控訴審においては弁護人の請求により精神鑑定が行われ、鑑定書と鑑定人の証人尋問が採用された。小林正信氏が鑑定人となった。2013年7月16日、東京高裁で行われた証人尋問をもとに、記述する。
 
結論から言えば、伊藤和史は犯行時、心神喪失や心神耗弱ではないものの、心理的視野狭窄の状態にあった。

この症状は、統合失調症と違い、心そのものが変異するわけではない。しかし、いくつかの行動選択肢があっても、一つしか選ぶことができなくなる。意識が一点に収束してしまい、他の行動をとることができない状態である。
この一つの選択肢以外は、判断において切りおとされているため、他の選択をすることはできない。しかし、この集中している一点についてだけは、ある程度は合理的な行動をとることができた。いわば、コップの中を覗いている状態であり、そのコップの外の事柄については考えが及ばず、合理的な行動をとることができない。

伊藤は、殺害前に被害者の食事に睡眠薬を入れ、殺害を容易にしている。また、同じく真島の家にとらわれていた共犯者に、事件について相談している。しかし、これらの行動は、コップ内の出来事であったから、思いつくことができた。
妻子に犯罪被害について相談をすれば、妻子に災いを招きかねない。警察は、ヤミ金の債務者が相談しても金父子の捜査をせず、つながっている様子であり、あてにならない。このため、家族にも警察にも相談することができなかった。同時に、真島の家以外の人間に相談することは、視野狭窄によって形作られたコップの、外の出来事だった。

 心理的視野狭窄となる理由は、相手からの暴力、疲弊性抑うつ、マインドコントロール、集団ヒステリーである。このうち一つでも欠けていれば、視野狭窄にはならなかった。
 伊藤は宮城と良亮に監禁され、経済的に搾取されるだけでなく、グラスで頭を割られる、ガラス片で腹を刺されるなどの犯罪被害を受け、腸が出るほどの重傷を負うこともあった。さらに、金良亮に殺人を見せつけられ、それはトラウマとなった。その後は、一家から痣が残るほどの暴力を振るわれ、殺害をちらつかされた。体重が10数キロ落ちるほどのストレス。苦しみを顔に出すなどの感情表現さえも、自由にできなかった。悲しみを表に出せば、金父子は不機嫌になり、暴力を振るわれる危険があったからだ。このように、伊藤は異常なまでの暴力を、長期間にわたり受けている。この暴力と心理的拘束は、マインドコントロール状態を生んだ。
さらに、理不尽な暴力と行動を支配する心理的束縛により、心理的な疲労が蓄積され、疲弊性抑うつにつながった。伊藤の疲労は、山で遭難したと同様の状況であり、もうろう状態だった。
 最後の仕上げとして、自らの言葉により殺害の決意を固めていく共犯者たちを見て、集団的ヒステリーが発生したとのことである。

 当初は、伊藤もいくつかの選択肢を検討した。その最大のものは、自殺である。伊藤は、2009年に自殺を図ったが、妻の声を電話で聞いて、決心が萎えたことがあった。また、自分が自殺すれば、妻子が金父子に捕らわれてしまうのは、目に見えていた。自分を包み込むように愛してくれた妻子を、苦しませたくはなかった。そのため、ある時点までは常軌を逸した暴力に耐え続けていた。
警察に相談しようとも考えたが、金父子と警察との親しげなやり取りに、その気も萎えてしまった。また、幼少時に虐待にさらされたこと、良亮による犯罪の主犯格であった宮城から、異常な暴力を受けたことにより、「暴力に逆らっても解決することはできない」という、学習性無気力と呼ばれる心理状態にあった。これらの外的要因が、殺害以外の選択肢をつぶした面もある。
 事件の前年、「妻子をバーのホステスとして、強制的に働かせてやる」と金父子から脅されたあたりから、漠然と計画を思浮かべていたが、事件の一週間ほど前から、だんだんと事件だけの一点に集中していった。
この収束していった理由は、殺害について相談した際、他の共犯者が殺害に否定的ではなかったからだとのことである。前年から計画を考えてはいたものの、まずありえない、という思いがあった。しかし、共犯者が自分と同じ境遇であり、殺害に否定的ではないのを見て、意識が殺害という一点に収束していった。