伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

2014年07月

 松原智浩の最高裁判決が、9月2日に指定された。

 最高裁弁論から、ほぼ一か月半。破棄減刑となるには、あまりにも早い期日指定に思える。
 もちろん、冤罪を主張して最高裁で破棄差し戻しとなり、大阪地裁で無罪判決を受けた、大阪母子殺害事件のような事例もある。この事件の被告は、2010年3月26日に最高裁弁論が行われ、同年4月27日に破棄差し戻し判決を受けた。ちなみに、第一次控訴審判決は、2006年12月15日である。控訴審判決から上告審判決まで、3年4か月。この期間も、長いとは言えない。
 しかし、最高裁がまともな反応を返したのは、証拠が状況証拠のみで、被告が冤罪を主張していたからだ。被告側の主張が取り上げられた例は、死刑事件の場合、無罪主張が殆どである。
 最高裁で、死刑事件の量刑不当が認められたのは、大阪の強盗殺人事件と日建土木事件の二件のみ。破棄差し戻しを受けて無期懲役に減刑された事件はあるが、高裁が被告の防御権を侵害した場合など、法令違反が問題となった場合である。それも、数は多くない。
 松原の判決について、楽観的な考えを抱ければと思う。しかし、現実的に考えれば、それはおよそ不可能だ。
 
 私の推測が外れることを祈りつつ、判決を待つ。

 この記事では、真島事件の被告たちに与えられた「強盗殺人」という罪名について、書いていきたい。なお、強盗殺人の法定刑は死刑か無期懲役であるが、それよりも減刑することは可能である。
 伊藤和史と松原智浩の罪名、裁判結果は、以下のとおりである。

<伊藤和史>
犯行時・31歳
罪名・強盗殺人、死体遺棄。
求刑・死刑
一審・長野地裁。2011年12月27日、死刑判決。
二審・東京高裁。2014年2月20日、控訴棄却。
現在、上告中。

<松原智浩>
犯行時・39歳
罪名・強盗殺人、死体遺棄
求刑・死刑
一審・長野地裁、2011年3月25日、死刑判決。
二審・東京高裁。2012年3月22日、控訴棄却。
現在、上告中。

 伊藤の真島事件の起訴罪名は、強盗殺人、死体遺棄。宮城事件については、殺害には関与していないため、死体遺棄のみで起訴されている。松原は真島事件のみの起訴である。
 「強盗殺人」という罪名に、首をひねったかもしれない。伊藤たちは、利益を得るために、人を殺したのか?答えは、もちろん否である。被告たちは、被害者たちから日常的に暴力を振るわれ、労働を強いられるなど、犯罪被害にあっていた。当然、金父子に怒りと恐怖を抱き、自由を欲して、殺害を決意した。裁判所の判決も、それを認めている。例えば、伊藤の高裁判決では、以下の通りである。
 『被告人は、文夫親子から解放されて家族の下に帰るために本件各強盗殺人に及んでおり、金銭奪取を目的とする典型的な強盗殺人とは、異なる面がある』 
 なぜこのような動機であるにもかかわらず、罪名が「強盗殺人」となっているのか。それには、まず、強盗殺人という罪名について、説明せねばならない。

 強盗殺人と聞けば、「金を奪う目的で、恨みのない人を殺した事件」と考えるだろう。しかし、実際には違う。
 強盗殺人という犯罪は、利欲目的、怨恨を晴らす、といった動機と無関係に成立する。成立要件は、「人を殺害し、その殺害行為を手段として金品を奪う意図がある」というものだ。つまり、殺害前に、「被害者を殺害し金を奪う」という意図を抱いていれば、強盗殺人は成立するのである。例えば「恐喝された恨みから殺害を決意し、これまでの損害の埋め合わせとして、ついでに財布を奪うことを企図し、殺害を行った」という事件。この動機は恨みであり、利益目的ではない。それでも、強盗殺人は成立する。
 それでは、伊藤たちは、自らが無給で働かされ、搾取された埋め合わせに、金を奪おうとしたのか?それも、否である。結果的に金銭を分配したが、伊藤と松原は、金を自分のために使おう、とは犯行前には考えていなかった。金を奪おうと考えた理由は、「被害者」たちの死体遺棄と関係があった。
 伊藤は、取引相手だった斎田に、金父子の死体遺棄を依頼した。斎田は金父子から被害を受けていなかったが、報酬目的に、死体遺棄を引き受けた。そして、伊藤に200万円の金銭を要求した。もちろん、金父子から搾取されていた伊藤に、そのような金はない。どこから金を工面するか。松原と話し合った結果、金父子が所有する金銭から、報酬に必要な分だけとることとした。そのため、「殺害の際に金銭を奪う意図があった」とされて、強盗殺人とされてしまったのである。
 伊藤たちは金銭を欲していなかったが、金銭を欲して犯行に関与した唯一の人間が、斎田であった。
 金父子は闇金であり、真島の家には隠し金庫もあった。金がほしければ、徹底的に家探ししても不思議ではない。しかし現実には、物置と文夫のバッグから、461万円を奪ったのみである。そして被告たちは、そのほぼ半額である200万円を、斎田に渡している。

