伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

2014年10月

「伊藤和史から、ブログへ」

 ブロガーさん、こんにちは。
 お手紙とブログのコピーを送って下さり、ありがとうございます。
 お手紙は昨日(10/9)に、ブログのコピーは本日、10月10日に私の手元に届きました。
 近頃は日中と晩の気温差がはっきりとして、晩は時々、肌寒く感じることがありますが、お元気にされているでしょうか。
 私は先日にお逢いした時と変わらず、何とか元気にしております。

 「死刑囚絵画展」に行かれたのですね。
 たくさん展示されている中から、私の作品を見つけて頂き、大変に嬉しく思います。
 私は元々、絵は観るだけで絵を描かない人だったのですが、現代の状況において、精神的なものもあり、いつ死に足を突っ込むのか解らないため、自分が生きている証として、この世に何かを残そうと想いました。そして、昨年(平成25年)の大道寺幸子基金が運営する「死刑囚表現展」から絵を描くようになりました。
 想像で描く絵は、神経も体力も激しく浪費しますので、非常に疲れます。
 ですので、自分で想うのもなんですが、私の描く絵は私の命の一部だと想っております。
 以前より、逢いに来て下さる方、又、お手紙が増えたのでは?とのことですが、そのイベントのおかげで私の描いた絵に出会って向き合って下さった方からがほとんどで、私への感想や激励を伝えるために、わざわざ、私のところへ足を運んで下さったり、お手紙も同様で一時的に接見が増えました。
 ただ、今後の交流に繋がるのかは解りません。
 でも、皆様の大切なお時間をこの私のために費して下さるお気持ちは、とっても有難く想うとともに感謝の想いでいっぱいです。
 皆様が、たくさん展示されている中から2点しかない私の作品をみつけて頂き、向き合って下さることに、私の方こそ感銘を受ける次第です。
 心温かい方々に恵まれて本当に支えられます。

 松原さんの上告棄却の判決は、非常に心が痛むばかりです。
 本日まで、どのくらいの眼に涙を浮かべたのか覚えておりません。
 7月15日の弁論が行われるまでに「何とかして、松原さんの死刑判決回避を」と想い、松原さんの命の保障も訴えるべく、減刑嘆願書を作成して最高裁へ上申したわけですが、結果、何も実りませんでした。
 松原さんの上告棄却を知った時には本当に深く落ち込み、私は松原さんの人生をねじ曲げただけではなく、この状況下においても、まだ、私は人の命を奪ってしまうのかと胸が締め付けられる想いです、今も。
 松原さんの判決も、2月27日の池田さんの控訴審判決のように、死刑判決を破棄してほしかった。
 池田さんの死刑判決の破棄を知った時、私はこの独居房の中で力強くガッツポーズをして本当に心から喜びました。
 私はこの状況で、池田さんの命を奪うことがなくなったから。
 私の心の中から抱えていた重荷がひとつ減ったから。
 だから、本当に喜びました。
 池田さんには死刑破棄の代わりに、この先、長い受刑生活を過ごさせることになりましたが、それでも、命の保証がされる・されないとでは大きく違うと想います。又、これから先は一時期でも死刑判決を受けて絶望的な想いをさせてしまったので、一日一日を大切に生きてほしいと、心から想う。
 事件に至るまでの、「誘った」という当時の私の心境は、松原さん、池田さん、斎田さんに対しても事実は全く変わりません。
 ただ、現在の私の心境としては、3人に対して「巻き込んでしまった。共犯にしてしまった。」という想いで、申し訳なく心苦しい気持ちです。
 主導者として認定されている私は、松原さんの上告棄却に伴い、私の上告審は非常に厳しい、狭き門になることと想います。
 それでも、私は諦めず訴えていきますし、又、松原さんの命を守り続けることは私の中にある責任のひとつと理解しておりますので、この身体が壊れるまで頑張ります。
 頑張るといっても、実際は私ひとりで頑張れているわけではありません。
 一時期は、本当に自分の人生を捨てようと考えておりましたが、これまで、ブロガーさんのあなた様や他に私のことをお心に掛けて下さる方々のおかげで生きて償うことを教えられ、そして支えられて、こうして私は一秒一秒生きることができております。
 人を殺めた、こんな私に明日という命を繋げて下さるなんて。
 私に寄り添って下さる皆様に本当に感謝するばかりです。
 つい、感情的に綴ってしまいました。
 資力の無い私には余程のことがない限り、便箋にも自己制限を掛けなければ、他の方にも他のことにも綴れなくなってしまいますので、勝手ながら、ここでペンを置かせて頂きます。
 すみません。
 この度から、ブログへお世話になりますが、お互いに上手くシェアできれば幸いです。そして、ブロガーさんの大切なプライベートの一部を、この私が使うことになり大変に申し訳なく想いますが、私はこの機会に感謝するとともに大切にしたいと心から想います。

