伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

 自首についての証拠調べを経て、第二の弁論が2013年12月3日に行われた。それが、以下の内容である。


平成24年(う)第572号
強盗殺人,死体遺棄被告事件

弁 論 要 旨 (2)

                     平成25年12月3日

東京高等裁判所第10刑事部 御中

                     被告人 伊 藤 和 史

                        主任弁護人 今 村 義 幸

弁護人 今 村   核

上記被告人に対する頭書事件につき,弁論の要旨は以下のとおりである。

1 3名に対する殺人と死体遺棄について自首が成立すること
(1)被告人は,平成22年4月13日,午前に引続き昼食を挟んで午後からも,長野中央警察署において事情を聞かれていたが,事情を聞かれてから1時間くらい経った後に,取調官らに対し,「これから正直に話しますんで,2時間から3時間ほど時間をください」と願い出た。その後1時間ほど経ったころ,被告人は,「会長と専務と有紀子さんは,僕らが殺しました」,「死体は齋田さんのヤード(資材置場)に埋めて隠しました」と述べており,自発的に3名に対する殺人と死体遺棄を自白した。
   これを聞いた取調官らは,「背中をのけぞらせるようにして,『ええっ』というような,今にも耳をふさぎたくなるようなぐらい大きな声を出し」た上で「再び,声を落として『ええっ』というような言葉を言った後に『あくどいことをしてきたから,本当に失踪したんだと思った』」と述べていた。
(2)検察官は,捜査機関に発覚する前の自白といえず,また,自発的に申告したとも認められないことから,自首は成立しないと主張する。
しかし,まず,「捜査機関に発覚する前」とは,犯罪事実及び犯人が誰であるかが捜査機関に判明していない場合をいう(最判昭24年5月14日刑集3-6-721)。取調官らは,取調官の前記態度から,被害者らが失踪しただけと思い,被告人が自白するまで,被害者らが殺害されていることも愛知県西尾市に死体が遺棄されていることも知らなかったことは明らかであり,被害者らが殺害されていることは捜査機関に判明していなかった。
また,「取調べの際に犯罪を隠蔽する供述をし,その後犯罪事実が具体的に発覚する前に自ら進んで犯罪事実を申告した場合であっても自首に当たる」(最決昭和60年2月8日刑集39巻1号1頁)。被告人は,事件当日の行動につき,鹿児島に行っていたとの虚偽のアリバイなど,数々の嘘をついてきたが,捜査機関が本件犯行を発覚する前に,3名に対する殺人と死体遺棄を自白したのであり,自発的に申告したといえる。
このように,被告人は,捜査機関に発覚する前に自発的に3名に対する殺人と死体遺棄について申告した。
したがって,被告人には自首が成立する。
(3)仮に殺人ではなく,被告人に強盗殺人が成立した場合であっても,被告人には,なお強盗殺人に対しても自首が成立する。以下詳述する。
   犯人が法律知識等にはさほど通じていないのが一般的であることや,犯人が自ら進んで述べるものであることなどに加え,自首を任意的な減軽事由とした趣旨が一面において捜査及び処罰を容易ならしめるということから,「捜査機関に対する犯罪事実の申告内容が概括的で,犯罪成立要件のすべてに及んでいなくても,全体として犯罪事実を申告し,かつ訴追等の処分を求める趣旨であるときは自首が成立する」(東京高裁判決平成2年4月11日)とされている。被告人は,「会長と専務と有紀子さんは,僕らが殺しました」と述べ,殺人と強盗からなる強盗殺人のうち,その一部である殺人を判明させている。また,持っていた携帯電話を出して,死体が遺棄されている住所を示し,取調官らに対し,死体を発見することを促しており,訴追等の処分を求める趣旨であるといえる。
また,「犯罪事実の認知といっても,その後の裁判における公訴事実と法的評価の点まで同一の事実が判明している必要はなく,法的評価以前の社会的事実として同一の事実が判明していれば足りる」(東京高裁判決昭和51年7月28日東高刑時報27巻7号100頁,東京高裁判決平成18年9月21日東高刑時報57巻1~12号49頁)とされている。被告人が実行したのは殺人についてであり,金銭の強取については共謀だけで実行していなかったのであるから,松原による金銭の強取はあくまでも法的評価であるといえ,被告人が実行した殺人という限度においては,社会的事実としての同一の事実を判明させているといえる。
このように,被告人は「会長と専務と有紀子さんは,僕らが殺しました」と述べ,殺人と強盗からなる強盗殺人のうち,実行した殺人を判明させており,仮に殺人ではなく,被告人に強盗殺人が成立した場合であっても,被告人にはなお強盗殺人に対しても自首が成立する。
2 宮城の死体遺棄についても自首が成立すること
(1)被告人が3名に対する殺人と死体遺棄について自白した後,被告人は,取調官から死体の場所と共犯者齋田の人物について尋ねられたので,持っていた携帯電話から取引業者との送受信メールを示して,3名の死体を埋めた愛知県西尾市の住所地を教えるとともに,共犯者齋田の居場所や携帯電話番号等を教えた。
被告人は,取調官から,「じゃあ,先程,正直に話すと言ってくれたので信じようと思うが,教えてもらいたいことがある。知らなかったら,別にかまわない。こっちで調べるから。あの倉庫について知っていることを話してほしい」と尋ねられた。
被告人は,「高田の倉庫の一番奥にある,白のレガシィの中に宮城さんの死体があって,専務が宮城さんを拳銃で殺しました。それで,最後,専務と原田さんという人と僕の3人で,死体を箱に入れて高田の倉庫に隠しました」と自白した。
ところが,取調官は,「さっき,3人も殺した話をしたけど,本当は倉庫の死体も伊藤さんが殺したんじゃないのか?専務が死んでるからといって,なすりつけているんじゃないのか?」と疑ってきた。これに対して,被告人は,「本当に専務が拳銃で殺したんです。原田さんを捕まえれば,それがわかります。原田さんを捕まえてください」と,反論するように強く訴えた。
(2)嫌疑を持った捜査機関による取調べに対しては自首が成立しないところ,取調官は,被告人に対し,「じゃあ,先程,正直に話すと言ってくれたので信じようと思うが,教えてもらいたいことがある。知らなかったら,別にかまわない。こっちで調べるから。あの倉庫について知っていることを話してほしい」と述べており,高田の倉庫にある宮城の死体について,被告人が事情を知っていると疑っている状況にある。
しかし,取調官の「正直に話すと言ってくれたので信じようと思うが,教えてもらいたいことがある。あの倉庫について知っていることを話してほしい」との発言は,あくまでも,「3名の殺人を自白したからといって,3名の殺人と宮城の死体とは一見した関連性はないが,3名の殺人という意外なことを自白した被告人なら,宮城の死体についても真相を知っているかもしれない。」との期待に過ぎない。取調官の上記発言は,「取調べ」や「追及」とはいえず,むしろ,被告人が3名の殺人と死体遺棄を自白したため,それに引き続き自発的な犯罪事実の申告を促した発言ととれ,それに応じて被告人も自発的に申告をしたといえる。
したがって,宮城の死体遺棄についても自首が成立する。
以 上