 それでは、伊藤を減刑することは不可能だったのか?
 強盗殺人の法定刑は、死刑か無期懲役である。この点だけでも、伊藤を無期懲役にすることに、法律上の障害はない。しかも、刑法66条により、情状を酌量し減軽することが可能だ。また、伊藤は自首が成立しているので、法律上も減軽が可能である。情状酌量だけで、死刑を選択したうえで懲役10年、あるいは無期懲役を選択したうえで懲役7年まで減軽することができる。理屈上は、伊藤は懲役3年6か月まで減軽が可能ということになる。
 情状により、刑を減軽された「強盗殺人」も存在する。被害者1名の強盗殺人で、懲役8年に減刑された事件である。これは、「被害者」の犯罪被害にあっていた事例だ。典型的な利欲目的の強盗殺人でも、自首の成立、果たした役割の程度により、有期懲役に減刑された事件は、数多い。
 このように、裁判官が真島事件の実質を認識し、それを判決に反映すれば、無期懲役や有期懲役に減刑することも、十分に可能であった。

 伊藤に加えられた恫喝と暴力は、肉体と精神を傷つけただけではない。その外見にも、大きな変化を生じさせていた。

 信濃毎日新聞には、伊藤の写真が掲載されている。やや太り気味の、恰幅のいい青年だ。丸顔に満面の笑みを浮かべており、表情からは穏やかさと、積み上げてきた人生に相応の自信が感じられる。この写真は、伊藤が大阪に住んでいた時代に撮影されたものであり、宮城に監禁される以前のものである。
 私が伊藤を始めて見たのは、2011年12月に行われた、長野地裁の裁判員裁判だ。その時の姿は、アウシュビッツに収容されたユダヤ人を、彷彿とさせた。
 体は枯れ枝のように細く、肌は土気色であり、頬はこけていた。表情は暗く、瞳には不安がよどんでいる。未だに、監禁時の苦痛と苦悩が離れないようだ。歩き方は力がなく、瀕死の病人のようだった。少しでも触れれば、体がぼきぼきと折れ砕け、崩れ落ちそうに思えた。
 私は、目の前の人物が写真と同じ人間であると、暫しの間、信じられなかった。一審公判時の伊藤は、逮捕から1年8か月ほど経過している。真島の家での暴力と恐怖から解放され、体重を取り戻す時間は、十分にあった。それにもかかわらず、未だ真島の家に拘束されているかのように、弱り、怯えている。長野地裁に心理鑑定人として出廷した森武夫氏によれば、このような状態であっても、心理鑑定時よりは元気になったとのことである。逮捕直後は、どれほどひどい状態だったのだろうか。想像することができなかった。
 実際に、体重の変化も、著しいものがあった。
伊藤の体重は、金父子に拘束され、長野県で生活させられるようになった2008年10月には、93キロあった。服のサイズは5L、ウェストは1メートルだった。しかし、2010年4月に逮捕された直前には、体重は72キロ、服のサイズはLL、ウェストは86~88センチだった。
 2013年5月30日に行われた第二回控訴審公判では、伊藤がアプリで記録していた体重の数値が調べられた。2009年3月20日から2010年3月20日までの1年間で、始めが86.8キロ、終わりが72キロとなっていた。外見の変化、体重の変化、ともに法廷に証拠が提出され、証明が成されているのである。

