伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

裁判員裁判

 2016年12月16日、君野康弘被告の控訴審初公判が、大阪高裁で行われた。君野被告は、被害者1名の事案であり、殺人前科もないが、神戸地裁で死刑判決を言い渡されている。伊能和夫と竪山辰美の最高裁判決以後、死者1名の事案で死刑判決を受け、高裁へと係属するのは、君野が初めてである。村瀬判決、それを受けた最高裁判決のもとで、どのような結果が出るのか。伊藤和史の事件とつながりはないが、傍聴記を掲載することにした。

2016年12月16日
大阪高裁第四刑事部
201号法廷
10時より開始
事件番号・平成28年(う)第425号
罪名・わいせつ誘拐、殺人、死体損壊、死体遺棄
被告人・君野康弘
裁判長・樋口裕晃
書記官・徳永敦

 この日は10時から開廷予定であり、傍聴券の締め切りは、9時35分だった。公判は大法廷である201号法廷で行われるため、傍聴券は57枚と多かった。締め切り時間までに来たのは39人であり、抽選は行われなかった。大阪は、東京と比べて、傍聴希望者が少ない印象である。これが東京であれば、2~3倍程度の倍率となったであろう。
 開廷前に、ビデオカメラによる撮影が、二分間行われた。
 記者席は23席であり、もっとも被告の様子が見えやすい、最前列の二列が割り当てられている。満席となり、法廷画家の姿も見えた。公判中に記者の出入りが見られ、そのたびに法廷の静謐は破られた。なお、公判中に退廷する記者も見られた。
 遺族席は八席ほど指定され、すべて埋まっていた。
 傍聴席はかなり埋まっていたが、開廷中に、傍聴人が小声で私語を行い、度々入退廷を繰り返すことがあった。バーの向こう側はさすがに静かだったが、傍聴席の側は、遺族席を除けば、全体的にざわついていたと言える。
 主任弁護人は、髪が後退した小太りの、眼鏡をかけた中年男性だった。他には、頭頂部の禿げ上がった、穏やかそうな印象を与える老人である、高木弁護人。真面目そうな印象を与える、眼鏡の若い弁護士もいた。
 この日の被告人質問は、主任弁護人と、高木弁護士が担当した。なお、控訴審で争われているのは、主として量刑不当であり、他は猥褻行為を行う意思が、どの時点で生じたのか、のようであった。例え死刑事件であっても、争いの少ない事件の場合、控訴審で3人もの弁護士が付くのは、異例である。例えば、伊藤和史の場合は、控訴審では二人の弁護士しかつかなかった。
 検察官は、眼鏡をかけた、鋭そうな印象を与える、痩せた青年であった。この日は、開廷直前になってから、検察官の隣に遺族代理人の弁護士と、被害者の母が座った。
 樋口裁判長は、髪が後退し、頭頂部の禿げ上がった、眼鏡をかけた初老の男性だった。左陪席の裁判官は、がっしりとした短髪の、眼鏡をかけた中年男性。右陪席の裁判官は、眼鏡をかけたサラリーマン風の中年男である。
 ビデオカメラによる撮影後、遮蔽用の衝立が法廷内に運び込まれた。何事かと思ったが、被害者参加人である被害者の母親が、入廷するらしい。検察官の隣の席が衝立で遮られ、検察官側の出入り口から、被害者の母親が入廷した。調整に手間取っているのか、眼鏡をかけたお局風の裁判所職員が、法廷内をしきりに出入りしていた。被告人は最後に入廷するため、開廷時刻である10時になっても、被告人の入廷は成されなかった。被害者参加人の弁護士は、10時6分に、ようやく入廷した。浅黒い肌の、髪を七三分けにした中年男性だった。

 被告人である君野康弘が入廷したのは、10時8分になってからである。君野は緊張しているのか、やや頬を赤くし、うつむき加減で入廷した。髪を丸坊主にしており、がっしりした体格に、小太りの中年男である。彫の深い顔立ちで、鷲鼻。整った顔立ちと言っていいが、崩れた体格、身にまとう空気が、どこか淀んだ、暗い印象を与えた。
 服装は、黒い厚手のジャンパーの下に、赤い服を着ており、長ズボンをはいている。どれも、余り高級そうではない。なお、服の色が解ったのは、やや皺になった服の裾が、ジャンパーの下から出ていたからだ。
 被告席の前に到着すると、検察官側の席に一礼した。被害者遺族に頭を下げたのだろうか。その後、刑務官に手錠を外されていた。
裁判長「それでは、開廷します。被告人は、真ん中に立ってください」
裁判長に促され、証言台の前に立つ。
裁判長「名前は」
君野「キミノヤスヒロです」
 声は、かすれており、小さかった。そして、たどたどしい話し方である。知的障害を持つ人特有の声に思えた。
裁判長「生年月日は」
君野「昭和41年11月12日です」
ここで、傍聴人が出入りし、よく聞き取ることができなかった。もしかしたら、違っているかもしれない。
裁判長「職業本籍などに、原審と違っている部分はありますか」
君野「ありません」
 これで、人定質問は終わった。裁判長に促され、被告席へと戻る。そして、弁護人が控訴趣旨を陳述することとなった。8月1日付、8日付で、控訴趣意書が提出されている。また、12月8日付で補充書が提出されている。その朗読を行う。5分程度で終わるとのことである。

