、伊藤の家族、ことに母の姿を見て、ほっとした。伊藤と疎遠になっていると聞いていたが、やはり、子のことを気にかけていたのか。
 ちなみに、「被害者遺族」は、K・Kを含め、誰一人として傍聴に訪れていなかった。検察官は、「処罰感情」などと口にして、虚しくならないのだろうか?しかし、この日も、「峻烈な処罰感情」を理由に、上告が棄却されるに違いない。
 開廷表には、弁護人として、今村善幸弁護士と、西田理恵弁護士の名前が書かれていた。しかし、この日法廷には、今村弁護士の姿しかなかった。最終判決であるから、弁護人が一人いればいいということなのだろうか。その今村弁護士は、しきりに書類をめくっていた。最高裁判決であり、これ以上、主張を行う場はない。それでも、書類をチェックせずにいられないのは、不安なのか、
 検察官は、依然と同じく野口と言う男であり、柔らかそうな椅子に、深く身を持たせかけ、座っていた。
 職員より、裁判長たちの入廷後、2分間の撮影が行われる旨申し渡される。なぜ、判決だけ撮影する気になっただろうか。
 その後、裁判長たちが入廷した。裁判長は、白髪が後退した、痩せた老人だった。他の裁判官たちは、短髪の老女、白髪を七三分けにした小太りの老人、眼鏡をかけた鷲鼻の白髪の老人、丸顔で白髪が前頭部から頭頂部にかけて禿げ上がった老人の、四人であった。なお、後に今村弁護士から頂いた判決文で確認したところ、裁判長以下五名の氏名は、以下の通りである。
大橋正春裁判長
岡部喜代子裁判官
大谷剛彦裁判官
木内道祥裁判官
山﨑敏充裁判官
 入廷とともに、起立するように言われるが、私は座ったままでいた。弁論の時から起立はしないようにしていた。どうせ、上告棄却するつもりだろうと思っていたからだ。また、裁判官への起立と礼は「慣行」に過ぎないのだが、そのような慣行が、なぜ、未だに続いているのだろう。
 傍聴人が座ると、裁判長は、開廷を宣言する。
「それでは、開廷します」
そして、職員に目をやる。女性職員が、事件名と被告名を述べ、開廷する、とアナウンスを行う。
「それでは、以下のように、宣告します」

理由
 本件は、被告人が共犯者と共謀のうえ、金文夫会長と良亮専務夫妻を殺害し、現金を強取した、強盗殺人、死体遺棄の事案である。
 

 おや、と思った。最高裁判決は、主文朗読から始まるのが、通例である。もしかして破棄差し戻しとなるのか、という淡い期待を、一瞬だけでも抱いてしまった。

 相応に考慮すべき事情もある。しかし 

 ああ、やはり駄目だったか。一瞬前の自分に、唾を吐きかけてやりたい気持ちだった。甘いにも程がある。破棄差し戻しなど、あるわけない。この国の司法に、そのような良心があるならば、そもそも伊藤に死刑判決が下される筈がない。
 ここに入る者、一切の希望を捨てよ。

 内妻殺害は、巻き込まれたもので、考慮すべき事情はない。犯行は冷酷非情であり、結果は重大である。
 共犯者と順次共謀を遂げ、自ら率先して三人殺害に着手し、終始、犯行を主導している。
 よって、つぎの通り判決する。