 以下の弁論は、2013年9月19日、伊藤和史の第五回控訴審で行われた、控訴審第一次弁論である。
 この弁論の後、自首の成否についてさらに審理する必要があると認められ、審理は続行された。
 今内容を読み返しても、伊藤の受けた幼少時の虐待、そして、「被害者」たちによる常軌を逸した暴力犯罪が、いかにして事件に繋がっていったか、説得力を持って書かれている。また、同じく不当に死刑判決を受けた、共犯者の松原智浩への弁論のようでもある。
 控訴審では、冤罪専門弁護士として名高い、今村核弁護士も、弁護を担当した。冤罪でもない伊藤の事件に、わざわざ心血を注いでくださったのは、このような事件で死刑確定してしまう事が、許せなかったのだろうか。


平成24年(う)第572号
強盗殺人,死体遺棄被告事件

弁 論 要 旨

                     平成25年9月19日

東京高等裁判所第10刑事部 御中

                     被告人 伊 藤 和 史

                        主任弁護人 今 村 義 幸

弁護人 今 村   核

上記被告人に対する頭書事件につき,弁論の要旨は以下のとおりである。

目次
第1 控訴審で判明した事実            2頁
 1 母や山本から折檻を受けていたこと
 2 大人や警察に対する不信感を強めたこと
 3 宮城から逃げなかったのは学習性無気力等が原因であること
 4 良亮の言葉によってマインドコントロールを受けていたこと
 5 意識が朦朧としていったこと
 6 「視野狭窄」に陥ったこと
 7 自首が成立すること
第2 強盗殺人が成立しないこと          6頁
 1 強盗とはいえないこと
 2 期待可能性がないこと
第3 死刑を回避するべき事情があること      8頁
 1 動機及び犯行に至る経緯について
 2 行為態様について
 3 計画性について
 4 犯罪の社会的影響について
 5 犯行後の態度について
 6 前科について
 7 被告人が若年であることについて
 8 被告人が真摯に反省していることについて
第4 過去の裁判例との比較           11頁
第5 共犯者松原の控訴棄却判決との比較     14頁
 1 共犯者松原の判決が量定不当であること
 2 責任避難の程度が違うこと
第6 まとめ                  15頁

第1 控訴審で判明した事実
 1 母や母の再婚相手の山本から折檻を受けていたこと
   被告人の母は,昭和56年,村上と離婚し,離婚した後は,被告人を託児所に預けた上で,夜に仕事をし,ときには被告人を翌朝迎えに行くこともあった。
昭和59年,被告人が5歳であった当時,被告人の母は,山本と再婚した。山本と同居を始めた被告人は,山本から,頻繁に,理不尽かつ執拗な暴力を受けており,被告人の頭をヘアーブラシで何度も殴りつけ,ヘアーブラシが壊れることもあった。当時7歳だった被告人は,山本との同居に耐えかね,山本と暮らすのも,山本の名字を名乗っているのも嫌だと母に訴えており,7歳の子どもがそのように訴えるほどに山本の暴力は凄惨だった。山本の暴力は,被告人だけに留まらず,実子にも及んでおり,実子は,山本の暴力によるストレスによって,タンスに糞便をすることもあった。母自身も,本来であれば山本の暴力を止めなければならない立場にあったが,山本の暴力を止めず,むしろ,被告人に対し,言うことを聞かないという理由だけで,布団叩きで背中がみみず腫れになるほどに被告人を叩いたり,鼻血が出るほどに顔面を殴ったりすることがあり,後に再婚した伊藤からは,叱り方が虐待だと指摘を受けるほどであった。
アーキタイプ(幼少期)とは,3歳~5歳のころをいい,人格形成の基礎となるため,人生でもっとも濃い関わりの必要な時代であるところ,被告人のアーキタイプは,母性的な優しさで包まれたものではなく,暴力的なものであった。それにより,暴力に対しては,「何をしても意味がない」ということを学習し,合理的な判断を放棄させてしまう学習性無気力が被告人の人格の一部として形成された。
 2 大人や警察に対する不信感を強めたこと
   アーキタイプ(幼少期)は,メゾタイプ(学生期)において,修復が可能な場合もあるが,被告人のメゾタイプはそうではなかった。すなわち,被告人が中学3年生だったころ,被告人が,母が再婚した伊藤に対し,暴力を振るった後は,伊藤も母も被告人の行動に対し一切注意しなくなり,家庭の中で言葉を重ねて問題を解決していくというきっかけが失われた。加えて,専門学校入学前に起こした恐喝未遂事件では,暴力的で屈辱に満ちた取調べを警察官から受けてしまい,アーキタイプが修復されるどころか,却って,被告人は,大人や警察に対する不信感を強める結果となった。
 3 宮城から逃げなかったのは学習性無気力等が原因であること
被告人は,宮城から左太腿の前後を包丁で刺されたり,ガラスの破片で腹を刺されたり等,宮城から受けた暴力は,単に宮城が暴力的な人物というだけでは説明できないほどに常軌を逸したものであった。
この時点で,被告人が宮城から逃げることが考えられるが,被告人は,暴力によるマインドコントロールを受けていたとともに,学習性無気力というもともとの被告人の人格が加わり,さらに,被告人の家族にも暴力が広がることをおそれ,宮城から逃げることも,また警察に通報したり,駆け込むということもできなかった。
4 良亮の言葉によってマインドコントロールを受けていたこと
宮城は,平成20年7月20日,服役を終えて出所した後,翌21日,良亮から拳銃で射殺された。
被告人は,目の前で宮城が射殺されたことに衝撃を受けて動けなかったところ,良亮から,「はよ,(車に)乗れっ。」「お前もこいつみたいになってもええんか。」と威圧された。これ以降,良亮から「お前もあいつみたいになってもええんか。」と言われる度に,「あやつり人形になっている気持ち」で体が言うことを聞かなくなり,いつからか「お前もあいつみたいになってもええんか。」という言葉1つで,屈服させられるようになった。これは被告人にとって,良亮による射殺を目撃したことはあまりにも衝撃的すぎたことに加え,被告人にとって家族は何よりも大切な存在であったため,家族にも暴力が広がることをおそれたからである。
5 意識が朦朧としていったこと
一般的に,暴力は疲弊性抑鬱を招き,疲弊性抑鬱になれば,身体が自ずと休息を欲するが,被告人は,休むことは許されず,文夫と良亮による日常的な暴力によって,被告人の意識は朦朧としていった。そこに,文夫と良亮から続く理不尽な暴力,良亮による「お前もあいつみたいになってもええんか。」という言葉による支配,1日平均3時間程度しかない睡眠時間等が加わり,被告人の意識は朦朧としていった。被告人は,当時の状況を「生き地獄」と述べており,それを表すように,被告人の体重は平成21年3月から平成22年3月にかけて13キログラム以上も激減した。
6 「視野狭窄」に陥ったこと
被告人は,意識が朦朧としながら,文夫と良亮の2人から逃れたいという気持ちがますます強まっていくと,やがて,自殺して,早く楽になりたいと思うようになった。ところが,平成21年秋,被告人は,電話で妻の声を聞いたことをきっかけに,自殺を諦め,いつからか文夫と良亮を殺害して,両名の支配から逃れたいと考えるようになった。そして,なおも続く文夫と良亮からの理不尽な暴力,良亮による「お前もあいつみたいになってもええんか。」という言葉による支配等によって,殺害以外の選択肢が被告人の視界から消え,殺害だけが唯一の助かる道だと考え,被告人の全ての思考は文夫と良亮の殺害に収斂して行った。その後,共犯者松原としては,何気なく話した言葉だったのかもしれないが,共犯者松原の「会長と専務を一思いに殺したいわ」という言葉をきっかけに,被告人は,本件犯行を首謀していった。
 7 自首が成立すること
自首(刑法42条1項)が成立するためには,罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首することが必要であるが,「捜査機関に発覚する前」とは,犯罪事実および犯人が誰であるかが捜査機関に判明していない場合をいう(最判昭24年5月14日刑集2-2-104)。
被告人は,平成22年4月13日午後4時ころ,当時取調べを担当していた刑事らに対し,被告人らが被害者らを殺害し,愛知県内にその遺体を埋めたことを自白したが,その時点では,被害者らは失踪したと考えられていただけであり,被害者らを殺害されていることは捜査機関に判明していなかった。また,宮城の死体遺棄に関しては,平成22年4月10日,長野市内の倉庫内から死体が発見されてはいたが,これについても,被告人が自白するまで,死体を遺棄した犯人が誰であるかは捜査機関に判明していなかった。
したがって,被告人には自首が成立する。