 では、体調にはくれぐれもご自愛ください。
 今日一日、お疲れ様です。

2014・10・10(金) 伊藤和史


伊藤和史からの手紙・2014年10月10日4
伊藤和史からの手紙・2014年10月10日3
伊藤和史からの手紙・2014年10月10日2
伊藤和史からの手紙・2014年10月10日1


 この記事は、松原智浩の死刑確定時の、信濃毎日新聞である。2014年9月3日付朝刊のものだ。控訴審時の松原は、この写真と違い、がっしりして色が黒かった。少し若いころの写真なのかもしれない。

2014年9月3日付


 『被害者の暴力などに我慢を強いられ、「動機、経緯に酌むべき事情として相応に考慮すべき点もある」としながらも「刑事責任は極めて重大」とした』 
 上に引用した記事のように、松原が被害を受けていたことは、最高裁判決でも一応は触れられているようだ。これは珍しいことである。
 最高裁判決は、高裁で複数の動機が認定された場合、被告に不利なものだけを記載する傾向がある。たとえば、「被害者たちのリンチから逃れ、自らの暴行を警察に通報されないために殺害に及んだ」という動機が、高裁判決で認定された事件があった。その事件の場合、最高裁では「自らの暴行を警察に通報されないために殺害に及んだ」という動機だけが、判決文に記載された。このような記載となるのは、短い三行半の中で、いかに自らの判断を正当化するかに、汲々としているからだろうか。
 松原の高裁判決では、「被害者」たちの犯罪から逃れたいという動機と共に、金銭を奪う意志も認定されてしまった。このような場合、最高裁の筆法では「金銭を奪うなどの目的のを果たすために、殺害を行った」と判決文に書かれてもおかしくない。そのような最高裁であっても、真島事件の「被害者」たちの犯罪は無視できなかったということだろうか。

 なお、この記事に出ている裁判員は、これまでも判決の節目で、取材に応じている。今回の記事を含めて読んだ印象では、「自らの心情の安定」に、最大の関心があるように思えた。真島事件の裁判員の言動、一連の記事への違和感などは、後程、記事を書くことになると思う。今回は、以下の点だけを述べて、記事を終わらせたい。

 以下の感想は、あくまでも私の愚考であり、伊藤や松原の考えではない。2012年3月末の記事によれば、伊藤は裁判員に対して『「自分が犯した罪でショックを与え、(裁判に)巻き込んでしまった」』『「これ以上(裁判による負担で)迷惑を掛けたくなかった」』という思いを抱いているようだ。ならば、私の考えは、被告たちの心情に反するものかもしれない。それでもあえて書かせてもらう。裁判員の言葉、裁判員への世論、あまりにもアンフェアに思えるものが多いからだ。

 この記事では、またも「裁判員の心のケア」「国民の負担軽減」について語られている。真島事件で、否、裁判員裁判で死刑判決が下されるたびに、「裁判員の心のケア」「裁判員の負担軽減」の問題が語られてきた。しかし、これは問題提起としては異様に思える。
 もちろん、裁判で精神的な傷を負ってしまった場合、国が医療面でケアする必要はあるだろう。しかし、この記事で書かれている裁判員の状況は、「殺人現場写真などを見せられ、トラウマ・PTSD等に罹患した」というものではない。「裁判の判断を重荷に感じている」というものだ。しかし、その感情は「ケア」により取り除くべきものなのだろうか。
 裁判への関与は、人の人生を左右し、時には生死を決定するということだ。その判決の重みを受け止めるのは、判決を下した者の責任である。たとえば、「裁判官が自らの下した判決の重みに苦しんでいる。精神的負担の軽減を」という主張には、誰でも違和感を覚えるのではないか。裁判における徹底した審理は、自分の判断の重みを認識し、負の結果であっても受け止める心構えがなければ、不可能である。精神的な傷の治療は必要であっても、「人を裁くことの重荷」「裁いた結果への責任と、責任の自覚」は、断じて取り去ってはならない。

