2013年5月14日、東京高裁で、伊藤和史の控訴審初公判が行われた。
 伊藤の控訴審は、東京高裁第10刑事部に係属。公判は805号法廷で行われた。事件番号は、平成24年(う)第572号。罪名は、死体遺棄と強盗殺人である。
 「被害者」たちの犯罪から逃れるための事件であるにもかかわらず、「強盗殺人」という罪名が適用された理由については、下記の記事を読んでいただきたい。
http://masimaziken.blog.jp/archives/1006846580.html 

 5月14日当日。14時45分の傍聴券抽選の締め切り前に、29枚に対して43人が並んだ。思いのほか大勢が並んだのは、午後からの公判であり、適当に並んでみた人間も多かったからか。『長野の会』のメンバーは、6人が傍聴券に並んだが、すべて外れてしまった。私が一人当たり、法廷へと入る。
 「遺族」として公判に頻繁に顔を見せたK・Kは、伊藤の控訴審公判でも、傍聴席の最前列に陣取っていた。しかし、他に遺族らしき人はいない。伊藤の地裁公判に大挙して押し寄せ、被告席を威圧していた遺族たちは、どこへ行ったのだろう。
 伊藤の弁護人は、長野地裁で伊藤の弁護を担当していた今村弁護士が、控訴審でもついていた。もう一人は、控訴審から新たに担当となった、東京弁護士会所属の初老の弁護士である。この弁護士も、今村という名前らしい。
 検察官は、痩せており、眼鏡をかけ、髪をオールバックにした初老の男だった。風貌からは、小役人じみた雰囲気を、どうしても感じてしまう。名前は、水沼祐治といった。
 記者席には、二席ほど空席があった。また、傍聴席には一席、空席があった。この席を使うことができたならば、『長野の会』のメンバーも、半分ほどは傍聴ができただろう。何とももったいない。
 裁判長は、村瀬均。裁判官は、秋山敬と池田知史である。裁判長は、黒髪を七三分けにした、眼鏡をかけた初老の男性だ。知的で謹厳な印象を与える風貌である。秋山裁判官は、髪をオールバックにした4,50代の男性。池田裁判官は、まじめそうな印象を与える、整った顔立ちの中年男性である。
 この裁判官たちの名を見て、思い当たる人もいるかもしれない。港区の男性殺害、千葉女子大生殺害事件と、裁判員裁判の死刑判決をたて続けに破棄し、無期懲役を言い渡した裁判官たちである。この公判を傍聴した時には、破棄減刑判決をまだ出していない。私も、裁判官たちに注目していなかった。
 公判開始は、15時からであったが、開始前に2分間ほどのビデオカメラによる撮影が行われた。被告人は、この時は法廷に不在である。裁判長たちの顔と、傍聴人の後頭部が映されるだけだ。
 撮影が終わってから、伊藤は二人の刑務官に連れられ、法廷に入廷した。髪を短く刈っており、白い長袖ジャージの上下を着ていた。肌には相変わらず生気がなく、痩せている。眼鏡の奥の瞳は、柔和でまじめな印象だが、その表情は、硬く暗かった。しかし、瞳には、少し落ち着いたような印象があった。真島の家から離れることができてから、長く経過したことで、少し精神的に平穏を取り戻したのだろうか。
 伊藤は、三列ある傍聴席の、それぞれの列に一礼した後に、被告席に座った。
「開廷します。被告人は前に出てください」
裁判長に促され、伊藤は証言台の前に立つ。裁判長は、型どおりに人定質問を始めた。伊藤は、やや小さな硬い声で、それに答えた。
裁判長「名前は何と言いますか」
伊藤「伊藤和史です」
裁判長「生年月日は」
伊藤「昭和54年2月16日生まれです」
裁判長は本籍についても質問し、伊藤は答えた。
裁判長「住所は」
伊藤「長野県長野市真島町真島2009-4」
