伊藤和史獄中通信・「扉をひらくために」

長野県で起こった一家三人殺害事件の真実。 そして 伊藤和史が閉じ込められた 「強制収容所」の恐怖。

 麻原彰晃をはじめとする、オウム真理教事件に関与した、7人の死刑囚に死刑が執行された。
 これを上回る大量執行は、大逆事件、二・二六事件まで遡らねばならないのではないか。あるいは、田中伊三次による、23名への死刑執行か。

 VSフォーラムはまたも声明を出しているようだが、死刑の積極的執行という「利益」のために、政権と行政の判断に、無批判に追従するものでしかない。特に言及しない。
 新実智光、中川智正、早川紀代秀、井上嘉浩、遠藤誠一、土谷正実、以上の六人の執行については、反対するし抗議する。オウム信者たちは、麻原による物的、心理的圧力、さらには薬物を使用したマインドコントロール下に置かれており、操られ、利用された側面が強い。北九州監禁殺人事件や角田美代子事件のように、そのような状況下で事件に関与した被告には、死刑が選択されていない事例も多い。執行された6名の幹部にも、そのような事情が考慮されるべきであった。
 中でも、中川、遠藤、井上は一度目の再審請求中に、死刑が執行されたとのことである。これは、行政の恣意的判断により、法律上規定された再審請求の権利を奪っているということだ。再審制度の実質的な有名無実化に他ならない。
 
 麻原彰晃の死刑執行そのものは妥当である。しかし、再審請求中とのことであり、裁判を受ける権利を行政が奪ったということで、違憲以外の何物でもない。また、受刑能力があったか否かが、気になるところではある。
 再審請求中の死刑執行について、その無法を指摘するのも疲れた。しかし、そのたびに、指摘し続けるつもりだ。
 それ以前に、安倍政権に、もはや死刑執行をする資格はないのではないか。かくも疑惑にまみれ、犯罪を行っている可能性もある政権。死刑という究極の刑罰の執行のためには、政府への信頼と、道義的正当性が必要不可欠だろう。それを欠いた政権に、死刑執行を行う正当性があるのか。なお、安倍政権の面々は、上川法相も含め、死刑執行の前日、酒宴に興じていたとのことである。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-08/2018070802_06_1.html
上川法相は6日の死刑執行直後の記者会見で、3日に執行命令書に署名したと説明しており、パーティー当時には翌日の執行を当然知っていたことになります。また、パーティー当日の夜には、西日本を中心に豪雨被害が出始めていました。
 ツイッター上では、豪雨被災中、死刑執行前夜のパーティーに興じた安倍、上川両氏らの行動に、「おぞましい」「『危機管理』が聞いてあきれる」などの批判が相次ぎました。


 麻原が極めて凶悪な犯罪者であったとはいえ、死刑執行を前に酒を飲んではしゃぐなど、スターリンとその取り巻きのような精神構造としか言えない。

 また、「オウム事件真相究明の会」は、大量の執行に対し、何ら動きを見せていないようだ。詳細は後ほど(いつになるか解らないが)書くが、率直に言って、同会の行動に信用できない印象を抱いている。そして、青木氏、雨宮氏、原田氏が名前を連ねているのは、残念に感じた。
 しかし、中でも一番不信感を抱いたのは、藤井誠二が名を連ねていることである。同人は、日垣隆という悪辣な詐欺師と組み、今年6月に解散した「あすの会」(VSフォーラムの母体ともいえる団体である)と二人三脚で、遺族の絶対化と厳罰化を推進した。いわば、真島事件の死刑の遠因を作ったと言っても過言ではない。
 そのような人間が、なぜ、多少なりとも麻原の擁護となる団体に、名を連ねているのか。森達也の人脈を生かし、何食わぬ顔でリベラル陣営に復帰しようと考えているのか。意図は不明だが、少なくとも、自分の言動の総括ぐらい、すべきではないか。
 なお、藤井自身も、2018年7月8日現在、死刑執行について何も発言していないようである。何か発言する義務もあるのではないか。
 
 日垣隆という人物と、その悪行については、こちらを参照。
 要約すれば、日垣は、弟の死について「少年犯罪者に殺された」と虚言を述べ、社会の同情と支持を得ていた。実際は、修学旅行中の事故死であった。また、新潮ドキュメント賞を受賞した『そして殺人者は野に放たれる』という本では、雑誌記事を剽窃して、自らの取材であるかのように装った。さらに、記事の内容を捻じ曲げ、統合失調症の殺人者が、収監先の病院では統合失調症と診断されていないかのように、虚偽の事実を記載した。
なお、日垣は「あすの会」と組み、パネリストとして登壇していたこともある。私自身、かつて2001年の集会を聴講し、その場面を目撃している。
http://www.navs.jp/report/2/event1/event1-3.html
パネルディスカッションは、諸澤英道(常磐大学学長)のコーディネートにより、渥美東洋(中央大学教授)、垣添誠雄(弁護士)、日垣隆(ジャーナリスト、作家、会員)を招き、岡村勲(代表幹事、弁護士)、本村洋(幹事)も参加して、ディスカッションを行い、会場の参加者との意見交換も行った。

