2013年10月24日
東京高裁
805号法廷
事件番号・平成24年(う)第572号
罪名・強盗殺人、死体遺棄
被告人・伊藤和史
裁判長・村瀬均
裁判官・秋山敬
裁判官・池田知史
検察官・山下純司
書記官・野崎裕一

 本日は、傍聴券の抽選が行われる予定だったが、締め切り時間の10時15分までに、35枚のところ30人しか並ばなかった。そのため、抽選は行われなかった。早朝のため、気まぐれで傍聴しようと考える傍聴人、課題をこなすことにしか興味がない学生が、抽選に並ばなかったためか。なお、伊藤の家族も、抽選に並んでいた。
 「遺族」のK・Kは、本日も傍聴席に座っていなかった。9月19日の弁論以前に傍聴した法廷では、常に被告席の方を睨みつけ、時には指をボキボキと鳴らして、被告人を威嚇していた。東京高裁の控訴審では、証言台で泣き続ける伊藤の母を、ニヤニヤと嗤い満足げに眺めていた。そのK・Kは、前回の弁論に引き続き、今回も法廷に姿を見せなかった。被害者支援団体、代理人の弁護士らしき人の姿もなかった。
 これで、真島事件の法廷には、「遺族」の姿はなくなったことになるのだろうか。
 金文夫の愛人だった、20代後半の女性であるK・Aは、文夫を「大事な人」と呼び、地裁公判では伊藤の極刑を望んだ。しかし、伊藤の控訴審公判には、一切姿を見せていない。ほかの遺族たちも、伊藤や池田の一審公判の際には、大挙して傍聴に訪れていた。被害者支援団体や代理人の弁護士を何人も引き連れ、傍聴席の三分の一を埋め、被告人を憎々しげに睨みつけていた。スーツ姿の人はほぼおらず、薄汚れたジーンズや、色褪せたジャケットなどのカジュアルな服装が目立った。がっしりとした筋肉質な男性が多く、私の主観では、崩れた印象も感じられた。この「遺族」たちは、松原の控訴審にも伊藤の控訴審にも、一切姿を見せていない。文夫の娘は、池田の長野地裁公判で同人の死刑を求めたそうだが、松原、伊藤の控訴審には、やはり一切姿を見せていない。伊藤の一審公判においては、楠見由紀子の両親も傍聴に訪れ、遺影を突き付け、「一言いえ!」と伊藤を怒鳴りつけていた。しかし楠見の親族も、松原の控訴審にも伊藤の控訴審にも、一切姿を見せていないのである。
私は、これまで傍聴した有名事件の法廷を思い出した。例えば、2002年に合計4人が殺害された、マブチモーター事件。この事件の遺族たちは一審から二審まで、すべての公判を欠かさず傍聴していた。東京近辺に住んでいるわけでもなく、忙しい身の上であろうが、それでも裁判を最後まで見届けようとしていた。秋葉原通り魔殺傷事件の遺族も、控訴審では被告人不在の法廷であったにもかかわらず、懸命に足を運んでいた。真島事件の控訴審公判は、これらの公判の法廷とは、あまりにも様相が異なっていた。
 記者席は四つ指定されており、すべて埋まった。一方、傍聴席にはこれまでと違い、空席がちらほらとあった。
 検察官は、眼鏡をかけており、鼻の下が長く、頬のひげの剃り跡は濃い。貧相な万年係長といった風情の中年男性だったが、眼鏡の奥の目は、刃のように鋭い。
 伊藤は、白い長袖のジャージの上下に、眼鏡という、これまでと同じいでたちだった。眼鏡の奥の目は、どこか不安そうに揺らいでいた。大人しく気弱な印象の顔には、硬い表情があった。被告用出入り口のところで、深々と一礼してから、入廷した。
 そして、10時30分に、第六回控訴審公判は開廷した。
今村善幸弁護士は、宮城事件について書類を提出した。裁判長は、被告人質問を続行する形となっているので、改めて証拠を請求しなくてもよい、と答えた。
 そして、裁判長は、前回に続き被告人質問を行う旨を述べた。伊藤は傍聴席のほうに深々と一礼したのちに、証言台の椅子に座った。
 被告人質問は、長野地裁から伊藤の弁護を担当する、今村善幸弁護士により行われた。

今村善幸弁護士の被告人質問
弁護士「前回に引き続いて話を聞きます」
被告人「はい」
弁護士「前回の法廷で、平成22年4月13日のことについて、お尋ねしました。」
被告人「はい」
弁護士「今日は、もう少し、その日のことを詳しく聞きます」
被告人「はい」
弁護士「事実として確認します。4月13日、朝から長野中央警察署において、事情を聴かれていましたね」
被告人「はい」
弁護士「近くのラーメン屋でラーメンを食べた後、午後も引き続き事情を聴かれた」
被告人「はい」
弁護士「貴方の担当した刑事さんは、佐藤刑事と丸山刑事が、取り調べの担当でしたね」
被告人「そうです」
弁護士「あなたは開始一時間ほどたった後、午後、2~3時間時間をください、正直に話します、と言った」
被告人「はい」
弁護士「一時間経過した後に、話した」