控訴趣意書要旨
 原審の裁判員裁判は、この被告人に対して「慎重に検討しても死刑を回避する事情はない、死刑選択はやむを得ない、本件の被告人の罪責は誠に重大であって、罪刑均衡の見地からも、一般予防の見地からも、」と述べている。しかし、本件被告人の命を奪うという取り返しのつかない誤判を犯したものであり、原審判決は正義に反する。真に死刑がやむを得ないと、原審の審理を通じて明らかになっていないからである。
 本件は、有罪無罪を争っておらず、無実の人への死刑判決ではない。しかし、死刑に処すべきではない人を死刑に処すという意味で、大きな誤判である。原判決は重大な誤りがあり、答申で是正されるべきである。
1・理由不備であり、事実認定に齟齬がある。
2・量刑理由は、審判を経ていない事実への処罰が含まれている。
この第一第二は絶対的控訴理由に当たる。
3・法令適用の誤りがある。憲法違反の法令を適用している。死刑は憲法に違反している。死刑は残虐な刑罰であり、執行過程、執行方法共に残虐であり、憲法36条、39条に反する。違法な法令を適用したのは、法令適用の誤りである。
4・原審には、事実誤認がある。誘拐の際のわいせつ目的は、被告人にはなかった。
5・量刑不当がある。平成27年2月23日の最高裁判示に照らすと、死刑がやむを得ないとされた理由は、具体的、説得的な根拠が示される必要がある。本件は、これに反している。量刑不当である。第二に、情状鑑定、いわゆる犯罪心理鑑定が成されていない。徹底的な情状、犯罪心理の解明が不可欠であるが、それが成されていない。原判決は、死刑事件についての量刑を尽くしていない。
6・原判決後の情状について、量刑不当である。原判決を受けて、被告人はまだまだ反省が足りないと考えている。被告人は、反省悔悟を一層深めている。写経を行い、冥福を祈っている。また、被告を支える女性がいる。その点も、被告人質問で明らかにしたい。
 以上が控訴趣意書であるが、12月8日付で追加趣意書を提出している。
 日弁連決議を受け、十分に死刑を謙抑的に運営すべきである。
 量刑不当主張の補充。検察官の答弁書への反論。検察官の答弁書は、量刑評議の在り方について、もっぱら述べているが、我々は2月3日最高裁決定に基づいて、刑を検討すべきと考えている。詳しく、検察官の答弁書を批判している。
以上です。

続いて、検察官が答弁書を読み上げる。

検察官の答弁書
 本件控訴趣意は何れも理由がなく、いずれも棄却が相当である。
 事実誤認の主張について。被告人は、面識がない被害者への虚言を用いての誘拐に加え、犯行前のWebサイト履歴からは、性欲を高めている点が見られ、すぐに被害者を殺していることを見れば、誘拐はわいせつ目的であることは明らか。被告人の弁解は不合理である。原判決の認定に誤りはない。
 量刑不当の主張について。両県を考えるうえでのポイント。本件は、特に死体へのわいせつ目的で被害者を殺害しており、猟奇的反社会的である、という動機面。殺害態様が残虐執拗であり、死体損壊の態様も凄惨である、という態様面。被害者は6歳であり、卑劣。犯行結果は重大、猟奇的、社会への不安は大きい。被告の  犯罪性向は根深く、更生は期待できない。これらを併せ持つ事案はない。
 以上、骨子とします。

 双方の陳述が終わり、証拠調べの検討へと移る。
 まずは、弁護人請求の証拠調べについて、検討が行われる。
 弁護人は、3回にわたり、事実取り調べ請求を行っていた。
 第一に、9月28日の事実取り調べ請求では、情状、心理鑑定を求めている。被告人には、発達障害の可能性がある。原審鑑定では、大きな誤りを犯している可能性がある。死刑を課すような事件では、複数の鑑定を参考にすべきである。
 また、証拠検討結果記載書を提出しているが、これは正本が検察官同意により取り調べられれば、撤回する。
 第三、被告人は、原審でも般若心経を写経している。真摯な反省、被害者の冥福の意味を込めて続けており、今は800枚を上回る便箋に写しており、これを一部添付する。
 また、被告人質問を請求している。この内容は、原審後の情状に限り、30分以内に収めるとのことである。
 証拠事実取り調べ書の第二について。
 平成28年の日弁連決議について、証拠を提出。世界の死刑廃止の国際的潮流、冤罪の危険性を踏まえて、死刑廃止を主張している。
 証拠物として、捜査報告書。これも正本が採用されれば撤回する。
 最後に、証拠検討結果記載書。弁護人作成の平成28年12月5日付のもの。平成26年9月4日から11日にかけて、Googleで被告人は2737件のWebサイトを閲覧している。その訪問時間について、立証している。
 弁護人は、以上5点の書証と、被告人質問を請求した。これらの中で、弁護人として最も重要だったのは、心理・情状鑑定の請求であろう。

