伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

 2015年12月18日、津田寿美年と若林一行の死刑が執行された。

 昨年の話であり、前々回の死刑執行でもある。我ながら、「今更ながら」という感じもする。しかし、私にとって、津田の執行が未だ生々しい記憶だということも、事実だ。両名の裁判を傍聴したことがあったが、ことに津田の裁判は、強い印象を残していたからである。
 また、津田は裁判員裁判で死刑が確定した死刑囚では、初の死刑執行だ。伊藤や松原も、裁判員裁判で死刑判決が出た被告である。死刑執行についても、どうしても連想してしまう。その意味でも、この執行は、気が重かった。伊藤の死刑が確定した現在では、より心に重くのしかかってくる。

 報道では、津田の「裁判員制度下で初の死刑執行」という要素からか、若林はほぼ忘れ去られている。このブログは、裁判員裁判についても言及するつもりであり、与えた印象は、津田の方が鮮烈でもある。よって、私の記事も、津田の件についての記述となる。

 津田の執行についての報道の中で、『裁判員の精神的ケア』の問題が、またもクローズアップされている。
しかしながら、これは裁判員をお客様扱いしすぎてはいないか。裁判員が、自らの結論に責任を持つ当事者であるという視点が、完全に抜け落ちている。「ケア」と簡単に言うが、どうケアをするのか。判決は間違っていなかったと、裁判員に言い聞かせるのか。自らの下した判決の重みを受け止めることも、裁判員としての責務ではないか。
 なお、伊藤の最高裁での死刑確定時の報道によれば、真島事件を審理した裁判員たちのうち、裁判所によるカウンセリングなどの支援を受けた者は、一人もいないようである。

 まず、津田の事件の概略について、記述しておく。
 2009年6月、津田寿美年は、自分の暮らすアパートの大家と、その親戚二人の合計三人を、刃物で刺して殺害した。
 津田は、殺害された一人である大家の弟のYと、長年にわたりトラブルを起こしてきた。発端は、津田によれば、Yが周囲の迷惑を顧みずに騒音を立て、批判をすれば恫喝的な態度をとってきたことだった。大家と殺害された親戚は、このYの言動をたしなめることはなかったとのことだ。この津田の主張に沿う内容を、証人として出廷したアパートの住人が証言している。同証人の言葉によれば、津田よりもYの方に恐ろしさを感じていた、とのことである。
 ただ、津田も暴力的な人間であった。凶悪犯罪による長期服役の経験こそないが、粗暴犯による短期の服役を繰り返している。また、Yと口論になり、Yを殴打して視力を低下させたことがあった。しかし、アパートに入所して以来、Yとのいざこざで暴力をふるった以外は、住人とトラブルを起こさず、一応大人しくルールを守り生活していたようである。

 まず、この裁判が冷静に行われたか、強い疑問符が付いた。この裁判には遺族が参加し、検察官席の衝立の後ろに座っていたのだが、被告が発言するたびに、何かを呟いたり、メモを乱暴に破り捨てたりしていた。嗚咽が響き渡ることもあった。
 また、遺族は検察官を通じ、被告側に有利な証言をした証人にまで、冷ややかな質問を行っていた。証人は、津田と同じアパートの住人であった。顔見知りであり、津田の減刑嘆願の署名を集めたこともあったようだ。遺族の意を受けた、検察官による証人尋問の部分を抜粋する。
検察官「Sさんに、被告人に馬乗りになって刺される夢を見て、怖くて仕方がないとは言っていませんか」
証人「全くの嘘!」
検察官「被告人と仲良くしていたのは、自分の身を守るためだとは言っていないか」
証人「いいえ!」
検察官「怒らせると何をするかわからないから、食事を作っていた、とは言っていませんでしたか」
証人「いいえ!」
検察官「あんな恐ろしいやつを入居させるなんて、とは言っていませんでしたか」
証人「いいえ!」
 もちろん、裁判を傍聴しただけでは、住人間の関係の細かい部分までは、十分に解らないだろう。しかし、証人が津田を恐れていたのであれば、津田に有利な証人として出廷したり、減刑嘆願の署名を集める必要は、全くないのではないか。ただ、津田が死刑になるのを待てばいいのだ。