主文・本件上告を棄却する
以上
 

 2011年に長野地裁の裁判員と、高木順子ら裁判官たちが打ち立てた、新たな基準。加害者の受けた犯罪被害を軽視し、「被害者」の犯罪行為を美化し目を逸らす、新たな時代の基準。それは、わずかな時間で、完璧に確立された。
 これまでの他の事件の裁判でも、そのような基準はしばしば見られた。しかし、今この瞬間、その基準は、完璧に、強固に、確立されたと言えるだろう。
「ふざけるな!」
 朗読が終わるか終らないかに、私は声を上げていた。上告が棄却されてしまうのであれば、何か意思表示をすべきではないか。漠然と考えていたけれども、いざとなると、その言葉は自然に出てきた。
「静粛に!」
 職員が怒鳴りつける。幾人かの傍聴人が、不審そうな顔でこちらを見た。裁判長は、閉廷を宣言し、別の職員は起立を促す。誰が起立などするものか。私は座ったまま、さらに続けた。
「同じ立場になってみろ!!」
 裁判長は法廷に目をくれず、そそくさと退廷した。職員は、又も「静粛に!」と怒鳴る。
自分が伊藤の立場になった時、何ができるのか。そこまで賢い行動をとれるのか。伊藤が受けた犯罪被害に対し、一片の酌量も与える必要がないと言えるのか。そのような言葉が、私の頭の中に渦巻いていた。
 職員たちの刺すような視線を受けながら、私は法廷を後にした。時計を見ると、15時の開廷から、1分ほどしか経過していない。傍聴券を受け取って以来、空疎な儀式で40分ほど拘束された挙句、たった1分の言い渡し。一人の人間の命を奪う宣告は、それで終わる。

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 法廷の外では、今村弁護士が、被告人の母、妻、妻の親族とともにいた。私たちは、何を言えばいいかわからないまま、伊藤の親族に挨拶をする。挨拶を返した時、伊藤の妻は、目に涙を浮かべていた。他の家族も、暗い、沈んだ顔をしている。今村弁護士は、家族の手前もあり、何とか平静を保っている様子だった。しかし、その心中は、いかばかりだっただろう。
 その後、今村弁護士は、記者からの取材を受けていた。取材後は、伊藤の家族とともに、今後の打ち合わせをするらしい。私は、弁護士や伊藤の家族と別れ、歩き出した。横断歩道を渡っている時、瞼の奥が熱くなってきた。

 これで、本当に終わってしまうのか?

 控訴審第二回、第三回公判と順番が前後するが、この傍聴記が先に完成したので、投稿しておく。

 2013年7月16日、午後3時より、伊藤和史の第四回控訴審公判が行われた。
傍聴券は、14時45分に、先着順の締め切り予定であった。しかし、14時38分に、予定の40人に達したのか、傍聴券が希望者へと配られた。伊藤の母と妻も法廷に来ており、傍聴券の交付に並んでいた。「長野の会」の支援者たちも、来ていた。
 この日は、伊藤の精神鑑定を行った鑑定人の、証人尋問を行う予定であった。開廷前、今村善幸弁護士は証人と共に待合室に入り、相談を慌ただしく行っていた。証人は、眼鏡をかけた、白髪交じりの短髪の、50代ぐらいの男性である。スーツ姿であり、生真面目で紳士的な印象だった。
 もう一人の、東京高裁から付いた今村弁護士は、先に法廷内に入って準備をしていた。その後、一度待合室へと入り、今村善幸弁護士や鑑定人と少し話をし、又再び法廷内に戻る。
 私たち傍聴人は、15時となり、ようやく入廷が許された。
 この日、検察官は、水沼から山下純司という、初老の男に代わっていた。全体的に痩せているが、顎は年相応に弛んでいる。髪はやわらかく、眼鏡をかけており、サラリーマン的な印象を与えた。
 伊藤は、どこか不安そうな表情で、入廷した。以前のように長袖の白いジャージの上下を身に着けている。服がないのかもしれない。眼鏡をかけて、髪は丸坊主にしている。一審時と比べ、少し肌の色は良くなり、普通の体格に戻ってきているようにも思えた。
 法廷に入る際、傍聴席の方に深々と一礼した。しかし、この日はK・Kをはじめとした「被害者遺族」は不在であった。これからも、幾度か遺族不在の法廷が開かれることとなる。

 裁判長たちが入廷し、公判が開始される。村瀬均裁判長は、これまで採否を留保していた小林マサト証人を、採用決定した。検察官はこれに同意し、内容の信用性を争う、と述べた。弁護人は、30分ほど証人尋問を行うこととする。
 証人は促されて証言台の前に立ち、宣誓を行い、小林マサトと名前を告げた。伊藤は、証人の方に一礼をしていた。
そして、証人は、前記の記事に書いた通りに証言を行った。