第2 被告人に強盗殺人が成立しないこと
 1 強盗とはいえないこと
   強盗は,財物奪取を目的とした犯罪であり,その目的達成の手段として,暴行又は脅迫が用いられる(刑法236条1項)。強盗殺人罪が重罰を科せられるのは,財物獲得のために人命を犠牲にする点に求められるのであり,強盗殺人の成否の判断においては,単に殺害後に財物を盗ったという点だけに着目するべきではなく,殺害が強取行為に向けられている必要がある。
被告人が文夫と良亮を殺害した目的は,あくまで,両名からの拘束から逃れるという自由の奪取であり,財物の奪取ではなかった。
被告人の心理状況は,簡単に言えば,「殺して盗ろう。」ではなく,「殺した後に使おう。」であり,両者は根本的に異なる。つまり,控訴趣意書でも述べたとおり「財物奪取のために殺害した」のではなく,「殺害を完遂させるために財物を奪取した」のであり,殺害が強取行為に向けられていない。
また,被告人が楠見を殺害したのは,楠見が睡眠薬の服用による良亮の異変に気がついたことで,睡眠薬を服用させたことが良亮に露呈し,それにより被告人らが,文夫と良亮によって返り討ちに遭う危険が増大してしまったからであり,殺害が強取行為に向けられていない。
 2 期待可能性がないこと
(1)行為者を基準に期待可能性を判断すること
   期待可能性とは,行為時の具体的事情の下で,行為者が違法行為ではなく,適法行為を行い得ると期待できる可能性をいい,期待可能性の欠如は責任阻却事由となるとされる。
   そして,責任は,当該違法行為をしたことにつき,行為者に対し非難が可能であるか否かを問題にするものであることにかんがみると,当然,非難可能性と裏腹の関係にある期待可能性についても行為者自身を基準にその存否・程度を検討すべきである。
   とすれば,期待可能性の存否は,行為者個人の通常の能力や行為の際における行為者自身の具体的事情を基準として,そのような行為者に対し適法行為を期待し得るかどうかを決定すべきである(「刑法総論講義案」(司法協会))。
(2)期待可能性がないこと
   本件では,被告人において,適法行為,すなわち,文夫と良亮から逃げることや良亮が宮城を射殺したこと等を警察に通報することを期待できるかが問題となるが,以下のとおりそれらを被告人に期待することはできない。
被告人は,幼少期から理不尽な暴力に晒されてきており,暴力に対しては,「何をしても意味がない」ということを学習し,合理的な判断を放棄させてしまう学習性無気力が被告人の人格の一部となった。それにより,文夫と良亮から受け続ける理不尽な暴力に対しては,学習性無気力が顕著になり,と同時に,自分の自由意思に基づいて行動することを諦め,文夫と良亮に合わせた思考と行動だけを選択していく「飼い慣らされ」状態になっていた。そこに,1日平均3時間程度しかない睡眠時間が加わり,意識の朦朧に陥り,自分が繰り返し受けている暴力の実態を客観的に正しく認識ができず,また,思考不能状態のために多様かつ柔軟な視点にたって合理的な解決策が打ち出せず,さらに,誰にも打ち明けて相談することができない心理状態になっていた。
また,被告人にとって家族は何よりも大切な存在であり,被告人は,家族が住む大阪に戻りたいと幾度と申し出たが,その度に,良亮から「わかってるやろな。お前は逃げられへんのや。お前は一人とちゃう」と言われたり,「お前もあいつみたいになってもええんか」と言われ,被告人だけでなく,家族に対しても危害が加えられることを示唆された。被告人は,自分のように子どもを持つ家庭は,子どもの通学のためには現住所が記載した住民票の提出を求められるので,除票を使えば,必ず,現住所が判明することを知っていたし,また,真島の家には日本刀があったり,良亮が禁制品である拳銃を入手して,兄貴分にあたる宮城をいとも簡単に射殺しているところも目撃していたことから,良亮の上記言葉には真実味があり,被告人は精神的に追い詰められていった。
したがって,このような被告人の状況下において,被告人において,文夫と良亮から逃げることや良亮が宮城を射殺したこと等を警察に通報することを期待できない。