 これに対し検察官は、書証は12月8日付で請求があった、12月5日付の証拠検討結果記載書のみ同意する。被告人質問は、原審判決後の情状についてのみ、同意する。検察官の意見を受け、さしあたって双方に争いのない、12月8日付請求の書証のみ、採用された。
 弁護人は検察官の意見を受け、般若心経については被告人に引用して質問するので、請求撤回とする。日弁連関係の書証についても、不同意ならば証拠請求を撤回するが、公開されたものであり、自由な証明として参照してほしいとのこと。しかし、情状鑑定の請求については、請求を維持した。

 裁判長は、弁護人が請求を撤回した証拠調べについて、証拠調べ採用を却下する。これは、弁護人としても問題ないであろう。日弁連関係の証拠などは、補強的なものにすぎなかった筈だ。しかし、もっとも重要な請求であったと思われる、鑑定請求についても、裁判長は却下を行った。
 弁護人は、この却下決定に対し、当然ながら異議を申し立てた。これに対して検察官は、異議には理由がない、理由は12月5日付の答弁書で述べている、と述べる。裁判長は、弁護人の意義には理由がないとして、異議を却下した。しかし、棄却を行った当の裁判長に対し、異議を申し立てても、却下されるのは当然であろう。このシステムで、証拠調べの公平性は、担保されているのであろうか?
 そして、双方に行うことについて異論のなかった被告人質問については、採用され、行われることとなった。
 弁護人は30分以内、検察官は、被害者参加人の質問と合わせて、30分間となる。弁護人は、参加人の質問も原判決後の事情に限定してほしい、と裁判長に申し入れ、受け入れられた。弁護人のこの要求は、検察側と被告側の公平と言う観点から、当然であろう。「遺族」とは言うが、法廷内の立場は検察側である。

 現在までのところ、控訴審公判で、新たに証拠調べが行われる証拠は、二点のみという事になる。一点目は、Webサイトの閲覧について記載した、証拠検討結果記載書。二点目は、被告人質問である。一点目は、Webサイトの閲覧は被告人の気まぐれでしかなく、特に犯行に与えた影響はない、ということを立証したいのだろう。二点目は、被告人が反省を深めていることなどを立証し、情状面での酌量を求める考えであろう。

 まず、採用された弁護6号証、12月8日付請求の証拠検討結果記載書について、弁護人から要旨が告げられる。平成26年の9月4日から11日にかけ、被告人はGoogleを閲覧してWebサイト2737件を訪れている。訪問日時、閲覧時間、明らかにしている内容である。
 要旨の告知により、第一の証拠調べは終了した。
 続けて、第二の証拠調べである、被告人質問へと入る。裁判長は、君野を証言台の前に立たせる。そして、質問の受け応えをはっきり聞こえるようにしてほしいと注意する。君野は、「はい」と答え、促されて証言台の椅子に座った。
まず、主任弁護人が、君野への被告人質問を行った。君野は、抑揚のない、小さい声で質問に答えていた。また、あまりはっきりせず、聞き取りにくい。緊張や性格もあるのかもしれないが、知的障害者らしい喋り方も、影響しているように思えた。
  また、質問の趣旨をとっさには理解できていないと思えることもあった。自分の言葉をまとめることが、うまくできない傾向も見られた。
 これらの話し方、表現の拙さは、被告人の内心について、読み取りにくい印象を与えていた。

