2013年10月8日
東京高裁第十刑事部
805号法廷
事件番号・平成23年(う)第1947号
罪名・住居侵入、強盗強姦未遂、強盗致傷、強盗強姦、監禁、窃盗、窃盗未遂、強盗殺人、建造物侵入、現住建造物等放火、死体損壊
被告人・竪山辰美
裁判長・村瀬均
裁判官・秋山敬
裁判官・河本雅也
検察官・山下純司
書記官・小林幸
10時10分の抽選締め切りまでに、24枚の傍聴券に対し、72人が並んだ。
傍聴希望者は、竪山被告の罪状について、口々に話し合っていた。控訴棄却になると述べている人もいれば、原審破棄を予想する人もいた。またこの日、裁判所のそばでは、狭山事件元受刑者の石川氏が、再審請求に向けての署名活動を行っていた。そのことが、抽選を待つ希望者の話題に上ることもあった。新聞社や雑誌記者と思われる、スーツ姿の若い男女も、多く並んでいた。抽選後には、「誰かが当たったでしょう」と話し合っていた。
入廷が許されたときには、検察官席と弁護人席は、すでに埋まっていた。
検察官席に座っているのは、全部で四人だった。
山下検察官は、どちらかと言えば貧相な印象の中年男だった。水沼祐治に代わり、伊藤の公判も担当している。柔らかい黒髪をオールバックに整えてあり、ひげの剃り跡が濃く、鼻の下が長い。冴えない万年係長といった風貌だが、眼鏡の奥の眼は、険しく鋭かった。
ほかにも、白髪を短く刈った、赤ら顔の初老の男が、検察官席に座っていた。この男性は、弁護士バッジをつけていたことから、遺族側代理人と思われる。
また、白髪で丸顔の初老の男性と、髪の短い初老の女性が、検察官と代理人に挟まれ、座っていた。この男女は被害者の両親であり、目をきつく閉じて開廷を待っていた。
弁護人は、初公判と同じく二人であった。痩せた髪の短い青年と、スキンヘッドで顎鬚を生やした、3~40代の男性二人だ。二人とも、視線を宙に彷徨わせ、開廷を待っている。不安そうであり、しかしどこか期待を込めているようでもあった。
記者席は15席指定されていた。当初はぽつぽつと空席があったが、時間の経過とともに埋まっていき、結局は満席となった。
なお、この公判の倍率は三倍であったが、傍聴席には空席が二つあった。新聞記者が多く並んだため、必要以上に傍聴券を当ててしまったのだろう。傍聴券が余ったのならば、そこを一般傍聴人に開放すればいいと思うのだが・・・。
このように、若干の空席はあったものの、法廷内は息苦しいほどだった。張り詰めた空気の中、不安と期待が混ざりあい、交差する。誰の脳裏にも、伊能和夫への減刑判決があったに違いない。私も、傍聴席に座り、不安と期待の混合物で胸中を満たしていた。伊能と竪山への判決は、伊藤への判決にも間違いなく影響してくるだろう。
初公判と同じく、法廷内の撮影は行われなかった。開廷少し前に、裁判長と裁判官が入廷する。普段であれば、裁判長たちにはあまり着目しない。しかしこの日は違った。この裁判長たちは伊藤の行く末を握っており、裁判員裁判における死刑のあり方について、判断を示す可能性も高い。
「被告人から、不出頭の申し出がありました」
裁判長が、告げた。
私は、驚きと失望を感じた。控訴審は、被告人の出頭を義務付けていない。そのため、被告人は出頭しないでも良い。しかし、これでこの法廷には、判決を受け止めるべき男が不在となったわけだ。
「それでは、開廷します」
こうして誰もいない被告席を前に、10時30分に判決公判は開廷した。村瀬裁判長は眼鏡をかけると、主文に先立ち、被告人の事件名を読み始めた。
「竪山辰美被告に対する・・・」
強盗致傷、強盗強姦、現住建造物等放火、強盗殺人。罪状が多岐にわたるため、事件名読み上げにも時間がかかった。そして、長い朗読を終えると、裁判長は主文を告げた。主文を口にするまでに、少し間があった。
主文・原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する。被告人所有のツールナイフ一本、平成23年押収第189号の1を没収する。
村瀬裁判長は、一語一語はっきりと区切り、主文を読み上げた。
裁判長が主文を読み終えた瞬間、いくつもの鈍い音が法廷に響いた。新聞記者たちが記者席から立ち上がり、椅子がぶつかり合う音だ。彼らは我先にと法廷の出入り口に走り寄り、廊下に出ていった。稲を食い尽くした蝗が、羽音を響かせ、空を覆いながら移動する光景を思い起こさせた。
結局、記者席の半分ほどが空席となった。主文だけを聞いて退廷するならば、記者席は半分で良かったのではないか?