第3 死刑を回避すべき事情があること
   仮に,被告人に強盗殺人が成立するとしても,以下のとおり本件においては,死刑を回避すべき事情ある。
1 動機及び犯行に至る経緯について
  被告人は,平成20年10月上旬ころ,良亮から電話があり,原田の代わりに長野に来て働くよう命じられた。被告人は,妻や娘から離れたくない思いと,良亮と文夫にできるだけ関わりたくない思いがあり,その命令を断りたかったが,どのように断っていいか分からず,すぐには返事ができなかった。すると,良亮から「お前もあいつみたいになってもええんか」と口答えできない程度に威圧され,被告人は,自分や自分の家族の命の危険を感じ,仕方なく,長野県に向かい,北信ケンソウの部屋に住み始めた。
平成21年4月末の夜,文夫から「明日からワシのそばで働け。真島で住め」と命令されたことをきっかけに,被告人は,本件事件が発生した真島の家に被害者らと同居することになった。被害者らと同居してからは,良亮や文夫からの暴力の頻度が増え,また,給与も与えられず,家族を養うために睡眠時間を削って働いていたため,睡眠時間が3時間程度に減った。しかも,その少ない睡眠時間も,足音で起きるなど,精神的安寧を得るどころか,気を緩める時間は一秒たりとも与えられない生活を余儀なくされた。それにより,被告人の体重はみるみると減少していった。被告人の体重は,体重を増加させる努力をしていたにもかかわらず,平成21年3月から平成22年3月にかけて13キログラム以上も激減した。
被告人にとって家族は何よりも大切な存在であり,被告人は,家族が住む大阪に戻りたいと幾度と申し出たが,その度に,良亮から「わかってるやろな。お前は逃げられへんのや。お前は一人とちゃう」と言われたり,「お前もあいつみたいになってもええんか」と言われ,自分だけでなく,家族にさえも危害が加えられることに危険を感じ,仕方なく,大阪に戻ることを諦め,良亮らの命令に従った。
被告人は,幼少期等の経験からもともと暴力に対しては無抵抗であり,また,自分のように子どもを持つ家庭は,子どもの通学のためには現住所が記載した住民票の提出を求められるので,除票を使えば,必ず,現住所が判明することを知っていたし,さらに,真島の家には日本刀があったり,良亮が禁制品である拳銃を入手して,兄貴分にあたる宮城をいとも簡単に射殺しているところも目撃していたことから,良亮の上記言葉には真実味があり,被告人は精神的に追い詰められていった。
精神的な苦痛から解放されたいと思うようになった被告人は,自殺して早く楽になりたいと思うようになったが,平成21年秋,被告人は,電話で妻の声を聞いたことをきっかけに,自殺を諦め,いつからか文夫と良亮を殺害して,両名の支配から逃れたいと考えるようになった。そして,なおも続く文夫と良亮からの理不尽な暴力,良亮による「お前もあいつみたいになってもええんか。」という言葉による支配等によって,殺害以外の選択肢が被告人の視界から消え,殺害だけが唯一の助かる道だと考え,被告人の全ての思考は文夫と良亮の2人に殺害に収斂して行った。
被告人の供述によれば,文夫と良亮は「完璧過ぎた」存在だったので,被告人だけで文夫と良亮に対抗することはできなかったが,共犯者松原の「会長と専務を一思いに殺したいわ」という言葉で,文夫と良亮に対する不満を共感できる仲間がいると思いこみ,犯意を形成していった。
2 行為態様について
被告人らは,被害者らをロープで絞めて殺害しているが,ロープで首を絞めて殺害することは,殺害方法としては凡庸であり,特に苦しみを増大させるような残虐なあるいは凄惨な方法とはいえない(東京高裁平成9年1月31日判決参照)。
また,被告人は,文夫と良亮に対しては,両名が寝ている(良亮については,厳密には眠らせている。)中で,殺害したものであるが,無抵抗な状態を狙ったのも,被告人が両名に対して,両名が完璧な存在だと思って恐怖心を抱いていたからであり,殺害方法が特に残忍であるとか執拗であって,悪質ということはできない(横浜地裁平成22年12月24日判決参照)。
3 計画性について
被告人は,文夫と良亮の首をロープで絞めて殺害し,死体を処分することを計画しているが,その計画は同居している楠見や上倉の存在も考慮に入れられていないという,極めて杜撰なものである(この点は,被告人が「視野狭窄」に陥ったことからよく説明ができる。)。被告人が楠見を殺害したのは,楠見が睡眠薬の服用による良亮の異変に気がついたことで,睡眠薬を服用させたことが良亮に露呈し,それにより被告人らが,文夫と良亮によって返り討ちに遭う危険が増大してしまったからで,楠見に対する殺害は何ら想定していないものであった。被告人が楠見を殺害したことは衝動的に行われたもので,計画性は全くなかった。
4 犯罪の社会的影響について
本件はあくまで被告人と被害者の個人的な事情による犯罪で,それ以上に社会を震撼させたような事情はないから,結果的にこれが大きく報道されて一定の社会的影響があったことをもって,量定を左右する事情になるとみることはできない(大津地裁平成22年12月2日判決)。
5 犯行後の態度について
被告人は,平成22年4月13日午後4時ころ,当時取調べを担当していた警察官らに対し,被告人らが被害者らを殺害し,愛知県内にその遺体を埋めたことを自白したが,その時点では,被害者らは失踪したと考えられていただけであり,被害者らを殺害されていることは捜査機関に判明していなかった。また,宮城の死体遺棄に関しては,平成22年4月10日,長野市内の倉庫内から死体が発見されてはいたが,これについても,被告人が自白するまで,死体を遺棄した犯人が誰であるかは捜査機関に判明していなかった。
したがって,宮城事件,真島事件共に,被告人の供述が全容解明に貢献しているだけでなく,両事件とも自首が成立する。
6 前科について
   被告人に前科はなく,阿部を通じて宮城と知り合うまでは,もともと犯罪とは無縁の生活を送ってきた。
7 被告人が若年であることについて
   本件事件当時,被告人は,31歳であり,更生が可能である。
 8 被告人が真摯に反省していること
   被告人が刑事収容施設内でできることは限られているが,それでも,被告人は,思いを込めながら毎日写経に取り組み,教誨師に冥福の意味を教わりつつ毎月教誨を受け,さらには,花や被害者らの好物を供えながら,被害者らに対して,毎日のように冥福を祈っている。
   被告人は,無期懲役になってほっと胸をなで下ろすような人間ではない。刑務所にいる意味を探し続けることこそが罰であり,罪の償い方である。