 異常なまでの体重の変動の原因は、死と暴力への恐怖、絶え間なく与えられたストレスであろう。日中と夜間に働かざるを得なかったことによる過労、3時間程度しか睡眠が取れなかったことも、もちろん原因に違いない。
体格の変化は、真島の家に来てからの方が激しいようだ。宮城と金父子の犯罪行為の、どこが違ったのか。以下の理由が考えられるかもしれない。
 宮城は死に直結しかねない暴力を加えていた。しかし、金父子もヘルメットの上からハンマーで強く殴る、袋叩きにする、といった十分に酷い暴力を加えていたのである。金父子は刃物を使わなかっただけであり、肉体的暴力による苦痛と恐怖は、宮城も金父子も大差ないのではないか。
 そして当然ながら、伊藤は宮城に捕らわれていた時には、まだ殺人を目の当たりにしていない。殺される恐怖は、良亮の殺人を目撃した後の方が、現実性をもって迫ってきたのではないか。金父子も、その恐怖を最大限に利用し、伊藤を精神的に拘束した。
 加えて、金父子は宮城に比べて力を持っており、逃げた人間を長野から関東、関西にわたり、追い詰めることのできる権力を持っていた。
 また、宮城に捕らわれていた時には、伊藤は妻子と離ればなれにされていなかった。プライベートな時間の制限も、真島の家の方が酷かったようだ。伊藤は、家族のもとに帰らせてもらえず、休日も金父子や楠見の遊興のアシとして使われていた。鍵のかからない部屋に住まわされ、行動を逐一報告させられていた。他者との隔離と、行動の事由の徹底的な剥奪は、孤独と無力感を与えただろう。

 地裁の審理では、裁判官は真島の家での傷について「出血したのか」と執拗に尋ねた。裁判所は、出血の有無などの目に見える傷に被害を限定しようと、非常に努力されていた。加えて、地裁も高裁も、金父子の暴力を宮城のそれと比べて、矮小化しようとしていた。しかし、伊藤への暴力は、肉体的な被害に限定されるべきなのだろうか。
 2013年7月16日の控訴審公判で明らかにされたことであるが、『文夫さん、良亮さんの操り人形になっているという思いでした』と伊藤は供述調書で述べていたことがある。この感覚について、同日に行われた被告人質問で、伊藤は以下のように答えた。
 「文夫さんと良亮さん、僕はその世界を拒否しているんですけど、体は、暴力により服従してしまっているという状態です」
 また、同じく調書で、『操り人形になると思うと、身も心も、もたない思いでした』と述べている。手短ながら、精神的拘束による無力感と、苦痛、恐怖について述べているのではないか。この言葉の趣旨についても、短く被告人質問が行われた。伊藤は、次のように答えた。
 「肉体的、精神的に限界なのか、超えているのか解りませんが、そういう状態でした」
 このような精神状態から、伊藤は心理的視野狭窄に陥り、事件へとつながった。伊藤の犯行時の行動だけではなく、実質的にどれほどの被害を被ったかについても、精神的拘束を併せて考えなければ、理解できないのではないか。
 真島の家では、強烈な暴力に、死の恐怖と徹底的な自由の剥奪、精神的拘束が加わった。それが、異常なまでの体格、体重の変化に現れているのではないか。

