松原智浩の被害状況について記述する。
 ここに書かれた内容は、松原の一審・二審判決、控訴審公判における被告人質問と、伊藤の地裁公判時に証人として出廷した際の、松原の証言に依拠している。松原とは現在、交流が途絶えており、本人に詳しい状況を確認することができない。実際には、ここに書かれているよりも酷い目にあっている可能性が高い。
 そして私は、真島の家での苦痛を十分に理解し、伝えるほどの、想像力も筆力も有していない。以下の記述は、それらの制約のもと、本来の残虐さが希釈されていると考え、読んでいただければと思う。

 松原智浩が金父子と同居するようになったのは、平成16年からである。松原は、前科前歴は、金父子と出会うまでは全くなかった。工業高校卒業後は、まじめな配管工としてキャリアを積んでいた。
 きっかけは、金父子から強制的に借金させられたことだ。松原は独立して起業しようと考え、金融機関から事業資金を借りた。しかし、金文夫はその借金を勝手に返済し、松原に強制的に債務を作らせた。加えて、松原の友人は事業資金を持ち逃げしてしまい、松原は返済に窮することとなった。
 金父子に追い込みをかけられ、返済を確約させられた。そして、金父子のもとで働いて返済をさせられる契約となり、真島の家に捕らわれることになった。
 真島の家で働かされている間は、借金の天引き、部屋代、食事代を給料から差し引かれ、手取りは1~2万円しかなかった。このほかに、金父子の誕生会の会費、懇親会の会費などの名目で、金銭を支払わされることもあった。また、借金返済が終わった後でも、借金の天引きと称して給料から数万円を差し引かれていた。松原は、月4万3千円ほどを返済させられており、5年間で返済が終わる約束だった。しかし、実際には事件時まで、6年間ほど支払わされていた。
 金父子からは日夜、面白半分に殴られるなどの、暴力を受けていた。良亮からは、面白半分に鉄パイプで殴打され、胸の骨を折られたこともあった。そのほかにも、頭を殴られる、ハンマーでヘルメットの上から殴られる、電動工具で殴られる、といったこともあったようである。
 文夫は、松原を労働力として酷使するだけではなく、自分の力を誇示するための道具として使いたいとも考えていた。そのため、松原に、背中の一面に刺青を入れることを強制した。松原は何度も断ったが、金父子に逆らうことができず、結局は背中一面に、鳳凰の刺青を入れさせられた。
 どこかに出かけるにしても、常に報告が義務付けられ、プライベートな時間も管理された。報告を忘れると、「そんなんやからお前出世せえへん」「生きとってもしゃあないな」などと馬鹿にされた。金父子との食事や、強制的に参加させられるイベントでは、常に金父子の顔色をうかがい、カラオケをうまく歌い、宴会芸をやらねばならなかった。なお、金父子はイベントの度に、参加者にプレゼントや高額の祝儀を要求していた。
 良亮は、夜の街で飲み歩き、通行人に喧嘩を吹っ掛けることが頻繁にあった。松原は喧嘩を止めようとしたが、逆に巻き込まれて殴られることも多かった。

 金父子と顔見知りのヤクザさえも、「よくやっているね」と同情するような生活。「最低限度の文化的生活」「人間的生活」という言葉が、むなしい絵空事としか思えないような、過酷な生であった。
 松原自身は、あまりにひどい暴力に長年にわたりさらされ、麻痺してしまった面もあるのかもしれない。会長からの暴力について伊藤の弁護士から尋ねられ、答えた際に「その程度です」と付け足していた。弁護士は驚いたような表情で「その程度ではないでしょう!大したことです!」と言い返した。
もちろん、松原はこのような生活から逃れたいと考えていた。だが、松原は長年にわたり真島の家に捕らわれてきた人間である。債務追求から逃げた友人の家族が、どれほど酷い追い込みをかけられたか、間近に見てきた。松原の友人も、金父子から逃げ出したほかの債務者も、家族や恋人を捨てて逃げたからこそ、逃げのびることができた。現に、事業資金を持ち逃げした松原の友人の親には、金父子の追い込みが行われている。松原は、自分一人だけ助かり、家族を苦しませることなどできなかった。ただひたすら、金父子の暴力に耐えていた。

 しかし、真島の家での暴力に、さらなる恐怖が加わった。
良亮は、あるパーティーの最中、「お前、調子に乗るなよ、殺されたいのか」と、突然言い出した。伊藤に事情を聞いたところ、伊藤は、良亮が宮城を殺したことを、話した。松原は、事実を知りたいと考えたのか、倉庫まで案内してもらった。
 その時にどのような感情を抱いたのか、松原は控訴審の法廷では述べていない。しかし、その死体の臭いについて、「何とも言えない臭いがしました」と、語っている。それ以上は思い出すに耐えられず、とても語れないようだった。
 法廷で見る松原の言動は、朴訥であり、実直な職人という印象を裏切らない。少しでも客観的に、知る限りの事実を述べようとしている。しかし、宮城の死体を見た場面について語った声は、かすかに震えを帯びており、早口になっていた。