伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

雑記

 伊藤和史の上告審判決期日が、4月26日15時に指定された。

 今村弁護士から、「長野の会」に連絡があった。私は数日間メールをチェックしておらず、ついさっきそれを知った次第だ。
 もはや、何も言いたくない。一月に満たない期間で判決が出るのだから、当然上告棄却だろう。
 裁判所はこの数年間、何を見て、何を聞いてきたのか。
 私は二度と、検察や裁判所の正義など、信じることはない。

 司法官僚たちは、自らの犯罪に失敗し、反撃を受けたという理由だけで、その罪をすべて消し去った。そして、伊藤や、金父子から被害を受けた人々の傷や苦しみに目と耳をふさぎ、伊藤たちを死に追いやったのだ。

 先月の2016年1月26日、高橋明彦という被告の最高裁弁論が行われ、3月8日に判決期日が指定された。
 名前を聞いて、事件を思い出す人もいるかもしれない。2012年7月26日に発生した、福島夫婦強盗殺人事件の犯人である。同人の事件を担当した裁判員の一人は、「裁判員として現場写真を見たことで、PTSDとなった」として、民事訴訟を提起した。私は高橋の控訴審を傍聴に行ったが、普段はまばらな仙台高裁の傍聴席は、半分ほど埋まっていた。民事訴訟が大きく報道されたためか、事件自体についても、多少は知られるようになったようだ。
 今回、私がこの事件のことを書いたのは、PTSD訴訟に着目したからではない。その審理期間の短さに、驚いたのである。
 高橋の事件について、時系列に沿って書くと、以下のようになる。
2012年7月26日・・・事件発生
同年8月17日・・・高橋を起訴
2013年3月14日・・・福島地裁で死刑判決
同年11月28日・・・仙台高裁で控訴審初公判
2014年6月3日・・・仙台高裁で控訴棄却
2016年1月26日・・・最高裁で弁論
同年3月8日・・・最高裁での判決。
 おそらく、上告は棄却されると思われる。死刑事件において、起訴から3年数か月で上告審判決まで出てしまうというのは、あまりにも短すぎはしないだろうか。
 ましてや、弁護人たちは、「裁判員がPTSDに罹患しているにもかかわらず、漫然と裁判を進めた」として、訴訟手続きの違反があったと主張している。このような重大な論点を含んでいるにもかかわらず、ひときわ早く、最高裁で判決が出されることになる。
 
 以前、裁判員制度下の平均的な死刑事件上告審期間は、2年数か月となるのではないか、と書いた。しかし、それなりに争点のある被告である、高橋の上告審審理期間は、およそ1年9ヶ月程度である。これからは、争点の少ない事件では1年数か月となってしまうのではないか、と今は考えている。
 およそ10年ほど前は、争点の少ない死刑事件であっても、最高裁の審理には4年以上の時間が割かれるのが普通であった。今のスピード好みから考えれば、同じ国の話とは思えない。

 また、石巻殺傷事件の少年被告人、C・Yの最高裁弁論も、2016年4月25日に指定された。
 少年死刑事件の上告審期間は、長くなるのが通例であった。1992年に発生した市川市一家四人殺害事件のS・Tは、控訴審判決から上告審判決まで5年5ヶ月の審理期間がとられている。また、1994年に発生した連続リンチ殺人事件では、少年三被告の審理期間も、同じく5年5ヶ月である。
 しかし、石巻事件の控訴審判決は、2014年1月31日。控訴審判決から上告審弁論までの期間は、2年3ヶ月にやや満たない程度である。少年であっても、量刑の選択にあたって、熟慮を重ねる時間は特に設けないということか。

 不幸なことに、近年において死刑求刑される事件は、被告人が人間的に救いようがなく、動機に一片の酌量の余地のない事件ばかりではない。その極端な例が、真島事件である。時間をかけさえすればよい結論が出るわけではないだろうが、短時間での結論は、熟慮とは程遠い。

 刑事訴訟法411条は、上告が認められる場合として、「著しい量刑不当」を定めている。懲役刑の事件では、これに該当するとして刑を減軽された例が散見されるし、死刑判決が下された事件であっても、減軽事例はゼロではない。
 たとえ争点が量刑面である事件でも、刑の妥当性を詳細に検討する時間を設けて、しかるべきではないのか。

