伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

2014年08月

 東京拘置所に出かけたところ、偶然に『長野の会』の代表とばったり出会った。代表は、面会受付の前の辺りの椅子に座っていた。暫し、どこかで見た顔だと思い、相手の顔を見つめていた。代表も、一瞬私だと解らなかったらしく、あっけにとられたような表情で私の顔を見ていた。
 少ししてから互いに挨拶をし、私は「伊藤さんに面会に来ました」と拘置所に来た理由を伝える。代表は急いで、一緒に面会できるように手続きしてくれた。代表も伊藤に面会に来ていたのだ。私の少し前に拘置所に到着し、手続きを済ませたところだった。拘置所の収容者は、家族や弁護士以外では、一日に一回しか面会ができない。もしも来る時間が少しずれていれば、私たちの内どちらかは、伊藤と面会できないところだった。まさしく間一髪だ。拘置所も人手不足なのはわかるが、面会のある収容者ばかりではない筈だ。収容者の面会可能回数をもう少し増やしても、今の職員数でやっていけるのではないか。
 
 伊藤は、すっかり日焼けしていた。私たちが二人で面会したので、驚いている様子だった。偶然一階で出会った、と代表が伊藤に事情を伝えた。
 挨拶が済んだのち、伊藤は、今は縄跳びに凝っていることを話し始めた。二重跳びにチャレンジしており、跳べた回数を日毎にグラフにして書き出していた。エクセルで作ったような、精密な棒グラフであり、色分けされて書かれていた。代表も私も、まるでコンピューターで作ったようだと感心した。伊藤は一審時、体重は68キロだったが、今は当時よりも体重が減っているらしい。運動の成果かもしれない。すっかり日焼けしたのも、晴れた日には、必ず運動場に出るからだ。
 最近は伊藤のもとに、『長野の会』のメンバー以外からも、手紙が来るようになった。おおむね、死刑廃止論者ではないけれど、死刑は厳しい、理不尽であると感じている人からのようだ。「同じ状況なら、自分もやっていたと思う」という内容もあるとのこと。二審段階では、被告たちの減刑嘆願署名は、1000筆ほど集まっていた。死刑事件の被告には珍しい、同情と共感。それは、被告たちがいかに常軌を逸した犯罪被害を受けていたか、という証左でもある。
 
 私が『ジェイン・オースティン料理読本』と『The Little Prince』(注・星の王子様)を差し入れたことを伝えると、嬉しそうに礼を言った。『料理読本』については、料理に興味があったため、かねてから読んでみたいと思っていたとのことだった。
 代表が差入の話をすると、伊藤は、食べ物では牛乳、南京豆、蜂蜜を頼んだ。お菓子については、何でも構わないが、ワサビ味の煎餅だけは勘弁してほしい、と答える。負担をかけてしまっているという思いからか、申し訳なさそうな表情である。
 面会終了が伝えられ、私たちは面会室を出て行った。伊藤は、うれしそうな笑顔を浮かべ、私たちを見送っていた。

2013年10月8日
東京高裁第十刑事部
805号法廷
事件番号・平成23年(う)第1947号
罪名・住居侵入、強盗強姦未遂、強盗致傷、強盗強姦、監禁、窃盗、窃盗未遂、強盗殺人、建造物侵入、現住建造物等放火、死体損壊
被告人・竪山辰美
裁判長・村瀬均
裁判官・秋山敬
裁判官・河本雅也
検察官・山下純司
書記官・小林幸

 10時10分の抽選締め切りまでに、24枚の傍聴券に対し、72人が並んだ。
 傍聴希望者は、竪山被告の罪状について、口々に話し合っていた。控訴棄却になると述べている人もいれば、原審破棄を予想する人もいた。またこの日、裁判所のそばでは、狭山事件元受刑者の石川氏が、再審請求に向けての署名活動を行っていた。そのことが、抽選を待つ希望者の話題に上ることもあった。新聞社や雑誌記者と思われる、スーツ姿の若い男女も、多く並んでいた。抽選後には、「誰かが当たったでしょう」と話し合っていた。
 入廷が許されたときには、検察官席と弁護人席は、すでに埋まっていた。
 検察官席に座っているのは、全部で四人だった。
 山下検察官は、どちらかと言えば貧相な印象の中年男だった。水沼祐治に代わり、伊藤の公判も担当している。柔らかい黒髪をオールバックに整えてあり、ひげの剃り跡が濃く、鼻の下が長い。冴えない万年係長といった風貌だが、眼鏡の奥の眼は、険しく鋭かった。
 ほかにも、白髪を短く刈った、赤ら顔の初老の男が、検察官席に座っていた。この男性は、弁護士バッジをつけていたことから、遺族側代理人と思われる。
 また、白髪で丸顔の初老の男性と、髪の短い初老の女性が、検察官と代理人に挟まれ、座っていた。この男女は被害者の両親であり、目をきつく閉じて開廷を待っていた。
弁護人は、初公判と同じく二人であった。痩せた髪の短い青年と、スキンヘッドで顎鬚を生やした、3~40代の男性二人だ。二人とも、視線を宙に彷徨わせ、開廷を待っている。不安そうであり、しかしどこか期待を込めているようでもあった。
 記者席は15席指定されていた。当初はぽつぽつと空席があったが、時間の経過とともに埋まっていき、結局は満席となった。
 なお、この公判の倍率は三倍であったが、傍聴席には空席が二つあった。新聞記者が多く並んだため、必要以上に傍聴券を当ててしまったのだろう。傍聴券が余ったのならば、そこを一般傍聴人に開放すればいいと思うのだが・・・。
 このように、若干の空席はあったものの、法廷内は息苦しいほどだった。張り詰めた空気の中、不安と期待が混ざりあい、交差する。誰の脳裏にも、伊能和夫への減刑判決があったに違いない。私も、傍聴席に座り、不安と期待の混合物で胸中を満たしていた。伊能と竪山への判決は、伊藤への判決にも間違いなく影響してくるだろう。