<主任弁護人の被告人質問>
弁護人『主任弁護人から。今年3月に、神戸地裁で死刑判決御受け手から、九カ月になりますね』
君野『はい』
弁護人『一審、神戸地裁での裁判を一審と言うが、そこで話したことは、貴方の記憶どおりですか』
君野『はい』
弁護人『正直に述べた、ということですね』
君野『はい』
弁護人『一審の判決では、身勝手さ、攻撃性に十分に向き合っていない、と述べている』
君野『・・・そうだと思います』
弁護人『今はどう考えていますか。攻撃性と言うのは、いきなり被害者の首を絞めたり、包丁を持ち出したことを言う』
君野『自分に、やはり、攻撃性、あると思います』
この時は、さらに小声になっていた。
弁護人『それについては、どう考えますか』
君野『・・・』
弁護人『どうですか』
君野『しっかり反省して、そのようなことがないように、これから生きていきたいと思います』
弁護人『判決後の気持ちはどうですか』
君野『酷いことをしてしまい、申し訳ない気持ちが、ますます深まっています』
弁護人『拘置所で、毎日、どのように生活していますか』
君野『写経をしています』
弁護人『ここに、受け取った写経、便箋に800枚ぐらいある。これですね』
君野『はい』
弁護人『誤字脱字なく、一生懸命書いている』
君野『はい』
弁護人『気持ちは、どんな気持ちですか』
この時、君野は答えたが、はっきりと聞き取れなかった。
弁護人『これからも施設の中で、一生にわたり自分のしたことを反省し、被害者、遺族のこと、思い続けていくことに間違いないですか』
君野『はい』

続いて、高齢の高木弁護人による、被告人質問が行われた。

<高木弁護人による被告人質問>
弁護人『高木から、事件後のことについて聞きます』
君野『はい』
弁護人『貴方と、岩国刑務所の服役者と、養子縁組の話が持ち上がっている』
君野『はい』
弁護人『文通をしている』
君野『はい』
弁護人『主に、拘置所』
君野『はい』
弁護人『その理由は』
君野『心の支えになってくれる人が、欲しかったからです』
弁護人『5人と文通している』
君野『はい』
弁護人『相手は、どこで知り合った』
君野『掲示板』
弁護人『掲示板や、紹介を受ける』
君野『はい』
弁護人『その中で、養子縁組』
君野『はい』
弁護人『名前は』
君野『Nさんです』
弁護人『下の名前は』
君野『迷惑がかかるので、勘弁してください』
弁護人『女性ですか』
君野『はい』
弁護人『いつから文通している』
君野『はっきり覚えていませんが、今年の一月ごろと』
弁護人『Nさんの年齢は』
君野『48歳です』
弁護人『貴方の方が年上なので、養親となり、その人が養子になると』
君野『はい』
弁護人『縁組の話が出てきたのは』
君野『今年の三月からです。』
弁護人『判決前後から』
君野『はい』
弁護人『言い出したのは、どちらからですか』
君野『Nさんからです』
弁護人『承諾した理由は?』
君野『心の支えが欲しかったからです』
弁護人『承諾したのは、判決後』
君野『終わってからです』
弁護人『一審の被告人質問の時、まだ話はない』
君野『そうです』
弁護人『縁組届出は』
君野『しました』
弁護人『いつですか』
君野『五月の終わりごろと聞いています』
弁護人『貴方は提出していない』
君野『はい』
弁護人『届け出をしたのは』
君野『Nさんです』
弁護人『市役所に出したのは』
君野『Nさんの本籍地です』
弁護人『受理されましたか』
君野『受理されませんでした』
弁護人『不受理ですか』
君野『はい』
弁護人『いつ解った』
君野『八月の終わりです』
弁護人『理由は解りますか』
君野『解りませんが、本当に養子縁組になればよかったです』
弁護人『疑われてしまった理由は解りますか』
君野『・・・』
弁護人『不明ですか』
君野『解りません』
弁護人『貴方は、養子縁組をしたかった』
君野『はい』
弁護人『Nさんから言ってきたんですね』
君野『はい』
弁護人『気持ちは?』
君野『受刑生活に入ったので、尋ねることができませんでした』
弁護人『服役者とは拘留禁止という事でしょうか』
君野『はい』
弁護人『それで、どうしましたか』
君野『弁護人に尋ねてもらいました』
弁護人『私に聞いた』
君野『はい』
弁護人『どうなっていましたか』
君野『Nさんから、高木先生に、ありがとう。私の家族になって支えていく気持ちには変わりない。高木先生助けて下さい、と』
弁護人『貴方は、養子縁組についてどう考えていますか』
君野『もう一回したい』
弁護人『私が、手紙のやり取りをしていますね』
君野『はい』
弁護人『支えが必要な理由は何ですか?』
君野『・・・平静な気持ちになれないからです』
弁護人『具体的に』
君野『気持ちが乱れる』
弁護人『そうすると、反省してると言っていたが』
君野『はい』
弁護人『ただ、誰か支える人がいないと、平静を保ちにくい』
君野『はい』
弁護人『事件を振り返り、しっかり反省するために、支えが必要と』
君野『はい、そうです』
弁護人『Nさんも、そういう気持ちですね』
君野『はい』
弁護人『終わります』
 10時38分に、弁護人による被告人質問は、いったん終了となった。そして、検察官による被告人質問へと移る。