 これは、伊藤が自ら選んだ場所ではない。真島の家の住所だ。事件から4年が経過した今でも、未だに、真島の家の住所を使わねばならないのである。未だ扉は閉ざされ、被告たちは繋がれている。伊藤たちが法廷に立つたびに、私は同じことを感じるだろう。
裁判長「仕事は何をしていますか」
伊藤「会社員です」
 あの奴隷的搾取を、会社員と呼ぶべきだろうか?しかし、体裁上は会社員とされており、報道でも金父子の従業員となっていた。伊藤としても、そのように答えるしかないのか。
「はい、じゃあ元に戻ってください」
裁判長に促され、伊藤は被告席へと戻った。
弁護人の控訴趣意は、6月28日付の趣意書の通り。検察官の答弁は、6月29日付答弁の通り。
 弁護人は、証人を三名、書証を1から7番まで請求する。また、被告人質問の実施も請求した。検察官は、これに対して、伊藤の母の証人尋問のみを了承し、他の二人は不必要であると意見を述べた。書証は、1番不同意、2番は同意、3番から7番までは不同意。被告人質問については、「しかるべく」すなわち、裁判官に任せる、という態度であった。
裁判長は、まず、伊藤の作成した上申書を取り調べることにした。検察官も、取り調べには同意する。上申書の写しが、裁判所に提出された。
「伊藤証人について、取り調べます。証人の方、前に」
 続いて、伊藤の母を証人として取り調べることとなる。伊藤の母は促され、証言台の前に立った。裁判長の人定質問に答える。
「宣誓、良心に従って・・・真実を・・・何事も・・・述べることを誓います・・・」
涙声で、しゃくり上げながら、宣誓を行う。言葉は途切れがちだった。所々、声は聞き取れないほど小さかった。
「今、読まれた内容は、解りますね?」
 通例通りの注意だが、裁判長の声は心配そうだった。
 一審から伊藤を弁護してきた今村弁護士が、伊藤の母の証人尋問を担当した。
弁護士「伊藤和史さんの、お母さんですね」
証人「はい」
弁護士「和史さんがここにいる理由は、解りますか」
証人「はい」
弁護士「どういった理由でしょう」
証人「三人の方を殺害したからです」
弁護士「それを知ったのは」
証人「TVのニュースです」
弁護士「和史さんの幼少期について教えてください。まず、和史さんと、何歳のころまで同居していましたか」
証人「22歳の時までだと思っています」
弁護士「離れた理由は」
証人「結婚するので、二人で暮らすと言っていたと思います」
弁護士「それでは、和史さんが生まれてから、今迄まで順に聞いていきますね。和史さんは、昭和54年に生まれていますね。和史と名付けた理由は?」
証人「平和の和と、史は、姓名判断の本を読んで、字が画数にあうというので、つけました」
 また、証人尋問の中では、伊藤の生い立ちが語られた。
家族のプライバシー保護のために詳細は記載しないが、伊藤は、母の再婚相手などから、幼少時に虐待を受けていた。暴力を伴った、肉体的・精神的虐待である。この経験で、暴力への無力感が刷り込まれたのだろうか。母が元々同居していた男は、家に生活費を入れず、伊藤の母を売りとばそうとしたこともあったらしい。
弁護士「(学校を中退してから)平成12年までの和史さんの生活は?」
証人「インド料理店に勤めていました。」
弁護士「逮捕されてから、最初に和史さんにあったのはいつですか」
証人「平成24年、8月です」
弁護士「すぐに会いに行かなかった理由は」
証人「会いたくなかったです」
弁護士「なぜ」
証人「諦めようと思いました」
弁護士「どういうことですか」
証人「こういう事件を起こして、私たちを裏切っている。そう思ったんです」
弁護士「一審判決後、面会しましたね」
証人「はい」
弁護士「なぜですか」
証人「和史の手紙の内容と、弁護士さんに、挨拶せないかんと思いました」
弁護士「面会して、良かったですか」
証人「はい」
弁護士「面会して、印象に残ったことは」