 初公判と同じく、法廷内の撮影は行われなかった。開廷少し前に、裁判長と裁判官が入廷する。普段であれば、裁判長たちにはあまり着目しない。しかしこの日は違った。この裁判長たちは伊藤の行く末を握っており、裁判員裁判における死刑のあり方について、判断を示す可能性も高い。
「被告人から、不出頭の申し出がありました」
 裁判長が、告げた。
私は、驚きと失望を感じた。控訴審は、被告人の出頭を義務付けていない。そのため、被告人は出頭しないでも良い。しかし、これでこの法廷には、判決を受け止めるべき男が不在となったわけだ。
「それでは、開廷します」
 こうして誰もいない被告席を前に、10時30分に判決公判は開廷した。村瀬裁判長は眼鏡をかけると、主文に先立ち、被告人の事件名を読み始めた。
「竪山辰美被告に対する・・・」
 強盗致傷、強盗強姦、現住建造物等放火、強盗殺人。罪状が多岐にわたるため、事件名読み上げにも時間がかかった。そして、長い朗読を終えると、裁判長は主文を告げた。主文を口にするまでに、少し間があった。

主文・原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する。被告人所有のツールナイフ一本、平成23年押収第189号の1を没収する。

 村瀬裁判長は、一語一語はっきりと区切り、主文を読み上げた。
 裁判長が主文を読み終えた瞬間、いくつもの鈍い音が法廷に響いた。新聞記者たちが記者席から立ち上がり、椅子がぶつかり合う音だ。彼らは我先にと法廷の出入り口に走り寄り、廊下に出ていった。稲を食い尽くした蝗が、羽音を響かせ、空を覆いながら移動する光景を思い起こさせた。
結局、記者席の半分ほどが空席となった。主文だけを聞いて退廷するならば、記者席は半分で良かったのではないか?
 裁判長は、記者たちが席を立ちあがるとともに、口をきつく結んだ。そして、出ていく記者たちを、じっと見つめていた。その瞳には、非難とも不快とも取れる色が、浮かんでいた。理由朗読を始めようとしたが、あまりに足音や扉の開閉音がうるさい為か、すぐにまた口をつぐんだ。
 法廷が静かになるまで時間をおいて、裁判長は量刑理由の朗読に移った。風通しがよくなった法廷の中で、私はひたすらペンを走らせていた。息苦しさがなくなったのは、法廷内に人が少なくなったことだけが、理由ではないだろう。

 弁護人の、殺意の不存在、過去の判例を示さなかった不備、被告人が発達障害や知的障害を有しているという主張は、すべて切り捨てられた。そして、被告人の反省の念については、評価していなかった。更生可能性については、朗読の内では言及はなかった。
 それならば、なぜ原審が破棄され、無期懲役が選択されたのか。
 報道では「被害者1名ということを理由に、死刑を回避した」「前例を踏襲した」という点が、非常に強調されていた。しかし実際には、高裁判決は死者1名、殺人前科なしの事件での死刑適用を、否定していない。従来の傾向にただ従え、とも述べていない。ましてや、被告人に情をかけたり、更生可能性を信じたわけでもない。
 「従来の傾向から逸脱する、説得力のある理由」
死刑と無期は、質的に全く異なる刑罰である。この大きな隔たりを超えるには、説得力のある理由が必要である。従来の傾向から逸脱し、質的に異なる刑罰を下す、説得力のある理由があるのか。それが、高裁判決が突き付けた、裁判員判決への疑問であった。

 高裁判決は、被害者1名での死刑判決を否定していない。しかしそのような場合は、殺害の計画性が重要なポイントとなることを指摘している。
 竪山への一審判決は、殺害の計画性を否定しながらも、死刑判決が下された。これは、従来の傾向を逸脱するものだ。一審判決は、強盗強姦や強盗致傷の前科・余罪から、死刑から減軽する理由はないと判断した。しかし高裁は、前科も余罪も人の生命を奪ったものではなく、殺意を有していたものでもないことを挙げた。その凶悪性を認めながらも、あえて死刑を選択する理由にはならない、とした。
 また、一審は、「まず死刑以外にない」という発想があったように思える。そして、死刑という前提に続いて、死刑を回避すべき特段の事情があるか、という死刑を刑罰の前提とした減点方式の量刑判断を行っていたように感じた。しかし、高裁では、無期懲役ではなく死刑を選択せねばならない悪い情状はあるのか、という、死刑を刑罰の頂点に据え、それに向けて悪質な要素を加算していく、加点方式の量刑判断を行ったように思えた。
 このような発想の違いの原因は、死刑と無期が質的に異なる刑罰であると認識していたか、ではないか。
 以下が、破棄理由の概要である。

原審は、死刑の理由を以下のように述べる。
①殺意は強固であり、犯行は非情である。放火は延焼の危険性があった。
②被害者の肉体的苦痛は、強い。
③強盗致傷で被害者4人に怪我を負わせ、一人は重傷である。また、強姦で性的苦痛を負わされた被害者もいる。
④累犯前科、同種前科があるのに、同様の事件を起こしており、犯罪性は根深い。
⑤被害者の殺害に計画性はないが、特殊事情、重大な性的被害を受けているなど、特有の事情があり、被害者1名は、死刑回避の理由とならない。
⑥不合理な弁解を述べ、更生の可能性は乏しい。
 しかし、以下の理由から、当裁判所は、原判決の判断に賛同できない。
 死刑は、究極、峻厳な刑罰である。死刑と無期懲役には連続性はない刑期の判断がある。有期懲役における、刑期の幅という考え方にはなじまない。
 死刑の当否は、残虐性、被害者の数、年齢、前科など検討したうえで、判断することとなる。本件では、松戸事件が判断の中心となる。
 執拗、冷血非情な犯行であり、放火も危険かつ悪質である。結果が重大であることは言うまでもない。遺族が死刑を求めることは、十分に理解できる。
 他方、犯行経緯は判然としない。しかし、被告人は被害者が一人暮らしの若い女性だと解り、部屋に侵入し、包丁を手にしてベッドで横になり、帰宅を待っている。当初は殺害の計画はなく、殺害することになったのは、金品強取時の、何らかの事情によると考えられる。侵入時、金品要求時にも、被害者を殺す意思があったと認めることはできない。原審も、殺害の計画性は否定している。
 強盗殺人被害者1人で、殺害に計画性がない場合、死刑回避されている。原審は、この先例を念頭に置きつつ検討を加えている。
 死刑を選択した理由として
A・強盗強姦、強盗致傷などを繰り返し、死んでもおかしくない怪我、重大な性的被害がある。
B・重大な危害の可能性が、どの事件でもあった。
 と述べている。
 確かに、犯行は重大な危害を及ぼしかねず、被害者の苦痛は大きい。被告人は、昭和59年に強盗致傷、強盗強姦で懲役7年に処され、平成14年に住居侵入、強盗致傷で懲役7年に処されている。極めて粗暴であり、反社会性は否定できない。
 しかし、生命身体に重大な危害を及ぼしかねないといっても、殺意を持った犯行ではない。松戸事件を除けば、重大悪質性を見たとしても、法定刑には死刑の選択がない罪名ばかりである。
 また、累犯前科があると言っても、殺意を伴った、人の生命を奪おうとした事件ではない。A,Bを見ても、死刑の選択をせねばならない、特段の事情はない。
 死刑判決に当たっては、合理的、説得力のある理由が、示されねばならない。しかし、A,Bの事情があるとはいえ、無期懲役と質的に異なる刑である、死刑を選択せねばならない理由、合理的、説得力のある理由を、原審は示していない。A、Bの事情があれば、死刑回避の決定的な理由とならないとしているが、説得力はない。
 冷血、被害が甚大とはいっても、被害者一人で計画性がない。死刑を選択すべきではない。松戸事件が重大悪質であり、前科があり、反省の念が乏しい、遺族や被害者の処罰感情が厳しいとは言っても、死刑が真にやむを得ないとはならない。
以上の理由から、本件においては、死刑を選択することが、まことにやむを得ないとは言えない。原判決は、評議を尽くしているが、死刑と無期懲役という刑罰は質的に異なるものであり、選択を誤っており、破棄は免れない。
 被告人を無期懲役に処し、ツールナイフ一本を没収する。原審、当審の訴訟費用は、被告人に負担させないものとする。
 原判決の事情の概要は、朗読を省略する。

