私事多忙のため、更新が滞りがちとなってしまっている。これは、本来であれば今年の初めには書かれているべき記事であった。伊藤や関係者には、申し訳ない次第だ。

 ご存知の方も多いかもしれないが、伊藤和史の最高裁弁論期日が、指定された。
 2016年3月29日である。
 判決は、4月の末か5月上旬ぐらいだろう。控訴審から上告審判決まで、およそ2年2か月。松原よりも、さらに早い判決となる。
 減刑となることを期待したいが、これまでの状況を見るに、とても期待することはできない。何をするべきか、とても思いつかないのが正直なところだ。
 これからは、再審請求を行っていくしかないのだろうが、果たして私は確定後も伊藤と交流を持つことができるのだろうか。伊藤は交流を申請してくれるようだが、東京拘置所が許可を出してくれるかは不透明である。

 2月15日の面会日、伊藤は笑顔だった。
 しかし、内心では死と、それまでの孤独を受け入れる決意を固めていた。身辺を整理し、家族との縁を切るべきではないかと考えているようだった。
『僕のことは忘れて、幸せになってほしい』
 家族について、何度もそう口にしていた。確かに、死刑が確定してしまえば、伊藤は家族のもとに帰ることはできないだろう。伊藤の内妻たちは、これまで伊藤を支えてきた。しかし、伊藤の死刑が確定すれば、死刑囚を身内に持つ苦痛ばかりではなく、帰ることのない夫を待つ現実も、のしかかってくる。それが、伊藤には耐えられないようだ。
『悪いことをした自分が悪い』
 伊藤は、幾度もその言葉を繰り返した。私は、それを耳にするたびに、不条理を感じた。確かに、伊藤の行為は法に反しており、無罪とは言えない。しかし、伊藤を搾取し、傷つけ、死さえも考える心境にさせたのは、金父子たちの犯罪行為である。
 「逃げればよかっただろう」と、裁判官や裁判員、検察官は、得々と判決や論告で述べていた。もちろん、家族にどのような不幸や犯罪が降りかかろうが、構わないというのであれば、逃げることはできた可能性はある。裁判官・裁判員諸氏であれば、法を破るよりも、家族の不幸や死を選んだのかもしれない。
 しかし伊藤にとって、内妻たちは初めて持つことのできた、大切な家族だった。自分自身の命より、大切に思っていたかもしれない。そのような人々を切り捨てて逃げることなど、できなかったのだ。
 付け加えれば、金父子の徹底的な監視や追跡により、逃亡が成功する可能性は、ゼロではないにせよ相当程度低かった。つまり、伊藤の「逃亡」することへの期待可能性、殺害を行わない期待可能性は、金父子たちの犯罪行為自体が、低下させていたのである。 
 
 私が面会室を出るとき、伊藤は、いつものように笑顔で手を合わせていた。
 この笑顔を、あと何回見ることができるだろうか。