第4 過去の裁判例との比較
統計上,被殺者3人以上の強盗殺人については,21件の死刑求刑に対して,21人全てに死刑判決が出ている(「裁判員裁判における量刑評議の在り方」(司法研修所編)109頁,巻末事件一覧表【4】,【5】,【31】,【72】,【86】,【101】,【117】,【152】,【175】,【176】,【177】,【183】,【195】,【214】,【243】,【247】,【248】,【258】,【275】,【327】,【334】)。
仮に,被告人に対して3名の強盗殺人が成立した場合,この統計に倣えば,被告人にも死刑が妥当するようにも思える。
しかし,上記21件のうち,3名に対する強盗殺人は12件ある(同,巻末事件一覧表【5】,【72】,【86】,【117】,【152】,【176】,【177】,【183】,【195】,【243】,【247】,【248】)が,【5】は,「長年にわたって被害者一家と交際し被害者夫婦などから種々世話になってきたのにかかわらず金品強取の目的で積極的に殺意をもって次々に被害者三名を殺害した」という事案,【72】は,「被告人が怨恨と金品奪取の目的などから知人とその連れを殺害し,翌日生命共済金取得の目的などから自らの妻を殺害し,結局三名の生命を相次いで奪った」という事案,【86】は,「計画的で綿密周到な準備の上,残虐な方法で伯父とその妻,同居中の同女の母を殺害し,残高合計570万円余の預金通帳と印鑑等を強取した」という事案,【117】は,被告人が,金銭強取目的で,なんのかかわりもない他人の住居に白昼押し入り,主婦2名と幼児1名の生命を奪った,という事案,【152】は,確定裁判を挟んで1名を殺害した1件の殺人等の事件と3名を殺害した,という事案,【176】と【177】は,「売上金等をエレベーターで運搬中のパチンコ店店員を襲って現金を強取しようと企て,綿密な相談,鋭利な大型ナイフなどの凶器の準備,再三の下見,襲撃の予行演習等を経た後,3名で犯行現場に至り,エレベーター内で,集中的に,店員2名の頭部をナイフの柄尻や木の棒で殴打し,その背部等をナイフ2丁を用いて数回突き刺すなどした上,現金約234万円を強取し,さらに物音に気付いてエレベーターホールに駆けつけた同店責任者の背部等をナイフで何度も突き刺すなどして,3名とも殺害した」という事案,【183】は,「他の者と共謀の上,多額の現金等を得る目的で,2か月足らずの期間のうちに,3件の強盗殺人と1件の強盗殺人未遂等を敢行した」という事案,【195】は,「わずか2か月足らずの間に立て続けに敢行された3件の強盗殺人と1件の強盗殺人未遂のほか,強盗,傷害,銃砲刀剣類所持等取締法違反等の,多数の犯罪事実から成る凶悪事犯」という事案,【243】は,「7名と共謀の上,6名の被害者に対する強盗行為に及び,うち1名に傷害を負わせ,引き続き,被告人単独で,被害者のうち3名を殺害し,2名については刺突行為等に及んだが殺害の目的を遂げなかったという強盗殺人3件,強盗殺人未遂2件,強盗致傷1件の事案」,【247】と【248】は,「(1)被告人3名が共犯者3名と共謀の上,共犯者の前夫の生命保険金から報酬を得る目的で,同人をフィリピン共和国マニラ市内のホテルで窒息死させて殺害し,(2)被告人3名において,保険金取得の目的で,知人男性を海外旅行傷害保険に加入させた上,マニラ市内のマンションで同様に窒息させて殺害し,その死亡保険金を詐取しようとしたが果たさず,(3)被告人Aと被告人Bにおいて,以前に被告人Aから恐喝の被害にあった男性を,金品取得の目的で名古屋市内の一時滞在先に連れ込み,睡眠薬で眠り込ませてクレジットカード等を窃取し,その罪証隠滅の目的で長野県内の別荘地まで連行して殺害し,その死体を遺棄し,(4)そのほか,被告人Aにおいて,(2)の被害者と共謀の上,(3)の被害者らから現金,航空券等を喝取し,被告人Cにおいて,長兄に成り済まして現金を詐取するなどし,被告人Aと被告人Bにおいて,(3)の被害者のカードを使って現金を窃取するなどしたという事案」である。
このように,3名に対する強盗殺人で死刑判決を受けた上記12件は,全て金銭を奪うために殺害するといった,典型的な強盗殺人の事案であり,その多くは,被害者が見ず知らずの人か世話になっていた人の事案である。
被告人は,文夫と良亮からの度重なる執拗な暴力により,意識が朦朧としていき,その後,殺害するしか逃げられないと「視野狭窄」に陥ったものであり,あくまでも主目的は両名からの束縛からの離脱である。たとえ被告人に強盗殺人が成立するとしても,それは従たる目的で肯定されるものであり,専ら金銭奪取が主目的であった上記12件とは悪質性が明らかに異なる。
したがって,被告人に対して3名の強盗殺人が成立した場合,統計に倣ったとしても,被告人に死刑は妥当しない。

