7月15日、松原智浩の最高裁弁論を傍聴した。
いずれ詳細な傍聴記にまとめるつもりだが、簡単に言えば、松原の弁論は平均的な死刑事件の弁論同様に進み、終った。
裁判員裁判では、初の死刑事件審理だからか、最高裁は相当にピリピリしていたようだ。最高裁の公判では、職員のアナウンスや傍聴の際の注意など、煩雑な儀式がある。この日は、その儀式がさらに複雑になっていた。しかし、最高裁の緊張ぶりとは裏腹に、あっけない終わりだった。
最高裁では被告人が出廷しないので、法廷内に松原の姿はない。しかし、遺族も一人として法廷に姿を見せていなかった。
弁論は13時30分に開始され、14時10分に滞りなく終了。時間は40分程度であり、最高裁の死刑事件弁論としては、標準的な長さである。判決期日は追って指定することとなり、閉廷した。
弁護人は、松原を高裁から担当している二人の女性弁護士だ。検察官は、役人然とした風貌の、堅物そうな中年男だった。
弁護人の弁論は、熱意がこもっており、時折涙声になっていた。二人が、絶対に松原を死刑にしたくないと思っており、誠実に弁護を行っていることは疑いえない。しかし、内容は控訴審の主張とあまり変わらないものだった。最高裁は法律審であり、新たな証拠が出てこない限り、新たな主張を行うのが難しいのだろう。
検察官は口調に熱意がなく、だらだらとした話しぶりで、手短に弁論を終えた。控訴審までの判決文などを切り貼りしたような、空疎な内容だった。朗読にあたって、金良亮の名前を間違えてさえいた。
ただ、一点だけ看過できない発言があった。金父子の生活を『平穏に暮らしていた』と評したことである。
金父子はヤミ金を経営して多くの人々を苦しめ、自殺に追い込み、さらには宮城を殺害した。被告たちを監禁同様の状態におきながら、経済的に搾取し、暴力と恫喝で酷使していた。
検察官にしてみれば、弁論の際の慣用句を惰性で使っただけであり、悪意などなかったのかもしれない。
それでも、金父子の生活が、問題のないものであったと聞こえることに変わりない。被告たちを含めた金父子の被害者に対し、あまりに冷酷な言葉である。そして、人の生死に直結する裁判での、そのような鈍感さが理解できない。
松原の判決はおそらく、9月ぐらいになるのだろう。言い渡しは、1分に満たない時間で終わると思われる。
その1分で、どのような言葉が裁判官の口から出てくるのか・・・。
いずれ詳細な傍聴記にまとめるつもりだが、簡単に言えば、松原の弁論は平均的な死刑事件の弁論同様に進み、終った。
裁判員裁判では、初の死刑事件審理だからか、最高裁は相当にピリピリしていたようだ。最高裁の公判では、職員のアナウンスや傍聴の際の注意など、煩雑な儀式がある。この日は、その儀式がさらに複雑になっていた。しかし、最高裁の緊張ぶりとは裏腹に、あっけない終わりだった。
最高裁では被告人が出廷しないので、法廷内に松原の姿はない。しかし、遺族も一人として法廷に姿を見せていなかった。
弁論は13時30分に開始され、14時10分に滞りなく終了。時間は40分程度であり、最高裁の死刑事件弁論としては、標準的な長さである。判決期日は追って指定することとなり、閉廷した。
弁護人は、松原を高裁から担当している二人の女性弁護士だ。検察官は、役人然とした風貌の、堅物そうな中年男だった。
弁護人の弁論は、熱意がこもっており、時折涙声になっていた。二人が、絶対に松原を死刑にしたくないと思っており、誠実に弁護を行っていることは疑いえない。しかし、内容は控訴審の主張とあまり変わらないものだった。最高裁は法律審であり、新たな証拠が出てこない限り、新たな主張を行うのが難しいのだろう。
検察官は口調に熱意がなく、だらだらとした話しぶりで、手短に弁論を終えた。控訴審までの判決文などを切り貼りしたような、空疎な内容だった。朗読にあたって、金良亮の名前を間違えてさえいた。
ただ、一点だけ看過できない発言があった。金父子の生活を『平穏に暮らしていた』と評したことである。
金父子はヤミ金を経営して多くの人々を苦しめ、自殺に追い込み、さらには宮城を殺害した。被告たちを監禁同様の状態におきながら、経済的に搾取し、暴力と恫喝で酷使していた。
検察官にしてみれば、弁論の際の慣用句を惰性で使っただけであり、悪意などなかったのかもしれない。
それでも、金父子の生活が、問題のないものであったと聞こえることに変わりない。被告たちを含めた金父子の被害者に対し、あまりに冷酷な言葉である。そして、人の生死に直結する裁判での、そのような鈍感さが理解できない。
松原の判決はおそらく、9月ぐらいになるのだろう。言い渡しは、1分に満たない時間で終わると思われる。
その1分で、どのような言葉が裁判官の口から出てくるのか・・・。
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