以下に、竪山の地裁判決、高裁判決へのリンクを貼っておく。
千葉地裁判決
東京高裁判決
 なお、未決拘留日数については、判決文でも言及がなかった。未決拘留日数を、一切算入しないということだろうか。
「以上が、当裁判所が検討した結果です。それでは、閉廷します。傍聴人の方は退廷してください」
裁判長の宣言で、判決公判は11時11分に閉廷した。
 裁判長は、判決理由朗読中は、終始硬い表情であった。公判終了後も、硬い表情は崩れない。破棄を決意した時、激しい批判を受けるのは、覚悟の上だったのだろう。また、被告人の一審での態度、控訴審判決への不出廷も、裁判長の心に影を落としたのかもしれない。被告にも、説示したいことがあったのか。
 弁護人二人も、朗読中は堅い表情であった。裁判長の苦節に思いをいたし、厳粛に受け止める気持だったのだろうか。スキンヘッドの弁護人は、パソコンに何か打ち込んでいた。検察から上告された場合に備えて、判決の不満な部分をリストアップしていたのかもしれない。
 被害者遺族は閉廷後、検察官に「ありがとうございました」と礼を述べ、頭を下げていた。しかし閉廷後の廊下では、遺族らしき誰かが、号泣しているようだった。被害者関係者たちに囲まれていたため、誰が泣いているのかは解らなかった。

 私は、重荷が取れた気持になる半面、もやもやとした思いも残った。私自身は、「民意」という錦の御旗のもと、判決への異論や批判が封じ込められかねない現状に、危機感を抱いていた。今回の判決は、裁判員判決への議論の扉を開いたと言える。
 しかし、一審を傍聴した際には、竪山の犯行や法廷での言動に、嫌悪感を抱いた。自己嫌悪や家族への思いは信じられたが、被害者に向けた涙は信じられなかった。発言の端々に、自分を少しでもよく見せたい、という思惑が見え隠れしていた。それは無意識ではなく、意図的な歪曲と感じられた。
 不出廷も、性格に沿った行動だったとも言える。一審を傍聴した限りでは、竪山は他者から危害を加えられることが多く、希望と信頼の欠如した人生を送ってきた。だからこそ、まともな生活をあきらめて易きに流れ、犯罪を繰り返したのではないか。
 そして、最後には生を諦め、法廷に姿を見せなかったのかもしれない。





 2013年5月14日、東京高裁で、伊藤和史の控訴審初公判が行われた。
 伊藤の控訴審は、東京高裁第10刑事部に係属。公判は805号法廷で行われた。事件番号は、平成24年(う)第572号。罪名は、死体遺棄と強盗殺人である。
 「被害者」たちの犯罪から逃れるための事件であるにもかかわらず、「強盗殺人」という罪名が適用された理由については、下記の記事を読んでいただきたい。
http://masimaziken.blog.jp/archives/1006846580.html 

