控訴審第二回、第三回公判と順番が前後するが、この傍聴記が先に完成したので、投稿しておく。

 2013年7月16日、午後3時より、伊藤和史の第四回控訴審公判が行われた。
傍聴券は、14時45分に、先着順の締め切り予定であった。しかし、14時38分に、予定の40人に達したのか、傍聴券が希望者へと配られた。伊藤の母と妻も法廷に来ており、傍聴券の交付に並んでいた。「長野の会」の支援者たちも、来ていた。
 この日は、伊藤の精神鑑定を行った鑑定人の、証人尋問を行う予定であった。開廷前、今村善幸弁護士は証人と共に待合室に入り、相談を慌ただしく行っていた。証人は、眼鏡をかけた、白髪交じりの短髪の、50代ぐらいの男性である。スーツ姿であり、生真面目で紳士的な印象だった。
 もう一人の、東京高裁から付いた今村弁護士は、先に法廷内に入って準備をしていた。その後、一度待合室へと入り、今村善幸弁護士や鑑定人と少し話をし、又再び法廷内に戻る。
 私たち傍聴人は、15時となり、ようやく入廷が許された。
 この日、検察官は、水沼から山下純司という、初老の男に代わっていた。全体的に痩せているが、顎は年相応に弛んでいる。髪はやわらかく、眼鏡をかけており、サラリーマン的な印象を与えた。
 伊藤は、どこか不安そうな表情で、入廷した。以前のように長袖の白いジャージの上下を身に着けている。服がないのかもしれない。眼鏡をかけて、髪は丸坊主にしている。一審時と比べ、少し肌の色は良くなり、普通の体格に戻ってきているようにも思えた。
 法廷に入る際、傍聴席の方に深々と一礼した。しかし、この日はK・Kをはじめとした「被害者遺族」は不在であった。これからも、幾度か遺族不在の法廷が開かれることとなる。

 裁判長たちが入廷し、公判が開始される。村瀬均裁判長は、これまで採否を留保していた小林マサト証人を、採用決定した。検察官はこれに同意し、内容の信用性を争う、と述べた。弁護人は、30分ほど証人尋問を行うこととする。
 証人は促されて証言台の前に立ち、宣誓を行い、小林マサトと名前を告げた。伊藤は、証人の方に一礼をしていた。
そして、証人は、前記の記事に書いた通りに証言を行った。

