伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

 伊藤和史の最高裁判決について、掲載の許可が出たので、公開する。
 伊藤の受けた犯罪被害について、宮城事件に就いての言及を省略してはいるものの、割合詳細に言及している。しかし、最高裁の法廷では、情状部分について詳細に朗読されることはなかった。このような事件への上告棄却が後ろめたく、法廷で読み上げることができなかったのか。それとも、単に時間の関係で、朗読を省略しただけだったのだろうか。

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 2016年4月26日、私は再び、武骨な荒々しい窟に足を踏み入れた。
 最高裁弁論から一月も経ていないこの日、伊藤の最高裁判決が予定されていたからだ。
傍聴券は44枚予定されていた。交付の締め切りは14時20分であったが、少し遅れた私も、余裕で傍聴券をもらうことができた。
 とはいえ、この日は、たくさんの傍聴人が来ていた。普通、最高裁判決では10人前後の傍聴人しか来ない。しかしこの日、抽選の時間までに並んだのは17人ほどであり、最終的には22,3人ほどの傍聴人が傍聴に訪れた。随分と多い。少しは、事件の詳細が知れ渡っているのだろうか。そうであってほしい。
 待機場所には、「長野の会」の会長も来ていた。私たちは挨拶を交わし、最高裁判決まで、あまりにも早すぎた、などと話をした。2010年5月下旬に起訴され、最高裁判決が2016年4月26日。起訴から、6年もたっていないのだ。しかし、これでも最近は裁判が「長期化」しているということになるようである。また、最高裁の弁論が3月29日から最高裁判決まで、期間は一月に満たない。これも、異例の短さである。
 また、伊藤の母が傍聴に訪れることも、この時に聞いた。意外ではあったが、そうであってほしいと思った。
 やがて、職員から先導され、第三小法廷へと案内される。
 記者は、14人ほどが傍聴に訪れていた。これも、普段の最高裁と比べ、随分と多い。最前列には、伊藤の母と、伊藤の妻たちが座っていた。私は、伊藤の家族、ことに母の姿を見て、ほっとした。伊藤と疎遠になっていると聞いていたが、やはり、子のことを気にかけていたのか。
 ちなみに、「被害者遺族」は、K・Kを含め、誰一人として傍聴に訪れていなかった。検察官は、「処罰感情」などと口にして、虚しくならないのだろうか?しかし、この日も、「峻烈な処罰感情」を理由に、上告が棄却されるに違いない。
 開廷表には、弁護人として、今村善幸弁護士と、西田理恵弁護士の名前が書かれていた。しかし、この日法廷には、今村弁護士の姿しかなかった。最終判決であるから、弁護人が一人いればいいということなのだろうか。その今村弁護士は、しきりに書類をめくっていた。最高裁判決であり、これ以上、主張を行う場はない。それでも、書類をチェックせずにいられないのは、不安なのか、
 検察官は、依然と同じく野口と言う男であり、柔らかそうな椅子に、深く身を持たせかけ、座っていた。
 職員より、裁判長たちの入廷後、2分間の撮影が行われる旨申し渡される。なぜ、判決だけ撮影する気になっただろうか。
 その後、裁判長たちが入廷した。裁判長は、白髪が後退した、痩せた老人だった。他の裁判官たちは、短髪の老女、白髪を七三分けにした小太りの老人、眼鏡をかけた鷲鼻の白髪の老人、丸顔で白髪が前頭部から頭頂部にかけて禿げ上がった老人の、四人であった。なお、後に今村弁護士から頂いた判決文で確認したところ、裁判長以下五名の氏名は、以下の通りである。
大橋正春裁判長
岡部喜代子裁判官
大谷剛彦裁判官
木内道祥裁判官
山﨑敏充裁判官
 入廷とともに、起立するように言われるが、私は座ったままでいた。弁論の時から起立はしないようにしていた。どうせ、上告棄却するつもりだろうと思っていたからだ。また、裁判官への起立と礼は「慣行」に過ぎないのだが、そのような慣行が、なぜ、未だに続いているのだろう。
 傍聴人が座ると、裁判長は、開廷を宣言する。
「それでは、開廷します」
そして、職員に目をやる。女性職員が、事件名と被告名を述べ、開廷する、とアナウンスを行う。
「それでは、以下のように、宣告します」