 証人尋問終了後、主任弁護人の今村善幸弁護士が、被告人質問を行うこととなる。10分程度、と述べていた。伊藤は、裁判長に促され、証言台の椅子に座る。証言台の前で、傍聴席の方を向き、一礼をした。
今村弁護士(長野)の被告人質問
弁護人「引き続き、主任弁護人の今村から、話を聞きます」
伊藤「はい」
弁護人「小林先生の話は聞いていましたか」
伊藤「はい、聞いてました」
弁護人「思ったことは」
伊藤「自分は、小林先生作成の鑑定書を何度も読んで、先ほどの小林先生が説明下さったことを聞いて、当時自分の陥っていた状況について、解り易く説明をしてくださったと、良くわかりました。それで、あの、自分が今回作成した上申書の中で、自分が当時陥っていたことに、言っていたんですけども、小林先生の考えている、説明しているというような内容と、よく似たことを、自分は上申書に書いています」
弁護人「書いている」
伊藤「はい」
弁護人「例えば」
伊藤「言葉で言えば、僕は、操り人形という言葉で表現しています」
弁護人「どういう意味で使ったか覚えていますか」
伊藤「時期で言えば、平成20年上旬となります」
弁護人「控訴趣意書,弁二号証、60p、5行目を示します。『私は不満の気持ちを抑えることができず、文夫さんと良亮さんの操り人形になっている気持でした』とある。この部分ですか」
伊藤「はい、そうです」
弁護人「この意味は」
伊藤「この時期に、記載した操り人形という意味合いは、僕が文夫さんと良亮さんの存在や世界を、世界について、頭の中では拒否とか拒絶しているんですけど、僕の体が文夫さんや良亮さんの激しい暴力や拘束により、服従してしまっている状態で、自分の体が勝手に動いてしまっているという状態です」
弁護人「平成21年4月に、操り人形と書いている」
伊藤「はい」
弁護人「この時、初めて自分が操り人形だと感じた」
伊藤「この時期に確信したんですけど、今思えば、操り人形になってしまったというきっかけは、平成20年の10月の頃になります」
弁護人「平成20年の10月に、何があった」
伊藤「平成20年の10月当時、自分は大阪の自宅にいてて、家族と一緒に生活していたわけなんですが、あの、突然まあ、良亮さんから連絡があって、原田さんが逮捕されてしまったと知らされて、原田さんの代わりに僕が長野に来て働けという風なことを強要されたんで、そのことについて、自分は家族から離れたくないっていう思いで、答えに困っていたんですけども、その時に良亮さんが、『お前もあいつみたいになってもええんか』という言葉を言われてしまったので、まあ、その時期から、良亮さんが宮城さんを拳銃で射殺したことですね、その時の状況が頭に思い浮かんでしまって、自分は、その、強い、恐怖心に包まれてしまって、そこから操られていたんじゃないかって思ってます」
弁護人「実際に、貴方が、あいつみたいになってもええんかという風に言われたのは、その時が初めてなんですか」
伊藤「いや、この時は二回目なんですけど、一回目は、平成20年7月21日、良亮さんが宮城さんを殺害した時なんですけども、その時、目の前に宮城さんがいたってことで、『お前もこいつみたいになってもええんか』と言われたことが、一回だけ」
弁護人「そして、先ほどの話だと、操り人形という言葉を、二回使った」
伊藤「はい」
弁護人「もう一つは、どこですか」
伊藤「もうひとつは、平成22年の1月」
弁護人「平成22年の1月」
伊藤「はい」
弁護人「控訴審弁二号証、72P,上から一行目を読みます『私は、真島の家に戻る途中で、再び文夫さん良亮さんの操り人形になると思うと、身も心ももたない思いでした』とある」
伊藤「はい」
弁護人「ここで、貴方が書いた操り人形というのは、どういうつもりで書きましたか」
伊藤「この時期ですと、操り人形という意味は、僕が、文夫さん良明さんの世界から、抜け出したくても抜け出せないような状況で、心身ともに、自分で言うことを聞かせられないっていう状態に陥っていて、肉体的に、精神的に、限界に達しようとしているのか、限界を超えているのか解りませんが、そういう風な状況でした」
弁護人「自殺をあきらめ、殺害決意したのは、平成21年の秋でしたね」
伊藤「はい」
弁護人「自殺諦めたきっかけは、電話で、奥さんの声を聴いたことでしたね」
伊藤「はい」
弁護人「殺害することについて決めた、秋から平成22年までは、心境は」
伊藤「その時の心境なんですけど、自分は、自分は、あの、文夫さんと良亮さんの存在が、完璧すぎたっていうような感じだったので、確実に文夫さん良亮さんの世界から抜け出すためには、文夫さん良明さんは完全に殺害してしまわないと安心ができない、という状況になりました」
弁護人「そういった中で、松原さんから、二人を『一思いに殺してやりたいな』と言われた」
伊藤「はい、そうです」
弁護人「いつごろですか」
伊藤「そう言われたのは、平成22年の2月の10日ごろです」
弁護人「ところでね、自分を鬱病だと感じたことはありませんか」
伊藤「それは全く、全然わかりませんでした」
弁護人「まわりの人から鬱病だと言われたことは」
伊藤「自分が今記憶にあるのは、長野地裁の一審の時に、妻の証言から、えー、この人っていうのは僕の事なんですけど、『この人、病んでるんじゃないかな』という言葉を聞いた時に、ああそうだったんだな、と思いました」
弁護人「奥さんのその証言は、どの時期をさしているんですか」
伊藤「時期で言えば、えー、弁護士さんが質問した内容は、あの、真島の家に住んでから様子が変わってからどうでしたか、という内容だと思います」
弁護人「真島の家に住んでから、奥さんは、貴方が病んでるんじゃないかと思ったということですか」
伊藤「はい」