~追記~
 浅山克己被告の最高裁弁論期日が、2016年4月15日に指定された。
 浅山は、交際相手にストーカーを行い、その家族三人を殺害した。一審、二審ともに死刑判決を受けており、控訴審の判決日は2014年10月1日である。
 控訴審判決から弁論までは、1年半しか経過していないということだ。判決は5月か6月。事件の内容や審理期間の短さを考慮すれば、上告棄却の可能性が、極めて高い。
 二件も続けば、例外とは言えないであろう。やはり争点の乏しい事件では、上告審判決まで1年数か月という期間がスタンダードになるようだ。

 私事多忙のため、更新が滞りがちとなってしまっている。これは、本来であれば今年の初めには書かれているべき記事であった。伊藤や関係者には、申し訳ない次第だ。

 ご存知の方も多いかもしれないが、伊藤和史の最高裁弁論期日が、指定された。
 2016年3月29日である。
 判決は、4月の末か5月上旬ぐらいだろう。控訴審から上告審判決まで、およそ2年2か月。松原よりも、さらに早い判決となる。
 減刑となることを期待したいが、これまでの状況を見るに、とても期待することはできない。何をするべきか、とても思いつかないのが正直なところだ。
 これからは、再審請求を行っていくしかないのだろうが、果たして私は確定後も伊藤と交流を持つことができるのだろうか。伊藤は交流を申請してくれるようだが、東京拘置所が許可を出してくれるかは不透明である。

 2月15日の面会日、伊藤は笑顔だった。
 しかし、内心では死と、それまでの孤独を受け入れる決意を固めていた。身辺を整理し、家族との縁を切るべきではないかと考えているようだった。
『僕のことは忘れて、幸せになってほしい』
 家族について、何度もそう口にしていた。確かに、死刑が確定してしまえば、伊藤は家族のもとに帰ることはできないだろう。伊藤の内妻たちは、これまで伊藤を支えてきた。しかし、伊藤の死刑が確定すれば、死刑囚を身内に持つ苦痛ばかりではなく、帰ることのない夫を待つ現実も、のしかかってくる。それが、伊藤には耐えられないようだ。
『悪いことをした自分が悪い』
 伊藤は、幾度もその言葉を繰り返した。私は、それを耳にするたびに、不条理を感じた。確かに、伊藤の行為は法に反しており、無罪とは言えない。しかし、伊藤を搾取し、傷つけ、死さえも考える心境にさせたのは、金父子たちの犯罪行為である。
 「逃げればよかっただろう」と、裁判官や裁判員、検察官は、得々と判決や論告で述べていた。もちろん、家族にどのような不幸や犯罪が降りかかろうが、構わないというのであれば、逃げることはできた可能性はある。裁判官・裁判員諸氏であれば、法を破るよりも、家族の不幸や死を選んだのかもしれない。
 しかし伊藤にとって、内妻たちは初めて持つことのできた、大切な家族だった。自分自身の命より、大切に思っていたかもしれない。そのような人々を切り捨てて逃げることなど、できなかったのだ。
 付け加えれば、金父子の徹底的な監視や追跡により、逃亡が成功する可能性は、ゼロではないにせよ相当程度低かった。つまり、伊藤の「逃亡」することへの期待可能性、殺害を行わない期待可能性は、金父子たちの犯罪行為自体が、低下させていたのである。 
 
 私が面会室を出るとき、伊藤は、いつものように笑顔で手を合わせていた。
 この笑顔を、あと何回見ることができるだろうか。

 2014年9月2日、松原智浩の上告が棄却された。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140902/trl14090215520003-n1.htm
 
2014.9.2 15:52
 長野市で平成22年に一家3人を殺害するなどしたとして、強盗殺人罪などに問われ、1、2審で死刑とされた水道設備工、松原智浩被告(43)の上告審判決で、最高裁第3小法廷(大橋正春裁判長)は2日、被告側の上告を棄却した。死刑が確定する。1審は裁判員裁判で審理されており、国民が関与した死刑判決について最高裁が判断するのは初めて。

 今年7月末現在で、裁判員裁判で死刑が言い渡されたのは21人で、3人が控訴を取り下げ、1人が上告を取り下げてそれぞれ確定。松原被告を含めた14人が上告していた。

 同小法廷は、共犯に問われた伊藤和史被告(35)が「犯行を主導した」と認定。松原被告は「2人の殺害に自ら手を下し、伊藤被告の相談相手となるなど、本件の遂行にあたって重要で必要不可欠な役割を果たした」と指摘し、死刑とした1、2審判決を支持した。

