伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

 被告たちが「被害者」から受けた被害について、裁判所はどのように認定したか?伊藤と松原の地裁・高裁判決文を引用し、検討してみる。

 この項では、地裁判決を引用・検討する。判決文は時系列順に並べられている。この地裁判決は、「判例秘書」掲載の判決文を引用したものである。

 二人の地裁審理における裁判官は、裁判長は高木順子。裁判官は、松原の審理の際は鎌倉正和と北澤眞穂子。伊藤の審理の際は、菅原暁と北澤眞穂子である。


<松原智浩・2011325日長野地裁判決>

関係各証拠によれば,被告人は,かねてB(注・金文夫)会長及びC(注・金良亮)専務の親子から,給料の不当な天引きをされ,時には暴力的な扱いを受けることもあり,文句も言えず我慢を強いられていたことなどの事情が認められる。また,被告人が,女性との結婚のためB会長の下を離れたいが,たやすく許されるはずがなく,多額の現金を要求されたり,暴行を受けたり,あるいは,両親らに追い込みをかけられるかもしれないなどと思い悩んでいて,こうした思いが本件犯行につながったという点は弁護人指摘のとおりである。

 後述するが、真島事件支援団体から聞いた話では、地裁段階での松原への弁護態勢は不備が多かったとのことだ。犯罪被害についての主張も、不十分なものであった。例えば、宮城殺害事件を法廷に持ち出すことについて、弁護士はあっさりと諦めてしまったらしい。
 また、真島事件は裁判員裁判で審理された。これも後述するが、裁判員裁判は、簡素な内容を旨としている。しかし、そのような不十分な裁判、簡素な認定文であっても、この程度の事情は認定されているのである。

 次は、伊藤和史への長野地裁判決の、情状認定部分である。松原一審判決と比較しても、簡潔さ、もっと率直に言えば、粗雑さが際立っている。


<伊藤和史・20111227日長野地裁判決>

確かに,関係証拠によっても,弁護人が指摘する事情には,一面の真理があることは否めないが


 この一文が、情状認定のすべてである。
 伊藤の長野地裁判決で唯一「裁判所の認定」として書き出された、「弁護人の指摘する事情」とは、『弁護人は,仮に期待可能性が否定されないにしても,A会長一家殺害は,先行する遺体遺棄事件の被害者であるG(注・宮城)に始まり,A(注・金)会長親子による奴隷的な拘束,支配を受けていた被告人が,妻子の元に帰りたい一心で,共に虐げられていた共犯者らと連帯してA会長親子に反撃したものであって,A会長親子にも大きな落ち度があり,被告人の犯行動機には同情すべき事情がある,利欲目的による典型的な強盗殺人とはいえない点に本件の本質があり,極刑を回避すべきである』という、伊藤一審判決に要約された弁護人の主張のことである。

 松原一審判決の認定も、ずいぶんと簡潔な内容であった。しかし伊藤一審判決は、「事件の背景を認定する」、「被告人に最低限の認定内容だけでも示す」「自らの認定をもとに事件の真実を明らかにし、量刑を検討する」という、人を裁く者として最低限の責任さえも放棄している。長野地裁の法廷で、伊藤が被害者たちから負わされた傷は、スクリーンに映し出されている。金良亮の前科、金父子の闇金の記録も、伊藤の地裁公判で出てきている。金良亮は宮城殺害で書類送検されており、その件も法廷に持ち出された。被害者たちの犯罪は、法廷にその姿を露わにしていたのである。

このずさんな判決についても、のちに詳細に検討したい。

 ただ、この短文から、伊藤の主張する被害者の犯罪を否定できなかったことは、理解されるだろう。
 松原の場合と違い、伊藤の弁護士は、一審段階から積極的に金一家の犯罪に言及していた。
 そのため、六人の「市民」と裁判官たちは、被害者たちによる犯罪を否定できず、死刑選択の理由付けに苦心した。そして最後には、被害者たちの犯罪を認定すること自体から逃避したのである。
 これは、事件の真実解明、真摯な量刑検討を放棄することでもあった。

 このブログは、長野県で発生した真島事件と呼ばれる殺人事件について、事実を伝えるものである。
 被告たちの刑を減じ、「真島の家」の扉を開くために、事件の背景を広く知ってもらいたい。そう考え、このブログを始めた。
 私は死刑廃止論者ではない。何ら落ち度のない人々を、反社会的・利己的な目的で殺傷した場合は、死刑を適用することもやむを得ないと考えている。
 しかし、この真島事件の被告たちに、死刑や無期懲役を科すことは、絶対に承服できない。彼らは理不尽な犯罪被害から逃れ、自由を取り戻すため、「被害者」に反撃を試みたのである。
 私は、事件の主犯格とされている伊藤和史と交流している。事件の原因はどのようなものか。主要な事情は明白となり、判決でも認定されている。しかし、細かい部分の記述は、主に彼の主張に沿ったものとなる。

 真島町は、長野県北部の長野市にある、人口2000人ほどの小さな町である。その地で事件が発生したのは、2010年3月24日のことだ。真島町で金融業を営む一家三人が行方不明となり、二十日後の4月14日に死体が発見された。4月15日、住み込みの従業員など合計四人が加害者として逮捕された。
 この事件が、このブログで事実を記す、真島事件である。
 以下に、事件の概要を記述する。人物名についてはいずれも敬称略とする。また、被告と被害者、法曹三者、捜査関係者や鑑定人については実名だが、遺族や被告の家族については仮名とする。