 2016年11月11日、田尻賢一死刑囚が、死刑を執行された。裁判員制度下で死刑判決が確定した死刑囚として、二人目の執行である。

 私は、死刑廃止論者ではない。なので、死刑制度自体については特にいう事はない。
 勿論、確実に有罪であったとはいえ、田尻死刑囚への死刑判決・執行が正当であったか、という問題は残る。しかし、私は報道や判決文の内容以上は、田尻死刑囚の事件や人格について解らない。私は田尻死刑囚と交流を持ったことはなく、裁判を傍聴したこともないからである。
 ただ、起訴から控訴審判決まで一年に満たない裁判は、余りにも拙速ではないかと思う。また同人は自首をしているが、それは量刑上、汲まれてはいないようだ。果たして、田尻死刑囚の情状は十分に汲まれ、主張を尽くすことはできたのか、疑問は残る。しかしながら、それ以上は何もわからない。
 結局のところ、死刑判決、執行の適否についても、何も言うことはできない。

 しかし、この死刑執行では、一つ異例の事態があった。犯罪被害者支援弁護士フォーラム(VSフォーラム)が、死刑執行について、声明を出したことである。
http://www.vs-forum.jp/wp-content/uploads/2016/11/36f0b7320ec6e82e74d7b3792f1a2e37.pdf
 先月、日弁連は死刑廃止を打ち出した。それに対するカウンターではないかと思われる。しかしながら、そのカウンターのためだけに、わざわざ「死刑は当然である」と声明を出すことに、釈然としないものを感じる。
 この声明の意味は、田尻死刑囚の事件の遺族が、マスコミに乞われて「死刑は当然」などのコメントを出すのとは、全く異なる。遺族のコメントは、感情の発露である。事件内容を考えると、死刑を望むのも当然であろう。しかし、VSフォーラムの声明は、政治的行為である。
 何ら落ち度のない被害者二名を、金目当てで殺害したのであるから、凶悪犯ではあるだろう。しかし、死刑執行が妥当であったとしても、人の死に事寄せて、それを肯定的に扱うことで、政治主張を行う行為には、疑問を抱く。
 なお、同フォーラムが、自らの意見を発信する場を奪われているような事実は、ありえないであろう。

 そして、この声明の主張にも、疑問を抱かざるを得ない。
 第一に、この声明には「確定した死刑判決は、全て正当である」という前提がある。それは、弁護士の態度としていかがなものか。
 声明には、『死刑判決は極めて凶悪で重大な罪を犯した者に対し、裁判所が慎重な審理を尽くした上で、言い渡されています』とある。この文が、「確定した死刑判決は、裁判所が審理を尽くしたものであるがゆえに、疑義をさしはさむ余地がない」という意味にしか読めない。
 80年代に、免田事件、財田川事件、島田事件と、死刑確定した人々への、再審無罪が相次いだ。そして、近年には袴田氏に再審開始決定がなされている。確定した死刑判決が不当なものである可能性は、否定できないのではないか。
 そして、有罪であるとしても、その判決が必ずしも正当ということにはならないであろう。随分と昔の話ではあるが、恩赦により死刑から減軽された死刑囚も、存在する。近年は個別恩赦も行われていないが、むしろ、それこそが異常な事態なのではないか。
 声明を書いたのは、犯罪被害者支援に携わっているとはいえ、弁護士である。冤罪の可能性に目を向けず、最高裁判決の正当性に疑念をさしはさまない態度は、いかがなものだろうか。
 また、「被害者支援」の立場に立つとはいえ、「確定判決は正当であり、確定すれば執行しかない」といった物言いは、いかがなものか。裁判で、事件前の情状、あるいは事件後の情状がろくに考慮されない事例は、しばしば存在する。そのような事例も存在するからこそ、執行前の審査が必要なのであり、恩赦制度も存在するのではないか。
 そして、被害者側の犯罪行為が事件原因となっている場合、そもそも「被害者」が犯罪加害者であった場合にも、被告への死刑が正しいと無条件に肯定するのか。
 もちろん、私は伊藤や松原、あるいは、数は少ないが、他の「被害者」に追い詰められて事件を起こした死刑囚を念頭に、書いている。

 なお、同フォーラムは、竪山辰美への東高裁判決に対し、以下の声明を出している。
http://www.vs-forum.jp/proposal/479.html
 東京高裁判決については、「審理を尽くした」とは考えていないのだろうか。また、竪山の無期判決は最高裁で確定したのだが、これは支持するということか。