 判決によると、松原被告らは22年3月24日、建設業の金文夫さん=当時(62)=宅で、金さんと長男夫妻の首を絞めて殺害。約416万円を奪い、遺体を愛知県西尾市内に埋めた。

 1審長野地裁の裁判員裁判判決は23年4月、「刑事責任は誠に重い」として死刑を選択。24年3月の2審東京高裁も支持した。

 共犯者のうち、伊藤被告は1、2審で死刑とされ、上告中。池田薫被告(38)は1審の死刑判決を2審が破棄、無期懲役とし、被告側が上告している。
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 なお、この産経新聞の記事には誤りがある。松原の一審判決年月日は、平成23年3月25日が正しい。

 私は、最高裁判決を傍聴に行かなかった。
 最高裁の公判には、被告人は出廷しない。つまり、傍聴することで被告を勇気づけることも不可能だ。最高裁の判決公判は、まさしく判決を甘受するだけの場である。
 最高裁の判決文は、「三行半」とも仇名される、短く簡単なものであり、朗読は数秒で終わると予想できた。開廷から数秒後には、失望と怒りを沈殿させ、法廷を後にすることも。
 何一つできず、心に毒を注がれるだけならば、最初から行かない方がましである。 
 少し経てば、裁判所のHPで松原の最高裁判決が公開される筈だ。最高裁判決への感想は、それを待って書きたいと思う。
 とはいえ「三行半」であるから、その内容は新聞記事のつぎはぎと大差ないものかもしれない。
 
 私が伊藤和史を支援するようになったきっかけは、松原の控訴審傍聴と面会である。「長野の会」の代表も、松原との交流が、真島事件被告への支援のきっかけとなった。いわば、松原の存在が、支援運動の起点になったと言える。
 松原は被害者たちを殺害したことを非常に悔いており、「正直、恐ろしいけれども、死刑を受け入れるつもりです」と被告人質問で答えていた。被害者たちからの犯罪被害。死刑への恐怖。それらをすべて受け入れ、死をもって責任を取るべきだと考えていたようだ。上告したのは、弁護人の熱意ある説得と、家族のことを考えたからではないか。
 支援活動が始まった当時、事件の真相は十分に明らかになっていなかった。伊藤の公判はいまだ開始されておらず、松原の一審弁護人は事件の真相に、裁判であまり言及しようとしなかった。このような状況であるにも関わらず、支援運動は少しずつ広がっていった。
 松原の人柄があったからこそ、彼が遠慮がちに語る事件の真相は、人々に受け入れられたのである。
 
 松原は、大人しいが、仕事や対人関係などの責任感が絡む局面では、意志が強い。だからこそ、「被害者」たちの犯罪行為に、黙々と耐えていた。家族以外とほとんど交流を持たず、死刑を受け入れる姿勢も、そのような意志の強さの表れだろう。
 今回は、その責任感は、「死刑を受け入れる」という形で表れている。だからこそ、現状では再審請求に消極的だと思われる。
 しかし、どうか家族や弁護人の説得に、折れてほしい。意志の強さを、今この時だけは、曲げてほしい。

 松原の死刑が執行されないこと、生きて拘置所の外に出られることを、心から願っている。 

 松原智浩の最高裁判決が、9月2日に指定された。

 最高裁弁論から、ほぼ一か月半。破棄減刑となるには、あまりにも早い期日指定に思える。
 もちろん、冤罪を主張して最高裁で破棄差し戻しとなり、大阪地裁で無罪判決を受けた、大阪母子殺害事件のような事例もある。この事件の被告は、2010年3月26日に最高裁弁論が行われ、同年4月27日に破棄差し戻し判決を受けた。ちなみに、第一次控訴審判決は、2006年12月15日である。控訴審判決から上告審判決まで、3年4か月。この期間も、長いとは言えない。
 しかし、最高裁がまともな反応を返したのは、証拠が状況証拠のみで、被告が冤罪を主張していたからだ。被告側の主張が取り上げられた例は、死刑事件の場合、無罪主張が殆どである。
 最高裁で、死刑事件の量刑不当が認められたのは、大阪の強盗殺人事件と日建土木事件の二件のみ。破棄差し戻しを受けて無期懲役に減刑された事件はあるが、高裁が被告の防御権を侵害した場合など、法令違反が問題となった場合である。それも、数は多くない。
 松原の判決について、楽観的な考えを抱ければと思う。しかし、現実的に考えれば、それはおよそ不可能だ。
 
 私の推測が外れることを祈りつつ、判決を待つ。

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