 5月14日当日。14時45分の傍聴券抽選の締め切り前に、29枚に対して43人が並んだ。思いのほか大勢が並んだのは、午後からの公判であり、適当に並んでみた人間も多かったからか。『長野の会』のメンバーは、6人が傍聴券に並んだが、すべて外れてしまった。私が一人当たり、法廷へと入る。
 「遺族」として公判に頻繁に顔を見せたK・Kは、伊藤の控訴審公判でも、傍聴席の最前列に陣取っていた。しかし、他に遺族らしき人はいない。伊藤の地裁公判に大挙して押し寄せ、被告席を威圧していた遺族たちは、どこへ行ったのだろう。
 伊藤の弁護人は、長野地裁で伊藤の弁護を担当していた今村弁護士が、控訴審でもついていた。もう一人は、控訴審から新たに担当となった、東京弁護士会所属の初老の弁護士である。この弁護士も、今村という名前らしい。
 検察官は、痩せており、眼鏡をかけ、髪をオールバックにした初老の男だった。風貌からは、小役人じみた雰囲気を、どうしても感じてしまう。名前は、水沼祐治といった。
 記者席には、二席ほど空席があった。また、傍聴席には一席、空席があった。この席を使うことができたならば、『長野の会』のメンバーも、半分ほどは傍聴ができただろう。何とももったいない。
 裁判長は、村瀬均。裁判官は、秋山敬と池田知史である。裁判長は、黒髪を七三分けにした、眼鏡をかけた初老の男性だ。知的で謹厳な印象を与える風貌である。秋山裁判官は、髪をオールバックにした4,50代の男性。池田裁判官は、まじめそうな印象を与える、整った顔立ちの中年男性である。
 この裁判官たちの名を見て、思い当たる人もいるかもしれない。港区の男性殺害、千葉女子大生殺害事件と、裁判員裁判の死刑判決をたて続けに破棄し、無期懲役を言い渡した裁判官たちである。この公判を傍聴した時には、破棄減刑判決をまだ出していない。私も、裁判官たちに注目していなかった。
 公判開始は、15時からであったが、開始前に2分間ほどのビデオカメラによる撮影が行われた。被告人は、この時は法廷に不在である。裁判長たちの顔と、傍聴人の後頭部が映されるだけだ。
 撮影が終わってから、伊藤は二人の刑務官に連れられ、法廷に入廷した。髪を短く刈っており、白い長袖ジャージの上下を着ていた。肌には相変わらず生気がなく、痩せている。眼鏡の奥の瞳は、柔和でまじめな印象だが、その表情は、硬く暗かった。しかし、瞳には、少し落ち着いたような印象があった。真島の家から離れることができてから、長く経過したことで、少し精神的に平穏を取り戻したのだろうか。
 伊藤は、三列ある傍聴席の、それぞれの列に一礼した後に、被告席に座った。
「開廷します。被告人は前に出てください」
裁判長に促され、伊藤は証言台の前に立つ。裁判長は、型どおりに人定質問を始めた。伊藤は、やや小さな硬い声で、それに答えた。
裁判長「名前は何と言いますか」
伊藤「伊藤和史です」
裁判長「生年月日は」
伊藤「昭和54年2月16日生まれです」
裁判長は本籍についても質問し、伊藤は答えた。
裁判長「住所は」
伊藤「長野県長野市真島町真島2009-4」
 これは、伊藤が自ら選んだ場所ではない。真島の家の住所だ。事件から4年が経過した今でも、未だに、真島の家の住所を使わねばならないのである。未だ扉は閉ざされ、被告たちは繋がれている。伊藤たちが法廷に立つたびに、私は同じことを感じるだろう。
裁判長「仕事は何をしていますか」
伊藤「会社員です」
 あの奴隷的搾取を、会社員と呼ぶべきだろうか?しかし、体裁上は会社員とされており、報道でも金父子の従業員となっていた。伊藤としても、そのように答えるしかないのか。
「はい、じゃあ元に戻ってください」
裁判長に促され、伊藤は被告席へと戻った。
弁護人の控訴趣意は、6月28日付の趣意書の通り。検察官の答弁は、6月29日付答弁の通り。
 弁護人は、証人を三名、書証を1から7番まで請求する。また、被告人質問の実施も請求した。検察官は、これに対して、伊藤の母の証人尋問のみを了承し、他の二人は不必要であると意見を述べた。書証は、1番不同意、2番は同意、3番から7番までは不同意。被告人質問については、「しかるべく」すなわち、裁判官に任せる、という態度であった。
裁判長は、まず、伊藤の作成した上申書を取り調べることにした。検察官も、取り調べには同意する。上申書の写しが、裁判所に提出された。
「伊藤証人について、取り調べます。証人の方、前に」
 続いて、伊藤の母を証人として取り調べることとなる。伊藤の母は促され、証言台の前に立った。裁判長の人定質問に答える。
「宣誓、良心に従って・・・真実を・・・何事も・・・述べることを誓います・・・」
涙声で、しゃくり上げながら、宣誓を行う。言葉は途切れがちだった。所々、声は聞き取れないほど小さかった。
「今、読まれた内容は、解りますね?」
 通例通りの注意だが、裁判長の声は心配そうだった。
 一審から伊藤を弁護してきた今村弁護士が、伊藤の母の証人尋問を担当した。
弁護士「伊藤和史さんの、お母さんですね」
証人「はい」
弁護士「和史さんがここにいる理由は、解りますか」
証人「はい」
弁護士「どういった理由でしょう」
証人「三人の方を殺害したからです」
弁護士「それを知ったのは」
証人「TVのニュースです」
弁護士「和史さんの幼少期について教えてください。まず、和史さんと、何歳のころまで同居していましたか」
証人「22歳の時までだと思っています」
弁護士「離れた理由は」
証人「結婚するので、二人で暮らすと言っていたと思います」
弁護士「それでは、和史さんが生まれてから、今迄まで順に聞いていきますね。和史さんは、昭和54年に生まれていますね。和史と名付けた理由は?」
証人「平和の和と、史は、姓名判断の本を読んで、字が画数にあうというので、つけました」
 また、証人尋問の中では、伊藤の生い立ちが語られた。
家族のプライバシー保護のために詳細は記載しないが、伊藤は、母の再婚相手などから、幼少時に虐待を受けていた。暴力を伴った、肉体的・精神的虐待である。この経験で、暴力への無力感が刷り込まれたのだろうか。母が元々同居していた男は、家に生活費を入れず、伊藤の母を売りとばそうとしたこともあったらしい。
弁護士「(学校を中退してから)平成12年までの和史さんの生活は?」
証人「インド料理店に勤めていました。」
弁護士「逮捕されてから、最初に和史さんにあったのはいつですか」
証人「平成24年、8月です」
弁護士「すぐに会いに行かなかった理由は」
証人「会いたくなかったです」
弁護士「なぜ」
証人「諦めようと思いました」
弁護士「どういうことですか」
証人「こういう事件を起こして、私たちを裏切っている。そう思ったんです」
弁護士「一審判決後、面会しましたね」
証人「はい」
弁護士「なぜですか」
証人「和史の手紙の内容と、弁護士さんに、挨拶せないかんと思いました」
弁護士「面会して、良かったですか」
証人「はい」
弁護士「面会して、印象に残ったことは」
 伊藤の母は、これまでも啜り泣いていた。しかしこの時、当時を思い出して感極まったのか、はっきりと泣き出した。数年ぶりに再会する息子は、獄舎に囚われていただけではない。昔と比べて窶れはて、やせ細っていただろう。立ち振る舞いと外見の変化が、伊藤の境遇を、なによりも雄弁に物語っていたのではないか。そして、何もできなかったという後悔が、心を満たしたのかもしれない。