被告人「はい」
弁護士「実は、会長、専務、由紀子さんは僕らが殺しました、と話したんですね」
被告人「はい」
弁護士「自白で、あなたは、どこに死体があると言いましたか?」
被告人「僕は、あの、斎田さんというところの、まあ、斎田さんのヤード…資材置き場に、あの、死体を埋めましたと、いうように話しました」
弁護士「前回被告人質問で、携帯電話を出して住所のわかるところを見せたと言いましたが」
被告人「はい」
弁護士「何を見せたんですか?」
被告人「携帯電話の中の、あの、取引先との送受信メール、それを見せて、斎田さんの住所を知らせました」
弁護士「二つのことを聞く」
被告人「はい」
弁護士「宮城さんの死体遺棄と、文夫さんのお金の話について、質問します」
被告人「はい」
弁護士「宮城さんの遺体について聞いていきます。宮城さんの死体遺棄について話をしたのはいつですか?」
被告人「これは、あの、斎田さんのヤードに死体を埋めたっていう話をしてからです」
弁護士「斎田さんのヤードに死体を埋めた話をしてから、宮城さんの死体の話が出て来たんですか」
被告人「はい」
弁護士「経緯は、どのようなものですか」
被告人「丸山刑事から、あの、『じゃあ先ほど、正直に話してくれるといってくれたので信じるけれど、仕事だから聞かせてもらう。わからなければ別にそれは構わない、こっちで調べるから』と言われた後に、『じゃあ、聞くけど、あの倉庫について、知っていることを話してほしい』と言われました」
弁護士「それで」
被告人「僕はそれに対して、あの倉庫、まあ、あの高田の倉庫の奥に止めてあった白のレガシーに、宮城さんの死体があって、まあ、当時の言葉で言いますけども、専務が拳銃で宮城さんを殺しました。それで、専務と原田さん、僕の三人で死体を箱に入れて、最終的に高田の倉庫に隠しました、と話しました」
弁護士「そこで初めて、原田さんの話をした」
被告人「はい」
弁護士「それで刑事さんは」
被告人「佐藤刑事が、あの倉庫の死体も、本当は伊藤さんが殺したんじゃないのか、と言われて、専務が死んでるからと言って、専務になすりつけているんじゃないのか、というふうに疑われました」
弁護士「それで」
被告人「僕は本当に、専務が拳銃で殺したんです、原田さんを捕まえてくれればそれが解ります、だから早く捕まえてください、というように、お願いするように訴えました」
弁護士「それで」
被告人「原田さんのマンション、それとまあ、銃のありかについて、そのことを伝えました」
弁護士「原田さんの居場所については」
被告人「原田さんの居場所については、先に、以前、原田さんが覚せい剤で逮捕された話をしてから、原田さんが、5月7日に、長野県から、まあ、地元の兵庫県に移った、と話をしました」
弁護士「銃について」
被告人「拳銃の場所については、宮城さんが殺害された後に、兵庫県から長野県に戻る間、原田さんが運転していたベンツから、当時自分の運転していた白のレガシーに拳銃を移した、義昭さんが運転を変わった、と話をしました」
弁護士「銃は見つかりましたか」
被告人「見つからなかったです」
 誰が拳銃を始末したのか?良亮か、文夫か、あるいは?K・Kも、宮城の死体が高田の倉庫にあることを知っている様子だったが。
弁護士「宮城さんが殺されたのは、出所後のことだと話をしましたか」
被告人「そうです」
弁護士「原田については」
被告人「5月のことなんですけど、刑事さんから一枚の写真を見せていただきました」
弁護士「それは?」
被告人「航空の防犯カメラに映っている写真だと思いますが、ぼやけていてはっきりと解らなかったので、原田さんの特徴が分かるはっきりした写真がほしい、と話しました。それと、原田さんの特徴がある」
弁護士「それで特徴は」
被告人「原田さんは元組員で、右の指が小指ともう一本がないのと、まあ、移っていた写真がぼやけていて、もっと特徴の分かる写真を見せてほしい、と言いました」
弁護士「それで、新しい写真は見せてもらいましたか」
被告人「はい。のちに、原田さんの写真を見せられて、それで原田さんと確認しました」
弁護士「原田は逮捕された」
被告人「はい」
弁護士「文夫さんのお金の件について、いつ話しましたか?」
被告人「自分の前回の公判で、4月21日に、お金をとったという調書が残っていましたので、おそらく、そのころ、話をしたと思います」
弁護士「殺害後にお金を盗んだ」
被告人「はい、仰る通りです」
弁護士「文夫さんのお金の話が出てきた経緯は」
被告人「恐らくなんですけど、斎田さんに支払う報酬の話が・・・出たので、文夫さんのお金で支払うというような話をしたと・・・」
弁護士「どっちから、話が出てきましたか」