第5 共犯者松原の控訴棄却判決との比較
1 共犯者松原の判決が量定不当であること
「裁判員裁判における第一審の判決書及び控訴審の在り方」(司法研修所編)によれば,控訴審における破棄は,「量刑審査に関する基本的な姿勢としては,国民の視点,感覚,健全な社会常識などを反映させようという裁判員制度の趣旨からすれば,よほど不合理であることが明らかな場合を除き,第一審の判断を尊重するという方向性をもったものと考えてよい」とされており,元来,裁判員裁判の判決はできるだけ尊重し,破棄は一審の判断が明らかに不合理な場合などに限られていた。なお,同書において,「死刑か無期懲役かが問題となる場合の審査」の方法についても述べられている(117頁)が,審査のおける視点を示すだけであり,どのように審査するべきであるか明確には述べられていない。
ところが,近年になり,「裁判員裁判における量刑評議の在り方」が発刊され,死刑は,懲役刑の刑期のように数量的な連続性がない,いわば質的な問題であるという特殊性があるので,死刑については,先例が尊重され,「裁判員自身も,過去の事実をある程度理解した上で,改めて自分の意見を明確なものとし,それに基づいて意見を述べることが求められ」るようになった(106頁)。
共犯者松原に対して,控訴棄却判決がなされたが(東京高裁平成24年3月22日判決),この判決は,死刑の特殊性を考慮するべきであることを示唆した「裁判員裁判における量刑評議の在り方」が発刊される前の,裁判員裁判の判決をできるだけ尊重するべきであるという理念の下になされたものである。
仮に,上記判決前に「裁判員裁判における量刑評議の在り方」が発刊されていたならば,果たして,共犯者松原に対して,同じように控訴棄却という判決が出ていたかは疑問である。
したがって,そもそも共犯者松原の判決が量定不当であり,被告人の量定資料の目安とするべきではない。
2 責任避難の程度が違うこと
 仮に,共犯者松原の判決が量定不当ではなかったとしても,被告人に対しては,なお死刑を回避することはできる。
量刑の本質は,被告人の犯罪行為に相応しい刑事責任の分量を明らかにすることにあり,たとえ,行為の客観的な違法性の大きさが同等ないし上回っていたとしても,「責任避難の程度次第で,最終的な刑事責任の分量は大幅に異なり得る」(「裁判員裁判における量刑評議の在り方」7頁)のである。
被告人は,原判決が指摘するとおり,犯行の計画立案を行い,共犯者を引き入れ,常にその謀議の中心に位置し,殺害準備を整えているのみならず,被害者3名の殺害を率先して行い,その遺体を遺棄して,金員奪取以外の実行行為を担当し,遺体運搬処分役への報酬を支払った上に自らも金銭の分配を得ているのであるから,まさに,犯行を首謀し,犯行完遂に導いた主導者であるといえる。
しかし,被告人の殺意が強固だったのは,被告人が他の共犯者の誰よりも,文夫と良亮から暴力的支配を受けていたことの結果であり,単に主導者であることをもって強く非難できない。
したがって,被告人は,共犯者松原とは責任避難の程度が異なる。

第6 まとめ
   以上,被告人の行為は強盗とはいえないこと又は期待可能性がないことにより,被告人に強盗殺人は成立しないが,仮に被告人に強盗殺人が成立するとしても,死刑は回避されるべきである。
死刑は,人の生命そのものを永遠に奪い去る究極の刑であり,裁く人によって結論が変わるのは異常である。
死刑にするには,誰が判断しても死刑と判断されるような事情が必要であり,死刑を選択することに異論の余地がない程度に極めて情状が悪い場合に限られる。
   本件では,①被告人は,異常な暴行,虐待を長期間にわたって繰り返し加えられるなどして,正常な判断能力が低下し,また,幼少期の経験と相まって,被告人が精神的に追いつめられた結果,被告人が「視野狭窄」に陥っており,期待可能性が減少していたこと,②何の因果もない一方的な憎悪や利欲的な動機による犯行と比較すると,一抹の酌量の余地があること,③決して綿密かつ高度な完全犯罪を目論んだものはなく,そうすると,本件は,事件日から約1か月半前の平成22年2月10日ころから計画を練った上での犯行ではあるものの,偶然の事情に後押しされた場当たり的な犯行であるといえること,④殺害の手段,方法についても,ことさらに被害者らの苦痛を増大させるような残忍な方法を用いているわけではなく,悪質性が高い犯行態様とはいえないこと,⑤被告人には前科がなく,また,被告人と被害者らとの個人的な関係を前提として本件が発生したのであり,被告人がそうした個人的な関係がなければ将来同様の犯行に及ぶとは考え難く,再犯の可能性も矯正不可能ともいえないこと,⑥自首した上で,捜査段階から,証拠が極めて乏しい宮城事件を含めて各犯行を積極的に自白し,事案の解明に大きく寄与したこと,⑦真摯な反省悔悟の情を示していることから,死刑を選択することに異論の余地がないとまでは決して言い切れない。
以上により,被告人に対して死刑判決を下すことは明らかに正義に反する。
したがって,弁護人らは,原判決の破棄を強く求める。
以 上

2013年10月24日
東京高裁
805号法廷
事件番号・平成24年(う)第572号
罪名・強盗殺人、死体遺棄
被告人・伊藤和史
裁判長・村瀬均
裁判官・秋山敬
裁判官・池田知史
検察官・山下純司
書記官・野崎裕一

