本当に、楠見有紀子は天使だったのだろうか?
 
 金良亮の内妻であり、「被害者」の一人である楠見有紀子は、法廷で、天使の如く扱われた。
 検察官は、金父子の犯罪を矮小化し、悪印象を希釈しようと努めた。しかし、犯罪自体を否定することはできなかった。
 だが楠見については、何の落ち度もないのに殺された、天使のごとき女性として扱った。
 伊藤の長野地裁における論告求刑の際には、スクリーンに楠見の結婚式での写真が映し出された。検事たちは論告を行いながら、写真に涙していたらしい。
 しかし、楠見有紀子は金父子の犯罪行為に無関係であり、何の罪もないのに殺された人間だったのか。

金父子は、ヤミ金を営んでいた。良亮は債務者相手に暴行、脅迫事件を起こし、2007年に懲役二年六か月の執行猶予判決を受けている。この有罪判決を機に、金父子は金融業者の免許を取り上げられた。金父子は犯罪をやめるのではなく、発覚を免れるため、より隠微な方法を採用した。
 質屋を表看板にし、質草に対して融資を行うという建前で、実質的にヤミ金に携わったのだ。金融業は、2010年6月以前の金利の上限は29.2%である(現在は20%以上の利息を取ると、罰せられる)。しかし、質屋はこの出資法上限金利の対象から外れており、年利108%の高い利息を取ることが可能である。金父子はこの抜け穴を利用し、質屋の体裁をとってヤミ金を行っていた。
 内妻の楠見由紀子は、自分の名義を金父子に貸して質屋の看板をかけさせ、闇金を続けることを可能にしたのだ。彼女の協力なければ、金父子が犯罪を重ねることはできなかっただろう。

また、池田薫の交際相手に堕胎させるよう、池田に働きかけていた。子供がいては、池田に奴隷的な労働をさせるのに、差し支えるからである。池田は、この言葉を聞いた時、屈辱に震えたという。
 なお、楠見は高校生の頃、大阪梅田で良亮にナンパされたことがきっかけで、同人との交際を開始した。2005年から5年間にわたり真島の家で同棲生活を送っていた。良亮が有罪判決を受けた裁判の傍聴にも行っている。良亮は少年時代から暴走族に所属しており、宮城とは、暴走族時代から先輩後輩の仲であった。良亮は楠見との交際中から、恥ずべき生活を送っていたということである。
 楠見は2007年7月、良亮が逮捕されているときに、良亮の面会に行くように、伊藤に指示している。そして、伊藤、楠見、文夫の愛人であるK・Aの三人は、長野南署に身柄拘束されている良亮と、面会を行っている。当然、楠見もK・Aも、良亮がヤミ金の債務者への傷害などで逮捕されたことを、よく知っていただろう。
 これらの事実を考慮すれば、楠見が、金父子の人間性を知らない、あるいは、犯罪性を知らない、といったことはおよそ考えられない。

  ならば、なぜ楠見の犯罪性について、立証が進められなかったか。
 一つは、被告たちが積極的に楠見の犯罪行為について、主張しなかったためである。楠見は共犯だったとしか考えられないが、彼女の殺害は、計画にはなかった。被告たちは殺害を非常に悔いており、犯罪への関与について主張しにくかった。
  もう一つは、彼女の関与について証言が可能な人が、誰一人としていなかったからだ。遺族たちは、遺影を掲げ、法廷の最前列に大挙して陣取っていた。被告や被告側の証人を睨み付け、伊藤和史の被告人質問の際には、指をボキボキと鳴らし、威嚇していた。このような状況であるため、非常に証言に立ちにくかった。
  しかし、最大の事情は、金一族の被害にあっていた人々が、圧力をかけられていることにあると思われる。松原智浩の長野地裁公判では、金父子のもとで強制労働させられていた人が、出廷するはずだった。しかし、その証人は、証言台に立つ直前に逃げ出し、行方知れずとなってしまったのだ。そのため、弁護側にとって立証が非常に困難になってしまった。松原の控訴審で出廷予定だった人も、遺族の圧力に負け、結局は証人としてではなく、自分の体験を文書として提出するにとどまった。その文書として提出したことについても、事後に圧力を受けたらしい。

 伊藤、松原、池田の弁護士は、いずれも控訴趣意書で、楠見の犯罪への関与について、言及している。池田の弁護士は、控訴審の弁論でも、『有紀子は不法行為の一部を行い、オリエンタルグループと関係があった』と言及している。しかし、上記のような事情から、十分に主張を尽くすことができなかったのである。
 検察官、裁判官、裁判員は、彼女を無垢な天使であるかのように美化し、死刑判決の重要な骨格とした。しかし、楠見を「天使」としたことは、「被害者遺族」による証拠隠しを追認し、金父子たちから被害を受けた人々への、二次被害を追認したに過ぎないのではないか。