 伊藤の母は、これまでも啜り泣いていた。しかしこの時、当時を思い出して感極まったのか、はっきりと泣き出した。数年ぶりに再会する息子は、獄舎に囚われていただけではない。昔と比べて窶れはて、やせ細っていただろう。立ち振る舞いと外見の変化が、伊藤の境遇を、なによりも雄弁に物語っていたのではないか。そして、何もできなかったという後悔が、心を満たしたのかもしれない。
証人「三人とも、涙涙で、会話したこともあまり覚えてないです」
弁護士「貴方は、和史さんの控訴趣意について読んだ」
証人「はい」
弁護士「事件の理由について」
証人「少し話しました」
弁護士「上申書は」
証人「読みました」
弁護士「感じたことは」
証人「和史の性格の臆病なところ、出たと」
弁護士「事件時、和史さんが他の人から暴力を受けていたことを、知っていましたか?」
伊藤の母は、頷いた。
弁護士「なぜ知ったのですか」
証人「家で短パンをはいていて、足を組んだとき、足の傷が酷くて、どうしたと聞きました」
 宮城により、刺された傷であろう。現在でも、まだ痕は残っている筈だ。
弁護士「答えは」
証人「刺されたって言っていました」
弁護士「理由は」
証人「聞かなかったです」
弁護士「和史さんは、普段は」
証人「プレゼントを、誕生日にくれたり」
弁護士「事件でニュースを見た時、どう思いましたか?」
証人「和史が殺されたと思いました」
弁護士「なぜ」
証人「足と腹を刺されたことで、とんでもないところに行っていると思ったからです」
弁護士「和史さんが加害者と知って」
証人「『反対だ』と(TVを見ていた家族に)言いました。とんでもない、何かが起こっていると思いました」
弁護士「事件前、和史さんと会ったのは」
証人「1月の、20日です」
弁護士「何がありましたか」
証人は答えたが、声が小さく聞き取れなかった。今村弁護士も、それは同様だったらしい。
弁護士「もう少し、大きな声でお願いします」
 伊藤の母を、なだめるように言う。
証人「和史が、トラックを・・・」
弁護士「何か買ってくれたのですか」
証人「ベッドです。買ってくれたので、それを取りに行きました。西宮まで一緒に行ってくれました」
弁護士「和史さんは、毎年1月1日に帰ってきましたか」
証人「いいえ」
弁護士「和史さんの、長野での仕事について」
証人「いいえ、知らなかったです」
弁護士「長野のどこに住んでいるか」
証人「いいえ、知りませんでした」
弁護士「事件前、和史さんが、困って貴方に助けを求めたことは」
証人「ありました」
弁護士「なんですか」
証人「お金を借りるので、保証人になってほしいと」
弁護士「いくらですか」
証人「最初は100万と言っていたので、それなら用意できるから、本当はいくらと聞きました」
弁護士「そうしたら」
証人「4~500万円と答えました」
弁護士「いつのこと」
証人「8年前です」
 宮城と良亮に監禁され、養子縁組を強要されていた頃のことだ。この時点で、何とか伊藤を救うことはできなかったのだろうか。しかし、伊藤と母は、当時は疎遠になっていた。伊藤の母にしてみれば、おかしいとは思っても、どのような事情があるのか、よく解らなかったかもしれない。そして、伊藤の母は、警察や法的知識とは、無縁に暮らしてきたようだ。このような事態を誰に相談すべきか、思いつかなかったのかもしれない。これらの事情が、警察や弁護士への相談を、躊躇させたのか。
弁護士「誰に金を貸すと?」
証人「いえ、名前は白紙でした」
弁護士「契約書はありましたか?」
証人「借用書・・・」
弁護士「貴方は、サインしましたか?」
証人「いえ、しません」
弁護士「これから、和史さんとどう接していきますか」
証人「できることをしていきたいです」
弁護士「考えられることは」
証人「手紙か、お金…」