理由
 本件は、被告人が共犯者と共謀のうえ、金文夫会長と良亮専務夫妻を殺害し、現金を強取した、強盗殺人、死体遺棄の事案である。
 

 おや、と思った。最高裁判決は、主文朗読から始まるのが、通例である。もしかして破棄差し戻しとなるのか、という淡い期待を、一瞬だけでも抱いてしまった。

 相応に考慮すべき事情もある。しかし 

 ああ、やはり駄目だったか。一瞬前の自分に、唾を吐きかけてやりたい気持ちだった。甘いにも程がある。破棄差し戻しなど、あるわけない。この国の司法に、そのような良心があるならば、そもそも伊藤に死刑判決が下される筈がない。
 ここに入る者、一切の希望を捨てよ。

 内妻殺害は、巻き込まれたもので、考慮すべき事情はない。犯行は冷酷非情であり、結果は重大である。
 共犯者と順次共謀を遂げ、自ら率先して三人殺害に着手し、終始、犯行を主導している。
 よって、つぎの通り判決する。

主文・本件上告を棄却する
以上
 

 2011年に長野地裁の裁判員と、高木順子ら裁判官たちが打ち立てた、新たな基準。加害者の受けた犯罪被害を軽視し、「被害者」の犯罪行為を美化し目を逸らす、新たな時代の基準。それは、わずかな時間で、完璧に確立された。
 これまでの他の事件の裁判でも、そのような基準はしばしば見られた。しかし、今この瞬間、その基準は、完璧に、強固に、確立されたと言えるだろう。
「ふざけるな!」
 朗読が終わるか終らないかに、私は声を上げていた。上告が棄却されてしまうのであれば、何か意思表示をすべきではないか。漠然と考えていたけれども、いざとなると、その言葉は自然に出てきた。
「静粛に!」
 職員が怒鳴りつける。幾人かの傍聴人が、不審そうな顔でこちらを見た。裁判長は、閉廷を宣言し、別の職員は起立を促す。誰が起立などするものか。私は座ったまま、さらに続けた。
「同じ立場になってみろ!!」
 裁判長は法廷に目をくれず、そそくさと退廷した。職員は、又も「静粛に!」と怒鳴る。
自分が伊藤の立場になった時、何ができるのか。そこまで賢い行動をとれるのか。伊藤が受けた犯罪被害に対し、一片の酌量も与える必要がないと言えるのか。そのような言葉が、私の頭の中に渦巻いていた。
 職員たちの刺すような視線を受けながら、私は法廷を後にした。時計を見ると、15時の開廷から、1分ほどしか経過していない。傍聴券を受け取って以来、空疎な儀式で40分ほど拘束された挙句、たった1分の言い渡し。一人の人間の命を奪う宣告は、それで終わる。

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 法廷の外では、今村弁護士が、被告人の母、妻、妻の親族とともにいた。私たちは、何を言えばいいかわからないまま、伊藤の親族に挨拶をする。挨拶を返した時、伊藤の妻は、目に涙を浮かべていた。他の家族も、暗い、沈んだ顔をしている。今村弁護士は、家族の手前もあり、何とか平静を保っている様子だった。しかし、その心中は、いかばかりだっただろう。
 その後、今村弁護士は、記者からの取材を受けていた。取材後は、伊藤の家族とともに、今後の打ち合わせをするらしい。私は、弁護士や伊藤の家族と別れ、歩き出した。横断歩道を渡っている時、瞼の奥が熱くなってきた。

 これで、本当に終わってしまうのか?