 このような嘘つきが、被害者の絶対化、刑罰制度、ひいては社会の在り方を形作ったのである。
 
 今回の死刑執行に話を戻そう。私は、6人の幹部の執行には反対する。また、再審請求中の執行は、裁判を受ける権利を有名無実化するに等しいと考える。中でも、一度目の再審請求中での執行は、国が裁判を受ける権利の保障を侵害したものに他ならない。そして、犯罪疑惑にまみれ、死刑執行前日、大災害のさなかにもかかわらず、酒宴を開きはしゃぐような政府には、死刑執行を行う資格はないと考えている。

 2017年8月10日、松原智浩の即時抗告が、東京高裁で棄却された。
 状況は非常に絶望的だが、何とか頑張ってもらいたい。私自身は松原と交流できていないので、応援することしかできないのが現状だ。
 最高裁では、少しでも慎重に審理してもらいたい。また、再審請求の趣旨から外れることは百も承知だが、松原の被害者からの犯罪被害という、事件の本質にも目を向け、少しでも配慮してもらえればと思う。

 次に、住田紘一の死刑執行について。
 住田死刑囚は、被害者に謝罪し、控訴を取り下げて死刑を確定させた。前科前歴もない。本当に死刑しかないといえたのか、疑問は残る。
 何ら罪のない人間を殺害したことは事実であり、遺族の処罰感情については、当然だと思うので、それについては特に書くことはない。
 ただ、気になった点が二つ。
 記事の内容からしか判断できないが、遺族の手紙などに返信しなかったのは、単に拘置所が連絡を許さなかった可能性もある。また、住田被告が「自分には死刑しかない」と考え、本人なりの反省として、外部をシャットアウトして死刑執行を受け入れることに専念したのかもしれない。遺族の言葉を「真実」とする根拠は、記事中の言葉には示されていない。
 また、遺族の永山判決や死刑適用の現状への理解について、無批判に報道していれば良いのだろうか。
 永山判決であるが、「被害者一名では死刑にしてはいけない」という内容ではない。その証拠として、21世紀になってからも、殺人前科なし死者一名の事件で、高裁で死刑判決が下されている事件は存在する。
 2004年10月29日には、女子高生誘拐殺人事件の坂本正人が東京高裁で逆転死刑判決を下されている。坂本は上告することなく確定した。
 2005年3月19日には、女性強姦焼殺事件の服部純也が高裁で逆転死刑判決を下された。服部は上告し、2008年に最高裁で上告棄却。
 2006年9月26日には、奈良女児殺害事件の小林薫に、奈良地裁で死刑判決が下され、控訴せずに確定した。
 2009年3月18日には、名古屋闇サイト殺人事件の神田司に、名古屋地裁で死刑判決が下され、控訴取り下げにより確定している。
 2011年3月1日には、横浜中華街店主射殺事件の熊谷徳久が、上告棄却され死刑が確定している。
 これらの死刑囚たちは、奇しくも全員がすでに死刑執行されている。
 住田以前の5人のうち、3人は高裁以上のレベルで死刑判決が支持されている。「死者一名では死刑になることはなかった」というのは誤導である。せいぜいが、死者一名の事件では死刑にある程度抑制的である、といえるに過ぎない。
 なお、住田死刑囚は、裁判員制度での三人目の死刑確定者である。松原智浩は、四人目の死刑確定者だ。真島事件の死刑囚たちの死刑執行が近づいてきたように感じる。

 最後に。全く報道されていないが、今回もまたVSフォーラムが死刑執行を支持する声明を出した。
 7月13日執行の声明
 その内容であるが、前回の田尻賢一の執行と、全く同じである。いや、一つだけ異なっている点があった。今回の執行人数として「2名」という文字を加えた点。それ以外は、全く前回と同一の内容である。
 前回の声明
 血の通わないテンプレートであり、「死刑執行」という、法の下に人命を奪う行為への、厳粛性や重大性にはそぐわない軽さと無機質さを感じる。死刑存置の立場にせよ、死刑執行の重大性への意識がここまで感じられないのは、法曹としていかがなものか。「今回の死刑執行に賛成」であり、法曹としてそれを意見表明するのであれば、より理を尽くして丁寧に説明を行うべきではないか。
 また、西川の死刑執行は、再審請求中に行われた。被害者擁護の立場に立つとはいえ、「裁判を受ける権利」との整合性に全く思いを致さない姿勢には、疑問を感じる。
VSフォーラムが死刑廃止に反対の立場だということは、すでに周知されている。また死刑執行の場以外にもいくらでも意見を述べる機会はある。死刑廃止論者、死刑囚の支援者、あるいは死刑囚の親族の傷口に塩を塗り込む以外に、特段出す意義のない声明と感じられた。

↑このページのトップヘ