<検察官の弁論>  
 検察官は、以下のように陳述します。
 弁護人の上告趣意である違憲主張については理由がなく、そのほかは実質的に量刑不当の主張であり、上告理由に当たらない。しかし、事案に鑑み、若干の意見を述べます。
1・違憲主張について
裁判員制度が違憲であるという主張にほかならず、裁判員制度は合憲であると最高裁判例が出ており、主張に理由がない。
2・法令違反の主張について
 弁護人は、証拠調べが不十分であったと主張する。また、原審は被害者の属性などについて、全く一審と異なる事実関係を認定しながら破棄差し戻しを行わなかった、と主張する。しかし、破棄差し戻しを行う理由はない。
3・量刑について
 本件は、被害者を殺害し、金銭を強取する目的で、三人を殺害し416万円を奪い、死体を愛知県に遺棄した事件である。
 金父子殺害は、束縛から逃れ、共犯者への報酬を得て、生活費を得ることを動機としている。有紀子殺害の動機は、殺害計画の邪魔になるというものである。動機は自己中心的、身勝手であり、強い非難に値する。
 一か月半にわたり計画を立て、機が熟したと見るや実行に移している。殺害用の丈夫な紐、ビニール袋を用意し、二人、ないし三人がかりで、合計50分間にわたり被害者らの首を絞めて殺害している。長時間にわたって首を絞め続け、ついには絶命させた行為は、執拗かつ冷酷である。
 本件は、平穏な生活を送っていた三人を殺害し、金銭を奪っている。被害者二人と被告人のいきさつはともかく、被害者にこんな目に合う落ち度はない。有紀子は巻き込まれて殺害されている。
 遺族たちの処罰感情は峻烈を極めており、遺族全員が、被告人らの極刑を望んでいる。
 住宅密集地で一家三人が殺害され、県外に死体を遺棄されるという戦慄的犯行であり、社会的影響は大きい。
 被告人は、金銭を奪うなどの重要事項について、積極的に提案している。殺害実行、金銭奪取に当たって、中心的役割を果たしている。現金強奪の犯意は、極めて強い。
 事件後は、警官や被害者を心配する遺族に対し、平然と嘘をつき、無関係を装っている。犯行後の情状は極めて悪質である。
 犯行に果たした役割、動機を考慮すると、被告人の罪責は極めて重く、死刑はやむを得ず、原審判決は正当である。
 判例違反の主張であるが、弁護人の引用判例は、被害者一名の保険金殺人の事例であり、計画の謀議や実行行為に関与していない事例である。主張は失当である。
 弁護人の上告趣意は、いずれも理由がなく、上告は速やかに棄却されるべきである。
以上

  検察官の弁論は、10分もしないうちに終わった。弁護人に比べれば、圧倒的に短い。その間に、法廷に漂う気怠さは、隠しようのないものとなっていた。後に「長野の会」のメンバーに聞いたところによれば、検察官の弁論の間には、寝ている傍聴人もいたらしい。私はメモを取りながらも、時折、美しいアーチをえがく天井に視線を移していた。そこは、壁に掛けられたライトに照らされ、鈍く輝いていた。
 検察官の声や口調は、弁護人とは対照的に、だらだらとしており、抑揚がない。また、金良亮の名前を、リョウスケなどと間違えて読んでいた。やる気が感じられない。
 肝心の内容は、法律的主張については、他の死刑事件弁論から切り貼りしたような内容ばかりだ。事実主張は、控訴審までの論告・趣意書の切り貼りといったところか。作成は、さぞや楽だっただろう。
 ただ、薄っぺらな内容とは裏腹に、聞き流すことのできない言葉がいくつもあった。
 まず、動機の「自己中心的」「身勝手」という表現について。
 勿論、検察官が殺人を認めることができないのは当然だ。しかし、伊藤や松原は、犯罪から逃れるために事件を起こした。少し反撃状況が違えば、正当防衛となった可能性もある。そのような事件が「自己中心的」「身勝手」であり極刑しかないとすることは、被告たちの、自由・身体・生命を守るという最低限の権利を、「不当な権利」として否定するということだ。いくら形の上で言葉を尽くそうとも、罪の重さを表す唯一の言語は、量刑だ。
 専務の妻である楠見有紀子について。
当初から殺害を予定していなかったという点で言えば、「巻き込まれた」と言えるかもしれない。しかし、楠見は金父子の犯罪を知悉し、利益を得、協力していた。金父子の犯罪との関係からは、「巻き込まれた」とは言えない。
 また殺害理由を、楠見が「殺人の邪魔になった」と単純化することは正しいのか。楠見が金父子を起こせば、伊藤たちは確実に殺害され、家族に危害が及んだ可能性は高い。楠見殺害の動機は、金父子の危害から逃れる、緊急避難的なものとも言える。また、楠見が金父子の協力者でなければ、金父子殺害は止めたとしても、殺害計画を父子に隠してくれただろう。被告たちに恐怖とパニックから、殺害されることもなかった。
 最後に、金父子たちの生活は、「平穏な生活」と呼ぶに値するのか?
 金父子は、被告たちへの犯罪を除いても、犯罪の共犯者を射殺し、ヤミ金を生業とし、債務者を追い込んで幾人か自殺させている。真島の家は、もともとは自殺した債務者の所有していた家だった。平穏な生活とは、穏やかな、あるべき状態にある生活ということだ。金父子の生活を「平穏」と評するのならば、金父子が他者を苦しめるのは、あるべき当然の状態ということになる。苦しめられた人々の人生は、金父子に踏みにじられるために存在していたのだろう。
 ただ、これらの言葉の意味など、検察官にとってはどうでもいいことなのだろう。最高裁で、冤罪以外で死刑判決が覆った事例は少なく、量刑不当を理由とする減刑は二例に過ぎない。弁護人の弁論が松原の減刑に資する可能性は、極めて低い。だからこそ、弁護士の弁論に熱意と真情がこもっていても、虚しく響いてしまうのだ。弁護士の熱弁と検察官の継接ぎだらけの言葉。最高裁では、後者が尊重される。それが、この儀式に満ちた場所の、最大の儀式でもある。
「双方、これ以上、陳述はないですね?それでは、判決期日はおって指定します。それでは閉廷いたします」
 14時10分ごろ。裁判長はそのように述べて立ち上がり、法廷の奥に姿を消した。裁判官たちもそれに続く。傍聴人は慣例に従い、その後姿に起立、礼をした。そして、職員に促され、思い思いに退廷していった。これで、審理はすべて終わった。後は、判決を待つことしかできない。
弁論の所要時間は40分程度。傍聴券を配られてからの時間を考えれば、仰々しい儀式を見に来たのか、弁論を聞きに来たのか解らない。
 最高裁は、裁判員制度下で初めての死刑事件弁論だからか、警戒していた。事前に支援者の傍聴人数を、弁護人に問い合わせていた。儀式の在り方も、普段よりも丁重なものだった。しかし、蓋を開けてみれば、他の死刑事件弁論と何ら変わりなかった。
 今村弁護士は、法廷外のホールで、記者に話しかけられていた。今村弁護士が話を断ると、記者はあっさりと離れていった。
 裁判所の外で、松原の弁護士二人と顔を合わせた。今村弁護士は「お疲れ様でした」と声をかけていたが、二人はすぐに数人の記者に囲まれ、二、三言しか交すことができなかった。記者に囲まれたとはいっても、それは、地裁や高裁での囲み取材に比べると、数は少なく、話を聞き出そうという意欲も、乏しく見えた。
 私はほかのメンバーとともに、最高裁の門前から歩き去った。
 ふと、最高裁の法廷を思い出した。裁判官が要。弁護人や検察官が骨組み。扇形の法廷内には、被告人だけがいない。
 仰々しい儀式に満ち溢れる中、生死の境にいる人間だけが、欠けているのだ。
 