 続いて、長野地裁の証人として出廷した、もう一人の遺族についても、少しばかり書く。

 K・Aは、事件当時29歳であり、当時62歳の金文夫の内妻であった。文夫が債務者から奪ったスナックで働いていたことがきっかけで、文夫の愛人となった。
 K・Aも、伊藤の長野地裁の公判に、検察側の証人として出廷している。2011年12月14日の公判であり、森武夫証人の後、伊藤の被告人質問の前に、証人として証言を行った。
 まずは、萩谷検察官が証人尋問に立った。真島の家は、伊藤にとって快適な環境だった、被害者たちと伊藤は仲良く暮らしていた、など、検察側の証人尋問では答えていた。また、自分も住んでいた真島の家で殺害が行われ、「足音が聞こえると怖い」と答えていた。「面倒もよく見てもらっていた。厳しくされたからと言って、殺していいのか」「会長や専務と二度と会えず辛い、極刑を望む」などと述べた。
 このように、金父子の伊藤への振る舞いについて、知悉しているかのような証言を行った。しかし、今村弁護人の証人尋問となると、それは崩れていった。
 まず、K・Aは、伊藤と勤務時間が異なっていたため、真島の家では少し顔を見るだけであった。「真島の家では、顔を見るくらいでした」と、K・A自身認めた。調書でも、『生活パターンが違うことから、家の中で顔を合わせることは殆どありません』と述べている。これでは、金父子の暴言や暴力を目にする機会は、殆どないであろう。ましてや、伊藤が最も多く暴力を振るわれていたのは、強制労働させられていた建築現場である。ヘルメットの上からハンマーで頭を叩かれ、鉄材や資材を投げつけられたのだ。殴る蹴るの暴力もあった。
 また、K・Aも、金父子の犯罪行為について、疑わしい行動があった。事件後の、真島の家からの金品や違法行為に関係する書類の移動を、手伝っていたのだ。
 まず、事件後、K・Aの部屋からは7000万円という大金が移動させられている。K・Aの声は、今村弁護士の反対尋問となってからは非常に小さかったが、この時は聞き取れないほど小さな声だった。「あと、書類を移動させましたが、それは何の書類か、ちょっと解りません。あと、倉庫の現金420万円」と、弁護人の質問に答えている。しかし、ずっと一緒に暮らしていたK・Aが、書類の内容が解らないということがあるだろうか。なぜ、慌ただしく書類や現金を移動せねばならないか、疑問を持たなかったのだろうか?
 K・Aの会長への感情についても、今村弁護士は疑問を呈した。まず、K・Aは、金文夫の事を、調書でも会話でも、一切、主人などの夫を表す呼称で呼んでいない。全て「会長」である。また、文夫と10年間ほど一緒にいたが、撮った写真はたったの一枚であった。そして、文夫の両親の名前も知らなかった。確かに、愛し合っていた内縁関係の男女としては、随分と淡泊に思える。

 なお、K・AもK・Kと同じく、閉廷後は「遺族」同士で、法廷前の廊下で笑いながら会話をしていた。今村弁護士によれば、公判後に検察庁まで移動する間も、笑いながら話をしていたようだ。控訴審では松原の公判に姿を見せたのみであり、伊藤の公判にも、池田の公判にも、一切姿を見せなかった。「大事な人」を殺された女性にしては、これまた随分と薄情な態度に思える。

 「被害者」たちや「遺族」たちの風聞について、いくつか耳にしたこともある。しかし、ここでは書くのをやめておこう。
 とりあえず、一つだけは確実に言える。
 「遺族」についての問題は、伊藤の情状面の立証を阻害することにとどまらない。事件の背景である、宮城事件や真島の家の暗部について、真相解明を阻害するものであったと言えないだろうか。
 しかし、裁判官や裁判員、検察官にとって、それは些細な問題であったようだ。彼らは、誰一人として関心を払わなかったのだから。

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