証人「三人とも、涙涙で、会話したこともあまり覚えてないです」
弁護士「貴方は、和史さんの控訴趣意について読んだ」
証人「はい」
弁護士「事件の理由について」
証人「少し話しました」
弁護士「上申書は」
証人「読みました」
弁護士「感じたことは」
証人「和史の性格の臆病なところ、出たと」
弁護士「事件時、和史さんが他の人から暴力を受けていたことを、知っていましたか?」
伊藤の母は、頷いた。
弁護士「なぜ知ったのですか」
証人「家で短パンをはいていて、足を組んだとき、足の傷が酷くて、どうしたと聞きました」
 宮城により、刺された傷であろう。現在でも、まだ痕は残っている筈だ。
弁護士「答えは」
証人「刺されたって言っていました」
弁護士「理由は」
証人「聞かなかったです」
弁護士「和史さんは、普段は」
証人「プレゼントを、誕生日にくれたり」
弁護士「事件でニュースを見た時、どう思いましたか?」
証人「和史が殺されたと思いました」
弁護士「なぜ」
証人「足と腹を刺されたことで、とんでもないところに行っていると思ったからです」
弁護士「和史さんが加害者と知って」
証人「『反対だ』と(TVを見ていた家族に)言いました。とんでもない、何かが起こっていると思いました」
弁護士「事件前、和史さんと会ったのは」
証人「1月の、20日です」
弁護士「何がありましたか」
証人は答えたが、声が小さく聞き取れなかった。今村弁護士も、それは同様だったらしい。
弁護士「もう少し、大きな声でお願いします」
 伊藤の母を、なだめるように言う。
証人「和史が、トラックを・・・」
弁護士「何か買ってくれたのですか」
証人「ベッドです。買ってくれたので、それを取りに行きました。西宮まで一緒に行ってくれました」
弁護士「和史さんは、毎年1月1日に帰ってきましたか」
証人「いいえ」
弁護士「和史さんの、長野での仕事について」
証人「いいえ、知らなかったです」
弁護士「長野のどこに住んでいるか」
証人「いいえ、知りませんでした」
弁護士「事件前、和史さんが、困って貴方に助けを求めたことは」
証人「ありました」
弁護士「なんですか」
証人「お金を借りるので、保証人になってほしいと」
弁護士「いくらですか」
証人「最初は100万と言っていたので、それなら用意できるから、本当はいくらと聞きました」
弁護士「そうしたら」
証人「4~500万円と答えました」
弁護士「いつのこと」
証人「8年前です」
 宮城と良亮に監禁され、養子縁組を強要されていた頃のことだ。この時点で、何とか伊藤を救うことはできなかったのだろうか。しかし、伊藤と母は、当時は疎遠になっていた。伊藤の母にしてみれば、おかしいとは思っても、どのような事情があるのか、よく解らなかったかもしれない。そして、伊藤の母は、警察や法的知識とは、無縁に暮らしてきたようだ。このような事態を誰に相談すべきか、思いつかなかったのかもしれない。これらの事情が、警察や弁護士への相談を、躊躇させたのか。
弁護士「誰に金を貸すと?」
証人「いえ、名前は白紙でした」
弁護士「契約書はありましたか?」
証人「借用書・・・」
弁護士「貴方は、サインしましたか?」
証人「いえ、しません」
弁護士「これから、和史さんとどう接していきますか」
証人「できることをしていきたいです」
弁護士「考えられることは」
証人「手紙か、お金…」
弁護士「和史さんのことをあきらめたと言っていましたが、今はどう考えていますか?」
証人「協力して、頑張りたいと・・・」
 小さな、消え入りそうな声だった。そして、しゃくり上げているため、聞き取りにくい。裁判長は、「大きな声でお願いします」と、注意を促した。
証人「私にできることがあれば、したいと思っています」
 今度は、しゃくりあげながらも、はっきりした声で答えた。
弁護士「どうして、今は寄り添って、接していこうと思いますか?」
証人「特に何もしてやれず、可哀そうなことをしたと悔いています」
 幼少期の頃の事か、それとも、宮城や良亮に搾取されるようになってからの事だろうか。あるいは、その両方なのか。
弁護士「和史さんに、言ってあげられることは」
証人「ひどいことをして、悪かった・・・」
語尾は消え入り、涙声であり、聞き取ることができなかった。
弁護士「終わります」
 検察官はから、証人尋問は行われなかった。伊藤は、母親の証言を、硬く暗い表情で聞いていた。嫌な記憶を、緊張を強いられる場で想起させられたのだ。ひたすら苦痛だったのだろう。そして、自らの行為が母に与えた影響を目の当たりにし、暗然としたのかもしれない。
 しかし、伊藤はどうすればよかったのか。長野地裁で裁判長たちと「市民」が認定したように、簡単に逃げることができたのだろうか?伊藤以外の人間は、同じ立場に置かれたら、どのような行動をとったのだろう。
 私のとりとめのない考えをよそに、村瀬裁判長により、証人尋問の終了が宣せられた。そのとき、伊藤の母は、伊藤に頭を下げた。
「ごめんなさい、お母さんを許してください!」
 嗚咽交じりの、叫びのような声だった。伊藤は、母に深々と頭を下げ返す。表情は影になり、よく見えなかった。しかし、当然ながら、明るいものではなかっただろう。
 伊藤の母は退廷しながらも、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、何度も繰り返し、頭を下げる。法廷の外の廊下に通じる出入り口でも、「ごめんなさい」と泣き叫び、伊藤に頭を下げた。伊藤は母が叫ぶたびに、その声に押し潰されるように、黙って頭を下げ返す。慟哭する母に、言葉をかけてあげたかっただろう。しかし、それは法廷では許されない。
 裁判官たちが、この光景にどのような感情を抱いたかは、表情からは窺い知れなかった。しかし、「被害者遺族」であるK・Kは、すすり泣いている伊藤の母の姿を見ながら、にやにやと笑っていたように見えた。
 その表情は、苦しみを租借し、味わっているかのようだった。
 伊藤の母が退廷した後、裁判長はいくつか期日を指定した。5月30日15時、6月18日15時、7月16日15時、それぞれ被告人質問などを行うとのことだった。その後もさらに、審理を続行予定とのことだ。
 期日指定の後、15時58分に、伊藤和史の控訴審初公判は閉廷した。法廷に満ちていた緊張が切れる。傍聴人たちは席を立ち、出入り口へと向かっていった。心なしか、誰もが早足だった。
 伊藤は手錠をかけられ、退廷を促される。伊藤は証言台の前を横切り、傍聴席に背を向けた。法廷には、ほとんど人が残っていない。
 「伊藤さん、頑張ってください」
 私は、伊藤の背中に声をかけていた。法廷で目立つ行動をとるのは、躊躇があった。それでも、ここで黙っているのは許されない、と思えたのだ。
 伊藤は、傍聴席に背を向けたまま、前方に頭を下げた。言葉は伝わったようだが、歩みを止めるのは許されない。そのまま刑務官に引率され、被告用入り口の奥に姿を消した。
 扉は閉ざされた。
 長野地裁は、真島の家の扉を、より固く閉ざした。東京高裁は、どのような判断をするだろう。扉を開くのか、それとも、扉にもう一つ、閂を取り付けるのか。
 

