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 『奇岩城』
 昨年に物故された、ノンフィクション作家の佐木隆三氏は、最高裁の外観をそのように評していた。
 しかし、私は、この建物が、山奥の窟のように思えて仕方がなかった。その外観は、荒々しく冷たい、むき出しの岩肌のようだ。城と言うにはあまりにも優美さに欠け、「建築物」らしさも備えていない。そして、普段めったに扉を開かず、中の人々が何を行い、考えているのか、窺い知ることはできない。その得体の知れなさも含め、窟を彷彿とさせた。
 私がこの日、窟の門前に並んだ理由は、伊藤和史の最高裁弁論を傍聴するためだ。なるべく先延ばしになってほしいと願っていた日が、ついに来てしまった。結論は解りきっている。そのため、行きたくない思いもあった。しかし、伊藤を放り出して部屋に篭っているわけにはいかない。目をそむけたとしても、現実はなくならないのだ。それならば、少しでも、伊藤の行く先について行くべきではないかと考えた。
 開廷は15時からの予定だったが、先着順の傍聴券交付が実施されており、14時少し過ぎから並ばざるを得なくなった。とはいえ、14時30分の締め切りまでに列に並んだのは、45枚の傍聴券に対し、15人に過ぎなかった。
 この日、法廷には、『長野の会』のメンバーが顔を見せていた。また、伊藤の妻や、そのご家族も傍聴に訪れていた。伊藤は妻のことを思い離婚しようとしているが、妻は、伊藤を見捨てられないようだ。
 それにほっとすると同時に、鉛を飲んだような重苦しさを感じた。伊藤は、相手の幸せのために、妻たちと別れようとしている。だからこそ、妻とその家族は傷つくだろう。伊藤の優しさ、想いの強さを理解しているほど、その後悔と苦痛は強くなる。
 そして、彼女らと別れれば、伊藤に帰る場所はなくなる。全くの孤独になってしまう。

 14時30分に裁判所内に案内されてからも、松原の時と同じ儀式の繰り返しだった。身体検査と案内の繰り返し。14時50分ぐらいに、ようやく入廷し、傍聴席に座ることが許された。
 ちなみに、法廷前の開廷表によれば、最高裁の裁判官は、大橋、岡部、大谷、木内、山﨑の5人である。検察官は、野口と言う男であった。書記官は、横川、中溝の二人と記載がある。
 弁護人は、一審から伊藤の弁護人を務めてきた、今村弁護士だった。もう一人、西田という3~40代の女性弁護士が、座っていた。
 対する野口検察官は、後頭部の薄くなった、眼鏡をかけた太り気味の、初老の男だった。
 最高裁ではあらかじめ、傍聴席を挟む形で、記者席のブロックがしつらえらえている。
 傍聴人たちは、傍聴席に座ることが許されてすぐに、職員から「裁判長たちが入廷したら起立するように」など、注意事項を申し渡される。
 座ってしばらくしていると、弁護人と検察官の差異が目立ってきた。弁護士たちは、神経質に思えるほど、書類を何度も確認している。その表情は険しく、どこか悲壮な様子でもあった。たいして、検察官は、ただ椅子にぼーっと座っているだけだ。

 被告人は、原則として最高裁の法廷に出頭できない。そのため、伊藤の姿は最高裁の法廷になかった。
しかし、いなかったのは伊藤だけではない。この日、「被害者遺族」は、誰一人として傍聴に訪れていなかった。
 これは異例の事態だ。被告人の出廷しない最高裁の公判、遠隔地の事件であっても、通常、被害者遺族は必ず裁判所に姿を見せる。武富士放火殺害事件、光市母子殺害事件といった、青森県や山口県などの遠隔地の事件でも、時間と距離を顧みず、必ず傍聴に訪れる。それは、被害者への思いの深さの表れだろう。悲劇の行く末を見極め、事件に区切りをつけて、人生を復元しようとしているようにも思える。
 しかし、その「被害者遺族」が法廷に不在であることは、何を意味するのであろうか。そもそも、高裁段階から、遺族は金文夫の甥であるK・K以外傍聴に訪れず、そのK・Kも不在であることも多かった。
 マスコミ向けに、積極的に被告たちの死刑を訴えていたK・K。一審の公判では、ボキボキと拳を鳴らして被告席や傍聴席を威圧していたK・K。伊藤の母の涙に、満足そうな笑顔を浮かべていたK・K。そのK・Kさえも、この法廷には居ない。
 この公判では、「遺族の処罰感情は峻烈である」という類型的な文言が、空の遺族席に虚しく漂うこととなる。