 第二に、この声明は再審制度や恩赦制度の意義を踏みにじっているのではないか。
 この声明には、『法律に従い、執行されるのは当然のことであり、執行に反対することは法律を遵守しなくても良いと述べていることと同じことです』という文もある。
 しかしながら、死刑囚の有罪に疑問がある場合、一部でも無罪の可能性がある場合、量刑があまりにも不当である場合にも、ただ執行すべしと言うのだろうか。そのような場合のために、再審、恩赦といった制度があるのだ。
 法務大臣は再審には関与しないとはいえ、判決の事実誤認を頭の片隅に入れ、執行を審査するのが当然ではないか。また、恩赦は法務大臣も審査に加わるものである。
 法務大臣の死刑への関与の在り方は、「ただ執行すればいい」というものとは、全く異なっている。「死刑が確定したから」「法務大臣は死刑を執行せねばならないから」という理由から、機械的に執行を勧めれば、執行すべきではない人間、冤罪の人間も、機械的に死刑執行されることになるであろう。
 そして、恩赦や再審を行使することもできず、執行されてしまった場合、その執行を非難するのは当然のことだ。
 「法律の遵守」というが、VSフォーラムの声明に従えば、再審請求、恩赦、と言った法制度は、絵に描いた餅となってしまうのではないか。

 第三に、「死刑執行」が法務大臣の義務であるか否かは、議論があるところである。
 「確定から六カ月以内に執行をしなければならない」という刑事訴訟法475条第二項の条文は、訓示的規定であり、法的拘束力を持たないと東京地裁で判決が出されている。また、平成27年7月31日の国会で、安倍総理は答弁書で、次のように答えている。
 『刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)第四百七十五条第二項本文においては、死刑の執行の命令は判決確定の日から六か月以内にしなければならない旨が規定されているが、これは、一般に、訓示規定であると解されており、六か月以内に死刑の執行の命令がなされなくても、裁判の執行とはいえ、人の生命を絶つ極めて重大な刑罰の執行に関することであるため、その執行に慎重を期していることによるものであって、違法であるとは考えていない』
 「死刑執行」という結末をあらかじめ決定し、機械的に決定するのであれば、「執行に慎重を期する」理由など、無いのではないか。死刑執行に前向きと思われる現政府ですら、一応は執行に慎重を期する必要性を、認めてはいる。
 結局、この条文は、法務大臣に死刑執行を命じているとは解されないのではないか。少なくとも、執行の必要性を検討し、その間に執行が止まること、機械的な執行を行わないことを、許容しているとは取れるのではないか。

 最後に。
 VSフォーラムは、これから先も、死刑執行の度に同様の声明を出し続けるつもりであろうか。しかし、冤罪の疑いの濃い死刑囚が、執行される可能性もある。伊藤たちのような、「被害者」から追い詰められた者が、執行をされる可能性もある。
 また、大山清隆のような、遺族が死刑を望んでいない死刑囚も、執行される可能性がある。
 そのような執行に直面した時、VSフォーラムは、やはり同じ声明を出すのだろうか。

 2015年12月18日、津田寿美年と若林一行の死刑が執行された。

 昨年の話であり、前々回の死刑執行でもある。我ながら、「今更ながら」という感じもする。しかし、私にとって、津田の執行が未だ生々しい記憶だということも、事実だ。両名の裁判を傍聴したことがあったが、ことに津田の裁判は、強い印象を残していたからである。
 また、津田は裁判員裁判で死刑が確定した死刑囚では、初の死刑執行だ。伊藤や松原も、裁判員裁判で死刑判決が出た被告である。死刑執行についても、どうしても連想してしまう。その意味でも、この執行は、気が重かった。伊藤の死刑が確定した現在では、より心に重くのしかかってくる。

 報道では、津田の「裁判員制度下で初の死刑執行」という要素からか、若林はほぼ忘れ去られている。このブログは、裁判員裁判についても言及するつもりであり、与えた印象は、津田の方が鮮烈でもある。よって、私の記事も、津田の件についての記述となる。

 津田の執行についての報道の中で、『裁判員の精神的ケア』の問題が、またもクローズアップされている。
しかしながら、これは裁判員をお客様扱いしすぎてはいないか。裁判員が、自らの結論に責任を持つ当事者であるという視点が、完全に抜け落ちている。「ケア」と簡単に言うが、どうケアをするのか。判決は間違っていなかったと、裁判員に言い聞かせるのか。自らの下した判決の重みを受け止めることも、裁判員としての責務ではないか。
 なお、伊藤の最高裁での死刑確定時の報道によれば、真島事件を審理した裁判員たちのうち、裁判所によるカウンセリングなどの支援を受けた者は、一人もいないようである。

 まず、津田の事件の概略について、記述しておく。
 2009年6月、津田寿美年は、自分の暮らすアパートの大家と、その親戚二人の合計三人を、刃物で刺して殺害した。
 津田は、殺害された一人である大家の弟のYと、長年にわたりトラブルを起こしてきた。発端は、津田によれば、Yが周囲の迷惑を顧みずに騒音を立て、批判をすれば恫喝的な態度をとってきたことだった。大家と殺害された親戚は、このYの言動をたしなめることはなかったとのことだ。この津田の主張に沿う内容を、証人として出廷したアパートの住人が証言している。同証人の言葉によれば、津田よりもYの方に恐ろしさを感じていた、とのことである。
 ただ、津田も暴力的な人間であった。凶悪犯罪による長期服役の経験こそないが、粗暴犯による短期の服役を繰り返している。また、Yと口論になり、Yを殴打して視力を低下させたことがあった。しかし、アパートに入所して以来、Yとのいざこざで暴力をふるった以外は、住人とトラブルを起こさず、一応大人しくルールを守り生活していたようである。