 証人尋問終了後、主任弁護人の今村善幸弁護士が、被告人質問を行うこととなる。10分程度、と述べていた。伊藤は、裁判長に促され、証言台の椅子に座る。証言台の前で、傍聴席の方を向き、一礼をした。
今村弁護士(長野)の被告人質問
弁護人「引き続き、主任弁護人の今村から、話を聞きます」
伊藤「はい」
弁護人「小林先生の話は聞いていましたか」
伊藤「はい、聞いてました」
弁護人「思ったことは」
伊藤「自分は、小林先生作成の鑑定書を何度も読んで、先ほどの小林先生が説明下さったことを聞いて、当時自分の陥っていた状況について、解り易く説明をしてくださったと、良くわかりました。それで、あの、自分が今回作成した上申書の中で、自分が当時陥っていたことに、言っていたんですけども、小林先生の考えている、説明しているというような内容と、よく似たことを、自分は上申書に書いています」
弁護人「書いている」
伊藤「はい」
弁護人「例えば」
伊藤「言葉で言えば、僕は、操り人形という言葉で表現しています」
弁護人「どういう意味で使ったか覚えていますか」
伊藤「時期で言えば、平成20年上旬となります」
弁護人「控訴趣意書,弁二号証、60p、5行目を示します。『私は不満の気持ちを抑えることができず、文夫さんと良亮さんの操り人形になっている気持でした』とある。この部分ですか」
伊藤「はい、そうです」
弁護人「この意味は」
伊藤「この時期に、記載した操り人形という意味合いは、僕が文夫さんと良亮さんの存在や世界を、世界について、頭の中では拒否とか拒絶しているんですけど、僕の体が文夫さんや良亮さんの激しい暴力や拘束により、服従してしまっている状態で、自分の体が勝手に動いてしまっているという状態です」
弁護人「平成21年4月に、操り人形と書いている」
伊藤「はい」
弁護人「この時、初めて自分が操り人形だと感じた」
伊藤「この時期に確信したんですけど、今思えば、操り人形になってしまったというきっかけは、平成20年の10月の頃になります」
弁護人「平成20年の10月に、何があった」
伊藤「平成20年の10月当時、自分は大阪の自宅にいてて、家族と一緒に生活していたわけなんですが、あの、突然まあ、良亮さんから連絡があって、原田さんが逮捕されてしまったと知らされて、原田さんの代わりに僕が長野に来て働けという風なことを強要されたんで、そのことについて、自分は家族から離れたくないっていう思いで、答えに困っていたんですけども、その時に良亮さんが、『お前もあいつみたいになってもええんか』という言葉を言われてしまったので、まあ、その時期から、良亮さんが宮城さんを拳銃で射殺したことですね、その時の状況が頭に思い浮かんでしまって、自分は、その、強い、恐怖心に包まれてしまって、そこから操られていたんじゃないかって思ってます」
弁護人「実際に、貴方が、あいつみたいになってもええんかという風に言われたのは、その時が初めてなんですか」
伊藤「いや、この時は二回目なんですけど、一回目は、平成20年7月21日、良亮さんが宮城さんを殺害した時なんですけども、その時、目の前に宮城さんがいたってことで、『お前もこいつみたいになってもええんか』と言われたことが、一回だけ」
弁護人「そして、先ほどの話だと、操り人形という言葉を、二回使った」
伊藤「はい」
弁護人「もう一つは、どこですか」
伊藤「もうひとつは、平成22年の1月」
弁護人「平成22年の1月」
伊藤「はい」
弁護人「控訴審弁二号証、72P,上から一行目を読みます『私は、真島の家に戻る途中で、再び文夫さん良亮さんの操り人形になると思うと、身も心ももたない思いでした』とある」
伊藤「はい」
弁護人「ここで、貴方が書いた操り人形というのは、どういうつもりで書きましたか」
伊藤「この時期ですと、操り人形という意味は、僕が、文夫さん良明さんの世界から、抜け出したくても抜け出せないような状況で、心身ともに、自分で言うことを聞かせられないっていう状態に陥っていて、肉体的に、精神的に、限界に達しようとしているのか、限界を超えているのか解りませんが、そういう風な状況でした」
弁護人「自殺をあきらめ、殺害決意したのは、平成21年の秋でしたね」
伊藤「はい」
弁護人「自殺諦めたきっかけは、電話で、奥さんの声を聴いたことでしたね」
伊藤「はい」
弁護人「殺害することについて決めた、秋から平成22年までは、心境は」
伊藤「その時の心境なんですけど、自分は、自分は、あの、文夫さんと良亮さんの存在が、完璧すぎたっていうような感じだったので、確実に文夫さん良亮さんの世界から抜け出すためには、文夫さん良明さんは完全に殺害してしまわないと安心ができない、という状況になりました」
弁護人「そういった中で、松原さんから、二人を『一思いに殺してやりたいな』と言われた」
伊藤「はい、そうです」
弁護人「いつごろですか」
伊藤「そう言われたのは、平成22年の2月の10日ごろです」
弁護人「ところでね、自分を鬱病だと感じたことはありませんか」
伊藤「それは全く、全然わかりませんでした」
弁護人「まわりの人から鬱病だと言われたことは」
伊藤「自分が今記憶にあるのは、長野地裁の一審の時に、妻の証言から、えー、この人っていうのは僕の事なんですけど、『この人、病んでるんじゃないかな』という言葉を聞いた時に、ああそうだったんだな、と思いました」
弁護人「奥さんのその証言は、どの時期をさしているんですか」
伊藤「時期で言えば、えー、弁護士さんが質問した内容は、あの、真島の家に住んでから様子が変わってからどうでしたか、という内容だと思います」
弁護人「真島の家に住んでから、奥さんは、貴方が病んでるんじゃないかと思ったということですか」
伊藤「はい」

 検察官からの被告人質問は行われなかった。伊藤は、傍聴席の方に一礼し、被告席に戻った。この日も、硬い、不安そうな表情が多かった。
 これで、証拠調べは終わり、次回に弁論を行うこととなる。9月16日15時に、期日が指定される。この日の公判が終わったのは、15時55分のことだった。
 伊藤は手錠をかけられた後、裁判長に促され退廷する。
 その途中、支援者の一人は「頑張って、これだけ応援しているんだからね!」と、退廷時に伊藤に声をかけた。伊藤は、黙って頭を下げた。私も、「お体に気を付けてください」と伊藤に声をかける。これに、伊藤は二度頷く。
 伊藤は、答えることができない。応援に答えれば、裁判所から注意を受けてしまうからだ。
 そのまま刑務官に促され、扉の奥へと消えていった。