 検察官からの被告人質問は行われなかった。伊藤は、傍聴席の方に一礼し、被告席に戻った。この日も、硬い、不安そうな表情が多かった。
 これで、証拠調べは終わり、次回に弁論を行うこととなる。9月16日15時に、期日が指定される。この日の公判が終わったのは、15時55分のことだった。
 伊藤は手錠をかけられた後、裁判長に促され退廷する。
 その途中、支援者の一人は「頑張って、これだけ応援しているんだからね!」と、退廷時に伊藤に声をかけた。伊藤は、黙って頭を下げた。私も、「お体に気を付けてください」と伊藤に声をかける。これに、伊藤は二度頷く。
 伊藤は、答えることができない。応援に答えれば、裁判所から注意を受けてしまうからだ。
 そのまま刑務官に促され、扉の奥へと消えていった。

 続いて、検察官の野口による弁論が始まった。野口の口調は、まるでパソコンの製品番号を復唱しているかのように、言葉に意味や意思が感じられないものだった。

 本件上告には理由がなく、速やかに棄却されるべき事案だが、事案を鑑み、若干の意見を述べる。
 弁護人は、事件を起こさない期待可能性がなかったと主張している。被告人が抑圧されていたことは事実だが、身体への物理的拘束はなく、妻と電話で連絡はとっていた。
 平成20年7月に宮城の遺体を遺棄するという犯罪を行っており、何を置いても自首すべきであった。それをせず、文夫親子のもとに身を置いてみすみす状況を悪化させた。
 被告人と松原は、自らの自由意思において、犯行に及んだものである。


 「人でなしめ」
 私は、思わず声に出して言っていた。
 自首すべきであった?自首を望まなかったのも、不可能にしたのも、「被害者」であり、宮城殺害の犯人である金良亮だ!
 伊藤は好きで、金父子のもとに身を寄せたわけではなく、暴力を振るわれ、脅されて同居させられたのである。そもそもの初めから、伊藤の状況を悪化させた原因は、金父子である。一体、この検察官は事件記録をまともに読んでいるのか。それとも、読んでも事件の状況が理解できないのか。

 三人を次々と絞殺し、死体を資材置き場に運んで捨てた。文夫父子殺害の動機は、文夫父子から逃れ、自由になることと、死体の運搬費を奪う目的である。有紀子は巻き込まれて殺害されたもので、いずれの動機も自己中心的である。 