 強盗殺人の量刑は、死刑か無期懲役と、刑法240条に定められている。以前に書いた通り、強盗殺人の適用は動機ではなく、「殺害時に財物を奪う意思があったか否か」により、決定される。
 しかし、死刑は人命を奪う究極の刑罰である。無期懲役は、2010年代に入ってからの運用では、少なくとも30年程度の服役が必要であり、仮釈放人数も少ない。終生にわたり刑務所から出られない可能性が高い刑罰である。このような重い刑罰を適用するのは、強盗殺人と聞いてイメージする犯罪、すなわち、「利益を殺人の主要な目的とし」「ほぼ落ち度のない人を殺害する」という犯罪に、限定するべきではないか。主目的が利益ではない殺人を適用範囲に含めるとしても、利益目的と同程度に悪質な動機の殺人に、適用を限定する必要があるのではないか。
 少なくとも、被害者たちから重大な犯罪被害を受けた事例で、死刑や無期懲役に処さねばならない理由が、存在するのだろうか。
 刑法66条には、「犯罪の情状に酌量すベきものがあるときは、その刑を減軽することができる」と定められている。強盗殺人の適用を受け、同条文の適用により有期懲役に減軽された事件は、90年代にはしばしば見られた。若年であること、反省悔悟の念が顕著であるという理由であっても、無期求刑に対し懲役15年(当時の有期懲役の最高刑)となる例があったからだ。
 しかし、被害者の犯罪行為が加害者の「情状に酌量すべきもの」とされ、無期求刑に対し有期懲役が選択された事件も存在する。

<スナックママ殺害事件>
 事件は平成3年7月29日、茨城県で発生した。被害者はスナックママ、加害者はその下で働かされていたタイ人女性3名である。加害者たちは、被害者より逃げれば殺すと脅され、売春を強いられ、その売り上げも搾取されていた。また、日常的に、激しい罵倒を受けていた。
 この事件の被告人たちは、水戸地裁下妻支部で審理を受けた。検察は被告たちの被害を一顧だにせず、無期懲役を求刑。下妻支部は無期懲役より減軽し、被告たちに懲役十年の判決を下す。被告たちは控訴し、平成8年7月16日、東京高裁は一審の量刑は重すぎるとして、被告三人を懲役八年に軽減した。
 被告たちがどのような被害を受けていたか。少し長くなるが、東京高裁判決より抜粋する。なお、この事件の高裁判決文は、裁判所のHPにアップされており、以下のリンクから見ることができる。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/182/020182_hanrei.pdf