 このような状況で、果たして裁判員は、冷静な判断ができたのだろうか?少なくとも一部の裁判員については、審理時の態度に疑問符が付いた。裁判傍聴記から、一部抜粋しよう。

 2011年6月7日の横浜地裁における公判。この日は被告人質問であり、審理の後半では、裁判員による被告人質問も行われた。
 眼鏡をかけた中年男性の裁判員が、質問した。
裁判員『あのー、今までのあなたの話を聞きますと』
津田『はい』
裁判員『あなたは、人を敵か味方に明確に区別して』
津田『ええ』
裁判員『敵から攻撃があれば、やり返すと』
津田『はい』
裁判員『そういう考え方でしたね』
津田『はい』
裁判員『今も変わりは』
津田『ないと思います』
裁判員『そうすると、つまり、最初に義明さんを刺したとき、明確に殺意をもって殺したのではないんですか』
津田『(聞き取れず)その、原因がわからないんです。殺意はないと思うんですよ。はっきりと言えませんけど』

 この裁判員は、質問時に薄笑いを浮かべていた。被告人への侮蔑を宿した、見ていてゾワゾワする笑みであった。
 まず、質問からして被告人の人物像に強い予断を抱いていたことが伺わせる。また、「被告人の攻撃性ゆえに」殺意を持っていた、という強い予断を抱いていたこともうかがわせるものだ。

 被告人質問の終わりごろ、質問を行ったのは、1番の眼鏡をかけた太った青年の裁判員だった。裁判員は、被害者3人のうち、長らく確執があったYさんを殺害した時のことについて、質問した。
裁判員『弟のYさんの部屋に入った時に、Yさん、(犯行時は)寝ていたんですよね』
津田『それは、うっすらの感覚ですよ。うっすらとした』
裁判員『横になってたんですよね』
津田『と思います』
裁判員『あなたにとって、寝込みを襲うっていうことは、どう思っています?』
津田『その行為ですか』
裁判員『はい』
津田『卑怯ですね』
裁判員『卑怯なことだと思いますか。解りました』
 「卑怯な被告人」を糾弾しようという意図以外、感じることはできない質問だった。
 ちなみに、この裁判員は記者会見で『控訴しないでほしい』と発言している。また、津田の控訴取り下げ時には、『あれだけ考えて出した結果なので、受け入れてもらえてほっとしている』とも述べている。
 しかし、このような態度で、「一生懸命審理した」「公正な態度だった」と自信を持って言えるのか。いや、このような態度でなくとも、上訴すべきではないというのは、あまりにも傲慢な発言ではないか。さらには、控訴取り下げ時には、『被告には、これで終わりではなく、公判で話していた写経を刑が執行されるまで続け、被害者の供養に勤めてもらいたい』とまで、注文を付けていた。
 よほど自分の審理に自信があったのか、異例の口出しだ。死刑を出すのに悩んでいたのであれば、ここまで平然と被告人に要求を突き付けることが、できるのか。

 このような審理に、津田がどのような思いを抱いたかは解らない。弁護人によれば、本人は死刑判決にも落ち着いた様子で、『覚悟していました』と述べていたようだ。控訴取り下げには弁護人も驚いており、誰とも話し合うことなく、一人で決めたようである。
 私にとって、津田への死刑は、今のところは不当と言い切ることはできない。津田自身、死刑に納得していたのかもしれない。
 だだ確実に言えるのは、津田は公正な審理を受けたとは言えなかった。裁判員には、人の生を左右する者としての慎重さ、自らを省みる姿勢など、なかったように思える。
 津田の生は、そのような法廷で、終焉を宣告された。