 本日は、傍聴券の抽選が行われる予定だったが、締め切り時間の10時15分までに、35枚のところ30人しか並ばなかった。そのため、抽選は行われなかった。早朝のため、気まぐれで傍聴しようと考える傍聴人、課題をこなすことにしか興味がない学生が、抽選に並ばなかったためか。なお、伊藤の家族も、抽選に並んでいた。
 「遺族」のK・Kは、本日も傍聴席に座っていなかった。9月19日の弁論以前に傍聴した法廷では、常に被告席の方を睨みつけ、時には指をボキボキと鳴らして、被告人を威嚇していた。東京高裁の控訴審では、証言台で泣き続ける伊藤の母を、ニヤニヤと嗤い満足げに眺めていた。そのK・Kは、前回の弁論に引き続き、今回も法廷に姿を見せなかった。被害者支援団体、代理人の弁護士らしき人の姿もなかった。
 これで、真島事件の法廷には、「遺族」の姿はなくなったことになるのだろうか。
 金文夫の愛人だった、20代後半の女性であるK・Aは、文夫を「大事な人」と呼び、地裁公判では伊藤の極刑を望んだ。しかし、伊藤の控訴審公判には、一切姿を見せていない。ほかの遺族たちも、伊藤や池田の一審公判の際には、大挙して傍聴に訪れていた。被害者支援団体や代理人の弁護士を何人も引き連れ、傍聴席の三分の一を埋め、被告人を憎々しげに睨みつけていた。スーツ姿の人はほぼおらず、薄汚れたジーンズや、色褪せたジャケットなどのカジュアルな服装が目立った。がっしりとした筋肉質な男性が多く、私の主観では、崩れた印象も感じられた。この「遺族」たちは、松原の控訴審にも伊藤の控訴審にも、一切姿を見せていない。文夫の娘は、池田の長野地裁公判で同人の死刑を求めたそうだが、松原、伊藤の控訴審には、やはり一切姿を見せていない。伊藤の一審公判においては、楠見由紀子の両親も傍聴に訪れ、遺影を突き付け、「一言いえ!」と伊藤を怒鳴りつけていた。しかし楠見の親族も、松原の控訴審にも伊藤の控訴審にも、一切姿を見せていないのである。
私は、これまで傍聴した有名事件の法廷を思い出した。例えば、2002年に合計4人が殺害された、マブチモーター事件。この事件の遺族たちは一審から二審まで、すべての公判を欠かさず傍聴していた。東京近辺に住んでいるわけでもなく、忙しい身の上であろうが、それでも裁判を最後まで見届けようとしていた。秋葉原通り魔殺傷事件の遺族も、控訴審では被告人不在の法廷であったにもかかわらず、懸命に足を運んでいた。真島事件の控訴審公判は、これらの公判の法廷とは、あまりにも様相が異なっていた。
 記者席は四つ指定されており、すべて埋まった。一方、傍聴席にはこれまでと違い、空席がちらほらとあった。
 検察官は、眼鏡をかけており、鼻の下が長く、頬のひげの剃り跡は濃い。貧相な万年係長といった風情の中年男性だったが、眼鏡の奥の目は、刃のように鋭い。
 伊藤は、白い長袖のジャージの上下に、眼鏡という、これまでと同じいでたちだった。眼鏡の奥の目は、どこか不安そうに揺らいでいた。大人しく気弱な印象の顔には、硬い表情があった。被告用出入り口のところで、深々と一礼してから、入廷した。
 そして、10時30分に、第六回控訴審公判は開廷した。
今村善幸弁護士は、宮城事件について書類を提出した。裁判長は、被告人質問を続行する形となっているので、改めて証拠を請求しなくてもよい、と答えた。
 そして、裁判長は、前回に続き被告人質問を行う旨を述べた。伊藤は傍聴席のほうに深々と一礼したのちに、証言台の椅子に座った。
 被告人質問は、長野地裁から伊藤の弁護を担当する、今村善幸弁護士により行われた。