 まず、この裁判が冷静に行われたか、強い疑問符が付いた。この裁判には遺族が参加し、検察官席の衝立の後ろに座っていたのだが、被告が発言するたびに、何かを呟いたり、メモを乱暴に破り捨てたりしていた。嗚咽が響き渡ることもあった。
 また、遺族は検察官を通じ、被告側に有利な証言をした証人にまで、冷ややかな質問を行っていた。証人は、津田と同じアパートの住人であった。顔見知りであり、津田の減刑嘆願の署名を集めたこともあったようだ。遺族の意を受けた、検察官による証人尋問の部分を抜粋する。
検察官「Sさんに、被告人に馬乗りになって刺される夢を見て、怖くて仕方がないとは言っていませんか」
証人「全くの嘘!」
検察官「被告人と仲良くしていたのは、自分の身を守るためだとは言っていないか」
証人「いいえ!」
検察官「怒らせると何をするかわからないから、食事を作っていた、とは言っていませんでしたか」
証人「いいえ!」
検察官「あんな恐ろしいやつを入居させるなんて、とは言っていませんでしたか」
証人「いいえ!」
 もちろん、裁判を傍聴しただけでは、住人間の関係の細かい部分までは、十分に解らないだろう。しかし、証人が津田を恐れていたのであれば、津田に有利な証人として出廷したり、減刑嘆願の署名を集める必要は、全くないのではないか。ただ、津田が死刑になるのを待てばいいのだ。

 このような状況で、果たして裁判員は、冷静な判断ができたのだろうか?少なくとも一部の裁判員については、審理時の態度に疑問符が付いた。裁判傍聴記から、一部抜粋しよう。

 2011年6月7日の横浜地裁における公判。この日は被告人質問であり、審理の後半では、裁判員による被告人質問も行われた。
 眼鏡をかけた中年男性の裁判員が、質問した。
裁判員『あのー、今までのあなたの話を聞きますと』
津田『はい』
裁判員『あなたは、人を敵か味方に明確に区別して』
津田『ええ』
裁判員『敵から攻撃があれば、やり返すと』
津田『はい』
裁判員『そういう考え方でしたね』
津田『はい』
裁判員『今も変わりは』
津田『ないと思います』
裁判員『そうすると、つまり、最初に義明さんを刺したとき、明確に殺意をもって殺したのではないんですか』
津田『(聞き取れず)その、原因がわからないんです。殺意はないと思うんですよ。はっきりと言えませんけど』

 この裁判員は、質問時に薄笑いを浮かべていた。被告人への侮蔑を宿した、見ていてゾワゾワする笑みであった。
 まず、質問からして被告人の人物像に強い予断を抱いていたことが伺わせる。また、「被告人の攻撃性ゆえに」殺意を持っていた、という強い予断を抱いていたこともうかがわせるものだ。

 被告人質問の終わりごろ、質問を行ったのは、1番の眼鏡をかけた太った青年の裁判員だった。裁判員は、被害者3人のうち、長らく確執があったYさんを殺害した時のことについて、質問した。
裁判員『弟のYさんの部屋に入った時に、Yさん、(犯行時は)寝ていたんですよね』
津田『それは、うっすらの感覚ですよ。うっすらとした』
裁判員『横になってたんですよね』
津田『と思います』
裁判員『あなたにとって、寝込みを襲うっていうことは、どう思っています?』
津田『その行為ですか』
裁判員『はい』
津田『卑怯ですね』
裁判員『卑怯なことだと思いますか。解りました』
 「卑怯な被告人」を糾弾しようという意図以外、感じることはできない質問だった。
 ちなみに、この裁判員は記者会見で『控訴しないでほしい』と発言している。また、津田の控訴取り下げ時には、『あれだけ考えて出した結果なので、受け入れてもらえてほっとしている』とも述べている。
 しかし、このような態度で、「一生懸命審理した」「公正な態度だった」と自信を持って言えるのか。いや、このような態度でなくとも、上訴すべきではないというのは、あまりにも傲慢な発言ではないか。さらには、控訴取り下げ時には、『被告には、これで終わりではなく、公判で話していた写経を刑が執行されるまで続け、被害者の供養に勤めてもらいたい』とまで、注文を付けていた。
 よほど自分の審理に自信があったのか、異例の口出しだ。死刑を出すのに悩んでいたのであれば、ここまで平然と被告人に要求を突き付けることが、できるのか。