裁判長は、記者たちが席を立ちあがるとともに、口をきつく結んだ。そして、出ていく記者たちを、じっと見つめていた。その瞳には、非難とも不快とも取れる色が、浮かんでいた。理由朗読を始めようとしたが、あまりに足音や扉の開閉音がうるさい為か、すぐにまた口をつぐんだ。
法廷が静かになるまで時間をおいて、裁判長は量刑理由の朗読に移った。風通しがよくなった法廷の中で、私はひたすらペンを走らせていた。息苦しさがなくなったのは、法廷内に人が少なくなったことだけが、理由ではないだろう。
弁護人の、殺意の不存在、過去の判例を示さなかった不備、被告人が発達障害や知的障害を有しているという主張は、すべて切り捨てられた。そして、被告人の反省の念については、評価していなかった。更生可能性については、朗読の内では言及はなかった。
それならば、なぜ原審が破棄され、無期懲役が選択されたのか。
報道では「被害者1名ということを理由に、死刑を回避した」「前例を踏襲した」という点が、非常に強調されていた。しかし実際には、高裁判決は死者1名、殺人前科なしの事件での死刑適用を、否定していない。従来の傾向にただ従え、とも述べていない。ましてや、被告人に情をかけたり、更生可能性を信じたわけでもない。
「従来の傾向から逸脱する、説得力のある理由」
死刑と無期は、質的に全く異なる刑罰である。この大きな隔たりを超えるには、説得力のある理由が必要である。従来の傾向から逸脱し、質的に異なる刑罰を下す、説得力のある理由があるのか。それが、高裁判決が突き付けた、裁判員判決への疑問であった。
高裁判決は、被害者1名での死刑判決を否定していない。しかしそのような場合は、殺害の計画性が重要なポイントとなることを指摘している。
竪山への一審判決は、殺害の計画性を否定しながらも、死刑判決が下された。これは、従来の傾向を逸脱するものだ。一審判決は、強盗強姦や強盗致傷の前科・余罪から、死刑から減軽する理由はないと判断した。しかし高裁は、前科も余罪も人の生命を奪ったものではなく、殺意を有していたものでもないことを挙げた。その凶悪性を認めながらも、あえて死刑を選択する理由にはならない、とした。
また、一審は、「まず死刑以外にない」という発想があったように思える。そして、死刑という前提に続いて、死刑を回避すべき特段の事情があるか、という死刑を刑罰の前提とした減点方式の量刑判断を行っていたように感じた。しかし、高裁では、無期懲役ではなく死刑を選択せねばならない悪い情状はあるのか、という、死刑を刑罰の頂点に据え、それに向けて悪質な要素を加算していく、加点方式の量刑判断を行ったように思えた。
このような発想の違いの原因は、死刑と無期が質的に異なる刑罰であると認識していたか、ではないか。
以下が、破棄理由の概要である。
原審は、死刑の理由を以下のように述べる。
①殺意は強固であり、犯行は非情である。放火は延焼の危険性があった。
②被害者の肉体的苦痛は、強い。
③強盗致傷で被害者4人に怪我を負わせ、一人は重傷である。また、強姦で性的苦痛を負わされた被害者もいる。
④累犯前科、同種前科があるのに、同様の事件を起こしており、犯罪性は根深い。
⑤被害者の殺害に計画性はないが、特殊事情、重大な性的被害を受けているなど、特有の事情があり、被害者1名は、死刑回避の理由とならない。
