伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

 昨年は、これまでにあまり例を見ない、大量執行の年であった。安倍政権の「平成の大事件にカタをつけた」という、やってる感を演出するために、死刑囚とはいえ他人の生命を利用したのである。伊藤と松原への死刑執行には直接関係ないが、気持ちを暗くさせる大量執行だった。
 法務省は、新天皇の継承の儀式が終わるまでは、死刑の執行は行わない予定であると発表した。しかし、これが本当であるかは解らない。
 組織ぐるみで実習生へのアンケートを改ざんし、再審請求権という「裁判を受ける権利」を踏みにじって恥じない、違法務省とでも改名すべき役所である。嘘の情報を流すことなど、何とも感じないであろう。
 ただ、嘘の情報を流すメリットが考えられないのも確かだ。また、新たな死刑確定についてであるが、2019年は3人、2020年には1人ないし2人しか死刑確定しないと思われる。今年死刑執行を行わなかったとしても、死刑囚が急増する事態ではない。死刑囚の病死も考えられるので、今年執行しないでいても死刑囚の人数は減少するかもしれない。こうした事情を考えれば、継承の儀式が終わるまで、死刑執行を見合わせる可能性も大きい。
 しかしながら、継承の儀式が終わるまで死刑執行を見合わせるとしても、今年に執行が行われる可能性は高い。

 2018年12月27日、コスモリサーチ事件の二死刑囚に、死刑執行が行われた。
 二人のうち、河村啓三は、内省を深め、被害者と手紙のやり取りをするまでになっていたとのことだ。遺族は(一部かもしれないが)果たして、河村の死刑を望んでいたのか?あえて死刑にする意味があったのか?また、無理やりねじ込んだように、死刑執行を行わねばならなかったのか?
 河村の死刑については他にも思うところがあるが、詳しくはまた別項にて書きたい。

 ともかく、2018年12月27日、二人の死刑執行が行われた。法務省は、継承の儀式の間は、執行を行わない方針とのことである。その儀式は、2019年11月半ばまで続くとのことだ。
 事実ならば、今年の死刑執行に縛りができたことになる。しかしながら、安倍自民も、法務省も、検察も、執行のない年を作りたくないはずだ。あるいは、丸一年間、執行の空白期間を作りたくないであろう。12月27日という年末に、無理やりねじ込んだように執行したのは、空白を作らないためではないのか。
 つまり、2019年11月後半から12月27日までの間に、死刑執行が行われる可能性は高い。
 それにしても、私の考えが正しいのであれば、「空白期間を作らないため」という些細な目的のために、二人を執行したということだ。死刑囚とはいえ、人命を数合わせの手段として、利用したことになる。
 
 また、安倍自民や法務省・検察は、年間3~4人は執行しなければならないと考えているようだ。それ以上の人数を執行する可能性もあるが、一度でそれだけの人数を執行するには、念入りな準備が必要である。その手間を二年連続で行うことが可能か疑問だ。また、継承儀式終了直後に、そこまでの大規模執行を行う可能性も低いと思われる。3~4人への執行は、さしたる準備もなく、平時に行われたことが何度もある。
 以上を考えれば、その一度で3~4人が執行される可能性が高い。

 さらに、近年は確定から10年を超えた古参死刑囚への執行に、こだわりを持っているようだ。
 2017年に執行された4人のうち、3人が確定10年を超える古参死刑囚だった。また、2018年にオウム真理教死刑囚の13人と、コスモリサーチ事件の二人が死刑執行された。この15人のうち、7人が確定10年を超える古参死刑囚であった。オウム真理教死刑囚の執行は、古参死刑囚への大量執行、という側面もあったのである。

 以上から、新元号初年の死刑執行は、11月後半~12月中に、一度の機会で、確定10年を超える古参死刑囚が3~4人程度執行される可能性が高い。
 その顔触れは、2002年10月24日に確定した死刑囚から、2009年中に確定した死刑囚の中の誰かであろう。さらに、その中の冤罪の可能性が低い(注・私の感想であり、事実と異なる可能性もある)、あるいは、執行しても騒がれない32人の内から選ばれるのではないか。