 この事件の判決や検察官の発言を聞くたびに思うのだが、このような司法官僚たちに、国民の自由や人権についての判断を委ねるべきではない。その重要性について、彼らは理屈以外は何ら理解していないであろうから。
 伊藤は日常的に暴力を加えられ、罵倒され、搾取され、殺害すると脅されていた。そのような強制収容所に等しき場所から逃れようとすることの、どこが自己中心的なのか。殺害という方法が間違っているという指摘はあり得ても、迫害者を退け自由になりたいという思いは、間違っていると否定しえない。否定するのであれば、それは基本的人権と人間の尊厳を否定するということだ。

 無防備な被害者の首にロープを巻きつけて首を絞め、4~50分にわたって3名を殺害している。執拗かつ冷酷という他ない。
 平穏な生活を送っていた被害者三人を殺害し、金銭を奪っており、結果は重大である。遺族らの処罰感情は厳しく、全員が被告たちの極刑を望んでいる。
被告人は事件の発案者であり、殺害のための物品を購入するなどして入手し、自らも殺害実行を行っている。被害者らが失踪したように見せかけ、警官や、安否を心配する遺族に、失踪した旨嘘をついており、悪質である。
宮城の死体を物のように扱い、平然と暮らしており、強盗殺人を起こしている。悪質である。
罪責は誠に悪質であり、死刑はやむを得ない。
原審の判決は正当である。弁護人の上告趣意には理由がない
以上


 弁論の時間は、10分にやや満たないものであり、およそ15時25分に終わった。
 今村弁護士の弁論とは逆の意味で、検察官の弁論は異例尽くしだった。どこをとっても、虚しい定型文に満ちており、いくつかの内容は、現実と完全に祖語をきたしていた。検察官が一言を紡ぐたびに、怒りを通り越して失笑が漏れそうになった。
 法廷内を、もう一度見まわす。遺族は一人として、傍聴に訪れていなかった。弁論の間中、検察官の事務的な声は、空席を撫でていたわけだ。
 それにしても、被害者たちが「平穏な生活」を送っていたというのは、恐れ入った。その「平穏な生活」は、伊藤たち被害者を無給で酷使し、幾人もの債務者の人生を破滅させ、自殺に追い込み、奪い取った生活である。それを完全に閑却している。
 宮城の死体遺棄についても同様だ。数年間、死体を物のように放置し、死体のそばで車の改造に熱中していたのは、金良亮である。伊藤は、その良亮に命じられて逆らえず、死体を捨てるのを手伝っただけだ。
 殺人者であり死体遺棄の主犯でもある男から、日々抑圧され、苦しめられる生活を、「平然と暮らしていた」などと形容するのも、あまりにも異様な言葉ではないか。

「双方、これ以上ありませんね」
 裁判長は、今村弁護士に尋ねる。弁論の間、裁判官たちは、机上に置かれた弁論を俯きがちに見ていた。その表情から、思いは読み取れない。
「ありません」
 今村弁護士は、硬い表情で答えた。
「判決期日は追って指定する。終わります」
 裁判長の声とともに、野口検察官は、そそくさと法廷を後にした。その時、初めて表情を見ることができた。どこか不満そうな、面倒な仕事を任せられた、とでも言いたげな表情だった。
 そして、私たち傍聴人も、職員に追い立てられて、法廷を後にした。止まりたいとも思わない。ここも、真島の家とは別の、鬼の窟にすぎない。
 異なるのは、手段と動機だけだ。文夫父子らは暴力で人生を奪ったが、司法官僚たちは、理屈と言葉で生命と尊厳を踏みにじった。金父子らの動機は下劣な欲望であったが、司法官僚たちの動機は、無感覚と二つの「神」への盲信である。
 『ようやく暴力から解放されたかと思えば、今度は宮城からの暴力が始まった。文夫親子からも暴力を受けた。そして、死刑が確定すると、やがてこの国から命を奪う暴力を受けることになるのです』
 伊藤の人生は、鬼の窟を盥回しにされただけで、終わってしまうのか?それが、正義だとでも?伊藤が己や家族を守るために行った行為は、正当防衛や死刑と比較し、そこまで救いがたく邪悪だというのか?
 だが、それでも、私たちには待つことしかできない。

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