⑥不合理な弁解を述べ、更生の可能性は乏しい。
しかし、以下の理由から、当裁判所は、原判決の判断に賛同できない。
死刑は、究極、峻厳な刑罰である。死刑と無期懲役には連続性はない刑期の判断がある。有期懲役における、刑期の幅という考え方にはなじまない。
死刑の当否は、残虐性、被害者の数、年齢、前科など検討したうえで、判断することとなる。本件では、松戸事件が判断の中心となる。
執拗、冷血非情な犯行であり、放火も危険かつ悪質である。結果が重大であることは言うまでもない。遺族が死刑を求めることは、十分に理解できる。
他方、犯行経緯は判然としない。しかし、被告人は被害者が一人暮らしの若い女性だと解り、部屋に侵入し、包丁を手にしてベッドで横になり、帰宅を待っている。当初は殺害の計画はなく、殺害することになったのは、金品強取時の、何らかの事情によると考えられる。侵入時、金品要求時にも、被害者を殺す意思があったと認めることはできない。原審も、殺害の計画性は否定している。
強盗殺人被害者1人で、殺害に計画性がない場合、死刑回避されている。原審は、この先例を念頭に置きつつ検討を加えている。
死刑を選択した理由として
A・強盗強姦、強盗致傷などを繰り返し、死んでもおかしくない怪我、重大な性的被害がある。
B・重大な危害の可能性が、どの事件でもあった。
と述べている。
確かに、犯行は重大な危害を及ぼしかねず、被害者の苦痛は大きい。被告人は、昭和59年に強盗致傷、強盗強姦で懲役7年に処され、平成14年に住居侵入、強盗致傷で懲役7年に処されている。極めて粗暴であり、反社会性は否定できない。
しかし、生命身体に重大な危害を及ぼしかねないといっても、殺意を持った犯行ではない。松戸事件を除けば、重大悪質性を見たとしても、法定刑には死刑の選択がない罪名ばかりである。
また、累犯前科があると言っても、殺意を伴った、人の生命を奪おうとした事件ではない。A,Bを見ても、死刑の選択をせねばならない、特段の事情はない。
死刑判決に当たっては、合理的、説得力のある理由が、示されねばならない。しかし、A,Bの事情があるとはいえ、無期懲役と質的に異なる刑である、死刑を選択せねばならない理由、合理的、説得力のある理由を、原審は示していない。A、Bの事情があれば、死刑回避の決定的な理由とならないとしているが、説得力はない。
冷血、被害が甚大とはいっても、被害者一人で計画性がない。死刑を選択すべきではない。松戸事件が重大悪質であり、前科があり、反省の念が乏しい、遺族や被害者の処罰感情が厳しいとは言っても、死刑が真にやむを得ないとはならない。
以上の理由から、本件においては、死刑を選択することが、まことにやむを得ないとは言えない。原判決は、評議を尽くしているが、死刑と無期懲役という刑罰は質的に異なるものであり、選択を誤っており、破棄は免れない。
被告人を無期懲役に処し、ツールナイフ一本を没収する。原審、当審の訴訟費用は、被告人に負担させないものとする。
原判決の事情の概要は、朗読を省略する。
以下に、竪山の地裁判決、高裁判決へのリンクを貼っておく。
千葉地裁判決
東京高裁判決