IMG_0001

 伊藤和史の最高裁判決について、掲載の許可が出たので、公開する。
 伊藤の受けた犯罪被害について、宮城事件に就いての言及を省略してはいるものの、割合詳細に言及している。しかし、最高裁の法廷では、情状部分について詳細に朗読されることはなかった。このような事件への上告棄却が後ろめたく、法廷で読み上げることができなかったのか。それとも、単に時間の関係で、朗読を省略しただけだったのだろうか。

IMG_0001


IMG_0004


IMG_0005

IMG_5296
 

 2016年4月26日、私は再び、武骨な荒々しい窟に足を踏み入れた。
 最高裁弁論から一月も経ていないこの日、伊藤の最高裁判決が予定されていたからだ。
傍聴券は44枚予定されていた。交付の締め切りは14時20分であったが、少し遅れた私も、余裕で傍聴券をもらうことができた。
 とはいえ、この日は、たくさんの傍聴人が来ていた。普通、最高裁判決では10人前後の傍聴人しか来ない。しかしこの日、抽選の時間までに並んだのは17人ほどであり、最終的には22,3人ほどの傍聴人が傍聴に訪れた。随分と多い。少しは、事件の詳細が知れ渡っているのだろうか。そうであってほしい。
 待機場所には、「長野の会」の会長も来ていた。私たちは挨拶を交わし、最高裁判決まで、あまりにも早すぎた、などと話をした。2010年5月下旬に起訴され、最高裁判決が2016年4月26日。起訴から、6年もたっていないのだ。しかし、これでも最近は裁判が「長期化」しているということになるようである。また、最高裁の弁論が3月29日から最高裁判決まで、期間は一月に満たない。これも、異例の短さである。
 また、伊藤の母が傍聴に訪れることも、この時に聞いた。意外ではあったが、そうであってほしいと思った。
 やがて、職員から先導され、第三小法廷へと案内される。
 記者は、14人ほどが傍聴に訪れていた。これも、普段の最高裁と比べ、随分と多い。最前列には、伊藤の母と、伊藤の妻たちが座っていた。私は、伊藤の家族、ことに母の姿を見て、ほっとした。伊藤と疎遠になっていると聞いていたが、やはり、子のことを気にかけていたのか。
 ちなみに、「被害者遺族」は、K・Kを含め、誰一人として傍聴に訪れていなかった。検察官は、「処罰感情」などと口にして、虚しくならないのだろうか?しかし、この日も、「峻烈な処罰感情」を理由に、上告が棄却されるに違いない。
 開廷表には、弁護人として、今村善幸弁護士と、西田理恵弁護士の名前が書かれていた。しかし、この日法廷には、今村弁護士の姿しかなかった。最終判決であるから、弁護人が一人いればいいということなのだろうか。その今村弁護士は、しきりに書類をめくっていた。最高裁判決であり、これ以上、主張を行う場はない。それでも、書類をチェックせずにいられないのは、不安なのか、
 検察官は、依然と同じく野口と言う男であり、柔らかそうな椅子に、深く身を持たせかけ、座っていた。
 職員より、裁判長たちの入廷後、2分間の撮影が行われる旨申し渡される。なぜ、判決だけ撮影する気になっただろうか。
 その後、裁判長たちが入廷した。裁判長は、白髪が後退した、痩せた老人だった。他の裁判官たちは、短髪の老女、白髪を七三分けにした小太りの老人、眼鏡をかけた鷲鼻の白髪の老人、丸顔で白髪が前頭部から頭頂部にかけて禿げ上がった老人の、四人であった。なお、後に今村弁護士から頂いた判決文で確認したところ、裁判長以下五名の氏名は、以下の通りである。
大橋正春裁判長
岡部喜代子裁判官
大谷剛彦裁判官
木内道祥裁判官
山﨑敏充裁判官
 入廷とともに、起立するように言われるが、私は座ったままでいた。弁論の時から起立はしないようにしていた。どうせ、上告棄却するつもりだろうと思っていたからだ。また、裁判官への起立と礼は「慣行」に過ぎないのだが、そのような慣行が、なぜ、未だに続いているのだろう。
 傍聴人が座ると、裁判長は、開廷を宣言する。
「それでは、開廷します」
そして、職員に目をやる。女性職員が、事件名と被告名を述べ、開廷する、とアナウンスを行う。
「それでは、以下のように、宣告します」