弁護士「和史さんのことをあきらめたと言っていましたが、今はどう考えていますか?」
証人「協力して、頑張りたいと・・・」
 小さな、消え入りそうな声だった。そして、しゃくり上げているため、聞き取りにくい。裁判長は、「大きな声でお願いします」と、注意を促した。
証人「私にできることがあれば、したいと思っています」
 今度は、しゃくりあげながらも、はっきりした声で答えた。
弁護士「どうして、今は寄り添って、接していこうと思いますか?」
証人「特に何もしてやれず、可哀そうなことをしたと悔いています」
 幼少期の頃の事か、それとも、宮城や良亮に搾取されるようになってからの事だろうか。あるいは、その両方なのか。
弁護士「和史さんに、言ってあげられることは」
証人「ひどいことをして、悪かった・・・」
語尾は消え入り、涙声であり、聞き取ることができなかった。
弁護士「終わります」
 検察官はから、証人尋問は行われなかった。伊藤は、母親の証言を、硬く暗い表情で聞いていた。嫌な記憶を、緊張を強いられる場で想起させられたのだ。ひたすら苦痛だったのだろう。そして、自らの行為が母に与えた影響を目の当たりにし、暗然としたのかもしれない。
 しかし、伊藤はどうすればよかったのか。長野地裁で裁判長たちと「市民」が認定したように、簡単に逃げることができたのだろうか?伊藤以外の人間は、同じ立場に置かれたら、どのような行動をとったのだろう。
 私のとりとめのない考えをよそに、村瀬裁判長により、証人尋問の終了が宣せられた。そのとき、伊藤の母は、伊藤に頭を下げた。
「ごめんなさい、お母さんを許してください!」
 嗚咽交じりの、叫びのような声だった。伊藤は、母に深々と頭を下げ返す。表情は影になり、よく見えなかった。しかし、当然ながら、明るいものではなかっただろう。
 伊藤の母は退廷しながらも、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、何度も繰り返し、頭を下げる。法廷の外の廊下に通じる出入り口でも、「ごめんなさい」と泣き叫び、伊藤に頭を下げた。伊藤は母が叫ぶたびに、その声に押し潰されるように、黙って頭を下げ返す。慟哭する母に、言葉をかけてあげたかっただろう。しかし、それは法廷では許されない。
 裁判官たちが、この光景にどのような感情を抱いたかは、表情からは窺い知れなかった。しかし、「被害者遺族」であるK・Kは、すすり泣いている伊藤の母の姿を見ながら、にやにやと笑っていたように見えた。
 その表情は、苦しみを租借し、味わっているかのようだった。
 伊藤の母が退廷した後、裁判長はいくつか期日を指定した。5月30日15時、6月18日15時、7月16日15時、それぞれ被告人質問などを行うとのことだった。その後もさらに、審理を続行予定とのことだ。
 期日指定の後、15時58分に、伊藤和史の控訴審初公判は閉廷した。法廷に満ちていた緊張が切れる。傍聴人たちは席を立ち、出入り口へと向かっていった。心なしか、誰もが早足だった。
 伊藤は手錠をかけられ、退廷を促される。伊藤は証言台の前を横切り、傍聴席に背を向けた。法廷には、ほとんど人が残っていない。
 「伊藤さん、頑張ってください」
 私は、伊藤の背中に声をかけていた。法廷で目立つ行動をとるのは、躊躇があった。それでも、ここで黙っているのは許されない、と思えたのだ。
 伊藤は、傍聴席に背を向けたまま、前方に頭を下げた。言葉は伝わったようだが、歩みを止めるのは許されない。そのまま刑務官に引率され、被告用入り口の奥に姿を消した。
 扉は閉ざされた。
 長野地裁は、真島の家の扉を、より固く閉ざした。東京高裁は、どのような判断をするだろう。扉を開くのか、それとも、扉にもう一つ、閂を取り付けるのか。