なお、未決拘留日数については、判決文でも言及がなかった。未決拘留日数を、一切算入しないということだろうか。
「以上が、当裁判所が検討した結果です。それでは、閉廷します。傍聴人の方は退廷してください」
裁判長の宣言で、判決公判は11時11分に閉廷した。
裁判長は、判決理由朗読中は、終始硬い表情であった。公判終了後も、硬い表情は崩れない。破棄を決意した時、激しい批判を受けるのは、覚悟の上だったのだろう。また、被告人の一審での態度、控訴審判決への不出廷も、裁判長の心に影を落としたのかもしれない。被告にも、説示したいことがあったのか。
弁護人二人も、朗読中は堅い表情であった。裁判長の苦節に思いをいたし、厳粛に受け止める気持だったのだろうか。スキンヘッドの弁護人は、パソコンに何か打ち込んでいた。検察から上告された場合に備えて、判決の不満な部分をリストアップしていたのかもしれない。
被害者遺族は閉廷後、検察官に「ありがとうございました」と礼を述べ、頭を下げていた。しかし閉廷後の廊下では、遺族らしき誰かが、号泣しているようだった。被害者関係者たちに囲まれていたため、誰が泣いているのかは解らなかった。
私は、重荷が取れた気持になる半面、もやもやとした思いも残った。私自身は、「民意」という錦の御旗のもと、判決への異論や批判が封じ込められかねない現状に、危機感を抱いていた。今回の判決は、裁判員判決への議論の扉を開いたと言える。
しかし、一審を傍聴した際には、竪山の犯行や法廷での言動に、嫌悪感を抱いた。自己嫌悪や家族への思いは信じられたが、被害者に向けた涙は信じられなかった。発言の端々に、自分を少しでもよく見せたい、という思惑が見え隠れしていた。それは無意識ではなく、意図的な歪曲と感じられた。
不出廷も、性格に沿った行動だったとも言える。一審を傍聴した限りでは、竪山は他者から危害を加えられることが多く、希望と信頼の欠如した人生を送ってきた。だからこそ、まともな生活をあきらめて易きに流れ、犯罪を繰り返したのではないか。
そして、最後には生を諦め、法廷に姿を見せなかったのかもしれない。
東京高裁第十刑事部
805号法廷
事件番号・平成23年(う)第1947号
罪名・住居侵入、強盗強姦未遂、強盗致傷、強盗強姦、監禁、窃盗、窃盗未遂、強盗殺人、建造物侵入、現住建造物等放火、死体損壊
被告人・竪山辰美
裁判長・村瀬均
裁判官・秋山敬
裁判官・河本雅也
検察官・山下純司
書記官・小林幸
10時10分の抽選締め切りまでに、24枚の傍聴券に対し、72人が並んだ。
傍聴希望者は、竪山被告の罪状について、口々に話し合っていた。控訴棄却になると述べている人もいれば、原審破棄を予想する人もいた。またこの日、裁判所のそばでは、狭山事件元受刑者の石川氏が、再審請求に向けての署名活動を行っていた。そのことが、抽選を待つ希望者の話題に上ることもあった。新聞社や雑誌記者と思われる、スーツ姿の若い男女も、多く並んでいた。抽選後には、「誰かが当たったでしょう」と話し合っていた。
入廷が許されたときには、検察官席と弁護人席は、すでに埋まっていた。
検察官席に座っているのは、全部で四人だった。
山下検察官は、どちらかと言えば貧相な印象の中年男だった。水沼祐治に代わり、伊藤の公判も担当している。柔らかい黒髪をオールバックに整えてあり、ひげの剃り跡が濃く、鼻の下が長い。冴えない万年係長といった風貌だが、眼鏡の奥の眼は、険しく鋭かった。