 15時ごろ、裁判官席付近の扉から女性職員が出てきて、「間もなく開廷します」とだけ告げて、すぐに扉の奥へと引っ込んだ。そして、裁判長たちが入廷した。裁判長は額と頭頂部の禿げ上がった、眼鏡をかけた白髪の老人だ。どこか茫洋とした印象を与える顔立ちだった。裁判官たち四人も入廷したが、殆ど印象に残っていない。入廷してすぐ開廷が宣せられたからである。
「開廷します」
 裁判長の言葉とともに、職員が、伊藤の公判を開廷する旨、告げた。
裁判長「弁護人は、上告趣意書に記載された上告趣意を陳述しますか」
今村弁護士「はい、陳述します」
裁判長「上告趣意に、補足する点がございますか」
今村弁護士「はい」
そして、今村弁護士は立ち上がり、弁論を開始した。

 本日は、今村と西田が出廷しており、今村が弁論を述べます。論点は三つであり、時間は十五分ほどを頂きます。
第一・期待可能性がないこと
 原審裁判所は、伊藤さんが文夫親子の命まで奪うこともやむを得ないような、命の危険にさらされるほど極限状態ではなく、殺害以外の方法をとる余地もあったと認定している。
しかし、それは事後的な考察であり、逃げられない心理状態を歯牙にもかけない判断を下している。
短絡的に殺害を決意したわけではない。宮城から生命の危険を感じるほどの暴力を、度々受け、文夫親子の支配に移る時点ですでに心身ともに極限状態であった。
 宮城の暴力へ何とか対応できなかったのかと考えられるかもしれないが、継父や実母から虐待を受けるという不遇な生い立ちから、暴力により合理的な判断を放棄してしまう「学習性無気力」となった。そのため、宮城の暴力に耐えるしかなかった。
 (注・金良亮が、宮城を殺したため)伊藤さんの支配権が文夫親子に移り、宮城殺害直後に(注・良亮から)言われた「お前もあいつみたいになってもええんか」という言葉が、条件反射となり、宮城と同じく殺されるのではないか、と恐怖に襲われるようになった。
 文夫親子の日常的暴力により、完全に精神を支配されただけではなく、ことあるごとに良亮から言われた「お前もあいつみたいになってええんか」という殺害を示唆する脅しにより、伊藤さんの思考は無力化していった。伊藤さんは、当時の状況を、文夫親子の操り人形のようであったと述べている。
 文夫親子による日常的な理不尽な暴力、良亮による殺害を示唆する言葉による支配、一日平均3時間の睡眠時間、長時間労働(注・もちろん給料など支払われていない)が加わり、伊藤さんの意識は朦朧としていった。
 伊藤さんの体重は、平成21年3月から平成22年3月にかけて13キログラム以上も激減している。宮城の支配に比べ、文夫親子の支配の苛酷さを物語っている。
 徹底的に追い詰められた末の犯行である。

第二・被害者らの落ち度について
 原審は、有紀子を巻き込んで殺害実行を決意し、実行した点をとらえ、犯行の経緯や動機に酌むべき事情があるとしても限度があるとしたが、過去の判例や裁判例は、そのように被害者の落ち度を捉えていない。死刑求刑に対して無期懲役が下された事件もあるが、これには落ち度のない被害者が巻き込まれた事件も含まれている。


そして、今村弁護士は、以下の五事件をあげた
1・暴力団組長ら三人射殺事件。
2・ロボトミー殺人事件
3・つくば母子殺害事件
4・茨城会社社長夫婦殺害事件
5・栃木連続殺人事件
 その弁論自体は賛同するが、有紀子が何の落ち度もない、つまり、文夫親子の犯罪と無関係だったとは、到底思えない。有紀子は、金父子が金融業として登録する際に、名義貸しを行っている。また、被告人の一人である池田に、内妻の堕胎を迫っている。どう考えても、文夫親子の犯罪を知り、それを容易にすべく動いており、犯罪によって利益を得ているとしか思えない。また、彼女が文夫親子の犯罪と無縁の人間であれば、伊藤たちを拘束し、文夫親子を援助する危険もなかったのだから、殺されることもなかったのではないかとも思える。
 検察はろくな捜査も行わず、「被害者遺族」も、文夫親子の犯罪の実態を隠そうとしたと考えられる節もある。そのため、有紀子の関与については、厚みのある立証ができなかったようだ。ならば、いっそ言わない方が良いと判断したのか。それとも、上告趣意書には多少なりとも言及があるのか。
 ともあれ、有紀子=天使という図式に疑問をさしはさまなかったのは、残念ではあった。弁論は続く。

 被害者の落ち度は、被害者の被侵害法益のみを減少させると捉えるべきではない。過去の判例や裁判例では、非難可能性が減少されることで、量刑上斟酌されている。
 重要なのは、被害者または被害者に関わりがある者の言動等が起因となったか否かである。
 

そして、弁論は最後の論点に差し掛かる。今村弁護士も、心なしか声に力を込めたようであった。

最後に。
 私は長野地裁から弁護人を務めておりますが、一審から、死刑制度は違憲であるとの主張を述べていません。それは、死刑を合憲であると考えているわけではなく・・・
 