 千葉女子大生殺害事件は、村瀬裁判長が破棄減刑した、裁判員死刑事件の一つである。この事件と、真島事件とは、事件内容としては全く関係はない。しかし、村瀬均裁判長が同じ時期に担当した、裁判員裁判の死刑事件である。どのような審理を行ったか。どのような理念をもって、裁判員死刑事件の審理に携わったか。真島事件控訴審への姿勢を知るうえで、無駄ではないだろう。
 上記のような理由から、参考に供する為に、千葉女子大生殺害事件の傍聴記を掲載することにした。
 なお、肝心の伊藤の公判傍聴記も掲載する予定である。しかし現在、伊藤に掲載内容について意見を聞いている最中であり、先にこの事件の傍聴記を掲載することになってしまった。

2013年6月4日
東京高裁刑事10部
事件番号・平成23年(う)第1947号
罪名・住居侵入、強盗強姦未遂、強盗致傷、強盗強姦、監禁、窃盗、窃盗未遂、強盗殺人、建造物侵入、現住建造物等放火、死体損壊
被告人・竪山辰美
裁判長・村瀬均
裁判官・秋山敬
裁判官・河本雅也
検察官・水沼祐治
書記官・小林幸

 この公判では、傍聴券の抽選が行われた。29枚の傍聴券に対し、13時10分の締め切りまでに86人が並んだ。ほぼ三倍の倍率である。
 事件から4年近く経過し、一審判決からほぼ2年経過しているにもかかわらず、多くの希望者がいたことは、事件への関心の高さをうかがわせた。発生時、事件は大々的に報道された。判決時には、「裁判員裁判初の、被害者一名での死刑判決」として、注目された。
 私はこの事件の一審を傍聴し、事件自体にも関心を持っていた。また、村瀬裁判長たちが真島事件の審理を担当していることも、傍聴した理由である。この裁判の数日前には、伊藤の第二回控訴審公判が、村瀬均裁判長により行われた。この事件の審理は、伊藤の裁判の行方を占うことになる筈だ。
 記者席は10席指定され、すべて埋まっていた。それだけではなく、傍聴希望者の中にも記者らしき姿がちらほらと見えた。
 遺族席は数席指定され、すべて埋まっていた。
 検察官は、伊藤の控訴審公判も担当している、水沼祐治である。薄くなりかけた髪をオールバックにした、痩身で初老の男だった。目尻に皺がよった眼を、眼鏡の奥で瞬かせている。怜悧というよりも、狡猾な印象を与える。
 その隣には、白髪を短く刈った、赤ら顔、中肉の初老の男性が座っていた。さらにその隣には、髪の短い痩せた初老の女性と、白髪交じりの短髪の初老の男性が座っていた。検察官の隣の男性は、公判中に表情を変えることはほとんどなく、被害者参加人の弁護士ではないかと思えた。その隣の男女は、被害者の両親だろうか。
 弁護士は、髪の短い青年と、スキンヘッドであり、眼鏡をかけて顎鬚を生やした中年男性だった。一審から、竪山の弁護を担当していた弁護士たちである。
 注目された公判だったにもかかわらず、この日は法廷内のビデオカメラによる撮影は行われなかった。もっとも、被告人や裁判の様子が撮影されるわけでもないので、撮影で伝わるのは、裁判官、検察官の顔と、傍聴人の後頭部だけだ。撮影が行われなくとも、問題ないかもしれない。
 傍聴人が傍聴席を全て埋め尽くし、関係者や裁判官たちが入廷すると、すぐに被告人である竪山辰美が入廷した。表情は硬く、緊張しているようにも見える。刑務官二人が、その両側に付き添っていた。
 特徴のない、真面目そうにも見える顔立ちからは、女性へのゆがんだ認知や、犯行の凶悪さは連想しにくかった。後退した髪、眼鏡、ノーネクタイのスーツ姿は、被告人をくたびれた、普通の中年サラリーマンのように見せている。引き締まった体格をしており、長い未決生活にも関わらず、体型は崩れていない。
 竪山は、傍聴席の視線を浴びながら証言台の前を横切り、被告席に座った。着席してからは、刑務官に何か少し話しかけていた。
 控訴審公判は、千葉地裁の死刑判決から、約2年後に開始された。開始時刻は、13時30分だった。
 村瀬裁判長は人定質問のため、「では、被告人は前に立ってください」と、証言台前での起立を促した。竪山はその言葉に従い、証言台の前に立つ。
裁判長「名前は何と言いますか」
被告人「竪山」
そして、竪山はなぜかそこで沈黙した。
裁判長「竪山?」
裁判長は、先を促す。
被告人「辰美です」
特に調子を変えることなく、自らの名前を答えた。
裁判長「生年月日は」
被告人「昭和36年3月16日」
裁判長「本籍はどちらですか?」
被告人は、質問に答えた。
裁判長「決まった住所はありませんか?」
被告人「ありません」
裁判長「決まった仕事はありませんか?」
被告人「ありません」
裁判長「では、席に戻ってください」
 これで、人定質問は終わった。竪山は裁判長の言葉に従い、被告席へと戻る。そして、裁判所は控訴審の証拠調べに入る。
 弁護人の控訴趣意は、1月10日付趣意書、1月10日付補充書、5月21日付補充書の通りであると述べる。また、弁護人は、証拠調べに先立ち、控訴趣意の内容について10分ほどの陳述を行いたい、と述べ、許可された。年若い弁護士が立ちあがり、証拠調べに先立つ弁論を行った。