ほかにも、白髪を短く刈った、赤ら顔の初老の男が、検察官席に座っていた。この男性は、弁護士バッジをつけていたことから、遺族側代理人と思われる。
また、白髪で丸顔の初老の男性と、髪の短い初老の女性が、検察官と代理人に挟まれ、座っていた。この男女は被害者の両親であり、目をきつく閉じて開廷を待っていた。
弁護人は、初公判と同じく二人であった。痩せた髪の短い青年と、スキンヘッドで顎鬚を生やした、3~40代の男性二人だ。二人とも、視線を宙に彷徨わせ、開廷を待っている。不安そうであり、しかしどこか期待を込めているようでもあった。
記者席は15席指定されていた。当初はぽつぽつと空席があったが、時間の経過とともに埋まっていき、結局は満席となった。
なお、この公判の倍率は三倍であったが、傍聴席には空席が二つあった。新聞記者が多く並んだため、必要以上に傍聴券を当ててしまったのだろう。傍聴券が余ったのならば、そこを一般傍聴人に開放すればいいと思うのだが・・・。
このように、若干の空席はあったものの、法廷内は息苦しいほどだった。張り詰めた空気の中、不安と期待が混ざりあい、交差する。誰の脳裏にも、伊能和夫への減刑判決があったに違いない。私も、傍聴席に座り、不安と期待の混合物で胸中を満たしていた。伊能と竪山への判決は、伊藤への判決にも間違いなく影響してくるだろう。
初公判と同じく、法廷内の撮影は行われなかった。開廷少し前に、裁判長と裁判官が入廷する。普段であれば、裁判長たちにはあまり着目しない。しかしこの日は違った。この裁判長たちは伊藤の行く末を握っており、裁判員裁判における死刑のあり方について、判断を示す可能性も高い。
「被告人から、不出頭の申し出がありました」
裁判長が、告げた。
私は、驚きと失望を感じた。控訴審は、被告人の出頭を義務付けていない。そのため、被告人は出頭しないでも良い。しかし、これでこの法廷には、判決を受け止めるべき男が不在となったわけだ。
「それでは、開廷します」
こうして誰もいない被告席を前に、10時30分に判決公判は開廷した。村瀬裁判長は眼鏡をかけると、主文に先立ち、被告人の事件名を読み始めた。
「竪山辰美被告に対する・・・」
強盗致傷、強盗強姦、現住建造物等放火、強盗殺人。罪状が多岐にわたるため、事件名読み上げにも時間がかかった。そして、長い朗読を終えると、裁判長は主文を告げた。主文を口にするまでに、少し間があった。
主文・原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する。被告人所有のツールナイフ一本、平成23年押収第189号の1を没収する。
村瀬裁判長は、一語一語はっきりと区切り、主文を読み上げた。
裁判長が主文を読み終えた瞬間、いくつもの鈍い音が法廷に響いた。新聞記者たちが記者席から立ち上がり、椅子がぶつかり合う音だ。彼らは我先にと法廷の出入り口に走り寄り、廊下に出ていった。稲を食い尽くした蝗が、羽音を響かせ、空を覆いながら移動する光景を思い起こさせた。
結局、記者席の半分ほどが空席となった。主文だけを聞いて退廷するならば、記者席は半分で良かったのではないか?