(1)被告人Fは、平成三年(一九九一年)三月一六日、日本国に入国したものである。同被告人は、タイに住む知り合いの者から、日本でレストランのウエイトレスとして働けば給料がよいので同被告人の両親によい仕送りができるなどという誘いを受け、世話役として紹介された者から航空便の運賃のほかパスポートを取得するのに要した費用や衣類代などの立て替えを受けたことから、右世話役の者に連れられて、同日、飛行機で成田空港に到着したが、その際、自分自身の所持金としては日本円にして一〇〇〇円にも満たないものであった。ところが、同被告人は、成田空港に到着直後、右世話役の者から、同被告人名義のパスポートと入国審査の際の見せ金として渡されていた現金などを取り上げられ、右世話役の者や途中から加わったタイ人や日本人らに、同様の趣旨で連れとなっていたタイ人女性三名とともに、同空港近くのホテルやアパート三か所を連れまわされて、三か所目のアパートで、A(当時二八歳)に引き合わされ、同被告人においてはAと一緒に行くよう指示されるとともに、同被告人名義のパスポートなどをAの方に引き渡されるに至った。
(2)同被告人は、その直後、Aから、お前はAに対して三五〇万円の借金があるので、売春の仕事をして返せという趣旨のことを言われ、同被告人の持つ身分証明書などの入っていたハンドバッグを取り上げられた。そして、同被告人は、同日、Aに、千葉県佐原市内のアパートに連れて行かれ、同夜から近くのスナックに働き出され、その後は、右アパートに住む二、三〇人のタイ人女性とともに、店に来る客を相手に売春を行わされていた。その後、同被告人は、Aに連れられ、茨城県つくば市h所在のスナック「M」や同県稲敷郡i村所在のスナックに移り、Aと同じアパートに住まわされて、同様の売春の仕事を行うことを強制され、さらに、同年五月下旬、同県下館市大字fj番地のk所在のgアパートl号室に移り、その後は同アパートに住み、同県真壁郡m町所在のスナック「P」でホステスとして働くとともに、店の客らを相手に売春を行うことを強いられていた。
(3)被告人G及び同Hはいずれも、同年八月一一日、一緒に日本国に入国したものである。同被告人らも、被告人Fと同様に、それぞれ知り合いの者から、日本の工場で働けば高齢の母親によい仕送りができる(被告人G)、あるいは日本のレストランでホステスとして働けば給料もよく、前借りもできるので両親や子供に十分送金ができる(被告人H)などという誘いを受け、航空便の運賃のほかパスポートを取得するのに要した費用などの立て替えを受けたことから、世話役の者らに連れられて、同日、たまたま同行する形で飛行機で成田空港に到着した。そして、被告人G及び同Hは、右世話役の者らに連れられて、成田空港近くのホテルに一泊後、東京のホテルで一泊し、さらに右世話役の者らの知り合いの者の住むアパートへ連れて行かれ、その間に同被告人ら名義の各パスポートを取り上げられ、同月一五日、右世話役の知り合いの者に連れて行かれた千葉県内のアパートにAがやって来て、同被告人らのパスポートの引き渡しを受けたAから一緒に来るように指示された。
 (4) 被告人G及び同Hは、同日夜、Aに連れられてgアパートl号室に到着し、翌一六日、同女に伴われて買い物に出かけたが、買い物から帰って来た際、同女から、自分はあんたたちを買ったのだから、あんたたちは三五〇万円の借金を返さなければならない、買って来た物の代金も借金になる、部屋代も月五万円が借金に加わるという趣旨のことを告げられた。そして、同被告人らは、同日夕方、車に乗せられて、スナック「P」に出勤させられ、さらに、Aから、客と一緒にホテルに行って売春をしろということを言われて、実際にそれぞれ紹介された客と一緒にホテルに赴かされるに至り、同日夜以降は、被告人Fと同じく、gアパートl号室に住み、毎晩スナック「P」に出かけてホステスとして働くとともに、店の客らを相手に売春を行うことを強いられていた。なお、被告人らと同様にgアパートl号室に住み、スナック「P」で売春の客を取らされるタイ人女性は、被告人らのほかにも二〇人前後いた。
(5)被告人三名は、こうして、Aから売春を行うことを強いられ、さらに同女には、被告人らの前記借金の返済に充てるということで、客の支払う売春の対価を全て取り上げられ(ただし、Aは、そのうちから客一人につき五〇〇〇円をスナック「P」の経営者に支払うということをしていた)、被告人ら自身としては、「P」から給料等の支払いを受けたことがなく、売春の相手がくれるいわゆるチップだけが唯一の収入になっていたが、Aに見つかると借金の返済に充てると称してこれまでも取り上げられるおそれがあったため、同女に知られないようにこっそりと隠していた。さらに、被告人三名は、Aから、部屋代や食事代、買った衣類の代金なども借金の上乗せになると告げられていたほか、土曜日曜に売春の客がいないときは五〇〇〇円が、三日間客がつかないときは一日分が罰金として借金に加算され、さらに、日本に来てから七か月以内に借金を返済し終わらなければ、罰金一〇万円を加算するなどと言われていた。
(6)さらに、被告人三名は、売春の相手から屈辱的な行為を求められた際にこれを断ったりしたことが、Aの耳に入ったときは、同女から口汚く罵られたり、殴る、蹴る、髪の毛を引っ張るなどの乱暴をされたりし、また、日頃から、同女に、お前たちは勝手に外出するな、国元に電話をかけたりするななどと厳しく言われ、さらには、もしお前たちが逃げ出したりすれば、必ず捜し出して殺すし、お前たちの親もタイにいる者に殺させるという趣旨のことを激しい口調で言われたりした。
(7)被告人F及び同Hは、同年九月一七日ころの夜、Aが留守の折りをみて、無断でgアパートから外出し、近くのスーパーマーケットで菓子を買って来たが、これを仲間の告げ口で知ったAから、同月一九日又は同月二〇日ころ、「勝手な行動するな、国際電話を掛けるな」「外出禁止」などと怒鳴られ、その際、被告人Fが、「電話位いいでしょ」と言い返したりしたことから、Aに、「借金のことを考えろ、お前ら気をつけろ」などと怒鳴られたり、被告人らを激しく貶めるような言葉で罵られたりした。
(8)さらに、被告人F及び同Hは、同月二〇日前後ころ、それまで二段ベッドの置かれていた部屋で寝起きしていたことから、両名がベッドの上で言葉を交わしていたところ、Aに部屋に入って来られ、「お前たちどうして二人でいるの、何しているの、すぐ降りなさい」「お前らあんまり問題を起こすんじゃないよ」などと叱責された上、被告人HはAと同じ部屋で寝起きするよう命じられた。