理由
 本件は、被告人が共犯者と共謀のうえ、金文夫会長と良亮専務夫妻を殺害し、現金を強取した、強盗殺人、死体遺棄の事案である。
 

 おや、と思った。最高裁判決は、主文朗読から始まるのが、通例である。もしかして破棄差し戻しとなるのか、という淡い期待を、一瞬だけでも抱いてしまった。

 相応に考慮すべき事情もある。しかし 

 ああ、やはり駄目だったか。一瞬前の自分に、唾を吐きかけてやりたい気持ちだった。甘いにも程がある。破棄差し戻しなど、あるわけない。この国の司法に、そのような良心があるならば、そもそも伊藤に死刑判決が下される筈がない。
 ここに入る者、一切の希望を捨てよ。

 内妻殺害は、巻き込まれたもので、考慮すべき事情はない。犯行は冷酷非情であり、結果は重大である。
 共犯者と順次共謀を遂げ、自ら率先して三人殺害に着手し、終始、犯行を主導している。
 よって、つぎの通り判決する。

主文・本件上告を棄却する
以上
 

 2011年に長野地裁の裁判員と、高木順子ら裁判官たちが打ち立てた、新たな基準。加害者の受けた犯罪被害を軽視し、「被害者」の犯罪行為を美化し目を逸らす、新たな時代の基準。それは、わずかな時間で、完璧に確立された。
 これまでの他の事件の裁判でも、そのような基準はしばしば見られた。しかし、今この瞬間、その基準は、完璧に、強固に、確立されたと言えるだろう。
「ふざけるな!」
 朗読が終わるか終らないかに、私は声を上げていた。上告が棄却されてしまうのであれば、何か意思表示をすべきではないか。漠然と考えていたけれども、いざとなると、その言葉は自然に出てきた。
「静粛に!」
 職員が怒鳴りつける。幾人かの傍聴人が、不審そうな顔でこちらを見た。裁判長は、閉廷を宣言し、別の職員は起立を促す。誰が起立などするものか。私は座ったまま、さらに続けた。
「同じ立場になってみろ!!」
 裁判長は法廷に目をくれず、そそくさと退廷した。職員は、又も「静粛に!」と怒鳴る。
自分が伊藤の立場になった時、何ができるのか。そこまで賢い行動をとれるのか。伊藤が受けた犯罪被害に対し、一片の酌量も与える必要がないと言えるのか。そのような言葉が、私の頭の中に渦巻いていた。
 職員たちの刺すような視線を受けながら、私は法廷を後にした。時計を見ると、15時の開廷から、1分ほどしか経過していない。傍聴券を受け取って以来、空疎な儀式で40分ほど拘束された挙句、たった1分の言い渡し。一人の人間の命を奪う宣告は、それで終わる。

IMG_6418


 法廷の外では、今村弁護士が、被告人の母、妻、妻の親族とともにいた。私たちは、何を言えばいいかわからないまま、伊藤の親族に挨拶をする。挨拶を返した時、伊藤の妻は、目に涙を浮かべていた。他の家族も、暗い、沈んだ顔をしている。今村弁護士は、家族の手前もあり、何とか平静を保っている様子だった。しかし、その心中は、いかばかりだっただろう。
 その後、今村弁護士は、記者からの取材を受けていた。取材後は、伊藤の家族とともに、今後の打ち合わせをするらしい。私は、弁護士や伊藤の家族と別れ、歩き出した。横断歩道を渡っている時、瞼の奥が熱くなってきた。

 これで、本当に終わってしまうのか?

↑このページのトップヘ