過ぎた2020年は、死刑執行が一件も行われなかった年となった。
 理由は不明であるが、読売新聞によれば、『法務省は今年、内閣の判断で検察幹部の定年を延長できるようになる検察庁法改正案への対応などに追われた経緯があり、こうしたことが背景にあるとみられる』とのことである。
 肝心の理由説明については、同記事でも曖昧で短いが、結局は理由が十分に解っていないということだろうか。
 私は死刑廃止論者ではないが、現在の自民党が執行を行う事、死刑制度の現状については疑問があり、今年死刑執行が行われなかったことについては、正直に言えばよかったと思っている。
 前提として、死刑執行は十分に検討を重ねたうえで行われるべきであると考える。法務省がコロナなどの何らかの対応に追われ、死刑執行のための熟慮検討を重ねることができないのであれば、死刑執行が結果的に行われなかったとしても仕方ないのではないか。ろくに熟慮検討もせず、執行を強行することこそ、むしろ異様であろう。
 そして、死刑をめぐる現状は、死刑執行にふさわしい状況にあるとは思えない。
少なくとも、執行を行うには一定の清廉さが必要であると思うが、疑惑と不誠実さを引き継いだ菅政権に、その清廉さはないと考える。
 また、再審請求を歯牙にもかけず執行を繰り返している。これは、真実の発見、死刑囚の弁護権の侵害にもつながる。最悪の場合、袴田事件のような冤罪でも執行してしまう事へとつながる。私は死刑廃止論者ではないが、そのような執行の在り方は、到底容認できない。
 恩赦請求中の執行も、真島事件のごとき事件や、そのほかの酌量の余地もある事件について、死刑執行という行政の強権により、量刑審査を断ち切ることになり、やはり容認できない。
 このような死刑執行の現状において、執行が行われなかったことは、安堵させる出来事であった。
死刑執行再開前に、真島事件のような事件で死刑を含めた重刑が下らない、恩赦が積極的に適用される、死刑執行により再審が断ち切られない、そうした死刑の在り方に変わることを望んでいる。
 しかし、現政権にはそのような視点は皆無であろう。