今村善幸弁護士の被告人質問
弁護士「前回に引き続いて話を聞きます」
被告人「はい」
弁護士「前回の法廷で、平成22年4月13日のことについて、お尋ねしました。」
被告人「はい」
弁護士「今日は、もう少し、その日のことを詳しく聞きます」
被告人「はい」
弁護士「事実として確認します。4月13日、朝から長野中央警察署において、事情を聴かれていましたね」
被告人「はい」
弁護士「近くのラーメン屋でラーメンを食べた後、午後も引き続き事情を聴かれた」
被告人「はい」
弁護士「貴方の担当した刑事さんは、佐藤刑事と丸山刑事が、取り調べの担当でしたね」
被告人「そうです」
弁護士「あなたは開始一時間ほどたった後、午後、2~3時間時間をください、正直に話します、と言った」
被告人「はい」
弁護士「一時間経過した後に、話した」
被告人「はい」
弁護士「実は、会長、専務、由紀子さんは僕らが殺しました、と話したんですね」
被告人「はい」
弁護士「自白で、あなたは、どこに死体があると言いましたか?」
被告人「僕は、あの、斎田さんというところの、まあ、斎田さんのヤード…資材置き場に、あの、死体を埋めましたと、いうように話しました」
弁護士「前回被告人質問で、携帯電話を出して住所のわかるところを見せたと言いましたが」
被告人「はい」
弁護士「何を見せたんですか?」
被告人「携帯電話の中の、あの、取引先との送受信メール、それを見せて、斎田さんの住所を知らせました」
弁護士「二つのことを聞く」
被告人「はい」
弁護士「宮城さんの死体遺棄と、文夫さんのお金の話について、質問します」
被告人「はい」
弁護士「宮城さんの遺体について聞いていきます。宮城さんの死体遺棄について話をしたのはいつですか?」
被告人「これは、あの、斎田さんのヤードに死体を埋めたっていう話をしてからです」
弁護士「斎田さんのヤードに死体を埋めた話をしてから、宮城さんの死体の話が出て来たんですか」
被告人「はい」
弁護士「経緯は、どのようなものですか」
被告人「丸山刑事から、あの、『じゃあ先ほど、正直に話してくれるといってくれたので信じるけれど、仕事だから聞かせてもらう。わからなければ別にそれは構わない、こっちで調べるから』と言われた後に、『じゃあ、聞くけど、あの倉庫について、知っていることを話してほしい』と言われました」
弁護士「それで」
被告人「僕はそれに対して、あの倉庫、まあ、あの高田の倉庫の奥に止めてあった白のレガシーに、宮城さんの死体があって、まあ、当時の言葉で言いますけども、専務が拳銃で宮城さんを殺しました。それで、専務と原田さん、僕の三人で死体を箱に入れて、最終的に高田の倉庫に隠しました、と話しました」
弁護士「そこで初めて、原田さんの話をした」
被告人「はい」
弁護士「それで刑事さんは」
被告人「佐藤刑事が、あの倉庫の死体も、本当は伊藤さんが殺したんじゃないのか、と言われて、専務が死んでるからと言って、専務になすりつけているんじゃないのか、というふうに疑われました」
弁護士「それで」
被告人「僕は本当に、専務が拳銃で殺したんです、原田さんを捕まえてくれればそれが解ります、だから早く捕まえてください、というように、お願いするように訴えました」
弁護士「それで」
被告人「原田さんのマンション、それとまあ、銃のありかについて、そのことを伝えました」
弁護士「原田さんの居場所については」
被告人「原田さんの居場所については、先に、以前、原田さんが覚せい剤で逮捕された話をしてから、原田さんが、5月7日に、長野県から、まあ、地元の兵庫県に移った、と話をしました」
弁護士「銃について」
被告人「拳銃の場所については、宮城さんが殺害された後に、兵庫県から長野県に戻る間、原田さんが運転していたベンツから、当時自分の運転していた白のレガシーに拳銃を移した、義昭さんが運転を変わった、と話をしました」
弁護士「銃は見つかりましたか」
被告人「見つからなかったです」
 誰が拳銃を始末したのか?良亮か、文夫か、あるいは?K・Kも、宮城の死体が高田の倉庫にあることを知っている様子だったが。
弁護士「宮城さんが殺されたのは、出所後のことだと話をしましたか」
被告人「そうです」
弁護士「原田については」
被告人「5月のことなんですけど、刑事さんから一枚の写真を見せていただきました」
弁護士「それは?」
被告人「航空の防犯カメラに映っている写真だと思いますが、ぼやけていてはっきりと解らなかったので、原田さんの特徴が分かるはっきりした写真がほしい、と話しました。それと、原田さんの特徴がある」
弁護士「それで特徴は」
被告人「原田さんは元組員で、右の指が小指ともう一本がないのと、まあ、移っていた写真がぼやけていて、もっと特徴の分かる写真を見せてほしい、と言いました」
弁護士「それで、新しい写真は見せてもらいましたか」
被告人「はい。のちに、原田さんの写真を見せられて、それで原田さんと確認しました」
弁護士「原田は逮捕された」
被告人「はい」
弁護士「文夫さんのお金の件について、いつ話しましたか?」
被告人「自分の前回の公判で、4月21日に、お金をとったという調書が残っていましたので、おそらく、そのころ、話をしたと思います」
弁護士「殺害後にお金を盗んだ」
被告人「はい、仰る通りです」
弁護士「文夫さんのお金の話が出てきた経緯は」
被告人「恐らくなんですけど、斎田さんに支払う報酬の話が・・・出たので、文夫さんのお金で支払うというような話をしたと・・・」
弁護士「どっちから、話が出てきましたか」
被告人「それは未だにちょっと、はっきりしないんですけど、自分から話したのか、もしくは、あー、刑事さんに追及されて話したのか、検事さんから追及されて話したのか、はっきり覚えていないです」
この時の伊藤の声は、少し焦った、弱った感じの声だった。私は、伊藤の不安そうな眼差し、硬い表情を思い出していた。
罪名が殺人と認定されれば、殺人の事実さえ犯行発覚に先んじて供述すれば、自首は成立する。しかし、もしも強盗殺人と認定された場合、金をとったことを話していなければ、「犯行の主要な事実を話したとはいえない」として、自首が認定されないかもしれない。殺害時の金銭奪取の意図は、強盗殺人の成立にあたり、必要な要素である。強盗殺人と認定された場合、「犯行の主要な事実を話した」か否かについて判断するに際し、金をとったことを発覚以前に話したか否かが、重要になる可能性があった。
弁護士「最後に聞きますけども、4月13日午後、3人を殺したと警察に話した」
被告人「はい」
弁護士「さらに、死体を埋めたと話をした」
被告人「はい、しました」
弁護士「その時、文夫さんのお金のことを話さなかった理由は何ですか?」
被告人「いや、その、話をしなかったわけじゃないんですが、前回の公判でもいってるんですけど、妻子がこれからどうやって暮らしていくのか心配とか、金沢浩一さんが言った、3人を殺せばそいつは確実に死刑になるという言葉とか、そういう話の中で、自分は由紀子さんと文夫さんと良亮さんと三人を殺害してしまっているんで、殺害してしまったという物事が大きすぎて、また、殺めてしまってから、三人を殺害した光景が思い出されてしまって、お金の話しなければいけなかったんですけど、どうしても、その、人の命を奪ってしまった物事の方が大きすぎて、すっかりお金の話が、抜けてしまっていたんです。すみません」
 終わりの方は、不安からか、早口になっていた。そして、やや涙声にもなっていた。
最初の自供時に、金をとったことが頭から抜けていたとしても、不思議ではあるまい。検察官でさえ、この事件は金目当ての犯行ではないと認めていた。被告人質問、犯行時の状況を見た限りでは、犯行動機に利益を得る意図は見受けられない。伊藤に至っては、とった金はすべて斎田に渡すつもりでいたのである。
 また伊藤は、金をとった事実について、自分から話したと強弁しなかった。「追及されて話した」という、自首成立を壊しかねない可能性も、検討している。その態度からは、第一自供時の精神状態について、正直に話そうという思いが感じられた。
弁護士「抜けていたとはどういうことですか」
被告人「今話した三つのことが僕の頭の中の殆どを占めてしまっていたんで、だから、お金のことがすっかり、ほんとに抜けてしまって、人を殺めてしまったという物事の方が、ほんとに大きかったんで、だから、その時はお金の話出てこなかったんだと思います、はい」
弁護士「お金をとったことは、隠していないと」
被告人「殊更隠すつもりはなかったので、はい」
 ここで、検察官の被告人質問となる筈であった。しかし、検察官は、控訴審で突然自首の成否を争い始めたので、準備ができていない、続行してほしい、と言い出した。検察官の要望により、前回期日から一か月も待ったが、まだ準備ができないらしい。「補充で、自白の経緯、捜査の進捗状況などを警察に確認したうえで、聞いていきたい」と述べた。
 裁判長は、ひとまず、伊藤さんに被告席へ戻るように言う。伊藤さんは、傍聴席に深々と一礼したのち、被告席へと戻った。
 東京高裁から弁護についた、中年の今村弁護士は、「改めて警官を訊問して、供述調書を作るのですか、それとも、当時の記録を確認するのですか」と検察官に尋ねる。検察官は「両方です」と、平然と答えた。
 私は、呆れた。警察の記録は、被告側に良い事情は切り落とされ、悪い事情が誇大に書かれている傾向が大きい。ましてや、自首の成否が問題となっている現状で、警察が被告人に有利な事実を話すだろうか。
 今村核弁護士も、同様に感じたらしい。「当時作成した記録を調べるのならば,私共も賛成しますが、改めて調査しても、内容の信用性が・・・」と苦笑していた。結局、新たに警察官の供述調書を作った場合は、それを前提に質問する。検察側は、新しく作った供述調書を証拠として請求するとは限らない、ということになった。
 とりあえず、次回期日は12月3日10時30分に指定された。これで結審する予定とのことだ。控訴審第六回公判は、10時55分に閉廷した。
 伊藤さんは、硬い表情で、うつむいて閉廷した。私が「伊藤さん、頑張ってください」と声をかけたところ、硬い表情のまま、軽く頷いた。そして、被告用扉の奥に、姿を消した。

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