裁判長は、記者たちが席を立ちあがるとともに、口をきつく結んだ。そして、出ていく記者たちを、じっと見つめていた。その瞳には、非難とも不快とも取れる色が、浮かんでいた。理由朗読を始めようとしたが、あまりに足音や扉の開閉音がうるさい為か、すぐにまた口をつぐんだ。
法廷が静かになるまで時間をおいて、裁判長は量刑理由の朗読に移った。風通しがよくなった法廷の中で、私はひたすらペンを走らせていた。息苦しさがなくなったのは、法廷内に人が少なくなったことだけが、理由ではないだろう。
弁護人の、殺意の不存在、過去の判例を示さなかった不備、被告人が発達障害や知的障害を有しているという主張は、すべて切り捨てられた。そして、被告人の反省の念については、評価していなかった。更生可能性については、朗読の内では言及はなかった。
それならば、なぜ原審が破棄され、無期懲役が選択されたのか。
報道では「被害者1名ということを理由に、死刑を回避した」「前例を踏襲した」という点が、非常に強調されていた。しかし実際には、高裁判決は死者1名、殺人前科なしの事件での死刑適用を、否定していない。従来の傾向にただ従え、とも述べていない。ましてや、被告人に情をかけたり、更生可能性を信じたわけでもない。
「従来の傾向から逸脱する、説得力のある理由」
死刑と無期は、質的に全く異なる刑罰である。この大きな隔たりを超えるには、説得力のある理由が必要である。従来の傾向から逸脱し、質的に異なる刑罰を下す、説得力のある理由があるのか。それが、高裁判決が突き付けた、裁判員判決への疑問であった。
高裁判決は、被害者1名での死刑判決を否定していない。しかしそのような場合は、殺害の計画性が重要なポイントとなることを指摘している。
竪山への一審判決は、殺害の計画性を否定しながらも、死刑判決が下された。これは、従来の傾向を逸脱するものだ。一審判決は、強盗強姦や強盗致傷の前科・余罪から、死刑から減軽する理由はないと判断した。しかし高裁は、前科も余罪も人の生命を奪ったものではなく、殺意を有していたものでもないことを挙げた。その凶悪性を認めながらも、あえて死刑を選択する理由にはならない、とした。
また、一審は、「まず死刑以外にない」という発想があったように思える。そして、死刑という前提に続いて、死刑を回避すべき特段の事情があるか、という死刑を刑罰の前提とした減点方式の量刑判断を行っていたように感じた。しかし、高裁では、無期懲役ではなく死刑を選択せねばならない悪い情状はあるのか、という、死刑を刑罰の頂点に据え、それに向けて悪質な要素を加算していく、加点方式の量刑判断を行ったように思えた。
このような発想の違いの原因は、死刑と無期が質的に異なる刑罰であると認識していたか、ではないか。
以下が、破棄理由の概要である。
原審は、死刑の理由を以下のように述べる。
①殺意は強固であり、犯行は非情である。放火は延焼の危険性があった。
②被害者の肉体的苦痛は、強い。
③強盗致傷で被害者4人に怪我を負わせ、一人は重傷である。また、強姦で性的苦痛を負わされた被害者もいる。
④累犯前科、同種前科があるのに、同様の事件を起こしており、犯罪性は根深い。
⑤被害者の殺害に計画性はないが、特殊事情、重大な性的被害を受けているなど、特有の事情があり、被害者1名は、死刑回避の理由とならない。
⑥不合理な弁解を述べ、更生の可能性は乏しい。
しかし、以下の理由から、当裁判所は、原判決の判断に賛同できない。
死刑は、究極、峻厳な刑罰である。死刑と無期懲役には連続性はない刑期の判断がある。有期懲役における、刑期の幅という考え方にはなじまない。
死刑の当否は、残虐性、被害者の数、年齢、前科など検討したうえで、判断することとなる。本件では、松戸事件が判断の中心となる。
執拗、冷血非情な犯行であり、放火も危険かつ悪質である。結果が重大であることは言うまでもない。遺族が死刑を求めることは、十分に理解できる。
他方、犯行経緯は判然としない。しかし、被告人は被害者が一人暮らしの若い女性だと解り、部屋に侵入し、包丁を手にしてベッドで横になり、帰宅を待っている。当初は殺害の計画はなく、殺害することになったのは、金品強取時の、何らかの事情によると考えられる。侵入時、金品要求時にも、被害者を殺す意思があったと認めることはできない。原審も、殺害の計画性は否定している。