<弁護人の弁論> 
 上告趣意書、補充書、再補充書において、弁護人は死刑の違憲性、裁判員制度の違憲性など、縷々指摘してまいりました。
 弁論では、これまでの主張を踏まえて、四点を指摘させていただきます。
1・死刑判断手続きの違憲性
 死刑事件の裁判は、特別なものであるべき。国際人権B規約、日本は批准している。この規約は、死刑は廃止すべきという考えが強い。
 検察官や原審裁判所は、死刑は合憲としている最高裁判例があるという。しかし、合憲とされた時と現在では、事情が異なっている。
 国連は、「死刑に直面する者のセーフガード」という勧告を出している。死刑事件に当たっては、特別に慎重な手続きを要請している、というもの。
 アメリカでは、検察官は死刑を求刑するか否か、あらかじめ告げねばならない。そのため、弁護人側も死刑事件として、あらかじめ準備が可能となる。
 しかし日本では、論告求刑まで死刑を求刑するか否か不明である。死刑適用基準について、一審で全く問題とならずに終わることもある。
 裁判員制度は、多数決で死刑か否かを決定する。しかしアメリカの場合は、フロリダを例外として、死刑の適用は全員一致が原則と定められている。超適正手続という考え方の現れである。
 しかし、我が国では、死刑に賛成する人数が一人でも多ければ、死刑が適用される。特別多数決すら、死刑適用に際して要求していない。この死刑適用の在り方は、国際人権規約に反している。
2・死刑適用基準
 我が国は、刑の上限と下限は、殺人の場合は懲役五年から死刑というように、天と地ほどの開きがある。そして、法律レベルの死刑基準はないと言っていい。
 一般的には、永山基準が、死刑適用基準を示したものと評価されている。
 これは、被告人の資質、性格なども、判断基準に含まれている。ならば、死刑適用に当たっては、一般情状も加味し、決定されるべきである。諸情状を精緻に見ていかねばならない。一般情状で死刑を回避できるという考え方も、あってしかるべきである。
3・審理の問題性
 検察官は、原審において十分な審理が尽くされたと述べている。しかし、一審では永山基準を検討することさえなかった。金銭の管理関係と、情状のみであった。弁護人側立証は、とても簡略にされた。検察官は、遺族調書を多数提出し、長時間にわたり朗読し、立証を行っている。期待可能性についても、控訴審で、裁判所は争点として位置付けることなく、審理を終わってしまっている。
 一審の弁護人は、経験が浅かった。死刑求刑があるという認識はあった。しかし、被告人の公判が始まった段階では、他の三被告の争点整理は、終わる気配もなかった。
 このような立証の在り方は問題である。さらなる立証を求める訴訟指揮が、裁判所からあってしかるべきだった。
 被告人は、会長専務から搾取されていた。伊藤は、宮城殺害の現場に立ち会い、死体遺棄を手伝わされ、頻繁に叱責や暴力を受け、会長と専務の殺害を決意した。被告人以上に切羽詰まった立場にあった。これらの立証は、つくされていない。被告人の生い立ちについても、全く立証離されなかった。このように、審理の手続きは不十分である。
 このような裁判員法の決のとり方は、憲法31条に違反している。
 裁判員は、記者会見で、「死刑は正しかったのか」と疑問を述べており、この点に着目すべきである。
4・死刑回避の理由があるのではないか
 共犯者の池田は、2014年2月27日、無期懲役に減刑された。検察側からの上告はなく、無期懲役以下の刑が確定したと言える。
 被告人は、準主犯格とされている。しかし、実際の立場は準主犯格ではなく、池田に近い。池田との釣り合いから、死刑は回避されるべきである。
 弁護人は、長谷川鑑定人に、心理鑑定を依頼した。同鑑定人は、被告人は口下手で、大人しく、他者への義務感が強く、断れない性格である、と鑑定している。被告人に事件を惹起するような性格的要素はない、死刑は理不尽に思える、という異例のコメントもいただいている。
 なぜ、事件に至ったのか。以下のように言うことができる。
 伊藤は、宮城殺害の現場に立ち会ったのち、真島の家に同居させられた。被告人よりも激しい暴力と暴言を受け、家族からも引き離され、被告人よりも厳しい立場に置かれていた。伊藤は疲労性うつ病、意識混濁による精神性視野狭窄の状態にあった、と精神鑑定で立証がなされている。
 被告人は、伊藤が金父子を殺したいと言い出した時、伊藤の気休めと考えた。伊藤は、被告人が止めなかったことを、被告人の了承と誤解したかもしれない。伊藤は、作業に際していちいち確認しなければ、進めることができなかった。このような伊藤が、殺害計画を立てていることを、真に受けることはできなかった。
