この日の伊藤は、袖なしシャツに半ズボン、という格好だった。以前と比べ、前髪が伸びたようだった。私の姿を見ると、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
 文通の状況について聞くと、最近になってから文通相手が増えたらしい。しかし未だ文通のみであり、面会まではいっていないようだ。
 「そこまで、図々しいことは言えません」
 相手にかける交通費と時間の負担について、気を遣っている様子だった。小菅は東京の外れであり、都民でも東京拘置所に行くのは一苦労であろう。
 しかし、伊藤は現在、他人と話せない環境にいる。『長野の会』は東京近辺に居住しているメンバーはおらず、一般面会はあまり行われていない。ひと月のうちほとんどは、刑務官以外の他人と話さない計算だ。その刑務官も、必要最低限以外には、収容者との会話は許されていない。先日は、死刑廃止団体である『そばの会』の人々が三人で面会に訪れたが、うち二人は初対面だったこともあり、あまり深い話はできなかったらしい。
 伊藤は、差入について「助かりました」と礼を述べた。拘置所生活も、なかなか物入りが多いらしい。例えば、クリーニングは有料であり、ジャージの上下を出したら1300円かかってしまう。汗をかきやすい夏では、随分とお金がかかってしまうのではないか。そのような負担の中、少しの差入でもありがたいようだ。
 縄跳びについても、話題に出た。この日の二重跳びは、107回を達成した。うれしそうに笑いながら、手を見せてくれた。指には、水ぶくれができていた。
 また、最近は眠りが浅いとも教えてくれた。理由の一つは、今作ろうとしている本に関係している。伊藤は、かねてから詩集のような本を書きたい思いがあった。そのため、日々、思いついた言葉を書き留めている。
 「夜中に言葉を思いついたら、ぱっと起きて、紙に書きつける。寝ているか起きているか、よう解らん」
 伊藤は、照れたような笑みを浮かべ、言った。縄跳びや本の作成など、これだけを見れば、真島の家の体験から脱却しつつあるように思える。しかし、眠れないもう一つの理由は、『真島の家』の記憶が関係していた。
 「夜中の足音、文夫さん、良亮さんの足音を思い出してしまう。そして、気が張って目が覚めてしまう」
 真島の家では、身体、生命の安全は常に脅かされていた。精神的にも拘束されている状態であり、トイレ以外に安らげる場所がなかった。拘置所が自由と感じられるような生活。その体験は、伊藤の記憶の中に根を張っている。
 上告趣意書の締め切りが近づいていることも、眠りの浅さに拍車をかけていた。
「当時の心理状態を、言葉にしないといけない。けれど、難しい」
 困惑したように言う。そもそも、気持ちを言葉にするのは難しいものだ。ましてや、『真島の家』のような、恐怖と睡眠不足で心が凍りついているような状況では、言葉にするのはなおさら難しいのではないか。そして、気持ちを思い出すことで、真島の家の記憶も思い出してしまうのかもしれない。

 話は変わり、本の差し入れについて、「ありがとうございます」と礼を口にした。英語や中国語の日常会話はできたとのことだったので、てっきり英米や中国に興味があるのかと思っていた。しかし実際は、料理やジャズが好きだったため、関心を抱いたらしい。
なかでも、料理は小さいころから作っていたこともあり、好きだった。そのため、学校を中退してからは、インド料理店に就職した。しかし、持病のヘルニアが悪化して立ち仕事ができなくなり、退職を余儀なくされた。それでも料理は好きゆえ、家庭でもよく料理を作っていた。宮城に搾取されていた時期も、家に帰れた時には、自分で料理を作っていたほどだ。
 「台所が一番好き。僕の部屋みたいなもんやから」
 伊藤は料理店を辞めた後、派遣会社に勤務したこともあった。一時は、風俗営業店に勤めたこともある。その理由は、肉体労働ではなく、ヘルニアでも仕事ができたためだった。その間も、いつかまた料理を作りたいと考え、昼の仕事を探していた。
 このあたりで、面会終了が、刑務官から伝えられる。私は、伊藤にまた来る旨を伝え、面会室から退出した。伊藤は嬉しそうな笑顔を浮かべながら、手を合わせ、「ありがとう」と何度も礼をしていた。