 拘束と搾取の態様は、真島事件を髣髴とさせる。売春強要も、非常に屈辱的な行為だ。被害者の落ち度は甚大であり、有期懲役、しかも刑法66条による軽減の下限に近い量刑にまで軽減されたのは、当然だろう。ただし、この事件の被告たちは、鉄パイプで殴られる、拳で殴打されるほどの暴力はなく、殺人を目撃させられていない。そう考えると、暴力と死の恐怖という点から言えば、伊藤たちの方が受けていた被害は甚大だ。金銭目的に起こした事件ではないが、現金700万円近くと貴金属を奪っており、結果的に奪われた金品は、真島事件よりも多額である。
 この事件の被告人たちが軽減されたのは当然だ。しかし、被告人たちの被害内容を比較したとき、被害者人数が多いとはいえ、伊藤たちに死刑や無期を言い渡すのは、あまりにも重いのではないか。3人と言う被害者人数は、多数の者から犯罪被害を受け、より厳しい状況に置かれていたことを意味している。

 次は、量刑の理由を示し、伊藤たちの事件との比較を行いたい。以下に、軽減理由となった部分を引用する。

5 しかし一方、被告人らの所為は、強盗殺人罪に該当するとはいえ、被告人らが主として奪い取ろうと考えていたのは、被害者から取り上げられていた自分たちのパスポートであり、付随して若干の現金や貴金属類も手に入ることは考えていたものの、金銭的な欲望などに基づき、当初からいわゆる金目の物を強取しようとして本件犯行に及んだものではない。また、被告人らが、被害者の殺害を企てるに至ったのは、主として、自分たちの置かれているあたかも奴隷のような悲惨な境遇から逃れ出るには、被害者を殺すほかないと考えたことにあり、前記第二の三においてみたように、そのように考えたこともある程度無理からぬものがある。したがって、これらの事情も、量刑に当たって十分に考慮することを要する。
 
 伊藤たちが金を奪ったのは、死体遺棄のためである。仮に判決の認定の通り、事前に余った金を分ける話が多少出ていたとしても、利益を積極的に得ようと考えていたとは言えない。金が本当に欲しければ、もっと徹底的に家を探せば良い話だ。伊藤たちは奴隷のような境遇に置かれていただけではなく、ひどい暴力を受け、死の恐怖や家族への危害も、切迫して感じていた。

6 さらに、右にも触れたとおり、被告人三名が本件犯行に至った背景には、被告人らの置かれていた悲惨な境遇があり、そのような境遇の中で被告人らが味わされた苦悩の深刻さは絶大なものであったことは否定できない。すなわち、被告人らは、いずれも、日本で働けば金になるという誘いに乗って日本に来た者であるが、日本に到着すると、直ちにパスポートを取り上げられ、事情も分からぬまま、被害者から三五〇万円という多額の借金を返済するよう要求され、スナックでホステスとして無報酬で働かされながら、借金返済のために過酷な条件で売春を行うことを強制されるに至っていたものである。そして、被告人らが、このような境遇に落ち込むに至ったことにつき、背後にかなり大がかりな人身売買組織や売春組織があるものと窺われる。また、被害者のもとで無理やり働かされるようになった後は、売春の相手方となった男たちからも自分の人格を無視され、屈辱的な行為を強制された上、売春の対価として得た金もすべて被害者に取り上げられるに至っている。日常の生活においても、被害者とともに同じ家屋に住まわされ、勝手な外出や電話を禁止され、かつまた、部屋代や買い与えられた衣類などの代金も借金に上乗せされ、三日間売春の相手方が見つからなければ罰金を科されることにもなっていたのである。加えて、被害者は、被告人らに対し、もし逃げ出すようなことがあれば、必ずお前たちを捜し出して殺すし、タイに住むお前たちの両親も殺すなどと言って、被告人らの逃げ出すのを押さえつけようと図り、一方、被告人らにおいても、タイ語しか話すことができず、日本にやって来てから日の浅かったこともあり、日本の社会の仕組みなどについてもほとんど知らず、その意味でも、法的にも私的にも他に助けを求めようとするには、実際上著しく困難な状況にあったことはたしかである。したがって、被告人らがこうした悲惨な境遇にいて、法的な救援も直ちには期待できないような状況にあったことは、被告人らに対する量刑に当たって、十分に考慮を要する点である。