 このような審理に、津田がどのような思いを抱いたかは解らない。弁護人によれば、本人は死刑判決にも落ち着いた様子で、『覚悟していました』と述べていたようだ。控訴取り下げには弁護人も驚いており、誰とも話し合うことなく、一人で決めたようである。
 私にとって、津田への死刑は、今のところは不当と言い切ることはできない。津田自身、死刑に納得していたのかもしれない。
 だだ確実に言えるのは、津田は公正な審理を受けたとは言えなかった。裁判員には、人の生を左右する者としての慎重さ、自らを省みる姿勢など、なかったように思える。
 津田の生は、そのような法廷で、終焉を宣告された。

IMG_0001

 先月の2016年1月26日、高橋明彦という被告の最高裁弁論が行われ、3月8日に判決期日が指定された。
 名前を聞いて、事件を思い出す人もいるかもしれない。2012年7月26日に発生した、福島夫婦強盗殺人事件の犯人である。同人の事件を担当した裁判員の一人は、「裁判員として現場写真を見たことで、PTSDとなった」として、民事訴訟を提起した。私は高橋の控訴審を傍聴に行ったが、普段はまばらな仙台高裁の傍聴席は、半分ほど埋まっていた。民事訴訟が大きく報道されたためか、事件自体についても、多少は知られるようになったようだ。
 今回、私がこの事件のことを書いたのは、PTSD訴訟に着目したからではない。その審理期間の短さに、驚いたのである。
 高橋の事件について、時系列に沿って書くと、以下のようになる。
2012年7月26日・・・事件発生
同年8月17日・・・高橋を起訴
2013年3月14日・・・福島地裁で死刑判決
同年11月28日・・・仙台高裁で控訴審初公判
2014年6月3日・・・仙台高裁で控訴棄却
2016年1月26日・・・最高裁で弁論
同年3月8日・・・最高裁での判決。
 おそらく、上告は棄却されると思われる。死刑事件において、起訴から3年数か月で上告審判決まで出てしまうというのは、あまりにも短すぎはしないだろうか。
 ましてや、弁護人たちは、「裁判員がPTSDに罹患しているにもかかわらず、漫然と裁判を進めた」として、訴訟手続きの違反があったと主張している。このような重大な論点を含んでいるにもかかわらず、ひときわ早く、最高裁で判決が出されることになる。
 
 以前、裁判員制度下の平均的な死刑事件上告審期間は、2年数か月となるのではないか、と書いた。しかし、それなりに争点のある被告である、高橋の上告審審理期間は、およそ1年9ヶ月程度である。これからは、争点の少ない事件では1年数か月となってしまうのではないか、と今は考えている。
 およそ10年ほど前は、争点の少ない死刑事件であっても、最高裁の審理には4年以上の時間が割かれるのが普通であった。今のスピード好みから考えれば、同じ国の話とは思えない。

 また、石巻殺傷事件の少年被告人、C・Yの最高裁弁論も、2016年4月25日に指定された。
 少年死刑事件の上告審期間は、長くなるのが通例であった。1992年に発生した市川市一家四人殺害事件のS・Tは、控訴審判決から上告審判決まで5年5ヶ月の審理期間がとられている。また、1994年に発生した連続リンチ殺人事件では、少年三被告の審理期間も、同じく5年5ヶ月である。
 しかし、石巻事件の控訴審判決は、2014年1月31日。控訴審判決から上告審弁論までの期間は、2年3ヶ月にやや満たない程度である。少年であっても、量刑の選択にあたって、熟慮を重ねる時間は特に設けないということか。

 不幸なことに、近年において死刑求刑される事件は、被告人が人間的に救いようがなく、動機に一片の酌量の余地のない事件ばかりではない。その極端な例が、真島事件である。時間をかけさえすればよい結論が出るわけではないだろうが、短時間での結論は、熟慮とは程遠い。

 刑事訴訟法411条は、上告が認められる場合として、「著しい量刑不当」を定めている。懲役刑の事件では、これに該当するとして刑を減軽された例が散見されるし、死刑判決が下された事件であっても、減軽事例はゼロではない。
 たとえ争点が量刑面である事件でも、刑の妥当性を詳細に検討する時間を設けて、しかるべきではないのか。

~追記~
 浅山克己被告の最高裁弁論期日が、2016年4月15日に指定された。
 浅山は、交際相手にストーカーを行い、その家族三人を殺害した。一審、二審ともに死刑判決を受けており、控訴審の判決日は2014年10月1日である。
 控訴審判決から弁論までは、1年半しか経過していないということだ。判決は5月か6月。事件の内容や審理期間の短さを考慮すれば、上告棄却の可能性が、極めて高い。
 二件も続けば、例外とは言えないであろう。やはり争点の乏しい事件では、上告審判決まで1年数か月という期間がスタンダードになるようだ。

↑このページのトップヘ