 被告人自身も、睡眠不足、過重労働により、離人症になっており、人の言葉に応じることができる状態ではなかった。
 原審は、ずさんな計画であるとしつつも、計画にアドバイスをしていることをもって、被告人の悪情状としている。しかし、斎田に協力を仰ぐ、ロープの準備などは、伊藤一人によるものである。被告人は準備に関与していない。伊藤は、事後報告を被告人に対してしていただけである。
 被告人が、「会長はいつもお金を持ち歩いているよ」と言っていたのは、殺害の話を、伊藤の気晴らしと考えていたころである。もう一つの話が出たのは、他の人と一緒に現場で働いていた際の、雑談のなかである。これをもって、金銭を奪取する計画である、ということはできない。
 伊藤から殺害を提案されたとき、被告人は「足がすくんだ」と言って、実行できなかった。日付が変わったころ、伊藤に言われて、催眠導入剤を砕いている。しかし、伊藤は薬効は詳しく知らない。当時は、専務の妻がいつ帰ってくるかわからない状態だった。無計画であると言っていい。
 伊藤は、専務の奥さんに、専務が催眠導入剤を飲んでいるのを気付かれたとして、殺すしかないと言い出した。被告人は、そんな伊藤を、工事現場へと連れて行っている。これは、殺害を思いとどまらせようと考えたためである。
このように、被告人は伊藤の行為を拒絶するか、その場で応じていない。被告人は人に逆らわない大人しい性格であるが、それでも伊藤の殺人の実行行為を拒絶している。
 伊藤が当時、視野狭窄に陥っていなければ、被告人が実行行為を拒絶していることに気付いたであろう。しかし、当時は視野狭窄であったため、気付かなかった。
 死刑選択は、専務の妻殺害についてである。しかし、この専務の妻殺害には、伊藤がもっぱら動いている。
 伊藤は、専務の妻が騒ぎ出したので、殺そうとした。被告人は、伊藤を工事現場に連れ出した。伊藤は、松原と、到着した池田に、「専務の妻を殺さないと、事件が露見する」と言い、二人がその言葉に答えないのに、一人で家に入っていった。
 専務の妻殺害について、被告人が実行行為に着手したのは、すでに顔面がうっ血し、瀕死の状態になってからのことである。
 伊藤に言われるがままに、実行行為を行っている。最後まで、被害者らを殺したくないという気持ち、伊藤と池田への憐憫から、葛藤に苦しんでいた。
 会長らから金品をとる行為は、伊藤の指示である。失踪を装い、金を分配しよう、と伊藤が言い出した。
 被告人は、金は池田に預け、分け前については斎田と伊藤に上乗せしている。金銭に全く興味を示していない。強盗殺人は財産犯であり、金銭への執着は、量刑に当たって考慮されるべきである。
 共犯関係、伊藤と被告人の間には、圧倒的な差がある。被告人は計画を立てず、金銭を利得しようとしていない。伊藤の指示のままに、殺害を実行している。死刑を回避すべきは、池田と同様である。
 被告人は、会長専務にも恩義を感じ、尽くしていた。利欲目的や恨みによる犯行ではない。被告人は、自分の責任を認める姿勢を貫き、自分の責任を実際より重く供述している可能性すらある。
 被害回復について。池田の控訴審判決では、被害者から奪った110万円が還付される可能性が示されている。被告人の両親と被告人は、香典を被害者の甥に送り続けている。被告人も刑務所に入ることとなれば、請願作業をして収入を得て、被害者に香典を送り続けるだろう。これは一生続けるべきものだと、被告人の両親も言っている。
 精神障害と知的障害は、死刑を回避する事情となりうる。弁護人は、一般面会でしか会えず、心理鑑定に必要な機材すら、持ち込めていない。テストを行ったところによれば、被告人の知的水準は、平均かそれ以下である。知的水準が平均以下の可能性はある。
 被告人は、睡眠不足、被害者らによる暴言や暴力に曝され、判断能力が減退していた可能性がある。これも考慮すべきである。
 また、本件においては、減刑嘆願の署名が、広く集められた。被告人の反省、伊藤、池田への憐憫の情は、人々に伝わっている。
 本来であれば、凶悪犯罪に、社会で暮らしている人々が共感することはない。しかし、本件においては、会長らのもとで被害者的立場にあったことに共感し、署名をした人々が多かった。本件は、一般社会の人々から、同情を買っているのである。
 専務の妻への事件では、被告人の立場は、池田に近い。無期懲役にすべきである。
 一般情状を見ていけば、死刑を回避すべき事情は多い。
死刑を回避していただけるよう、伏してお願いします。
以上