 ここで、今村弁護士は、下を向いた。暫しの間、沈黙する。それは、こみあげてくる思いを、必死に堪えているようでもあった。

 ・・・この事件は、そもそも憲法問題ではないからです。 

 明らかに、声が上ずっていた。今度は絶句することなく、何とか弁論を続ける。

 写真というものは解り易いものです。伊藤さんの体に残った傷を写した写真をご覧になったでしょうか。伊藤さんの体には様々な傷が残っています。
 宮城からビールジョッキで殴られた後頭部の傷、硝子の破片で刺された左腹部、包丁で刺された左腿の傷です。腹部からは腸が出てくるほどの重傷を負ったが、家族への報復を心配し、伊藤さんは医師の指示に反して緊急運搬された病院を退院しました。
 宮城からの暴力は、文夫親子とは無関係と思うかもしれません。しかし、良亮が宮城を射殺したことが架橋となり、宮城の支配から文夫親子の支配に移行しただけである。伊藤さんへの支配は変わっていません。むしろ伊藤さんは、文夫親子からの精神的な支配の方が苦痛だったと述べています。
 文夫親子の拘束は殺害時まで続いており、殺害しなければ、伊藤さんへの拘束は続いていたでしょう。


 補足すれば、金良亮は宮城の手下として伊藤を脅していた。そして、宮城が伊藤から搾取した金の分け前にも預かっていた。いわば、宮城の暴力を利用して利益を得ていたのであり、宮城が生きていた時から、実質的に伊藤に暴力をふるっていたと言って良いだろう。

 今村弁護士は、鼻をすすった。泣きそうになるのを必死に堪えている様子だ。ほぼ六年、伊藤に付き添い、裁判を闘ってきた。伊藤の受けた被害も、その苦痛と恐怖も知っている。そして、妻たち家族を除けば、伊藤という人間を一番よく理解している人間に違いない。しかし、その伊藤のために今村弁護士ができることは、あまりにも限られていた。

 東京高裁は、次のように判示しました。『被告人は、相当の期間にわたり、文夫親子から頻繁に暴力的な扱いを受けたり、良亮から繰り返し殺害を示唆されながら、長時間労働を強いられ、生活も拘束され、家族ともほとんど会えない状況が続いたことから、心身ともに疲弊し、耐え難い心境になり、文夫親子から解放されて家に帰りたい思いを募らせ、文夫親子への殺害を決意したものと認められる』
 このような犯行時を認定したうえで、判決が死刑となった例があるか。伊藤さんは、家族との生活と言う人として至極当たり前の自由を取り戻すために、この事件を起こしたということを想像してみてください。
 『生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い』
 最高裁大法廷で、死刑合憲とされた判決文での言葉です。
 私は、最近では最高裁で死刑が無期に減刑されることがなく、本件が上告棄却されるだろうことを知っています。松原さんの死刑が確定している以上、この裁判は消化試合だとか、敗戦処理だと揶揄されもします。
 しかし、伊藤さんの命が地球より軽く考えられていないか、今一度考えて頂きたいのです。
 伊藤さんは幼少期、実母から暴力を受けていた。少年期には、継父から。ようやく暴力から解放されたかと思えば、今度は宮城からの暴力が始まった。文夫親子からも暴力を受けた。そして、死刑が確定すると、やがてこの国から命を奪う暴力を受けることになるのです。
 人は誰も暴力を受けるためにこの世に生を授かったのではありません。死刑という暴力が伊藤さんにとって本当にふさわしい刑なのか、死刑が正しい選択なのか、どうかもう一度考えてください。


 今村弁護士の弁論は、15時15分に終わった。
 より論理構成が精緻な弁論はあるだろう。より長い弁論も、細かく論点を提示していく弁論もある。しかしそれでも、最高裁における最良の弁論の一つではないかと思えた。
被告人は最高裁の法廷に出廷を許されていないため、伊藤も法廷には不在である。しかし、今村弁護士は、法廷に伊藤を呼び出した。
 伊藤という一人の人間に思いを致すことで、その被害を浮き彫りにしただけでなく、一人の人間として立体的に描き出すことに成功した。一人の人間を完璧に代弁したという意味で、最良の弁論だった。
 だからこそ、その無力感は、痛ましい。
 今村弁護士は、自分が死力を尽くそうとも、結果を変えられないことを、理解している。新しい時代の司法にとって、被告人は裁く対象に過ぎない。弁護士は人間かもしれない。しかし、「被害者」と「量刑基準」の二つは、絶対的な神だ。邪悪であろうが、理不尽であろうが、そのようなことは歯牙にもかけない。この豪奢な窟で行われているのは、審理ではなく、神に向けられた儀式である。敗北は、あらかじめ決められているのだ。
 今村弁護士は、弁護士席に座った。その表情は硬く、どこか打ちひしがれているようにも思えた。