 被害者は、金文夫、金良亮の親子と、良亮の内妻である楠見有紀子の三人。
 加害者は、被害者の下で働かされていた伊藤和史、松原智浩、池田薫。そして、伊藤和史の取引相手である斎田秀樹の四人である。東京高裁において、伊藤と松原には死刑、池田には無期懲役の判決が下された。斎田は幇助犯として、懲役18年となり、最高裁で確定した。
 2014年3月現在、上告を棄却された斎田を除く三人が、最高裁に係属中である。
 「被害者」である金父子は、同じく「被害者」である楠見の協力のもと、ヤミ金を営む元暴力団組員だった。二人の周辺では、幾人もの自殺者が出ていた。真島町の自宅も、自殺した債務者の所有していた家を、改築したものだ。事実、良亮は債務者への暴力的な取立てにより、傷害、恐喝などで2007年に有罪判決を受けている。
 また、金父子の犯罪履歴には、殺人さえも含まれていた。金良亮は、兄貴分の宮城浩法という暴力団員を、伊藤の眼前で射殺していた。その死体は、金一家の死体発見に先立つ4月10日に、長野県の良亮の倉庫の中から発見されている。

 伊藤和史は、多くの資格を取得して働き、ピアノやジャズ、クラシック鑑賞を趣味とする青年だった。コック、塗装関係など職を転々としていたが、犯罪や裏社会とかかわりを持ったことは一切なかった。コックとして働いていた時には、外国人と接する機会が多く、英語の勉強をしていた。英検3級を取得し、外国人との会話も十分にこなせたようだ。そのほか、情報処理やワープロなどの資格も、仕事のために取得していた。
 しかし、運命は2005年に暗転する。
 元暴力団組員の宮城と良亮に、金目当てで拉致監禁されたのだ。その時から、伊藤は搾取を目的とする「強制収容所」に監禁されることとなった。
 伊藤は、自宅の鍵に戸籍謄本、住民票、そして家族友人の連絡先といった情報を、すべて握られてしまった。二人から養子縁組を強要され、金を脅し取られた。さらに、包丁などの凶器を用いて激しい暴力を振るわれた。腸が露出するほどの重傷を負うこともあった。
 良亮の宮城殺害により、伊藤の「所有権」は、金父子へと移った。そして、伊藤は金父子の長野県の自宅へと連れて行かれることとなる。
 ここが、金父子が棲みついた、「真島の家」である。
 そこは、宮城の棲家とは別の「強制収容所」に過ぎなかった。
 金父子からは無給で強制労働をさせられ、作業現場ではハンマーでヘルメットの上から何度も殴られ、鉄塊を投げつけられた。暴力の理由は、作業が遅い、勝手に行動した、という言いがかりである。そして、確実に服従させるために、『お前もあいつみたいになってもええんか』という脅しが加わった(注・「あいつ」とは、良亮が伊藤の面前で射殺した、宮城のことである)。
 伊藤は、腰痛や歯痛があっても、病院に行くことが許されなかった。睡眠は3時間前後しか許されない。更に事件の少し前から、食料もろくに与えられなくなった。

 松原智浩は、まじめに働いていた配管工だった。しかし、文夫から強制的に借金させられ、友人に返済金を持ち逃げされたため、月に1~3万円程度で酷使されるようになった。日常的に面白半分に暴力を振るわれ、鉄パイプであばら骨を叩き折られることもあった。家族の住所を知られており、逃げるに逃げられなかった。良亮からはしばしば『殺すぞ』と脅されており、後に伊藤から、良亮が宮城を拳銃で射殺したこと、宮城の死体の場所を知らされて、一層の恐怖を感じるようになった。

 警察は、金父子の債務者が警察に訴えても、厳しい取り立てをしないように注意するだけで、犯罪行為に捜査を行うわけでもなかった。このことから、被告たちは警察と被害者たちがつながっていると知り、「金父子からは逃げられない」という絶望感を抱いた。
 被告たちに共通するのは、まじめに働いていた市民が、ある日突然に人間としての尊厳を奪われ、暴力と恐怖の渦巻く「強制収容所」に繋がれたということである。

 地獄に繋がれたにもかかわらず、伊藤と松原は「被害者」の殺害を強く後悔し、死刑を受け入れる覚悟を示している。
 私は、死刑判決は殺害人数や罪名により、機械的に下されるべきだとは思わない。被告たちの被害を量刑に反映しないことは、被告たちや、ほかの人々に加えられた犯罪を、存在しないものとして扱うに等しい。それは「被害者」たちに苦しめられた人々すべてを貶める行為ではないか。

 「被害者を批判するなど、とんでもない」と考える人も、いるかもしれない。果たして、この「被害者」たちが殺人や出資法違反、暴行、傷害、強要、監禁などで逮捕された場合、彼らに優しい感情を抱いただろうか。もっと言えば、この「被害者」たちから犯罪被害を受けた場合、どのような感情を抱き、どのように行動しただろうか。

 被告たちの身に降りかかった恐怖と暴力は、この文章を読んでいるあなたや、あなたの家族にも起こりうる出来事である。




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