 弁護士の弁論が終わったのは、14時ぐらいの事だった。張り詰めた、よく通る声で、弁論を行った。「被害者」たちの犯罪への言及は少なかったが、それは最高裁の性質が理由だろう。最高裁は事件の事実関係については審理を行わない。そのため、事件の事実関係を直接に主張しても、その主張は審理の対象とはならない。また弁論には、短い時間しか与えられていないようである。これらの事情から、あまり言及できなかったのだろう。
 弁護士は、一審で被告人の事情が検討されなかった部分を読んでいた時には、涙声になっていた。弁護人が松原に思い入れを持っていること、何とか死刑を回避したい、という思いが伝わってきた。一審からこの二人に弁護してもらっていれば、松原の運命も、もう少し変わっていたかもしれない。
 ただ、弁護人の主張は、控訴審のものとほとんど変わり映えしなかった。変わったのは、松原の役割を、池田と同等であると主張している点か。控訴審で池田が減刑されたことをうけての、戦術だろう。
 弁護士二人の熱意と努力にもかかわらず、法廷にはどこか気だるげな空気が漂っていた。一人の人間の生死をかけた場とは思えない、弛緩した空気。地裁や高裁の審理とは、大きな違いである。これは、主張がこれまでと同様だからだろうか?
「検察官、弁論を」
 裁判長が促す。検察官は立ち上がり、弁論を読み上げ始めた。

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