このブログは、長野県で発生した真島事件と呼ばれる殺人事件について、事実を伝えるものである。
 被告たちの刑を減じ、「真島の家」の扉を開くために、事件の背景を広く知ってもらいたい。そう考え、このブログを始めた。
 私は死刑廃止論者ではない。何ら落ち度のない人々を、反社会的・利己的な目的で殺傷した場合は、死刑を適用することもやむを得ないと考えている。
 しかし、この真島事件の被告たちに、死刑や無期懲役を科すことは、絶対に承服できない。彼らは理不尽な犯罪被害から逃れ、自由を取り戻すため、「被害者」に反撃を試みたのである。
 私は、事件の主犯格とされている伊藤和史と交流している。事件の原因はどのようなものか。主要な事情は明白となり、判決でも認定されている。しかし、細かい部分の記述は、主に彼の主張に沿ったものとなる。

 真島町は、長野県北部の長野市にある、人口2000人ほどの小さな町である。その地で事件が発生したのは、2010年3月24日のことだ。真島町で金融業を営む一家三人が行方不明となり、二十日後の4月14日に死体が発見された。4月15日、住み込みの従業員など合計四人が加害者として逮捕された。
 この事件が、このブログで事実を記す、真島事件である。
 以下に、事件の概要を記述する。人物名についてはいずれも敬称略とする。また、被告と被害者、法曹三者、捜査関係者や鑑定人については実名だが、遺族や被告の家族については仮名とする。

 被害者は、金文夫、金良亮の親子と、良亮の内妻である楠見有紀子の三人。
 加害者は、被害者の下で働かされていた伊藤和史、松原智浩、池田薫。そして、伊藤和史の取引相手である斎田秀樹の四人である。東京高裁において、伊藤と松原には死刑、池田には無期懲役の判決が下された。斎田は幇助犯として、懲役18年となり、最高裁で確定した。
 2014年3月現在、上告を棄却された斎田を除く三人が、最高裁に係属中である。
 「被害者」である金父子は、同じく「被害者」である楠見の協力のもと、ヤミ金を営む元暴力団組員だった。二人の周辺では、幾人もの自殺者が出ていた。真島町の自宅も、自殺した債務者の所有していた家を、改築したものだ。事実、良亮は債務者への暴力的な取立てにより、傷害、恐喝などで2007年に有罪判決を受けている。
 また、金父子の犯罪履歴には、殺人さえも含まれていた。金良亮は、兄貴分の宮城浩法という暴力団員を、伊藤の眼前で射殺していた。その死体は、金一家の死体発見に先立つ4月10日に、長野県の良亮の倉庫の中から発見されている。

 伊藤和史は、多くの資格を取得して働き、ピアノやジャズ、クラシック鑑賞を趣味とする青年だった。コック、塗装関係など職を転々としていたが、犯罪や裏社会とかかわりを持ったことは一切なかった。コックとして働いていた時には、外国人と接する機会が多く、英語の勉強をしていた。英検3級を取得し、外国人との会話も十分にこなせたようだ。そのほか、情報処理やワープロなどの資格も、仕事のために取得していた。
 しかし、運命は2005年に暗転する。
 元暴力団組員の宮城と良亮に、金目当てで拉致監禁されたのだ。その時から、伊藤は搾取を目的とする「強制収容所」に監禁されることとなった。
 伊藤は、自宅の鍵に戸籍謄本、住民票、そして家族友人の連絡先といった情報を、すべて握られてしまった。二人から養子縁組を強要され、金を脅し取られた。さらに、包丁などの凶器を用いて激しい暴力を振るわれた。腸が露出するほどの重傷を負うこともあった。
 良亮の宮城殺害により、伊藤の「所有権」は、金父子へと移った。そして、伊藤は金父子の長野県の自宅へと連れて行かれることとなる。
 ここが、金父子が棲みついた、「真島の家」である。
 そこは、宮城の棲家とは別の「強制収容所」に過ぎなかった。
 金父子からは無給で強制労働をさせられ、作業現場ではハンマーでヘルメットの上から何度も殴られ、鉄塊を投げつけられた。暴力の理由は、作業が遅い、勝手に行動した、という言いがかりである。そして、確実に服従させるために、『お前もあいつみたいになってもええんか』という脅しが加わった(注・「あいつ」とは、良亮が伊藤の面前で射殺した、宮城のことである)。
 伊藤は、腰痛や歯痛があっても、病院に行くことが許されなかった。睡眠は3時間前後しか許されない。更に事件の少し前から、食料もろくに与えられなくなった。

 松原智浩は、まじめに働いていた配管工だった。しかし、文夫から強制的に借金させられ、友人に返済金を持ち逃げされたため、月に1~3万円程度で酷使されるようになった。日常的に面白半分に暴力を振るわれ、鉄パイプであばら骨を叩き折られることもあった。家族の住所を知られており、逃げるに逃げられなかった。良亮からはしばしば『殺すぞ』と脅されており、後に伊藤から、良亮が宮城を拳銃で射殺したこと、宮城の死体の場所を知らされて、一層の恐怖を感じるようになった。

 警察は、金父子の債務者が警察に訴えても、厳しい取り立てをしないように注意するだけで、犯罪行為に捜査を行うわけでもなかった。このことから、被告たちは警察と被害者たちがつながっていると知り、「金父子からは逃げられない」という絶望感を抱いた。
 被告たちに共通するのは、まじめに働いていた市民が、ある日突然に人間としての尊厳を奪われ、暴力と恐怖の渦巻く「強制収容所」に繋がれたということである。

 地獄に繋がれたにもかかわらず、伊藤と松原は「被害者」の殺害を強く後悔し、死刑を受け入れる覚悟を示している。
 私は、死刑判決は殺害人数や罪名により、機械的に下されるべきだとは思わない。被告たちの被害を量刑に反映しないことは、被告たちや、ほかの人々に加えられた犯罪を、存在しないものとして扱うに等しい。それは「被害者」たちに苦しめられた人々すべてを貶める行為ではないか。

 「被害者を批判するなど、とんでもない」と考える人も、いるかもしれない。果たして、この「被害者」たちが殺人や出資法違反、暴行、傷害、強要、監禁などで逮捕された場合、彼らに優しい感情を抱いただろうか。もっと言えば、この「被害者」たちから犯罪被害を受けた場合、どのような感情を抱き、どのように行動しただろうか。

 被告たちの身に降りかかった恐怖と暴力は、この文章を読んでいるあなたや、あなたの家族にも起こりうる出来事である。