伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

2015年02月

 「あの時、私は本当に人を殺めるという手段しか残されていなかったのか?」
 「本当にそれしか考えられなかったのか?」
 ・・・一人の女性まで巻き込んでしまった。
 「本当にそれしかなかったのか?」
 何度も何度も、あの時の状況と私の陥っていた状態を想い返す。
 すごい時間が経っているのに、私の記憶は意外にしっかりしている。
 あの時の状況。
 あの時の事。
 想い返して考えた結末、今の私でも一人の女性についてはどうなったのか解らない。
 もしかしたら、回避ができたかもしれない。
 でも、はっきりと解らない。
 しかし、あの2人については何度も殺めてしまう。
 何度想い返して考えても間違いなく殺めてしまう。
 私の選んでしまった手段は、法律上・・・間違っている。
 でも、あの2人を殺めたことは私の中で間違っていない。
 その考えが心の隅に残っている。
 もし、この私の状況で出来ることなら、巻き込んでしまった一人の女性を生き還らせてあげたい。
 お願いします。
 叶えて下さい・・・この世にもう一度。
 本当に巻き込むつもりはなかった。
 何度も想い返しているけど、未だに良い解決策がみつからないんだ。
 本当に申し訳ない。

                                                            Kazu
「心のおと」から「扉をひらくために」へ

「被告人を死刑に処する。・・・」
 私の体が宙に浮き、闇に吸い込まれるような感覚に陥った。
 ・・・何も見えない。
 ・・・何も聞こえない。
 ・・・話し掛けても返事もない。
 そんな感じ。
 毎日毎日、私は行くあてもない暗闇を彷徨って歩き続けている。
 ところが、ポツンと小さい灯が・・・熱いというより暖かい。
 またひとつ、そして、またひとつ・・・
 その小さい灯は手に取れた。
 その小さい灯は足元を照らしてくれた。
 その小さい灯は心を温めてくれた。
 その小さい灯は「頑張れ」、「一人じゃないよ」、「諦めないで」など、私にたくさんの言葉を語り掛けてくれた。
 その度に私は、その小さい灯に「ありがとう」と言葉を返した。
 私は今、その小さい灯を手に暗闇を歩き続けている。
 ”希望という名の光”を求めて・・・・・
                                                          Kazu

「心のおと」から「扉をひらくために」へ

 2月3日、竪山辰美、伊能和夫両名の検察側上告が棄却された。また、2月9日、池田薫の被告側上告も棄却された。いずれも、村瀬均裁判長が破棄減刑した被告たちである。
 当ブログを読まれている方はご承知だろうが、村瀬裁判長は、伊藤の控訴を棄却した裁判長。池田薫は、伊藤の共犯者である。判決文を検討してみなければ何とも言えないが、村瀬裁判長の判断が、最高裁で受け入れられたということになるのだろうか。
 最近は多忙のため、記事を書く時間がないが、近々何とかして投稿したいと考えている。
 なお、伊能、竪山の上告審判決は、裁判所のHPにアップされていたので、リンクを貼っておく。
 伊能和夫上告審判決
 竪山辰美上告審判決
 池田薫の上告審判決はいまだアップされていないが、これは被告側上告というありふれたものであり、判例としても重要な意味を含んでいないからであろう。
 なお、竪山と伊能の上告審は、最高裁第二小法廷が担当し、裁判長は千葉勝美、裁判官は鬼丸かおる、山本庸幸の二人であった。池田薫は、最高裁第三小法廷が担当し、裁判長は大橋正春だったようだ。こちらは、判決文がいまだ公開されておらず、報道もないので、裁判官の名前は解らない。
  
 遅くなってしまったが、伊藤から面会先約のお知らせがあったので、記載する。

ブログへ
面会先約のお知らせ
2月13日です

                 伊藤和史

↑このページのトップヘ