 おそらく、今年に伊藤と松原が執行されることはないだろう。しかしながら、何一つ好転する兆候の見えない年となりそうである。

 7月6日、オウム真理教事件の七死刑囚が、死刑を執行された。
 そして、記事を書くのに手間取っている内に、小池泰夫、廣瀬健一、豊田亨、横山真人、端本悟、宮前一明の六人までも死刑執行されてしまった。
 小池は、地下鉄サリン事件の実行犯であり、松本サリン事件では幇助的役割を果たした。廣瀬、豊田、横山の三人は、地下鉄サリン事件の実行犯である。端本は、坂本弁護士一家殺害の実行メンバーであり、松本サリン事件では、噴霧車の警備を担った。宮前は、坂本弁護士一家殺害事件の実行メンバーであり、信者一名への殺害事件に関与している。
 このうち、豊田亨は、真島事件と袖が擦れ合った程度の縁がある。松原智浩の弁護を引き受けているのは、豊田の弁護人である、宮田桂子弁護士だ。松原は二回目の再審請求である。豊田の第一次再審請求中の執行にも怒っただろうが、松原の執行可能性が現実味を増したことで、戦慄したのではないか。
 私は、豊田の執行を聞いて、ぞっとした。法廷や拘置所で見た松原の顔が思い浮かんだ。伊藤に至っては、再審請求もできていない状況である。今年はさすがに、これ以上の執行はしないかもしれない。しかし、伊藤と松原の順番が迫ってきていると感じられてならない。来年9月で、松原は死刑確定5年目となる。

 話をオウム事件に戻そう。前回執行されたのが、麻原と、その位の高い「重鎮」(実質的には奴隷と大差なかったと思えるが)であったとすれば、今回の執行は、末端の実行犯である。中でも、端本は組織内で位が低く、重大事件に二回関与したとはいえ、下っ端の役割であった。それだけに、余計に割り切れなさを感じる。
 この6人は、7月6日に執行された幹部と同様、麻原によりマインドコントロールされ、搾取、利用される存在であったという事情がある。加えて、幾人かには、以下のような事情がある。
 横山は実行犯ではあったが、彼の実行行為により死亡した人数は0名である。地下鉄サリン事件実行犯の中で、唯一無期懲役が求刑された林郁夫は、実行行為により2名を殺害している。また、彼は他にも一人の死に関与している。その林と比較し、あまりにも差がありはしないか。また、この差は、一名の殺害実行にとどまる廣瀬、豊田にも当てはまる事情である。
 端本悟は、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯とはいえ、グループ内での序列は最下位と言ってよかった。グループの指示役は、村井秀夫と早川紀代秀であり、弁護士夫妻の殺害を実行したのは新実智光、赤ん坊の殺害を実行したのは中川智正である。現場での行為は、坂本弁護士を殴打したなどであり、生命を奪う行為は行っていない。もちろん端本にも重い責任はあるが、実行現場で大して重要な役割を果たしていなかったと言えるのではないか。また、松本サリン事件ではサリン噴霧車の運転と警備を担ったが、サリン噴霧車の運転・警備のみに関与した被告たちは、懲役17年、18年といった量刑となっている。松本サリン事件と二件の殺人に関与したオウム幹部は、最後まで麻原に帰依し続けたにもかかわらず、無期懲役の判決であった。これらと比較しても、端本の量刑は重すぎるのではないかと思っている。
 宮前一明は、坂本弁護士一家殺害事件について自首が成立している。また、同事件では、指示役ではなく、殺害実行行為も、坂本弁護士に対して「首を後ろから押さえる」という一部を行ったにとどまり、直接的に生命を奪う行為といえるか微妙である。自首が遅かったという非難はあるだろうが、それでも真相究明に大きく貢献したことは間違いない。
 このように、末端の実行犯たちには、役割の評価という点においても、首をかしげざるを得ない点が多い。
 しかし上川法相は、これらの事情を考慮することもなく、あっさりと死刑を執行してしまった。

 もともと、この記事のタイトルは「残った六死刑囚に恩赦を」とするつもりだった。だが、法務行政の体質を考えると、それは無理な話だったかもしれない。戦後、個別の情状により、個別恩赦となった死刑囚は極めて少ないのが現状だ。そして、再審請求の権利すら踏みにじる法務行政と政権である。恩赦という言葉など、六法全書のシミぐらいにしか考えていないであろう。



 麻原彰晃をはじめとする、オウム真理教事件に関与した、7人の死刑囚に死刑が執行された。
 これを上回る大量執行は、大逆事件、二・二六事件まで遡らねばならないのではないか。あるいは、田中伊三次による、23名への死刑執行か。

 VSフォーラムはまたも声明を出しているようだが、死刑の積極的執行という「利益」のために、政権と行政の判断に、無批判に追従するものでしかない。特に言及しない。
 新実智光、中川智正、早川紀代秀、井上嘉浩、遠藤誠一、土谷正実、以上の六人の執行については、反対するし抗議する。オウム信者たちは、麻原による物的、心理的圧力、さらには薬物を使用したマインドコントロール下に置かれており、操られ、利用された側面が強い。北九州監禁殺人事件や角田美代子事件のように、そのような状況下で事件に関与した被告には、死刑が選択されていない事例も多い。執行された6名の幹部にも、そのような事情が考慮されるべきであった。
 中でも、中川、遠藤、井上は一度目の再審請求中に、死刑が執行されたとのことである。これは、行政の恣意的判断により、法律上規定された再審請求の権利を奪っているということだ。再審制度の実質的な有名無実化に他ならない。
 