<弁護人の冒頭弁論>
 原判決のような死刑判決は、過去に見当たりません。本件では、殺害された被害者の方の数は一名です。殺害の計画性は、全くありません。そして、被告人には、過去に人を死亡させた前科もありません。このような事案の中で死刑が選択された事案は、過去に存在しません。ですから原判決は、過去に例のない、特殊な判決と言っても良いかもしれません。
 死刑は、被告人の生命そのものを、国家の手により永遠に奪い去る刑罰です。無期懲役以下の刑罰とは、本質的に全く異なる(強調)、異次元の刑罰です。死刑の選択は、それ以外の刑罰は選択の余地がない、真にやむを得ない場合にしか選択できません。ですから、死刑求刑事件の審理は、おのずと高度の慎重さが求められます。その中でも、本件は、死刑求刑事件の中でも、過去に例のない判決。ですから、この事件で死刑を選択することは、ある意味で過去の先例を破る、ということにもなります。過去の先例を破ってまで、死刑を選択する必要があるのか、これ以上ないほどに慎重に審理を尽くした上でなければ、その判断はできないはずです。ところが残念なことに、原審はこれ以上ないほど慎重に審理をしたとは到底言うことはできません。原判決は、誤っております。破棄されねばなりません。
 原審は、大きく三つの過ちを犯しました。
 なかでも、最大の過ちは、過去の死刑求刑事件と本件とを、比較検討しなかったことです。
 この過ちは、致命的です。そもそも、過去の先例と比較検討することなく、この事件だけを見て、死刑が真にやむを得ないか否かを判断することは不可能です。そんなことはできるわけがありません。
 その理由は、死刑が真にやむを得ないか否かは、一義的に明確でなく、抽象的な評価に過ぎないからです。死刑が問われる事件ですから、悪質性が非常に高いのは当然です。問題はその先にあります。
 悪質性が非常に高い中で、どこまでなら無期懲役で、どこからが死刑なのか、長い刑事裁判の歴史で、どのような事情が無期懲役から死刑へと質的な転換をもたらし、死刑が選択されてきたのか、あるいは回避されてきたのか、過去の先例を参照せずに、判断できる訳もありません。死刑の判断は、過去の死刑判決の積み重ねの上に成り立っています。
 もう一つの理由は、刑の均衡、バランスにあります。死刑は無期懲役以下の刑罰とは、本質的に異なります。全ての刑罰の中で、死刑だけが突出した存在であると言っても過言ではありません。それにもかかわらず、同じような犯罪を犯したのに、ある人は無期懲役になり、ある人は死刑になる。結論がばらけてしまうことは、許されないことです。刑の均衡が図られていない裁判は、公平な裁判ではありません。
 このように、過去の先例を参照せずに、死刑選択の判断を行うことは不可能です。実際にも、従来の裁判官裁判においては、過去の先例との比較検討作業が、当然のように行われてきました。当事者が証拠として、過去の死刑求刑事件の判決文などを提出してもしていなくても、過去の先例との比較検討を慎重に行い、均衡を図りながら、死刑選択の判断が成されてきたはずです。
 それでは、このような比較検討作業は、裁判員裁判が始まった後はしなくてもいいのでしょうか。そんなことはないのです。むしろ裁判員裁判が始まった後では、従来よりも慎重に、比較検討作業をしなくてはならないのです。そもそも、裁判員は法的知識がなく、従来よりも詳細に法的説明をしなければならない。死刑求刑事件においては、より丁寧な説明が求められてしかるべきです。この作業は、本件の審理に書くことのできない大前提、必須の作業ともいえます。
 しかし、原審裁判所は、この必須の比較検討を行わなかった。ついうっかり忘れてしまったのではなく、意図的に行わなかったのである。原審の裁判長は、あえて過去の死刑求刑事件の資料を、裁判員たちに提供しませんでした。私たち弁護人にも、過去の先例に触れることを禁じました。そして、本件だけの事情を見て、判断をさせた。この過ちは致命的である。
もう一度言います。被害者の方の数は一名、殺害の計画性は全くなく、過去に人を死亡させた前科もない。このような事案のもとで死刑が選択された事案は、過去に存在しません。誤った結論です。もしも過去の先例との比較検討を慎重に行えば、死刑は選択されなかった筈です。原判決の量刑が、不当であることは明らかです。
 原審の第二の過ちは、殺害態様についての事実誤認です。松戸事件の殺害態様が悪質極まりない、というのが、死刑判決の大きな理由であった。
 左胸の傷について、被害者の体を固定し、スピードをつけて突き刺した、と認定している。しかし、これは誤りである。
 胸骨を真っ二つに切断している、というが、切断されているのは胸骨だけではない。第一肋軟骨、胸骨の二つを切断しているのである。骨のジョイント部分を切断している。
 刺突に用いられた力は、原判決の認定よりも、相当に小さい疑いがある。原判決のような殺害態様は認定できない。早川医師の証言から認定できる殺害態様からは、逸脱している。
 首、胸の五つの傷の成創順序などの原審認定は、極めて疑問が残る。これは、判決に重大な影響を及ぼす事実である。
 第三の過ちは、被告人の人格傾向について、判断を誤っている。
 原審判決は、被告人の反社会性は極めて強いと認定している。
 確かに、被告人は何度も服役しているが、被害者一人で死刑になる前科は、限定的である。出所後すぐに事件を起こしているが、服役して出所後すぐに一人を殺し、三件の殺人未遂を行った場合でも、死刑が回避された例がある。
被告人は、鑑定によれば、自閉症スペクトラムの可能性がある。父から激しい暴力を受け、施設ではいじめられており、女性への認知のゆがみがあった。
しかし、原審は、心理鑑定、精神鑑定の申請を、すべて却下した。そして、法廷での言動から、発達障害の可能性がないと断じた。
被告人の障害と、一連の犯行への関係を判断せず、死刑にした原判決は誤っている。
 裁判員裁判の判断は、尊重すべきという考え方がある。しかし、誤った前提をもとに導き出された結論を是正するのは、高裁の役目である。
 原判決は誤った前提をもとに導き出されており、是正されるべきである。
 過去の判例との比較検討を、徹底的に行ってください。
 どの傷が左胸の骨を切断しているか、適正に認定してください。
 殺害態様を、証拠に基づいて、正しく認定してください。
 被告人の性格傾向と本件犯行との関連性を、明らかにしてください。
 そして、今度こそ、これ以上ないほど慎重に、審理を行ってください。原判決の過ちを正してください。
以上です。