 『本件犯行に至った背景には、被告人らの置かれていた悲惨な境遇があり、そのような境遇の中で被告人らが味わされた苦悩の深刻さは絶大なものであった』 
 この指摘が、いかに伊藤たちの置かれていた状況と合致するかについては、もはや説明する必要もないだろう。
 そして、『法的にも私的にも他に助けを求めようとするには、実際上著しく困難な状況にあったことはたしかである。したがって、被告人らがこうした悲惨な境遇にいて、法的な救援も直ちには期待できないような状況にあったことは、被告人らに対する量刑に当たって、十分に考慮を要する点である』という指摘は、そのまま伊藤たちにも当てはまる。
 伊藤たちも、真島の家で厳しく拘束され、監視されていた。逃げた債務者には、家族に追い込みが行くことを知っていた。金良亮が殺人を犯したことを知っており、死の恐怖は切迫していた。伊藤の場合、金父子は家族にまで毒手を伸ばそうとしていた節もある。
 逃げ出すことが100%不可能でなくとも、困難な状況であれば酌量軽減の理由となることを、判決の指摘は示している。

7 そうすると、以上にみた諸事情に加え、さらにまた、被告人らが、被害者に対し、自分たちを悲惨な境遇に陥れたことにつき、なお強い憤りの気持ちを抱いているものの、このような形で被害者の生命を奪ってしまったことについては、現在では反省後悔していること、被告人三名には、日本においても母国においても、全く前科前歴がないこと、被告人Fや被告人Gには、タイに年老いた両親あるいは母親がいて、右各被告人の安否を気遣いながらその帰りを待っていること、また、被告人Hにおいても、自分の生んだ子供がタイで母親である同被告人の帰りを待っていることその他、所論指摘の被告人らに有利な事情を合わせ考えると、強盗殺人罪の法定刑のうち無期懲役刑を選択して酌量軽減の上、被告人三名をそれぞれ懲役一〇年に処した原判決の量刑は、なお重過ぎ、このまま維持することは相当でないと認められる。論旨は、理由がある。

 このように刑法66条は、近年である90年代後半まで、生きた条文であった。
 その理由は、被告たちの事情にも目を配るように努め、「被害者」という立場の人間の行為も、公平に評価しようとする精神があったからではないか。公平性、批判精神が残されていた、とも言えるかもしれない。
 しかし、真島事件の判決を下した裁判長や裁判員たちは、この判決からは遠く離れた場所にいる。
 『家族の元に帰りたい,A会長親子から解放されたいという自己の希望を,解決のため何らかの手だてを試みることなく,3名を殺害することによってこれを果たそうというのは,あまりに安易に自己の利益を被害者の生命より優先させたものである』
 伊藤の、長野地裁判決の一文である。「市民」が、裁判官とともに下した判決だ。
 その論理によれば、奴隷的境遇から解放されたいという思いは、「利益」ということになるらしい。恐怖と暴力から逃れること、それ自体は、人間であれば平等に与えられた権利ではないのか?
 もちろん、殺人という手段を肯定できないのは理解できる。しかし、その当然の権利への欲求を軽減理由としないのであれば、それは、恐怖と暴力から逃れることを「正当な権利」ではなく、「本来であれば与えられるべきではない、不当な利益」とみなしているに等しい。
 そして、「市民」の下した判決は、以下のように言っているように思えてならない。
 「僅かでも逃げられる可能性があるならば、不当な被害を受け、厳しく拘束されていても、逃げなかったお前に事件の全責任はある。逃げたことにより、家族に危害が加えられようとも、それは我々の関知することではない」

 ともあれ、かつての裁判所は、強盗殺人であっても利欲やそれに準じる悪質な殺人と、犯罪被害への防衛的殺人を、厳しく峻別していたと言える。「不当な権利侵害への防衛」それ自体は、人の権利であり、「不当な被害や苦痛への怒り」は、当然の感情であることを理解していたからだろう。
 防衛意志の発露である殺人は、社会に脅威を与えるものではない。そして、不当な侵害を行った人間は、誰であろうと行為を評価し判決に反映することが、公平な姿勢である。そのような、ごく普通の論理も、認識していたのではないか。

 以上に見てきたように、これまでの裁判所の姿勢に照らしても、伊藤たちを有期懲役に軽減することは、裁判例、事件の本質、いずれの点から見ても無理のある判断とは言えない。
 被告たちの犯罪被害を量刑に反映しないことが「正義」というのであれば、刑法66条は新しき時代の裁判官と「市民」たちにより、棺に放り込まれたのだろう。

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