 麻原彰晃の死刑執行そのものは妥当である。しかし、再審請求中とのことであり、裁判を受ける権利を行政が奪ったということで、違憲以外の何物でもない。また、受刑能力があったか否かが、気になるところではある。
 再審請求中の死刑執行について、その無法を指摘するのも疲れた。しかし、そのたびに、指摘し続けるつもりだ。
 それ以前に、安倍政権に、もはや死刑執行をする資格はないのではないか。かくも疑惑にまみれ、犯罪を行っている可能性もある政権。死刑という究極の刑罰の執行のためには、政府への信頼と、道義的正当性が必要不可欠だろう。それを欠いた政権に、死刑執行を行う正当性があるのか。なお、安倍政権の面々は、上川法相も含め、死刑執行の前日、酒宴に興じていたとのことである。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-08/2018070802_06_1.html
上川法相は6日の死刑執行直後の記者会見で、3日に執行命令書に署名したと説明しており、パーティー当時には翌日の執行を当然知っていたことになります。また、パーティー当日の夜には、西日本を中心に豪雨被害が出始めていました。
 ツイッター上では、豪雨被災中、死刑執行前夜のパーティーに興じた安倍、上川両氏らの行動に、「おぞましい」「『危機管理』が聞いてあきれる」などの批判が相次ぎました。


 麻原が極めて凶悪な犯罪者であったとはいえ、死刑執行を前に酒を飲んではしゃぐなど、スターリンとその取り巻きのような精神構造としか言えない。

 また、「オウム事件真相究明の会」は、大量の執行に対し、何ら動きを見せていないようだ。詳細は後ほど(いつになるか解らないが)書くが、率直に言って、同会の行動に信用できない印象を抱いている。そして、青木氏、雨宮氏、原田氏が名前を連ねているのは、残念に感じた。
 しかし、中でも一番不信感を抱いたのは、藤井誠二が名を連ねていることである。同人は、日垣隆という悪辣な詐欺師と組み、今年6月に解散した「あすの会」(VSフォーラムの母体ともいえる団体である)と二人三脚で、遺族の絶対化と厳罰化を推進した。いわば、真島事件の死刑の遠因を作ったと言っても過言ではない。
 そのような人間が、なぜ、多少なりとも麻原の擁護となる団体に、名を連ねているのか。森達也の人脈を生かし、何食わぬ顔でリベラル陣営に復帰しようと考えているのか。意図は不明だが、少なくとも、自分の言動の総括ぐらい、すべきではないか。
 なお、藤井自身も、2018年7月8日現在、死刑執行について何も発言していないようである。何か発言する義務もあるのではないか。
 
 日垣隆という人物と、その悪行については、こちらを参照。
 要約すれば、日垣は、弟の死について「少年犯罪者に殺された」と虚言を述べ、社会の同情と支持を得ていた。実際は、修学旅行中の事故死であった。また、新潮ドキュメント賞を受賞した『そして殺人者は野に放たれる』という本では、雑誌記事を剽窃して、自らの取材であるかのように装った。さらに、記事の内容を捻じ曲げ、統合失調症の殺人者が、収監先の病院では統合失調症と診断されていないかのように、虚偽の事実を記載した。
なお、日垣は「あすの会」と組み、パネリストとして登壇していたこともある。私自身、かつて2001年の集会を聴講し、その場面を目撃している。
http://www.navs.jp/report/2/event1/event1-3.html
パネルディスカッションは、諸澤英道(常磐大学学長)のコーディネートにより、渥美東洋(中央大学教授)、垣添誠雄(弁護士)、日垣隆(ジャーナリスト、作家、会員)を招き、岡村勲(代表幹事、弁護士)、本村洋(幹事)も参加して、ディスカッションを行い、会場の参加者との意見交換も行った。

 このような嘘つきが、被害者の絶対化、刑罰制度、ひいては社会の在り方を形作ったのである。
 
 今回の死刑執行に話を戻そう。私は、6人の幹部の執行には反対する。また、再審請求中の執行は、裁判を受ける権利を有名無実化するに等しいと考える。中でも、一度目の再審請求中での執行は、国が裁判を受ける権利の保障を侵害したものに他ならない。そして、犯罪疑惑にまみれ、死刑執行前日、大災害のさなかにもかかわらず、酒宴を開きはしゃぐような政府には、死刑執行を行う資格はないと考えている。

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