5月25日、伊藤の最高裁判決に対する、判決訂正申し立てが棄却されてしまった。
 判決訂正申し立てとは、最高裁判決の文章内容や誤字脱字について、訂正申し立てを行う行為である。
 世間では上告棄却をもって死刑確定と言われるが、正確には、判決訂正申し立てが棄却された時点で、死刑確定である。なので、5月25日、伊藤の死刑は確定してしまったということだ。

 判決訂正申し立てが容れられることは殆どない。そして、容れられたとしても、判決が覆る可能性も乏しい。だから、上告棄却の判決が出た時点で、実質的な死刑確定であった。それでも、裁判手続きがすべて終了してしまったことで、死刑という言葉が、圧迫感をもって迫ってきた。

 そして、訂正申し立て棄却に伴い、伊藤は死刑囚として処遇されることとなる。外部交通が制限されるということだ。私は、伊藤に交流を申請してもらうように頼んでいるが、許可されるかは不透明である。
 しかし、なぜ一律に交流を禁止する必要があるのか。誰とも交流を持てない状況の方が、拘禁反応の悪化を招き、かえって心情の安定を害するのではないか。
 結局のところ、司法は忘却を望んでいるのだろう
 執行の前に、存在を忘れられることにより、「最初の死」を迎える。そして、この「最初の死」により、彼のために声を上げるものは、誰一人として居なくなる。当然、死刑判決の瑕疵も忘れ去られる。
 ともあれ、今のところは、伊藤との交流について待つしかないのが現実だ。
 
 なお、7月16日、真島事件について集会が行われる。これが、最後の集会となるかもしれない。
 事件に関心ある方々は、ご来場くだされば幸いです。

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