強盗殺人被害者1人で、殺害に計画性がない場合、死刑回避されている。原審は、この先例を念頭に置きつつ検討を加えている。
死刑を選択した理由として
A・強盗強姦、強盗致傷などを繰り返し、死んでもおかしくない怪我、重大な性的被害がある。
B・重大な危害の可能性が、どの事件でもあった。
と述べている。
確かに、犯行は重大な危害を及ぼしかねず、被害者の苦痛は大きい。被告人は、昭和59年に強盗致傷、強盗強姦で懲役7年に処され、平成14年に住居侵入、強盗致傷で懲役7年に処されている。極めて粗暴であり、反社会性は否定できない。
しかし、生命身体に重大な危害を及ぼしかねないといっても、殺意を持った犯行ではない。松戸事件を除けば、重大悪質性を見たとしても、法定刑には死刑の選択がない罪名ばかりである。
また、累犯前科があると言っても、殺意を伴った、人の生命を奪おうとした事件ではない。A,Bを見ても、死刑の選択をせねばならない、特段の事情はない。
死刑判決に当たっては、合理的、説得力のある理由が、示されねばならない。しかし、A,Bの事情があるとはいえ、無期懲役と質的に異なる刑である、死刑を選択せねばならない理由、合理的、説得力のある理由を、原審は示していない。A、Bの事情があれば、死刑回避の決定的な理由とならないとしているが、説得力はない。
冷血、被害が甚大とはいっても、被害者一人で計画性がない。死刑を選択すべきではない。松戸事件が重大悪質であり、前科があり、反省の念が乏しい、遺族や被害者の処罰感情が厳しいとは言っても、死刑が真にやむを得ないとはならない。
以上の理由から、本件においては、死刑を選択することが、まことにやむを得ないとは言えない。原判決は、評議を尽くしているが、死刑と無期懲役という刑罰は質的に異なるものであり、選択を誤っており、破棄は免れない。
被告人を無期懲役に処し、ツールナイフ一本を没収する。原審、当審の訴訟費用は、被告人に負担させないものとする。
原判決の事情の概要は、朗読を省略する。
以下に、竪山の地裁判決、高裁判決へのリンクを貼っておく。
千葉地裁判決
東京高裁判決
なお、未決拘留日数については、判決文でも言及がなかった。未決拘留日数を、一切算入しないということだろうか。
「以上が、当裁判所が検討した結果です。それでは、閉廷します。傍聴人の方は退廷してください」
裁判長の宣言で、判決公判は11時11分に閉廷した。
裁判長は、判決理由朗読中は、終始硬い表情であった。公判終了後も、硬い表情は崩れない。破棄を決意した時、激しい批判を受けるのは、覚悟の上だったのだろう。また、被告人の一審での態度、控訴審判決への不出廷も、裁判長の心に影を落としたのかもしれない。被告にも、説示したいことがあったのか。
弁護人二人も、朗読中は堅い表情であった。裁判長の苦節に思いをいたし、厳粛に受け止める気持だったのだろうか。スキンヘッドの弁護人は、パソコンに何か打ち込んでいた。検察から上告された場合に備えて、判決の不満な部分をリストアップしていたのかもしれない。
被害者遺族は閉廷後、検察官に「ありがとうございました」と礼を述べ、頭を下げていた。しかし閉廷後の廊下では、遺族らしき誰かが、号泣しているようだった。被害者関係者たちに囲まれていたため、誰が泣いているのかは解らなかった。
私は、重荷が取れた気持になる半面、もやもやとした思いも残った。私自身は、「民意」という錦の御旗のもと、判決への異論や批判が封じ込められかねない現状に、危機感を抱いていた。今回の判決は、裁判員判決への議論の扉を開いたと言える。
しかし、一審を傍聴した際には、竪山の犯行や法廷での言動に、嫌悪感を抱いた。自己嫌悪や家族への思いは信じられたが、被害者に向けた涙は信じられなかった。発言の端々に、自分を少しでもよく見せたい、という思惑が見え隠れしていた。それは無意識ではなく、意図的な歪曲と感じられた。
不出廷も、性格に沿った行動だったとも言える。一審を傍聴した限りでは、竪山は他者から危害を加えられることが多く、希望と信頼の欠如した人生を送ってきた。だからこそ、まともな生活をあきらめて易きに流れ、犯罪を繰り返したのではないか。
そして、最後には生を諦め、法廷に姿を見せなかったのかもしれない。
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