 弁護人の陳述は、実際には20分をすこしオーバーしていたと思う。竪山は陳述の間、目を開け、口を半開きにし、前に向いていることが多かった。時折、瞬きをしていた。その表情からは、内心はうかがえない。
裁判長「特に、書面はありませんか」
弁護士「今の陳述に対しては」
裁判長「趣意書、および補充書の一、補充書の二」
弁護士「はい」
裁判長「検察官の答弁は、3月4日付の答弁書のとおりですか」
検察官「はい」
 そして、証拠請求へと移った。
 弁護人は、7月10日付書証として、弁1番から9番までの書証を、証拠請求した。人証、陳述書、精神鑑定請求。被害者の解剖を行った早川医師による鑑定書、7月27日付の精神鑑定補充書などである。また、証人として、長谷川証人と、ほかもう一人を証人として請求した。
 検察官も、3月2日付で、鑑定書嘱託書と鑑定書を請求した。
 裁判長は、双方の証拠請求について、意見を尋ねた。
 検察官は、弁4の早川鑑定書以外、不同意。精神鑑定と、証人二人についても、不必要と述べる。5月22日付の精神鑑定補充書も、不同意であった。弁護人は、検察官請求の鑑定書について、いずれも不同意であると述べる。
 裁判所は、早川医師の鑑定書以外、弁護人請求の書証を却下し、鑑定請求と証人二人についても、いずれもその請求を却下した。検察官請求の鑑定嘱託書も、いずれもその請求を却下した。
 却下が申し渡されたとき竪山は、青いファイルに収められた書類に目を通していた。一見したところでは、ショックを受けているようには見えなかった。平静を装っているのか、それとも、もとより主張が容れられることを、期待していなかったのか。
 弁護人は却下に異議を唱え、検察官は「意義には理由がない」と意見を述べた。裁判長は、異議を棄却した。
続いて、検察官は被害者遺族の意見陳述を請求する。被害者両親の意見陳述である。陳述書は裁判所に提出され、裁判官がそれを読み上げた。
 被害者の父は陳述書の中で、次のように述べていた。
「一審判決は、F(松戸事件の被害者)が殺されてから、初めて納得できる言葉だった」「判決を聞いてうれしかった」「F以外の事件だけで死刑にすべきだが、Fの事件があって初めて死刑にできた」
「計画性がなかったなど、到底認められない」「裁判で嘘ばかりついているから.死刑になった」
被害者の母は陳述書の中で、次のように意見を述べていた。
「主文後回しと聞いた時、死刑になると思った」「Fが自分のすべてと引き換えにした極刑」「控室では、支援者、他の事件の被害者など、一体感がわきあがった」「ほかの事件の被害者の方とはこれまでお話したことはないが、『Fさんとお話しさせていただいても良いですか』と言って、遺影に手を合わせてくれた」「すべてを奪った犯人を、死刑にしてほしい」「一審後、犯人は控訴した。死刑判決が出た時、犯人は、『ありがとうございました』と言った。どういうつもりなのか。控訴審で弁解の機会が与えられていること自体、許しがたい」「一審判決が高裁でも支持され、一日も早く死刑が執行されることを祈っている」
 竪山は、意見陳述の間は前を向き、目を閉じていることもあった。
 検察官の席に座っている遺族らしき人々は、陳述書が読み上げられる間、目を閉じたり、宙を仰いでいることがたびたびあった。
裁判長「以上で結審します」
 被告人は、結審という言葉が裁判長の口から発せられたとき、裁判長の方をじろっと見た。
 これでおしまいだ。
 竪山も、弁護士も、法廷にいる誰もが、同じ思いだっただろう。検察官は、勝利を確信していたに違いない。被告人が申請した証拠は、遺体解剖書以外に採用されなかった。被告人質問も、証人尋問もない。これで、誰が減軽を予想するだろうか?
 法廷でのやり取りを聞いた限りでは、弁護人は被告人質問を請求しなかったらしい。意外だが、原審での竪山の主張が裁判所の不興を買ったため、やめた方が良いと判断したのだろうか。それとも、精神鑑定が採用され、鑑定人尋問が終わった後に、被告人質問を請求するつもりだったのだろうか。
 裁判長は、10月8日に、控訴審判決期日を指定した。竪山は刑務官に何か質問をする。質問された刑務官は、もう一人の刑務官に確認してから、返答内容を竪山に伝えていた。控訴審判決の期日について、質問をしていたのだろうか。
裁判長「10月8日10時30分、この法廷で判決を言い渡します。それでは、今日はこれで終わります」
 裁判長は閉廷を言い渡し、14時7分に、控訴審初公判は終了した。たったの三十分。人定質問の受け応えが、竪山の法廷での、最後の言葉となった。
 竪山は下を向き、せかせかとした足取りで退廷した。それは、厭な場所から足早に立ち去ろうとしているようにも見えた。しかし、被告用出入り口の所で、法廷内に向けて、深々と頭を下げた。自己保身があったとしても、竪山なりに自責の念は芽生えているのか。それとも、単に形だけのものなのか。なぜ、一審で死刑判決が下されたとき、「ありがとうございました」と口にしたのか。
 何一つ本人の口から語らせることなく、竪山辰美の控訴審は、結審した。




 伊藤和史が東京高裁に提出した上申書を、掲載する。
 これは上申書の原本ではない。 伊藤が書いた上申書を、弁護士がWordで文書にまとめたものである。伊藤に承諾を得て、この上申書を関係者より送ってもらった。

 この上申書は、村瀬裁判長たちに自らの境遇を分かってもらうため、伊藤が書いたものだ。金父子と宮城の犯罪の詳細が、書かれている。それは、伊藤に向けられたものだけではなく、松原や第三者に向けられたものも含まれる。
 そして、記述内容は、金父子や宮城の犯罪だけではない。
 金父子の、他者への暴力と抑圧の上に成り立つ、異様な日常。宮城の覚せい剤中毒ゆえの、異様な言動。関東から関西まで、債務者を追い詰める、恐ろしい執念。
 この記事を読んでいる方々も、日常で粗暴・冷酷な人間に接し、その言動自体に耐え切れない思いを抱いたことがあるかもしれない。常識的な人間は、邪悪な行為を目にすれば、己に矛先が向けられたものでなくとも、恐怖と嫌悪を抱くものである。「真島の家」における生活は、己に向けられた犯罪を除いても、その苦痛とやりきれなさを極限まで煮詰めた、地獄の釜であった。
 直接的な犯罪だけではなく、異様な日常も、被告たちを痛めつけ、追い詰めていた。事件について語るとき、それを忘れるべきではない。

伊藤和史・控訴審上申書

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