被告人「それは未だにちょっと、はっきりしないんですけど、自分から話したのか、もしくは、あー、刑事さんに追及されて話したのか、検事さんから追及されて話したのか、はっきり覚えていないです」
この時の伊藤の声は、少し焦った、弱った感じの声だった。私は、伊藤の不安そうな眼差し、硬い表情を思い出していた。
罪名が殺人と認定されれば、殺人の事実さえ犯行発覚に先んじて供述すれば、自首は成立する。しかし、もしも強盗殺人と認定された場合、金をとったことを話していなければ、「犯行の主要な事実を話したとはいえない」として、自首が認定されないかもしれない。殺害時の金銭奪取の意図は、強盗殺人の成立にあたり、必要な要素である。強盗殺人と認定された場合、「犯行の主要な事実を話した」か否かについて判断するに際し、金をとったことを発覚以前に話したか否かが、重要になる可能性があった。
弁護士「最後に聞きますけども、4月13日午後、3人を殺したと警察に話した」
被告人「はい」
弁護士「さらに、死体を埋めたと話をした」
被告人「はい、しました」
弁護士「その時、文夫さんのお金のことを話さなかった理由は何ですか?」
被告人「いや、その、話をしなかったわけじゃないんですが、前回の公判でもいってるんですけど、妻子がこれからどうやって暮らしていくのか心配とか、金沢浩一さんが言った、3人を殺せばそいつは確実に死刑になるという言葉とか、そういう話の中で、自分は由紀子さんと文夫さんと良亮さんと三人を殺害してしまっているんで、殺害してしまったという物事が大きすぎて、また、殺めてしまってから、三人を殺害した光景が思い出されてしまって、お金の話しなければいけなかったんですけど、どうしても、その、人の命を奪ってしまった物事の方が大きすぎて、すっかりお金の話が、抜けてしまっていたんです。すみません」
 終わりの方は、不安からか、早口になっていた。そして、やや涙声にもなっていた。
最初の自供時に、金をとったことが頭から抜けていたとしても、不思議ではあるまい。検察官でさえ、この事件は金目当ての犯行ではないと認めていた。被告人質問、犯行時の状況を見た限りでは、犯行動機に利益を得る意図は見受けられない。伊藤に至っては、とった金はすべて斎田に渡すつもりでいたのである。
 また伊藤は、金をとった事実について、自分から話したと強弁しなかった。「追及されて話した」という、自首成立を壊しかねない可能性も、検討している。その態度からは、第一自供時の精神状態について、正直に話そうという思いが感じられた。
弁護士「抜けていたとはどういうことですか」
被告人「今話した三つのことが僕の頭の中の殆どを占めてしまっていたんで、だから、お金のことがすっかり、ほんとに抜けてしまって、人を殺めてしまったという物事の方が、ほんとに大きかったんで、だから、その時はお金の話出てこなかったんだと思います、はい」
弁護士「お金をとったことは、隠していないと」
被告人「殊更隠すつもりはなかったので、はい」
 ここで、検察官の被告人質問となる筈であった。しかし、検察官は、控訴審で突然自首の成否を争い始めたので、準備ができていない、続行してほしい、と言い出した。検察官の要望により、前回期日から一か月も待ったが、まだ準備ができないらしい。「補充で、自白の経緯、捜査の進捗状況などを警察に確認したうえで、聞いていきたい」と述べた。
 裁判長は、ひとまず、伊藤さんに被告席へ戻るように言う。伊藤さんは、傍聴席に深々と一礼したのち、被告席へと戻った。
 東京高裁から弁護についた、中年の今村弁護士は、「改めて警官を訊問して、供述調書を作るのですか、それとも、当時の記録を確認するのですか」と検察官に尋ねる。検察官は「両方です」と、平然と答えた。
 私は、呆れた。警察の記録は、被告側に良い事情は切り落とされ、悪い事情が誇大に書かれている傾向が大きい。ましてや、自首の成否が問題となっている現状で、警察が被告人に有利な事実を話すだろうか。
 今村核弁護士も、同様に感じたらしい。「当時作成した記録を調べるのならば,私共も賛成しますが、改めて調査しても、内容の信用性が・・・」と苦笑していた。結局、新たに警察官の供述調書を作った場合は、それを前提に質問する。検察側は、新しく作った供述調書を証拠として請求するとは限らない、ということになった。
 とりあえず、次回期日は12月3日10時30分に指定された。これで結審する予定とのことだ。控訴審第六回公判は、10時55分に閉廷した。
 伊藤さんは、硬い表情で、うつむいて閉廷した。私が「伊藤さん、頑張ってください」と声をかけたところ、硬い表情のまま、軽く頷いた。そして、被告用扉の奥に、姿を消した。